印度學佛教學研究
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スポータ理論に基づく語の知覚と顛倒
斉藤 茜
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2013 年 61 巻 3 号 p. 1103-1107

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抄録

中世インドの言語哲学の発展は,文法学派が立てたスポータ理論をひとつの頂点とする.彼ら文法学派は,ことばを構成する最小のユニットとしてスポータ(sphota)を提唱した.その開顕に関して,我々はBhartrhari(5世紀)の著作Vakvapadiyaに最初の具体的な議論を見ることができる.一方,彼の思想を継いでスポータ理論を完成させたMandanamisra(8世紀初頭)は,自身の著作Sphotasiddhi (SS)において,その議論を再構築し,理論武装を図っている.スポータを不可分の単位として見倣すのは,文法学派のみであるので,その理論を推し進めていく上で,ミーマーンサー学派を中心とする対論者(音素論者)との衝突が避けられない.Mandanaによれば,ことばとは,音素毎に順を追って明らかになるのではなく,「不明瞭なことば全体が,徐々にはっきりとしていく」というプロセスで顕現するものである.また音素(varna)は,単語(pada)の開顕においては便宜的に立てられた単位に過ぎず,真にことばの創出に係るのは音響(dhvani/nada)である.とはいえ,彼らが音素の存在を全く考慮しなかった訳ではない.Mandanaは音素の認識を<顛倒>(viparyasa)として,スポータ理論の体系の中に組み入れようとした.本論文では,SSにおける顛倒の議論に焦点を当て,【1】先ず語の知覚に際して,顛倒という概念を考える必要性を示し,【2】顛倒とはどういったものかを対論者の立場から考察した後,【3】それに対して,Bhartrhariの議論に基づきながらMandanaがどのように顛倒を定義するか,を検討し,【4】音素の認識とスポータの認識が如何に関わるのか,を図式化する.以上の流れに沿って,スポータ開顕のプロセスの中で,顛倒としての音素の認識が如何なる役割を果たすか,を明確にすることを試みる.

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© 2013 日本印度学仏教学会
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