印度學佛教學研究
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仰ぎ見る仏陀と内在する仏陀
――日蓮における釈尊への帰依と内観の仏陀――
渡邊 寶陽
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2013 年 61 巻 3 号 p. 1261-1269

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抄録

「日蓮(1222〜82)は,どのように仏陀の存在を確信したのか?」について,日蓮の主著『如来滅後五五百歳始観心本尊抄』(『観心本尊抄』と略称)を中心に,考察する.日蓮は「仰ぐところは釈迦仏.信ずる法は法華経なり」(『孟蘭盆御書』)と,明確に久遠の仏陀釈尊への尊崇を基本とし,『法華経』への帰依を確言している.釈尊への帰依については,釈尊が(精神文化の基調である)主徳・師徳・親徳の三徳を総合的に統括していることを強調する.そのことは『一代五時図』『一代五時鶏図』などの図録に詳細に図示される.そのような総合的な見解に基づき,日蓮は,釈尊→天台大師→伝教大師という系譜において『法華経』を基幹とする仏教の展開がみられるとする.具体的には中国の天台大師撰述の『法華玄義』『法華文句』『摩詞止観』の三大部を尊重する.したがって,自己に仏界の内在を確信する依拠は『摩詞止観』に求められる.天台大師智〓は『摩詞止観』を厳しい行法として究める摩詞止観の行法を完成させたが,日蓮はその第五巻に説かれる一念三千の理論を末法衆生への基本として転換的に理解し,南無妙法蓮華経の唱題によって,凡夫自己の仏界が久遠釈尊の大慈悲によって顕現されるとする.それこそが,仏陀入滅後二千二百二十余年後の末法に『法華経』が「未来記の法華経」としてその真意を顕す重要な意義であることを,『観心本尊抄』に詳説する.すなわち,自己に内在する一念三千とは,凡夫自身の自己錬磨によって究明することでなく,凡夫自身に仏界を具有することは,既に久遠釈尊によって保証されるところであることが明らかにされるとする.それを自己に体得することは,南無妙法蓮華経の唱題受持によって顕現されるという唱題成仏の趣旨が明らかにされたとするのである.仏陀釈尊を仰ぎ見る当所に,凡夫自己の仏界内在を確信せよと日蓮は示しているのである.

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© 2013 日本印度学仏教学会
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