印度學佛教學研究
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無言か,祭詞か?
――黄金のpurusaの両側に2つのsrucが置かれることについて――
伊澤 敦子
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2016 年 64 巻 3 号 p. 1061-1066

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抄録

Agnicayanaでは,レンガ積みの前に,黄金のpurusaの両側にsruc(献供用の柄杓)が置かれる.1つはudumbara製で北側に置かれ,天と見なされ,もう1つはkarsmarya製で南側に置かれ,大地と見なされる.また,purusaの両腕に見立てられたり,あの世で祭主に仕えるとも言明される.Taittiriya Samhitaのbrahmana部分(TS^p)によると両者は無言で(tusnim)置かれるが,Maitrayani Samhita (MS^p)では,それぞれgayatriとtristubh韻律での詩節の朗唱と共に置かれる.一方,Kathaka-Samhita (KS^p)では,無言で,とも,gayatriとtristubhによって,とも指示されている.これらの記述からだけでは,TS^PとMS^pが対立しており,KS^pは一見矛盾している如くである.しかし,Satapatha-Brahmana (SB)及び大部分のSrautasutra (SrSu)によると,祭詞,gayatri, tristubh全て唱えることになっている.従って,MS^pは両韻律で唱えると言うのみで,祭詞には言及していないのであり,反対にTS^pは祭詞を唱えないと述べるのみで,両韻律には触れていないので,対立しているか否かは不明である.そして,KS^pはMS^pとTS^pとを合わせた様な記述になっているが,それ自体は矛盾するものではない。Samhitaのmantra部分によると,TS^mには該当箇所にはgayatriとtristubhは収録されておらず,MS^mには三者とも収められており,それぞれTS^pとMS^pの規程に呼応するが,KS^mはMS^mと同様なので,KS^pの記述と矛盾する.以上のことから,Maitrayani派は三者全てを唱えたが,Taittiriya派は祭詞は唱えず,代わりにtusnimに焦点が当てられた,と考えられる.これは,tusnimを祭詞に対比させ,tusnimの特定の効力を約束するというTSの傾向を推し進めたものであろう.これに対してKathaka派の立場は複雑で,KS^mの段階では三者とも収録しているにも関わらず,KS^pの段階ではtusnimを主張し,更に,TSと同様に祭詞の効力を認めていないので,祭詞を唱えない立場を取ると考えられる.tusnimは通常,祭詞の領域を超えた分野を担っているが,祭詞を否定する言辞と共に用いられることはない.この点で当該部分のTS, KSの発言は特異であると共に,MS, SB,殆どのSrSuに対することになる.この様に,TS^pとKS^pが共に,MS^pやSBの記述に否定的な主張をするが,KSに限っては,KS^mとKS^pの間に整合性が認められない,といった図式は他の箇所においても見出される.

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© 2016 日本印度学仏教学会
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