印度學佛教學研究
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64 巻 , 3 号
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  • 手嶋 英貴
    原稿種別: 本文
    2016 年 64 巻 3 号 p. 1043-1052
    発行日: 2016/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    古代より強力な王が行ってきた祭式アシュヴァメーダ(馬犠牲祭)では,主要な犠牲獣である馬に加え,多数の動物が多様な神格に献じられる.そこで用いられる個々の動物は,奉献対象となる神格名とともにリスト化され,ヤジュルヴェーダ諸派のサンヒターに収録されている.これらの動物たちは「全ての生物」(sarvani bhutani)を表象しており,アシュヴァメーダ挙行の主目標である「全て(sarva-)の獲得」を実現するための重要な要素となっている.つまり,全ての生物を神々に献じることで,王は人間界だけでなく生物界全体への支配力を獲得するのである.上述の目的にふさわしく,各サンヒターが列挙する動物は家畜(gramya-)と野生動物(aranya-)の双方にわたる.これらを示すテキストは,アシュヴァメーダ伝承の中でも重要箇所の一つと言ってよいが,これまで文献間の相違点やテキスト形成の過程については十分に検討されてこなかった.本論文では,こうした研究上の欠落を補うため,現存する4リストの内容を比較対照表の形に整理し,それに拠りながら各リストのテキスト形成史について検討を行った.
  • 天野 恭子
    原稿種別: 本文
    2016 年 64 巻 3 号 p. 1053-1060
    発行日: 2016/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    本稿では,ヤジュルヴェーダマントラに現れるvidhenamanとvrdhatuという未解決語を考察する.vidhenamanはMaitrayani Samhita I 9,1(マントラ)及びI 9,4-5(祭式解釈)に現れるが,語形についても語義についても決定的な解決がなされていない.本研究においては,問題を明確にした上で,この語を,これに続くvidhes tvam asmakam namaというマントラと関連付けることを試み,^+vidher-naman- 「vidhes...nama[というフレーズ]によって呼びかけられる者」との解釈を提示した.同マントラは,動詞vidh「取り計らう」の通例から逸脱した用法を示すが,その背景は19という章の成立の特殊性や,音韻的に似た語を含む他の表現からの影響によって説明され得る.ここに現れたvidhesという語は,ヤジュルヴェーダ・サンヒターにおいて他に一度だけ現れる.Taittiriya-Samhita VI 1,2,5の,brhaspatir no havisa vrdhatu(マントラTS I 2,2,1)についての説明において,vidhesと言わずvrdhatuと言うべしと述べられるのである.しかしこのvrdhatuという語も,語形や文における用法に問題がある.それらの問題が,元にvidhesがありそれがvrdhatuに変えられたことに起因することを指摘し,変化の過程を考察する.すなわち,vrdhatuが主語Brhaspatiと共にactive語形で現れる(普通はmiddle)ことはおそらくvidhesからの影響であること,-atuという語幹及び語尾のイレギュラーは*vi-dhatu(動詞vi-dhaのaor. imperative)からの影響が考えられ,そこに動詞vidhの介在が想定されることを示した.イレギュラーな語幹及び語尾-atuの形成については他に,imperativeをsunjunctive語幹から形成する例への類推や,韻律上の必要性などの想定される要素を指摘した.扱った二つのマントラにおいて,vidhesという語を巡ってイレギュラーな語形や用法が起こっていたことがわかった.その原因として,vidhesを祭式の場で用いることに問題があった,つまりvidhesが日常語であった可能性が考えられる.MSの写本において,vidhes tvamの代わりにvidhe tvamやvidheh tvamという形が伝承されており,vidhe(h)がこの形で頻繁に用いられていた可能性を指摘した.
  • 伊澤 敦子
    原稿種別: 本文
    2016 年 64 巻 3 号 p. 1061-1066
    発行日: 2016/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    Agnicayanaでは,レンガ積みの前に,黄金のpurusaの両側にsruc(献供用の柄杓)が置かれる.1つはudumbara製で北側に置かれ,天と見なされ,もう1つはkarsmarya製で南側に置かれ,大地と見なされる.また,purusaの両腕に見立てられたり,あの世で祭主に仕えるとも言明される.Taittiriya Samhitaのbrahmana部分(TS^p)によると両者は無言で(tusnim)置かれるが,Maitrayani Samhita (MS^p)では,それぞれgayatriとtristubh韻律での詩節の朗唱と共に置かれる.一方,Kathaka-Samhita (KS^p)では,無言で,とも,gayatriとtristubhによって,とも指示されている.これらの記述からだけでは,TS^PとMS^pが対立しており,KS^pは一見矛盾している如くである.しかし,Satapatha-Brahmana (SB)及び大部分のSrautasutra (SrSu)によると,祭詞,gayatri, tristubh全て唱えることになっている.従って,MS^pは両韻律で唱えると言うのみで,祭詞には言及していないのであり,反対にTS^pは祭詞を唱えないと述べるのみで,両韻律には触れていないので,対立しているか否かは不明である.そして,KS^pはMS^pとTS^pとを合わせた様な記述になっているが,それ自体は矛盾するものではない。Samhitaのmantra部分によると,TS^mには該当箇所にはgayatriとtristubhは収録されておらず,MS^mには三者とも収められており,それぞれTS^pとMS^pの規程に呼応するが,KS^mはMS^mと同様なので,KS^pの記述と矛盾する.以上のことから,Maitrayani派は三者全てを唱えたが,Taittiriya派は祭詞は唱えず,代わりにtusnimに焦点が当てられた,と考えられる.これは,tusnimを祭詞に対比させ,tusnimの特定の効力を約束するというTSの傾向を推し進めたものであろう.これに対してKathaka派の立場は複雑で,KS^mの段階では三者とも収録しているにも関わらず,KS^pの段階ではtusnimを主張し,更に,TSと同様に祭詞の効力を認めていないので,祭詞を唱えない立場を取ると考えられる.tusnimは通常,祭詞の領域を超えた分野を担っているが,祭詞を否定する言辞と共に用いられることはない.この点で当該部分のTS, KSの発言は特異であると共に,MS, SB,殆どのSrSuに対することになる.この様に,TS^pとKS^pが共に,MS^pやSBの記述に否定的な主張をするが,KSに限っては,KS^mとKS^pの間に整合性が認められない,といった図式は他の箇所においても見出される.
  • Adam A. CATT
    原稿種別: 本文
    2016 年 64 巻 3 号 p. 1067-1073
    発行日: 2016/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    リグヴェーダにおいて-aで終わる語根は,-eya-による語根アオリスト希求法を形成する.5つの語根(jna-「知る」,da-「与える」,dha-「置く」,pa-「飲む」,stha-「立つ」)から10例が在証されている(jneyah [x1], deyam [x1], dheyam [x2], dheyur [x1], peyah [x2], stheyama [x3]).このうち,2例(deyam [8.1.5b], dheyam [5.64.4b])は韻律の点から3音節で分析されるべきと言われ,通常,この現象は喉音(laryngeal)によるものとして説明される.本論では,Mandala 8の韻律の特徴を考慮し,今まで3音節で分析されてきたdeyam (8.1.5b)に関して2音節で分析される可能性が排除できないことを示す.この見方にしたがうと,確実に3音節として分析されなければならない例は1例のみ(dheyam [5.64.4b])である.また,このdheyamが現れる箇所の直前のstanzaにおいて3音節で分析される現在希求法形式yayam (5.64.3b)があることが注目される.dheyamとyayamを3音節として扱う見方は,喉音Hで終わる希求法接辞に後続する一人称語尾-mが母音化すること(-y_aam<*-yaH-m),および古アヴェスタ語の一人称の希求法形式diiamとxiiəmが2音節であることを根拠としている.しかし,讃歌5.64のdheyamとyayamを除いて,リグヴェーダにおいて一人称希求法の語尾-yamが2音節として確実に分析できる例は他に存在しない.このことから,dheyamとyayamの3音節扱いは,讃歌5.64に特化した特徴であり,讃歌内部の詩的・韻律的な要因が関与していると著者は考える.
  • 川村 悠人
    原稿種別: 本文
    2016 年 64 巻 3 号 p. 1074-1080
    発行日: 2016/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    Astddhyayi(以下A)1.3.56 upad yamah svakaraneは,upaに先行される動詞語基yamがsvakaranaを表示するとき,同動詞語基の後にatmanepada接辞が起こることを規定する.文法家パタンジャリによれば,svakaranaとは「自分のものでないものを自分のものにすること」(asvam yada svam karoti tada bhavitavyam)である.サンスクリット教育を企図した文法実例書Bhattikavya(以下BhK)のatmanepada部門において,バッティは「女達はお酒を受け取らなかった」(upayamsata na, BhK 8.33,[1])という表現によりA 1.3.56を例証する.後代のパーニニ文法家達が明言するように,[1]は文法学の最高権威パタンジャリの規則解釈に沿うものである.一方,Kasikavrttiによれば,A 1.3.56のsvakaranaが意図するのは,パタンジャリ解釈が示すsvakarana一般(svakaranamatra, S1)ではなく,結婚に限定されたsvakarana (panigrahanavisista-svakarana, S2)である.同解釈に従えば,注釈者マッリナータが指摘するように,[1]は誤った言語運用となる.「酒」と結婚することはできないからである.ここで重要なのは,バッティは作中でupa-yamのatmanepada形をS2の意味でも用いていることである.すなわち「ラクシュマナよ,結婚して」(upayamsthah, BhK 4.20,[2])と「ラーマよ,結婚して」(upayamsta, BhK 4.28,[3])である.バッティが[2]-[3]を通じてA 1.3.56のsvakaranaはS2としても解釈され得ることを示唆していることは明らかである.A 1.3.56を例証するには[1]だけで十分であるはずなのに,バッティが[1]に加えて[2]-[3]を使用した理由は何か.この問題に対する鍵は,詩人達の実例である.カーリダーサからマーガに至るまでに著された美文作品において,upa-yamのatmanepada形がS2の意味で使用される例は[2]-[3]を含め8つ確認されるのに対し,それがS1の意味で使用される例はBhK以外にない.このことから,バッティの時代,upa-yamのatmanepada形はS2の意味で使用されることが詩人達の間で確立されていた一方,それのS1の意味での使用は極めて稀であったことが分かる.非周知の意味での語の使用は詩的欠陥(dosa)と見なされかねない.それでもバッティは,パタンジャリ解釈の権威に基づいて,[1]をA 1.3.56の例として挙げた.その一方でバッティは,彼の時代に確立されていた詩人達の言語慣習にのっとった形でA 1.3.56を例証するために,[1]に加えて[2]-[3]も使用した.サンスクリットの達人となるためには,学習者は両種の表現方法を学ぶべきであるとバッティは考えたのである.
