抄録
本稿は,平安時代中期に京都の医家により編まれた『医心方』,鎌倉時代後期に
鎌倉の僧医により編まれた『頓医抄』,南北朝時代に京都の僧医により編まれた『福
田方』の諸本(鈔本・刊本)にみる聾語彙「ミミシヒ」「ミミキカズ」「ミミツブレ」
の実態(形式,意味,語用など)を緝輯した。その結果を中古中世日本の字書,韻書,
辞書,キリシタン版にみる聾語彙の実態と比較し,中古中世日本医書にみる聾語彙
の実態を通時的ないし共時的実態を範疇化し,日本聾語彙史に連関布置した。
中古中世日本医書において,聾字彙「聾」「耳聾」に連環する聾語彙「ミミシヒ」
「ミミキカズ」「ミミツブレ」にみる実態は,語用時期や医書の特性のような聾語彙を
取りまく文脈に応じて,「定訳と補完的和訓」や「漢文訓読体と口語体」のような
対義的概念の揺らぎを内包するものであった。畢竟,中古中世日本医書にみる聾語
彙の実態は,「ミミシヒ」「ミミキカズ」「ミミツブレ」という 3 系統が通時的な複
層性や共時的な多面性を内包するものであった。
たとえば,ハ行転呼を伴う変遷を伴う「ミミシヒ」系統聾語彙は『医心方』『頓
医抄』『福田方』諸本に散見する他,「ミミキカズ」系統聾語彙や「ミミツブレ」系
統聾語彙との和訓併記も見受けられた。「ミミキカズ」系統聾語彙は『頓医抄』『福
田方』諸本に散見するものの,名詞性が色濃いものと,連用形に留まっているもの
が混在する実態が窺われた。「ミミツブレ」系統聾語彙は『福田方』諸本に散見し,
「ミミツブレ」初出典拠が南北朝時代に遡及し得ることが窺われた。