印度學佛教學研究
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親鸞の信心に関する智慧の側面
――Shinshu Theologyに於ける体験的視点――
田中 ケネス
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2015 年 63 巻 3 号 p. 1095-1105

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抄録

欧米において,浄土教のイメージは「仰信的」(devotional)で,仏教としては異質であるという印象が強いのが現状である.更に,真宗教義の根幹を示す「信心」の英訳としてentrusting(委託)がもっとも多く採用されていて,その「委ねる」という意味が「仰信的」なイメージを一層強める結果となっている.本論では,"Shinshu Theology"という視座より,信心の智慧の側面をより明らかにすることに努めた.尚,本論での"Shinshu Theology"とは,一般に言われる「一神教の神に関する学問」を示すのではなく,「特定の宗教の伝統においての知性的熟考」を指すのである.従って本論では,伝統宗学的な範疇に拘らない視点を採用した.その例として,「信心」に関する説明を分類すると,1)「真実」であることの規範的叙述(normative statement)と,2)体験的叙述(experiential statement)と大きく二つに分けることができるが,本論では,"Shinshu Theology"の視座に立つことで,後者,体験的叙述・視点を重視することがより可能となった.この体験的視点から見れば,信心を,1)委託,2)歓喜,3)無疑,および4)智慧という四つの側面に分類することができた.そして,本論が主題とする「智慧」とは,知る,理解する,気づく,という幅広い意味が含まれると定義した.以上のような視点より親鸞の信心に関する主要な文章を考察した結果,智慧の側面が信心の重要な要素であることが明らかになった.もちろん,信心の委託の側面は否定できない.しかし,それは智慧や無疑の側面を否定するものでもなく離れたものでもない.本願や自分の凡夫性を知ることが伴って委託という行為が可能となるのである.以上のように,信心を体験的視点から見れば,智慧の側面がかなり濃厚であることが判明され,目下主流となっているentrusting(委託)よりも,realization(目覚め)の方がより妥当な英訳であると考える.只,このrealizationは自力的なものでなく,他力的な目覚めなのである.

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© 2015 日本印度学仏教学会
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