  • 置田 清和
    原稿種別: 本文
    2016 年 64 巻 3 号 p. 1081-1087
    発行日: 2016/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    ルーパ・ゴースワーミーは16世紀にヴィシュヌ教ベンガル派思想の基盤を構築した.彼はチャイタンヤ師の教えを受け継ぎ,『バーガヴァタ・プラーナ』などで描かれているクリシュナとゴーピーとの婚外関係において最高の信愛(バクティ)が表現されていると説いた.しかし,婚外関係を強調することは世俗の倫理的観点から,また詩論(アランカーラ)の観点からも批判された.これらの批判に対応するため,ルーパは独自の宗教的詩論を展開したが,その際14世紀に活躍したシンガブーパーラ2世の著作を活用した.この点は既にいくつかの先行研究で指摘されているが,いずれの研究も両著者の関係性を指摘するに留まり,シンガブーパーラがルーパにどのような形で影響を与えたのかを詳細に検討したものではない.従って,この論考ではシンガブーパーラによって著された『ラサールナヴァスダーカラ』とルーパの『ウッジヴァラニーラマニ』に焦点を当て,それぞれの作品が愛人(ウパパティ)と他人の妻(パロダー)についてどのような定義と例を示したのかを比較し,それによってシンガブーパーラがルーパに与えた影響を具体的に検討する.
  • 斉藤 茜
    原稿種別: 本文
    2016 年 64 巻 3 号 p. 1088-1092
    発行日: 2016/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    Bhartrhari (5c.)によって語られるスポータ(sphota)理論は,15世紀以降の文法家たちの視点とは異なり,言語論における認識論と位置付けることができる.スポータの大きな特徴は,知覚や認識と不可離の関係にあること,そして語として認識される以上「意味」が必ず後続するという二点であるが,しかしそれを除けば,概念自体はBhartrhariのVakyapadiya中,様々な他の用語と重なるものである.そしてそれらに共通して,ある存在が持つ,ぶれない「それ自体」(svarupa)が,「普遍」(samanya)・「特殊」(visesa)という言葉でもって繰り返し説明される.Bhartrhariの思想を継いだMandanamisra (7-8c.)は,ミーマーンサー学派や仏教論理学の言語論を批判するが,その際にひとつのキーワードとなるのが普遍である.Kumarila, Dharmakirti双方の言語理論に対して,Mandanaは,普遍に対する考え方が欠陥となっていると非難する.そもそも,存在論的見地から理論上分割できたとしても,普遍と特殊の両概念を認識論でも分割するのは不可能である.ある種Xに属する個xを知覚したときに,xをxと判断するためのx単体が持つ本質(x-tva)は,種Xにおける共通性(X-tva)と同じではない.具体的には,語性(sabdatva)と「牛という語」性(gosabdatva)は別概念である.「牛という語」性は,即ち誰が聞いても「牛」と判断される「牛という語形」であり,書かれた文字としての語形ではない,概念上の語形とも言うべきものである.このように個々の語それ自体についての考察の要となるのが,語知覚論たるスポータ理論である.本稿では,Bhartrhariの語形論及びMandanaの類概念に関する議論を参照しながら,認識論における普遍観について考察する.
  • 佐々木 亮
    原稿種別: 本文
    2016 年 64 巻 3 号 p. 1093-1099
    発行日: 2016/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    本稿で取り扱う概念である<敗北条件>(nigrahasthana)は,討論の当事者たちがその討論において敗北に至ると判断するための条件集である.ダルマキールティ(Dharmakirti)はVadanyayaにおいてNyayasutra, Nyayabhasya, Nyayavarttikaに示されるニヤーヤ学派による従来の<敗北条件>の定義を批判しつつ,仏教論理学の学説に基づく新しい<敗北条件>の定義を提示した.ダルマキールティ以降のニヤーヤ学派の論師達によるVadanyaya学説の批判・受容に関する研究は未だ乏しい。特に,後代のニヤーヤ学派の論師のうち,バッタ・ジャヤンタ(Bhatta Jayanta)のNyayamanjariによるVadanyayaの学説の批判と受容の仕方は注目に値するものがある.筆者は,先行する拙稿において,ダルマキールティが正しいと認めるニヤーヤ学派の<敗北条件>とダルマキールティ自身の<敗北条件>の定義との対応関係を示したうえで,ジャヤンタがasadhanangavacana(立論者にとっての敗北条件)とadosodbhavana(対論者にとっての敗北条件)というダルマキールティが示した概念を<無理解>(apratipatti)と<誤解>(vipratipatti)というニヤーヤ学派の概念に還元し,かつ,ニヤーヤ学派の<敗北条件>のうちダルマキールティが正しいと認める見解を歓迎する形で自説に換骨奪胎したことを明らかにした.本稿では,これらの先行研究を基礎に,ジャヤンタがNyayamanjariにおいてダルマキールティへの明示的批判を展開した箇所を検討する.ダルマキールティは,ニヤーヤ学派の22種類の<敗北条件>のうち,17項目については真正の<敗北条件>であるとは認めていない.紙面の都合もあるため,この17項目のうち,とくに第1番目の項目である<主張命題の断念>(pratijnahani)に焦点を当てて,両者の思想的差違を明らかにした.
  • 岩崎 陽一
    原稿種別: 本文
    2016 年 64 巻 3 号 p. 1100-1105
    発行日: 2016/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    新ニヤーヤ学派の言語理論でしばしば用いられる謎めいたタームに,"samsarga-maryada"というものがある.B. K. Matilalの用いた"relational seam"という訳語が比較的広く普及しているが,それが何を意味するのか明らかでない.一般に,これは,Jayanta Bhattaのいう"tatparya-sakti"に相当する,語意と語意を結びつけて文意を理解するためのちからであり,そしてそれは意味的・構文的要請関係(akanksa)に等しいものと考えられている.一方,この伝統的見解に同意せず,"samsarga-maryadaya"という表現を"samsarga-vidhaya"と同じ意味,すなわち「連関として」という意味に解釈するGerdi Gerschheimerのような研究者もいる.これまで,"samsarga-maryada"という語の最古の出典はRaghunatha Siromaniの著作にみられるとされてきたが,筆者は初期新ニヤーヤ学派の註釈文献の写本を調査し,Raghunathaに先行するJayadeva=Paksadhara Misraによる,Tattvacintamani言語部の註釈に用例を発見した.本論文ではこの新資料を用いて,"samsarga-maryada"に関する上述のようなこれまでの議論を検証する.結論として,"samsarga-maryada"を客体的性質と捉える伝統的見解と,Gerschheimer解釈のいずれも完全に支持することはできないのだが,伝統説の方に若干の分があると思われることを述べた.ただし,それを"tatparya-sakti"のような「ちから」としては捉えることはせず,また要請関係への還元は後代の議論であるので論じない."samsarga-maryada"の訳語としては,K. K. Rajaの訳語"law of association",すなわち「連関の規則」というものを仮に支持する.
  • 加藤 隆宏
    原稿種別: 本文
    2016 年 64 巻 3 号 p. 1106-1112
    発行日: 2016/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    著者は以前,『バガヴァッドギーター』(BhG)カシュミール版と流布版の違いを取り上げたが,いくつかの解釈上深刻なケースに行き当たった.例えばBhG II.11では,prajnavadams ca badsaseと読む流布版とprajnavan nabhibhasaseと読むカシュミール版とでは文意が逆となりうるのである.この箇所については伝統的な註釈家たちも様々な解釈を行ってきた.またこの章句を取り上げたものとしては,古くはJacobus Samuel Speyerの小論が挙げられ,最近ではBhG成立期における仏教の影響を考慮し,この一節に現れるprajndvadaを仏教徒の説く般若説と見なす研究も発表されるなど,本節についての新しい解釈が提案されているが,当該箇所に重大な異読を持つカシュミール版との関連からは未だ詳細な検討が加えられていない.本稿ではこのBhG II.11について,伝統説以来の様々な解釈を紹介し,最近の研究成果を踏まえながら流布版とカシュミール版の読みについてそれぞれ検討を加える.両版の読みの違いは,a句に示された「賢者らしからぬ言動」とb句との連絡をどのように捉えるかという解釈の違いとして表れている.シャンカラを始めとし,流布版の読みに従う多くの註釈家は,prajnavadaという複合語について,「賢者たちの言明」という解釈で大筋の合意を見ているが,この論考で最も問題視したい点,すなわち,逆の内容を叙述するa句とb句が並列されている事態については特に言及がない.一方,後代の不二一元論派の代表格であるマドゥスーダナなどは,若干無理な複合語解釈を行うことでa句とb句がともに「賢者に非ざる言動」を述べていると理解する.また,カシュミール版の読みもab両句によって「賢者に非ざる言動」が示され,流布版よりも理解がしやすくなっている.では,どの解釈が原意に最も忠実かということに関しては,どれも積極的な根拠としては決め手に欠ける.逆に諸註釈の問題点を指摘するならば,流布版の註釈ではab句の脈絡が不明瞭である点,一方,カシュミール版の方では,流布版に比べて,文意が理解し易い,つまり,後に読みが改変されて読みやすくなった可能性を捨てることができないという点が挙げられる.当該章句については明快な解決策を得ることが叶わなかったが,同様の事例を一つ一つ検討していくことで,流布版とカシュミール版との関係を明らかにしていくことが今後必要となるであろう.
  • 眞鍋 智裕
    原稿種別: 本文
    2016 年 64 巻 3 号 p. 1113-1118
    発行日: 2016/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    アドヴァイタ・ヴェーダーンタ学派の学匠マドゥスーダナ・サラスヴァティー(Madhusudana Sarasvati, ca. 16th cent.)の著作には,ヒラニヤガルバを最高神とするヒラニヤガルバ派(Hairanyagarbha)に関する記述が見られる.ヒラニヤガルバはRgvedaにまで遡るほど古い神格であり,往古には最高神,世界の創造神と考えられていた.しかし,アドヴァイタ学派にとってヒラニヤガルバは二元対立の世界における創造神にすぎず,絶対者ブラフマンより低い次元の存在である.マドゥスーダナもアドヴァイタ学派に属するため,ヒラニヤガルバをそのような存在と考えていることが想定される.マドゥスーダナの宗教哲学を解明するためには,彼がブラフマンに対してヒラニヤガルバをどのような存在として位置付けているのかということを明らかにすることは重要である.本稿では,以上の点を解明する前段階として,特にヒラニヤガルバ派の解脱論に対するマドゥスーダナの批判を取り上げた.ヒラニヤガルバ派の解脱論は,Chandogyopanisad (ChandUp)やBrhadaranyakopanisad (BrhadUp)の五火説(pancagnividya)と神道(devayana)説に基づくものであるが,マドゥスーダナの属するアドヴァイタ学派にとって,それらは漸進解脱説に関わるものである.そのためマドゥスーダナはヒラニヤガルバ派の解脱論を,漸進解脱説と対比する形で批判している.本稿の考察により,マドゥスーダナとヒラニヤガルバ派の解脱論の対立は,ChandUpやBrhadUpに説かれる五火説と神道説に対する両者の解釈の相違によるものであることが指摘し得る.
  • 堀田 和義
    原稿種別: 本文
    2016 年 64 巻 3 号 p. 1119-1124
    発行日: 2016/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    ジャイナ教にはsallekhanaと呼ばれる死に至る断食があり,古くから在家信者によっても実践されてきた.このsallekhanaは自殺と見なされることもあったため,ジャイナ教は繰り返しその相違を強調してきた.本稿は,在家信者の行動規範を扱うシュラーヴァカ・アーチャーラ文献の記述を通して,sallekhanaが認められる条件を検討する.最初にsallekhanaの語形に焦点を当てる.空衣派のサンスクリット文献はsallekhana, sallekha, sallekhana, sulekhana, sallesanaを,白衣派はsamlekhanaを用いる.空衣派のプラークリット文献もsallehana, sallihana, sallekhanaを,白衣派はsamlehanaを用いることから,Tattvarthasutraの特徴として指摘されてきた宗派による前綴りの音の違いが他の文献にも当てはまることを明らかにする.次に,sallekhanaの位置付けを確認する.文献の中にはsallekhanaを学習戒に含めるもの,含めることなく説明するもの,その説明に一章を割いて詳述するものなどがあり,sallekhanaの実践は義務とまでは言えなくとも,熱心な者には推奨されてきたことを示す.最後に,sallekhanaの実践が認められる条件を検討する.sallekhanaが認められる条件としては災難,飢饉,老齢,不治の病の4つが核であり,「死期が近付いた時」「ダルマのため」などの文言はそれらを緩やかに包括すること,また4つの条件は必要に応じて減らされ,最少の場合にはそれらすべてを含む「死期が近付いた時」という表現になることを明らかにする.
  • 山中 行雄
    原稿種別: 本文
    2016 年 64 巻 3 号 p. 1125-1132
    発行日: 2016/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    パーリ語を含む中期インド語動詞の一人称変化形において,分析的語形(analytic form)ならびに融合的語形(coalescent form)が現れる.分析的語形とは,活用変化よりも人称代名詞によって,動詞人称を表現する語形である(例:jahe aham "私は捨てたい", Ja III 14,15*).一方,融合的語形とは,動詞の直後に人称代名詞が配置され,動詞活用語尾と連結し,人称代名詞が活用変化の一部であるかのように現れる語形を指す(例:puccheyyam' aham "私は質問したい", D I 51,3; nanutapeyy' aham "私は後悔するつもりはない", Ja IV 241,19*).融合的語形から,ahamに由来する-hamが,-amiに代わって人称語尾として使われるような新語形も生まれる(例:palayaham "私は逃れる", Ja II 340,9*; ramaham "私は喜ぶ", Ja V 112,31*).Helmer Smithは,この語形がアパブランシャに見られる-auという一人称語形へと発展していくと論じた.したがって,この語形は,当時の俗語的・口語的な用法を反映している可能性もある.上記の諸語形の特徴は,人称代名詞ahamが,動詞の活用語尾の補強あるいは代替要素として使用されていることである.これら活用形のパーリ語における用例については,Critical Pali Dictionaryに収集・分類されている.本稿では,これらの先行研究に基づきつつ,この分析的語形と融合的語形の特徴,さらに統語論的な役割を考察する.
  • 稲葉 維摩
    原稿種別: 本文
    2016 年 64 巻 3 号 p. 1133-1139
    発行日: 2016/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    dus- (dusya-ti)「悪くなる,だめになる」,dosa-「過失,欠陥」のパーリ語形はそれぞれdussa-ti, dosa-であり,dvis- (dvesti, dvisanti)「憎む,敵視する」,dvesa-「憎しみ,敵意」とは区別される語である.一方,三毒(貪瞋痴)の文脈におけるサンスクリット語仏典の並行句では基本的にパーリ語dosa-がdvesa-「瞋」に対応し,パーリ語dussa-tiは一部の例で「憎む」の意味を表しているように見える.このような状況から,パーリ語dosa-, dussa-tiはdvis-に由来するのか,また,両者はパーリ語においてどのように展開したのか,ということが問題となる.本稿では両者の動詞を中心に問題を検討した.その結果,音韻の点からは「dvesa-がパーリ語dosa-になる」とは考え難く,dvis-由来の語は韻文経典に限られるため,パーリ語では用いられなくなる傾向が予想された.叙事詩ではdus-が相手を嫌ったり,敵意を抱く状況をも表しており,パーリ語ではdussa-tiがaccusative, genetiveの格を伴う例があるため,dvis- +acc., gen.と比較しうる意味展開が読み取れた.三毒の文脈ではdus-に由来する動詞形の使用や格関係の点から,dvis-は予想し難い.以上のことから,結論としてパーリ語においてはdus-がdvis-を包括する広い意味を表しており,dvesa-「瞋」の意味もdus-によって表されていると考えられることを示した.
  • 清水 俊史
    原稿種別: 本文
    2016 年 64 巻 3 号 p. 1140-1146
    発行日: 2016/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    本稿は上座部の大註釈家ダンマパーラ(Dhammapala)に帰せられる著作群を研究対象として,これまで不明確であったその成立順序と,および真作/偽作の問題を検討した.(1)結論として,ダンマパーラに帰せられる著作群の引用関係を精査することで,その成立順序が,『導論註』→『阿毘達磨復々註』→『小部註』→『清浄道論註』→『ニカーヤ複註』であることが明らかとなった.(2)さらに,ダンマパーラに帰せられる著作群においては,『導論』がパーリと呼ばれ,それに高い権威性が認められており,このような特徴はダンマパーラに付託される著作群においてのみ終始一貫して確認される.従って,『導論』を重視する姿勢は,ダンマパーラの思想における特徴であり,これら著作群の著者が「一人のダンマパーラ」に帰せられることを示している.以上のように本稿では,(1)ダンマパーラに付託される著作群の成立順序と,(2)その著作群が「一人のダンマパーラ」に帰せられ得る根拠を提示した.
  • 米澤 嘉康
    原稿種別: 本文
    2016 年 64 巻 3 号 p. 1147-1154
    発行日: 2016/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    『律経』は,チベットにおける教育課程における重要な基本的なテキストの一つである.その『律経』はチベットの前伝期において知られていたが,その自註とされる『律経自註』(Vinayasutravrtry-abhidhana-svavyakhyana)は後伝期になってチベット語に訳出された.その翻訳は,カシミール出身のアランカーラデーヴァと,チベット人のツルティム・チュンネーによってなされた.本稿では,まず,『律経自註』の書誌情報を提供する.そのなかで,『律経自註』はマトゥラーで伝承されていたことを明らかにする.次に,カシミール出身のアランカーラデーヴァ(Alankaradeva)とチベット人のツルティム・チュンネー(Tshul khrims 'byung gnas),それぞれの略伝を『青史』(Deb ther sngon po)などによって確認する.そのなかで,チベット人のツルティム・チュンネーは,翻訳官(lo tsa ba)として活躍したばかりでなく,サンスクリット語写本をチベットにもたらした人物であることが明らかになる.その物証としてウメ字で筆写されている『律経』写本表紙の記述を指摘する.最後に,ツルティム・チュンネーのインドでの交遊関係から,12世紀の汎チベット文化圏を想定することを提言している.
  • 鈴木 隆泰
    原稿種別: 本文
    2016 年 64 巻 3 号 p. 1155-1163
    発行日: 2016/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    『法華経』では随所に,『法華経』やその受持者を誹謗すると酷い報いを受けると説かれている一方で,『法華経』を受持すると六根清浄を得るとも説かれている.これらの所説を前提とする第19章「常不軽菩薩品」では,「過去世に存在していた「常不軽」という名の菩薩は経典の読誦等を一切行わず,増上慢の仏教徒たちにひたすら成仏の授記をし続け,そのことで彼は,彼らから誹謗,迫害を受けた.彼らはその罪で堕地獄した」と考えられてきたが,ここに,「なぜ『法華経』の受持・読誦等をしていなかった常不軽を誹謗,迫害した四衆が堕地獄したのか」という疑問が生じる.この疑問に対しては従来,「『法華経』は授記をする経典である.授記をしていたことで,常不軽菩薩は実は『法華経』の唱導をすでに行なっていた」という理解が一般的であった.しかしその場合,「この法門を受持・読誦・解説せよと繰り返し強調している『法華経』が,経典なしで授記することを『法華経』の唱導,実践と見なしているのか.常不軽菩薩品の教説は特殊なのか」との疑問が払拭できなくなる.本研究はこの疑問への回答を通して,『法華経』と授記の関係,および「常不軽菩薩品」の『法華経』における位置づけを考察した.以下に考察結果を記す.『法華経』第10章「法師品」では,如来の滅後に,一切皆成の授記を行うブッダのことば『法華経』を説き聞かせる法師は,如来の使いであり,如来の仕事の代行者であり,如来そのものと知られるべきである,とされている.『法華経』の制作者たちは,釈尊入滅後の<無仏の時代>という強い意識のもと,ブッダの意義を,説法によって現在化され衆生を利益する<現実のハタラキ>と捉えたのである.その後,第11章「見宝塔品」から第14章「従地涌出品」までは,如来の滅後に,誰がどのようにこの『法華経』を受持し説示するかが問われ続ける.そして続く第15章「如来寿量品」と第16章「分別功徳品」においては,如来の滅後であっても『法華経』が説示される限り,釈尊は永遠にこの世に現存し,衆生利益の<ハタラキ>をなし続けると説かれる.その後,第16章から第18章「法師功徳品」では,『法華経』受持の様々な功徳を説くことで,『法華経』が受持され説示されることを勧め,如来の滅後に衆生を利益する釈尊の<ハタラキ>が実現しやすくなるよう配慮している.そして第19章「常不軽菩薩品」では,『法華経』受持で六根清浄が得られることを再説示しつつ,如来の滅後には,一切皆成の授記を行うブッダのことば『法華経』を説き聞かせることによってのみ,説法によって現在化され衆生を利益する<現実のハタラキ>が実現されることを改めて強調している.しかもその利他の<ハタラキ>をあらしめることで,説示者も速やかに無上菩提を獲得できると説かれる.そして,第14章で登場した地涌の菩薩に,自利利他円満の『法華経』を委嘱し,釈尊滅後の受持・説示を教誠する第20章「如来神力品」へと自然に接続している.このように,「常不軽菩薩品」は決して特殊なものではなく,「法師品」にはじまり「如来神力品」に至る,釈尊滅後において,『法華経』の受持・説示を通して,釈尊の衆生利益の<ハタラキ>を永遠に存続させようとする,『法華経』のメインテーマの文脈上に無理なく位置づけられるのである.
  • 笠松 直
    原稿種別: 本文
    2016 年 64 巻 3 号 p. 1164-1170
    発行日: 2016/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    BHS samadapana-は,教学上の重要用語「開示悟入」の「開」に当る.Saddharmapundarika-sutraでの用例は,散文部分の複合語中に限られ,6例が存する.このほかBahuvrlhiの後分で女性名詞活用形をとるKern-Nanjio本43,8-9のkriyam...buddhaydna-samadapanamの例が存するが,この読みは疑問である.この語は,Buddhist Hybrid Sanskrit文献では一般に^odap^oの語形を取る.Wogihara-Tsuchida本40,6の^oddpanamの訂正は妥当であろう.しかし中央アジア・カシュガル写本が一貫してsamadapana-の語形を取ることは示唆的である(例えば51b4-5 buddhayana-samadapanim).この形はパーリ語が示すそれに等しい.動詞形を参照すれば,カシュガル写本の偈文は一貫して特徴的な使役形samadape-^<ti>を示す.これはパーリ語と同じ語形である.カシュガル写本散文部分が示すsamadapaya-^<ti>はアショーカ王碑文のdative infinitiveの例(samadapayitave)に比し得る.断片的ながらカダリク写本も同様の活用形を示すものと判断される.この他,受動形samadapiyamtiはパーリ語ないしプラークリットと同じ語形成法による.未来形samadapisyeは,samadapがset語根と同じ取扱いを受けたことを示唆するものと思われる.この想定が正しければ名詞形samadapana-はsamadapを基礎とした-ana-Suffixによる形成と判断される.以上の諸事情・用例から,Buddhist Hybrid Sanskrit文献が一般にサンスクリット的なsamadapana-の語形を示す一方,カシュガル写本(ないし中央アジア所伝写本)は中期インド語的なsamadapana-を保持していたと判断される.
  • 宮崎 展昌
    原稿種別: 本文
    2016 年 64 巻 3 号 p. 1171-1177
    発行日: 2016/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    <不退転法輪経><勝思惟梵天所問経><文殊仏国土功徳荘厳経><阿闍世王経>の4点の文殊系経典には,他仏国土における行よりもサハー(娑婆)世界における行の方が短期間でより多くの功徳を得ることができる,とする類型的記述が共有される.それらの構造について明らかにし,他の典籍における類例との比較を試みた.上述の類型的記述については,梶山氏が論じたところの,多くの大乗経典に確認できる「神変の記述」の一部分を形成している.一方,管見の限り,上記のような類型的記述は上掲の4経典に限られるようなので,これら文殊系経典4点はある程度関連があったと推測することができる.さらに,その類型的記述といくつかの共通点を有する記述が<法華経>と<維摩経>にも確認でき,先の類型的記述との比較を試みた.その結果,<法華経>に見るものが最も簡素で,そこに見られる要素は他の典籍にも共有されるので,これらの中ではもっとも原初的な形を残しているとみなせる.それに対して,文殊系経典4点における類型的記述は最もよく組織されたもので,もっとも発達したかたちを示している。一方,<維摩経>のものは<法華経>よりも発達した様相を示すが,文殊系経典のものとは違う構造を示すのでそれらとは別の系統に属していると見なせる.
  • 山口 周子
    原稿種別: 本文
    2016 年 64 巻 3 号 p. 1178-1184
    発行日: 2016/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    ウデーナ(P. Udena, Skt. Udayana)王は,古代インド十六大国のひとつ,ヴァンサ(P. Vamsa, Skt. Vatsa/Vamsa)国の統治者で,ブッダと同世代の人物である.本稿でとりあげるUdenavatthu(以下UVtとする)は,『ダンマパダ注釈書』(Dhammapadatthakatha)中にみられ,ウデーナ王自身と,その関係者の出自や出会いなどについて描く.また,この物語は大きく分けて6つのエピソードからなるオムニバス形式で構成されている点も特徴といえるだろう.一方,漢文やチベット語,モンゴル語で記されている北伝仏教テキストの中にもウデーナ王に関する物語がみられるが,UVtのようなオムニバス形式ではなく,各エピソードが個別で複数のテキストに残されている.また,UVtと比べて人物設定に差異がある,物語の主旨が異なるなど,南伝と北伝では所伝が異なる.これらの点をふまえ,本稿では,UVt中の第2話にあたる,ゴーシタ長者(Ghositasetthi)に関する物語の「前半部分」に相当する前世譚に着目し,北伝仏教テキスト(『根本説一切有部毘奈耶』,『賢愚経』など)の所伝と比較した.また,『賢愚経』を元にモンゴル語訳された『物語の海』(Uliger-un dalai)の3本の版本も,比較対象に取り入れた.その結果,UVtでは,単にゴーシタ長者の前世譚であるのに対し,北伝のテキストは全てゴーシタ長者のみならず,ウデーナ王やブッダの前世をも物語る,つまり,「本生譚」の形式をとるという,具体的な差異を確認した.また,『物語の海』は,版本の間に一部の不一致があることが明らかになった.今後は,さらにUVtと北伝仏教における所伝の比較および,『物語の海』も含めた『賢愚経』の物語の分析をすすめたい.
  • 山崎 一穂
    原稿種別: 本文
    2016 年 64 巻 3 号 p. 1185-1191
    発行日: 2016/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    Ksemendra(11世紀)の仏教説話集Bodhisattvavadanakalpalata (Av-klp)第59, 69-74章はアショーカ王伝説にあてられている.うち第59, 70-74章については根本説一切有部が伝承する説話集Divyavadana及びチベット,漢訳大蔵経いずれかに全般的な並行話がある.しかし第69章Dharmarajikapratisthaについては部分的な並行話があるのみである.本論は同章がいかなる説話材源をもとに著されたかを明らかにするものである.Av-klp第69章は31詩節からなり,内容上「八万四千塔建立」,「無学な老比丘の説法」,「天界で雨安居を行った新参比丘」という三つの物語に分けられる.うち「八万四千塔建立」についてはDivyavadana,『阿育王伝』(T no. 2042, vol. 50>,『阿育王経』(T no. 2043, vol. 50),『雑阿含経』(T no. 99, vol. 2)に並行話がある.Av-klp所収話が伝える内容はこれら梵蔵四伝本が伝えるそれと概ね一致する.しかしAv-klp所収話には『雑阿含経』所収話に類似を示す箇所,Divyavadana,『阿育王経』所収話に類似を示す箇所,独自の伝承を伝える箇所もあり,材源を現行梵蔵四伝本いずれの祖形にも求めることはできない.残る二話「無学な老比丘の説法」,「天界で雨安居を行った新参比丘」については,チベット僧Taranathaが西暦1608年に著した史書に並行話がある.Taranathaはアショーカ王伝説の叙述にあたり材源とした資料を自著の第6章末に挙げている.そこにはAv-klp及び*Cairydvadanaという作品名が見られる.従って(1)TaranathaがAv-klp第69章をもとに問題の二話を著した,(2)Av-klp第69章,Taranathaの史書に伝わる問題の二話は散逸した*Cairyavadanaに基づくという二つの可能性が考えられる.しかしTaranathaの史書所収の物語には,前者に基づいて説明できない内容の食い違いが三箇所存在する.この事実に照らし後者の可能性が高いと考えられる.Ksemendraが材源とした*Cairyavadanaに「八万四千塔」がすでに挿入されていたのか,Ksemendraが*Caitydvadanaを改稿する段階でこれを付け加えたのかについては結論を下すことができない.
  • 熊谷 誠慈
    原稿種別: 本文
    2016 年 64 巻 3 号 p. 1192-1199
    発行日: 2016/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    仏教が他地域に伝播し定着していく過程において,土着の宗教との対立や同化が生じ,多かれ少なかれ両者は相互に影響を受け合ってきた.チベットには古来よりボン教なる宗教が存在していたが,元来,高度な哲学を持っていなかったボン教は,7世紀に伝来した仏教から思想的影響を強く受けた.ボン教に対する仏教思想の影響のうち,密教的側面については,すでにサムテン・カルメイ氏などが,チベット仏教ニンマ派からの影響について指摘をしている.一方,顕教的側面については筆者(Seiji Kumagai, The Two Truths in Bon [Kathmandu: Vajra Publications, 2011])がすでに,インド仏教中観派の思想がボン教教義に大きな影響を与えていたという事実を指摘し整理した.その後の研究により,ボン教はインド仏教のアビダルマ思想からも直接的な影響を受けており,特に五蘊説についてはヴァスバンドゥ著『五蘊論』の影響を非常に強く受けていることを特定した,ただし,『五蘊論』の五蘊説をそのまま踏襲したわけではなく,『倶舎論』や『阿毘達磨集論』などの影響も受けながら,ボン教独自の五蘊説を構築していったことが分かった.本稿では,インド仏教からの影響という側面に焦点を当てた上で,ボン教五蘊説の独自性ならびに仏教思想との共通性について検証を行った.
  • 西山 亮
    原稿種別: 本文
    2016 年 64 巻 3 号 p. 1200-1205
    発行日: 2016/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    Prajnapradipa-tika第1章においてその著者Avalokitavrataは,dharmaについて「自相を保持するからdharmaである」というように『倶舎論』と同様に定義した上で,自相を,「世俗的な諸法の自相」(kun rdzob pa'i chos rnams kyi rang gi mtshan nyid)と言い換え,さらにそれを不浄(ma dag pa)と浄(dag pa)との二つに分類する.前者に関しては色(rupa)にある「壊れる」という特徴などが挙げられ,もう一方には「無自性」と「不生」とが相当するとされる.本稿においては,Avalokitavrataの示した世俗法の有する,「無自性」や「不生」といった,ものごとの在り方に関する中観派としての立場を表す相に着目し,それを二諦説の文脈の中で論じた.また,PrajnapradipaおよびPrajnapradipa-tika第24章の世俗諦には,pudgalaに関する言明と,dharmaに関するそれが示されており,論考を通じて,BhavivekaとAvalokitavrataの世俗諦の中には複数の層が設けられていることを明らかにした.
  • 横山 剛
    原稿種別: 本文
    2016 年 64 巻 3 号 p. 1206-1210
    発行日: 2016/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    月称(Candrakirti)の『中観五蘊論』(Madhyamakapancaskandhaka,蔵訳でのみ現存)は,中観論書でありながら説一切有部のアビダルマ範疇論の解説を趣旨とする特異な一書である.本稿では『中観五蘊論』に関する主要な問題の一つである同論の著作目的について検討する.また,本稿では,中観論書である同論が有部のアビダルマ範疇論を如何に理解していたのかを明らかにするだけでなく,同論が有部のアビダルマ範疇論を解説する際に,その教理に対してどのような中観的な解釈や訂正を加えたのかを考察する.まずは『中観五蘊論』の冒頭と結びの偈頌に基づき,仏教教理の初学者の知を開くために著されたアビダルマ範疇論の綱要書であるという同論の基本的な性格を確認する.その後に,慧の定義に基づき,アビダルマ範疇論を学ぶことで鍛えられる知が無我の理解に資するものであることを明らかにする.さらに本稿では,人々を無我の理解へと導くための基礎教学として有部のアビダルマ範躊論を受け入れつつも,同論が諸法の自性を注意深く回避している点に注目したい.特に,諸法の相互依存性に基づく自性の否定が,慧の解説における法無我の論証のみならず,色蘊における四大種の解説並びに,識蘊の解説においても見出されることを指摘し,両解説の内容を分析することで,その手法を明らかにする.
  • 加藤 弘二郎
    原稿種別: 本文
    2016 年 64 巻 3 号 p. 1211-1216
    発行日: 2016/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    『解深密経』第7章には,三転法輪について説かれる有名な箇所がある.そのうち,「よく区別されたやり方を備えた第三法輪」というのは,7.17(第7章,第17段落を指す,以下同)においてまず「有情たちの様々な信解の順番」を指していることがわかる.その「区別」とは,具体的には,7.18, 7.19, 7.20, 7.23の4つに区分された有情を念頭に置いているのは明らかである.また,それはそれら各段落の冒頭部分において示される,有情の5種類の資質の区別に集約されるものと考えられる.それゆえ,従来から示されてきた声聞/菩薩,小乗/大乗の区別というものを一度解体して,あらゆる乗に趣くあらゆる者たちを,この4種類の有情の区別を用いて教化するという,これまでとは異なる手法によって,第三法輪を考察する必要がある.もちろん,安らかな涅槃へ到達する道のりは,本経7.14で説かれるような「清浄なる一つの道であって,第二の道は存在しない」という点に重点が置かれていることは従来の考えと同様である,ただ,この有情を資質によって区別することこそが,第三法輪で説かれた「よく区別されたやり方」であると考えられ,その区別を前提にして,すべての種姓を位置付け,彼らを7.11-7.13に示された修行道程によって覚らせることが本章の意図であるという点をきちんと踏まえる必要がある.
  • 岡田 英作
    原稿種別: 本文
    2016 年 64 巻 3 号 p. 1217-1221
    発行日: 2016/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    瑜伽行派は,種姓(gotra)という概念を用いて,般涅槃の到達可能性や菩提の区別を論じる.玄奘を開祖とする法相宗では,五種姓を並べ,いわゆる「五姓各別」説を確立した.従来の研究は,「五姓各別」説の源流をインド仏教文献に辿ることで,スティラマティ(Sthiramati)に帰せられる著作(Sutralamkdra-vrttibhasya)に五種姓説が見出されることを明かし,同説は瑜伽行派において注目を集めるものではなかったと指摘する.しかし,従来の研究では,チベット訳のみ現存するインド仏教文献に関して,『大乗荘厳経論』に対する註釈書を除き,調査の対象となっていない.本稿では,チベット訳のみ現存する瑜伽行派の註釈書,アサンガ(Asanga)著『仏随念註』(Buddhanusmrti-vrtti),ヴァスバンドゥ(Vasubandhu)著『仏随念広註』(Buddhanusmrti-tika),特に,スティラマティ以降の瑜伽行派論師に帰せられる『聖無尽意所説広註』(Aryaksayamatinirdesa-tika)に着目する.まず,『仏随念註』『仏随念広註』における五種姓に関連する解説を通じて,瑜伽行派における五種姓説は,アサンガからヴァスバンドゥへの系譜の中で成立することを指摘する.次に,『聖無尽意所説広註』に五種姓に関連する解説を見出し,五種姓説は,瑜伽行派においてヴァスバンドゥやスティラマティ以降も展開したことを明らかにする.
  • 高務 祐輝
    原稿種別: 本文
    2016 年 64 巻 3 号 p. 1222-1226
    発行日: 2016/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    瑜伽行派の根本典籍である『瑜伽師地論』の「五識身相応地」「意地」は,認識(vijnana)に関する同学派初期の理解を知る上で貴重な情報に富む.その既刊校訂本は問題が散見されることが指摘されているが,現存する単一梵文写本に基づいて訂正した「意地」の記述によれば,対象を認識する際の六識に関して,ある1瞬間においてただ1つの認識が生起することを特に言及せず前提としている.また継起に関しては,同種の感官知(五識)や異種の感官知が連続して2瞬間に生起する可能性を否定し,1瞬間だけ生起した感官知の直後には必ず意識が生起することを強調する.これに対し,同様に複数の認識の同時生起を認めない説一切有部では,『大毘婆沙論』において感官知の直後に感官知が続けて生起する可能性を認める.本稿では,両論書に注目し,感官知の連続生起可能性をめぐる議論について初期瑜伽行派と説一切有部の立場を比較する.両解説の要点を整理することで,両者の立場に関して,単に感官知の連続を認めるか否かだけでなく,解説の仕方にも大きな違いがあることを指摘する.すなわち,初期瑜伽行派では,具体的に何らかの対象を把握する一連のプロセスとして感官知と意識の順序を説明するが,説一切有部の阿毘達磨論師の立場では,あくまで法と法(苦根と苦根,苦根と五識)の関係を分析した結果に基づいて説明する.この違いは,禅観の実践体験を特に重視する瑜伽行派と,法の分析を徹底する説一切有部の特徴とも軌を一にするものであり,両記述の比較を通してより一層明確になる点といえる.また,上記の考察と併せて,『瑜伽師地論』「五識身相応地」「意地」の解説と,『大毘婆沙論』で紹介される瑜伽師の説とでは,感官知の連続生起を認めない点は同じであるが,主張のポイントが異なるということも指摘する.
  • 倉西 憲一
    原稿種別: 本文
    2016 年 64 巻 3 号 p. 1227-1231
    発行日: 2016/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    ヤントラは,インドにおいて宗教の如何を問わず,古くから作成使用されてきた.インドの宗教においては,ヤントラは特に儀礼の補助あるいはその中心的役割をもった道具として使われている.ヤントラは基本的に線と文字で構成され,幾何学的図形で表されることが多く,その類似性からしばしば対比されるマンダラとは異なり,尊像など絵が描かれることはない.本論文で焦点を当てるインド後期密教のヤントラは,特に息災や調伏といった特定の願望成就を目的とした儀礼で使われていた.インド密教文献史上でヤントラ儀礼が組織的に登場するのは,およそインド後期密教が展開しはじめた9世紀ごろと考えられる.ただし,ヤントラ儀礼はそれ程多くのタントラで取りあげられているわけではない.ヤントラ儀礼を特に重要視し詳しく取りあげているのは,9世紀頃に編纂された『クリシュナヤマーリタントラ』である.そして,おそらくおよそ百年後に登場した『サンヴァローダヤタントラ』にも同じくヤントラ儀礼が説かれており,その文章から前者との密接な関係をうかがうことが出来る.そこで,これら二つのタントラの記述を比較し,インド後期密教におけるヤントラ儀礼の展開を垣間見ることが本論文の目的である.
  • 松村 幸彦
    原稿種別: 本文
    2016 年 64 巻 3 号 p. 1232-1236
    発行日: 2016/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    Saroruhavajraは後期インド密教を代表する聖典の一つであるHevajratantraの成立に関わったとも言われる人物で,その活動年代は9世紀から10世紀と推測される.彼はPadmavajraという別名も持っており,同名異人とされる人物が多く存在している.また,彼はインド密教だけではなく,チベット密教においても与えた影響は大きかったと思われ,非常に重要な人物である.にもかかわらず,彼に対する研究は殆ど見出されない.そこで,本稿の目的は,彼の著した成就法であるHevajrasadhanopayikd (=HeSU)を採り上げ,同テキストに対する註釈書jalandhari(別名Suratavajra)著Vajrapradipa (=VP)を適宜参照しながら,その基本的構造や特徴について明らかにすることにある.尚,HeSUは既にCIHTSから校訂テキストが出版されているが,校訂ミスと思われる点など問題を多くはらんでいる.VPは現在写本が複数存在しており,校訂テキストは出版されていない.VPは32の項目名が最初に挙げられ,これらの内容によって註釈を行っているが,そのスタイルは逐語的なものではなく,Jalandhari自身の成就法という側面が強いように思われる.HeSUは大きく分けると,帰敬偈,本論,廻向偈の三つに分けることが出来る.本稿では本論の内容について概観する.観想を行うヨーガ行者は,尸林などに立ち,自身の心臓の上に日輪とhum字を見て,虚空に光線を発し世尊を引き寄せ,供養をする.そして,懺悔・随喜などを行い,マントラを唱えて,観想する場所の防護を行う.VPでは『秘密集会タントラ』などに説かれる十忿怒が防護輪の中に説かれている.Hekaravajraの尊容などが述べられた後,配偶尊との性的瑜伽などが説かれ,液体の状態になった世尊が金剛歌により目覚める.この時行者はHekaravajraと一体となっている.この後,智輪と三摩耶輪の合一や四刹那・四歓喜・四灌頂,そして念誦や甘露供養,バリ,誓願などが説かれて本論は終わる.今後は他のSaroruhaの著作を中心に解析し,成就法を中心とする儀礼とその背後の思想を明らかにしていく.
  • 桂 紹隆
    原稿種別: 本文
    2016 年 64 巻 3 号 p. 1237-1245
    発行日: 2016/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    中国蔵学研究中心とオーストリア科学アカデミーの共同事業の一部である,ジネーンドラブッディの『集量論複注』第3・4・6章の梵語写本からの校訂作業に従事するようになって10年以上の歳月が経った.筑波大学の小野基教授,高陽東高校の岡崎康浩博士,オーストリア科学アカデミーの渡辺俊和博士・室屋安孝博士,京都大学のディワーカル・アーチャーリヤ教授他多くの研究者の協力を得て,三章すべての批判的校訂を終えた.あとは,出版可能な状態に整理する作業だけが残されている.同書の第1・2章の校訂本とローマ字転写本は,既にオーストリア科学アカデミーのシュタインケルナー教授のチームによって中国蔵学研究中心から出版されている.第5章についても,ウィーンで校訂作業が行われつつある.以上が,『集量論複注』梵語写本研究の現状である.本論考には,同書第4章の校訂作業と並行して行ったディグナーガの『集量論』と『自注』の梵語テキスト復元作業の結果,得られた『因明正理門論』の梵語テキストの断片の一部を文献学的ノートを付して,紹介した.さらに,付録として,拙稿"Rediscovering Dignaga through jinendrabuddhi,"in Sanskrit Manuscripts in China, ed. Ernst Steinkellner et al. (Beijing: China Tibetology Publishing House, 2009); "A Report on the Study of Sanskrit Manuscript of the Pramanasamuccayatika Chapter 3," IBK 59, no. 3 (2011)に公表した『集量論』第3章の偈頌の残りの部分と第4章の偈頌すべての梵語還元テキストを収録した.
  • 吉水 千鶴子
    原稿種別: 本文
    2016 年 64 巻 3 号 p. 1246-1254
    発行日: 2016/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    ダルマキールティはその著書『プラマーナヴィニシュチャヤ』第3章「他者のための推論」の中で,帰謬論証の例をあげる.帰謬(プラサンガ)論証は対論者の主張を論駁するためのものであり,相手の主張から主題とその属性を借用し,それを前提条件として,そこから相手にとって不合理な結論を導き,相手の主張の矛盾を指摘することにより論駁する仮言論証である.ダルマキールティも帰謬論証が対論者によって構想された属性にもとづくことは認めているが,彼が提示する論証式は以下の点で,それまでの帰謬論証とは大きく性格を異にする.(1)論証因を用いること,(2)仮言的表現を用いないこと,(3)遍充関係に相当する論証因と帰結の二つの属性の必然的関係が肯定的否定的遍充の両方で示されること,(4)その必然的関係は実在にもとづくこと.さらに,ダルマキールティが考える「論証因」は,借り物の主題の属性にはなり得ないが,そのような主題を離れれば,正しい認識(プラマーナ)によって成立し,対論者立論者両方によって認められるものである.その「論証因」から必然的に導き出される帰結は論理的帰結であり,誰もが認めざるを得ないものである.このような論証因の導入は革新的なことであったが,これなくして説得力をもった対論者の論駁はなしえないとダルマキールティは考えたのであろう.本論文は,このような彼の意図を明らかにすると同時に,彼が用いる「本性」(svabhava)という語は自らの存在そのものを指すのではないか,また「本来的論証因」(maulahetu)は「自らの理解,認識に根ざした論証因」すなわち他者のための推論にいうところの「自ら認めたもの」(svadrstartha)を指すのではないか,という解釈を提示した.
  • 志賀 浄邦
    原稿種別: 本文
    2016 年 64 巻 3 号 p. 1255-1262
    発行日: 2016/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    アルチャタはHetubindutika (HBT) 98,14-107,23において長大なジャイナ教徒批判を展開するが,それはHetubindu (HB) 9*,13-14に現れる反論者の見解とダルマキールティの答論(HB 9*,15-10*,4)に対する直接の注釈の後に現れる.HB 9*,13-14に現れる反論者の見解は,複数の原因から複数の結果が生じるケースか,あるいは単一の原因から単一の結果が生じるケースを正しい因果モデルと見なし,仏教徒が主張する因果モデルを批判するものであった.この反論者の見解はアルチャタによってジャイナ教徒とミーマーンサー学派によるものとされているが,調査の結果,それをいずれかの学派の見解として特定するには至らなかった.なお,ジャイナ教文献ではハリバドラスーリがAnekantajayapatakaにおいてHBの当該箇所(HB 9*,13-16)を直接引用し批判しているものの,HBにおける反論者の見解と一致あるいは類似する記述は見いだせなかった.HBおよびHBTに見られる反論者の見解を同じダルマキールティの著作であるPramanavarttika第1章における記述と比較した結果,同見解が文脈・内容の点でジャイナ教徒よりも,むしろサーンキヤ学派の見解に近いことが判明した.Tattvasamgraha(-panjika) (TS,TSP)第20章「多面性実在論の考察(Syadvadapariksa)」における記述との対照によってこのことは一層明確となる.またTSおよびTSPの同章では,「Syadvada」という用語・概念の下に,ジャイナ教徒のみならず,ミーマーンサー学派およびサーンキヤ学派の見解が紹介されている.これはあくまで仏教徒の目から見た分類ではあるものの,これら三つの学派が存在論あるいは因果論について類似の見解を保持あるいは共有していた可能性を示唆している.
  • 渡辺 俊和
    原稿種別: 本文
    2016 年 64 巻 3 号 p. 1263-1269
    発行日: 2016/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    「Xは存在しない」という命題は,非存在であるものを否定することになるが,そのような行為は成立するのだろうか.本稿ではこの問題に対する,ディグナーガ,ウッディヨータカラ,そしてダルマキールティの三者の見解を検討し,それらの対応関係について明らかにした.ディグナーガはNyayamukhaで「プラダーナは存在しない.認識されないから」という論証においても証因に主題所属性を確保するために,主張命題の主題である「プラダーナ」を概念的構想物(kalpita)として扱う.それにより,主題に概念的な存在性が確保され,証因がasrayasiddhaの過失に陥ることを回避している.一方ウッディヨータカラはNyayavarttika on Nydyasutra 3.1.1で,「アートマンは存在しない.認識されないから」という論証を対象として,ディグナーガ説を批判している.まず彼は,概念的構想(kalpana)を「別様であること」(atathabhava)と定義することで,アートマンが概念的構想物である場合には証因がその属性となり得ないことを説明する.また「アートマン」という語が実在を表示するので「存在しない」という述語との間に矛盾が生じることを指摘する.これに対してダルマキールティはPramanavarttikasvavrttiおよびPramanaviniscaya 3で,概念的構想物を知に現れる形象と解釈することによってディグナーガ説を補強し,ウッディヨータカラへの再反論とした.語が知の形象を対象とする限り,「プラダーナ」は外界対象としては「認識されない」ので,証因は主題の属性となると同時に,主張命題にも矛盾は生じないことになる.
  • 中須賀 美幸
    原稿種別: 本文
    2016 年 64 巻 3 号 p. 1270-1274
    発行日: 2016/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    ダルマキールティはPramanavarttika (PV) I 43-58において推理と知覚判断を「確定知」(niscaya)と呼び,確定知が「付託の排除」(samaropavyavaccheda)を対象とするとして,アポーハの一解釈としての付託の排除を論じている.ダルマキールティは知覚判断の場合の付託の排除について,PV I 48cdで「[知覚判断は]別の部分(non-X)が付託されていない[実在物の部分X]に対して起こり,それ(別の部分non-X)のみの排除を対象とする」(asamaropitanyamse tanmatrapohagocaram)と説明している.知覚判断は実在物を部分的に確定し,その確定対象における付託の欠如こそが知覚判断の場合の付託の排除である.これに対して,注釈家カルナカゴーミンはcd句に対して二つの解釈を与えており,そのうちの第一解釈において,asamaropitanyamsaを付託を欠いた独自相を示すものとして解釈し,tanmatraを「それ(独自相)と関係する部分(形象)を持つもの」と解釈している.ここでtanmatraが意味するのは,排除対象ではなく,自己の形象を通じて外界対象を判断(adhyavasaya)する知覚判断である.彼はPV I 48cdを知覚判断の持つniscaya, adhyavasayaという二つの機能のうち,adhyavasayaに焦点を当てて説明している.その背景にはアポーハ論における肯定論者(vidhivadin)としての彼の立場がある.「肯定が理解される時に,間接的に否定が理解される」とする彼にとって,付託の排除とは間接的に理解されるべきものである.そこで,付託の排除を対象とするniscayaの代わりに,自己の形象を通じて外界対象を判断するadhyavasayaの機能に焦点を当てる必要があったのである.
  • シャキャ スダン
    原稿種別: 本文
    2016 年 64 巻 3 号 p. 1275-1282
    発行日: 2016/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    ネパール仏教の最大の特徴は,インドから伝播した経典,陀羅尼等の写本を梵文原典から現地語のネワール語,ネパール語等に翻訳することなく,原典のまま使用していることである.それはババーやバヒーと呼ばれるカトマンズ盆地の仏教寺院に今日までも継承されており,13世紀初頭にインドで途絶えてしまったサンスクリット語を中心とするインド仏教の思想・儀礼・図像などが維持・保存されている.一方,14世紀に入る頃ネパールの仏教梵文写本に変化が現れる.すなわち,梵文原典にネワール語(非アーリヤ語)の翻訳または註釈が加わるようになり,その傾向は特に18世紀以降に顕著となる.このように梵文原典を解説する形でネワール語の註釈・解説などが付け加えられた写本を「梵語・ネワール語混成写本」と呼ぶ.その内容には,仏典,陀羅尼,論書,儀礼次第,アヴァダーナ物語など幅広いジャンルが含まれる.ネパール現存の梵文写本には文法上の誤りがあることが指摘されている.梵語・ネワール語混成写本においても同様の傾向が見られる.とくに梵語・ネワール語混成写本には訳語や註釈にも誤訳・誤解がしばしば見られる.さらに訳者や註釈者が明記されていない場合もある.そのため,貴重な情報源にも関わらず研究資料として扱うことに課題も残る.ただし,それらの内容を吟味することで,梵文原典がもはや現存しない仏典の原文を回収できる可能性も皆無ではない.また,これらの写本のほとんどは13世紀にインドで仏教が滅んだ後,ネワール文化の影響のもとで製作されている.すなわちこれらの写本の研究は仏教とくにネパール仏教を知るための手引きとしてだけではなく,ひいてその担い手であるネワール人たちの土着の仏教文化の研究をするための典拠ともなり得ると考える.
  • 根本 裕史
    原稿種別: 本文
    2016 年 64 巻 3 号 p. 1283-1290
    発行日: 2016/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    13世紀以降にサンスクリット詩論書『詩鏡』がチベットに伝わると,チベットの仏教僧達は詩論を熱心に学び,修辞技法を凝らした詩を作るようになった.本稿はツォンカパ(1357-1419)以後のチベットにおける仏教と詩の関わりを考察するものである.ツォンカパは思想的円熟を迎えた41歳の頃,縁起を説いた仏陀を称賛する詩『縁起讃』を著し,教主を讃えながら,同時に彼によって説かれた縁起の思想を解き明かすという表現様式を確立した.インド中観論書と讃頌文学の両方の要素を取り入れた『縁起讃』は,一種の美文詩(snyan ngag)としての要素を有し,後代のゲルク派の著作に大きな影響を及ぼした.仏教と詩的世界の融合という考え方は汎チベット的であり,カギュ派のプーケーパ(1618-1685)は,三宝を美しい言葉で讃えることによって功徳を積み,無上正等覚に至ることを美文詩の究極目的としている.『縁起讃』もそうした理念と合致するものであろう.また,チベットには,インドのドーハーの影響下に成立した宗教歌(mgur ma)の伝統もあるが,ツォンカパがそれを表現手段として用いなかった点は重要である.クンタン・テーペードゥンメ(1762-1823)はツォンカパを讃える『具義讃』の中で,ニンマ派やカギュ派の宗教歌は一部の信者にとってのみ有効であること,論証と批判の要素を含むツォンカパの言葉は万人に有効で,全ての所化を解脱に導くことができることを主張しているが,後者の点は『縁起讃』にも当てはまるであろう.詩的要素と理論的要素を兼ね備える『縁起讃』は,詩論と論理学を共に重視するツォンカパの学問観を如実に反映した作品である.
  • 朴 賢珍
    原稿種別: 本文
    2016 年 64 巻 3 号 p. 1291-1295
    発行日: 2016/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    チベット語訳華厳経のデルゲ版(1729-1733年開版)のコロフォンには「これは,リタン版を底本とし,多くの古本を求めて校訂したが,rgyanに対してbkod pa, 'byam klasに対してrab 'byams, so so yang dag par rig paに対してtha dad pa yang dag par shes pa, thugsに対してdgongs pa, nyin mtshan dang zla ba yar kham mar kham dangに対してnyin mtshan dang yud du yan man dang, tha snyadに対してrnam par dpyod paなど異なる訳語は,意味に矛盾がないので校訂しなかった」という内容が記されている.本稿ではこの記述に基づいて,チベット語訳華厳経諸本でtha dad pa yang dag par shes paとso so yang dag par rig paの訳語を検討・調査する.
  • 伊藤 真
    原稿種別: 本文
    2016 年 64 巻 3 号 p. 1296-1302
    発行日: 2016/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    六世紀末頃の中国撰述と思われる『占察経』二巻は,今日では『地蔵十輪経』,『地蔵菩薩本願経』と共に代表的な地蔵経典とされている.従来この経典は,上巻で説く木輪相というサイコロ状のものを使った占い法と,それに続く懺悔滅罪の方法を主眼とする,地蔵信仰を利用した「いかがわしい」経典と目されてきた.しかし近年のいくつかの先行研究ではこの経典の構造や意図を見直す動きが見られ,本論考ではこの経典における地蔵菩薩の役割を改めて検討し,この経典全体のねらいを再考した.本経の上巻が説く木輪相による占いと懺悔の方法は,下巻が説く瞑想を行うための前提となっており,無相智を得て,一実境界に依止した堅固なる信解を確立するのが,五濁悪世において大乗を志向する者の目的とされている.末法の世の善根微少なる衆生には困難な道である.しかし地蔵菩薩はそのような遠大な修道論を説く一方で,修行者の疑念と怯弱なる心を癒すべく,自らの名号の誦念を何度も勧める.憂悩を取り除いて修行の道へ進むようにと,上下二巻,この経典全編を通じて要所要所で修行者を叱咤激励するのである.この経典は占察法,懺法,そして瞑想法と,それによって信解堅固に一実境界に安住するための一貫した修行道を説きつつ,その道に邁進できるようにと常に地蔵菩薩が救いの手を伸べる構造になっている.地蔵は『十輪経』以来,瞑想と,衆生済度の遠大な誓願と行とに深く結びついた菩薩である.六世紀末に中国で成った『占察経』という偽経は,木輪相といった一見突拍子もない占いを堂々と説く特異な経典であることは確かだが,全体として見れば,当時の人々が末法と見た時代にふさわしい,地蔵信仰に基づく救済論を説いていると言うこともできるだろう.
  • 釋 覺瑋
    原稿種別: 本文
    2016 年 64 巻 3 号 p. 1303-1309
    発行日: 2016/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    臨済義玄(?-866)と仏光星雲(1927-)は生まれた時期こそ千年以上離れているものの,二人とも彼らが暮らしていた社会に対して禅の教えを創造的に適用した.それは,人々が自らの人間性を発見し,現状を超越することへの一助とするためである.この二人の禅師は,様々な迫害を乗り越えただけでなく,先達の教えを作り変えることによって,その時代の社会・政治的な環境に新たな価値を付与し,当時用いられていた一般的な言葉を創造的に使い,彼等の信仰をさらなる高みへと引き上げた.中国禅の流派を形成した菩提達磨(5-6世紀頃)は『二入四行論』の中で,すべての衆生に等しく備わっている「本性」が存在していること(理入)と,菩薩がいかに日常生活において法に従いつつ六波羅蜜の実践が可能かということ(行入の四つの修行の一つ)を強調している.臨済義玄がこうした教えを適用したのは,四万以上の仏教施設が破壊され,二十六万人以上の僧侶が還俗を余儀なくされた会昌の廃仏後(845年頃)という惨憺たる時期であった.このような大規模な破壊-経典や信仰上価値のあるものを含む-と周辺地域での抵抗運動が続く中で,義玄は菩提達磨の法による「行入」に倣い,彼に付き随う人々を激励した.人生に起こった出来事をそのまま受け入れ,「あるべき」理想の人生と「いまこの」現実の人生の間に存在する緊張から解放したのである.達磨の「理入」と同じく,義玄は仏性を表す道教の用語「無位の真人⊥すなわちシンプルで自然な人間に戻ることを提唱した.この溌刺としてダイナミックな「真人」は,何物にも執着しないが故に,仏教徒はこうした超越的な解放(解脱)の状態を望むべきであり,不運な状況がふりかかろうとも抵抗しない,というのである.仏光星雲は臨済禅の系統に列なる人であり,「人間の生活の中の仏教」という太虚(1890-1947)の教えに影響を受けている.太虚は,制度や教育,社会の改善を通じて,広く仏教を活性化するよう呼びかけた人である.台湾の人々が急激な経済成長に自らをあわせ,儒教的な原理と資本主義的民主主義とのバランスを取るのに苦心している中で,星雲は太虚の活動を人道主義的な仏教へと転換したのである.星雲は法に従いつつ葬式仏教や伝統仏教を近代化した.それは仏教徒が,成長を続ける台湾の経済に生産的な面で貢献しながら,文化的,教育的,慈善的,修養的活動を通して,社会から疎外されている人を癒し,人々の連帯意識を生み出すためである.彼は智慧とユーモアと慈悲をもって,現代社会の厳しさとめまぐるしい変動に対応するために,禅のもつ解放的な性格を強調した.星雲は弟子達に,自らが仏である(理入)ということを主張するように勧めた.彼は,人々が自信を回復し,世界は縁起(空)から成り立っていると認識させることで,心の平静を取り戻させた.この二人の禅師は,人々が暮らす状況を十分に意識したうえで,彼等が理解できる言葉を使って,人々の自らに対する信頼を回復させ,社会の安定と成長に貢献した.精彩を放つ禅仏教の精神は,社会の利益と復旧に巧みに使われたのである.
  • 亀山 隆彦
    原稿種別: 本文
    2016 年 64 巻 3 号 p. 1310-1315
    発行日: 2016/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    今日,智積院や東寺観智院,高野山金剛三昧院等に相伝される『最後灌頂常行心要法』(以下『心要法』)は,本文の内容から判断するに,鎌倉時代後期の成立,著者は,醍醐寺三宝院流に縁のある真言密教僧と推定される.醍醐寺につたわる秘義・秘説の集成と目される本書『心要法』の中で繰り返し述べられるのは,真言の修行者が即身成仏を目指す際に,みずからの肉身に対する信心がいかに重要かということである.『心要法』によれば,真言密教が主張する「自身本成之一致」や「自身成仏」の道理にわずかの疑惑もさしはさむことなく,六大,四曼,三密の体相用三大から成る肉身がそのまま仏身と一念でも「信知」したなら,その修行者は,すでに「自証仏」であるという.その際行者が三密行を完遂しているかどうかは,問題にならない.あまたの功徳から構成されるみずからの肉身に対して信知を獲得したなら,その行者のあらゆる三業の所作は,そのまま三密行に転じるからである.『心要法』に明らかにされるこのような信知の詳細を解明することが,本稿の主要な目的である.特に,これまでまったく議論されることのなかった,独特の信知獲得法を闡明するつもりである.『心要法』は,真言行者がみずからの肉身に対して信知を獲得する際に何が必要かに関しても,きわめて明瞭に語る.結論を述べれば,人間の肉身そのものに関する知識,つまり医学の知識,より具体的にいえば,肉身がこの世に誕生するメカニズムを教える胎生学の知識が,上述の信知の獲得に必要と説き示される.
  • バルア シャントゥ
    原稿種別: 本文
    2016 年 64 巻 3 号 p. 1316-1320
    発行日: 2016/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    バングラデシュのオラオン部族は,年間を通じて多くの社会的民間儀礼を執り行う.彼らの間で,ファグア祭が最も人気があり,重要な伝統的・社会的祭儀である.ファグア祭はオラオン部族が新年に行う祭儀である.彼らは熱意と厳粛さを伴ってこの祭儀を執り行う.他のコミュニティの人々もその人気と魅力に魅了され,ファグア祭に参加し享受する.本稿では,ファグア祭の種々の面を調査し,この祭儀が単に彼らの宗教的熱望を満たすことに努める儀式・儀礼の一種ではないことを明かにする.ファグア祭には,彼らの生活様式,信仰・習慣の複雑なシステム,思想,行動が反映されており,またアニミスティックな側面を保持している.この祭儀の特色は多文化的・多宗教的な背景において他のコミュニティの祭儀と異なっているため,彼らが自らの部族のアイデンティティを保持することに役立ち,そこにおいてオラオン部族の結束が表現される.また,親族や友人との再会の機会をも提供するのである.一方で,それは農業活動とも密接に関連しているから,豊穣祈願の儀礼に由来することも確かである.
  • 伊藤 奈保子
    原稿種別: 本文
    2016 年 64 巻 3 号 p. 1321-1328
    発行日: 2016/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    Jambi州立博物館に所蔵されている金銅四臂菩薩立像(No. 04.094)は,管見のかぎり先行研究が乏しく,今回その形状を紹介することとした.この像は1991年2月3日に,インドネシア,南スマトラのJambiにて農民により金銅四臂観音菩薩立像(No. 04.093)とともに発見された.博物館では制作推定年代を10〜12世紀においている.卵形の顔面に厚い唇,三道を有して肩幅が広く,腰がくびれ,左足を屈するが,ほぼまっすぐに立つ等からシュリーヴィジャヤの様式を呈していると考えられる.像高は29.0cm,鍍金仕上げで,いたるところが欠損し,緑色のさびが見える.四臂のうち,右手第一(与願印),第二(梵夾),左手第一手(蓮茎を握った跡か),左手第二手は手首から先が欠損している.また,裳の下,両足は欠損している.腰をひねり,全身でゆるい逆S字を描く体形を成し,右手両肘箇所と太腿に大きく亀裂が走る.背面は一面に破損し,腰を起点に上半身,下半身が前方へ屈する.後頭部辺りから何らかの負荷がかかり,背面全体が破損し,その後腐食が進んだものと推察される.高く結い上げた宝髻,やや蕨手状の垂髪,大きな白毫,精緻な顔面の表現に対し,装飾は臂釧と腰バンドほどで華美ではないこと,そして左手第二手が梵夾を握ること等が特徴といえよう.四臂の持物については,中部ジャワの石像,及び鋳造の四臂観音菩薩立像27躯,坐像20躯を検討した結果,右手第一,第二手,左手第一,第二手が,与願印,数珠,蓮華,梵夾が多く,第二手に梵夾を執る作例は見当たらない,しかしバンコク国立博物館の四臂観音菩薩立像が蓮華,数珠,水瓶,梵夾を執ることから,本像も特異な一例とみることができよう.顔の様式の源流は,マレー半島のドバラバティ様式である可能性が考えられる.像高,様式等から,ジャワ島出土の鋳造像,またスマトラ出土の他の鋳造像とは異なる系統にあることが窺われる.
  • 山口 しのぶ
    原稿種別: 本文
    2016 年 64 巻 3 号 p. 1329-1336
    発行日: 2016/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    インドネシア,バリ島においては人口の90パーセントがヒンドゥー教徒であり,多くのヒンドゥー寺院や家庭で儀礼がさかんに行われる.本論文では通過儀礼(マヌサ・ヤドニャ)の一つである生後3ヶ月の子どもの儀礼「トゥルブラニン」を取り上げた.トゥルブラニンは乳児が初めて固形物を口にする儀礼であるとともに,天界にいた赤ん坊が初めて人間社会に足を踏み入れる儀礼でもあり,バリ・ヒンドゥーの通過儀礼の中でも重要視される.トゥルブラニン儀礼は,大きく分けて(1)家庭寺院で行われる準備的儀礼,(2)「バレ・ダンギン」という建物で行われる中心的儀礼の2つの部分からなる.(1)においては,儀礼を行うプマンク僧は太陽,ブラフマ,シワ,ウィスヌの三神に礼拝し,豚の丸焼きなどを神々と祖霊に捧げる.(2)の中心的儀礼においては,まず僧は子どもとその両親を聖水で浄化し,子どもが生涯食べ物に困らないようにアヒルとニワトリとに対面させる.その後僧に抱きかかえられた子どもは地上に3回足をおろす.また装飾品を身につけ,神々に守護を頼む行為が行われる.トゥルブラニン儀礼は赤ん坊のバリ・ヒンドゥー社会へのイニシエーションの機能を果たし,その中では生涯におけるバリ・ヒンドゥー教徒と神々,祖霊との関係が諸行為を通じて端的に表されている.この儀礼の内容はインドの通過儀礼であるサンスカーラの内容とは類似していないが,儀礼の際唱えられる文言や賞賛偈などで,バリ語の他にサンスクリットや古ジャワ語が用いられ,インド的な要素とジャワ的な要素がバリ固有の要素と混在している.これら複数の要素の詳細な分析については今後の課題である.
  • 原稿種別: 文献目録等
    2016 年 64 巻 3 号 p. 1337-1479
    発行日: 2016/03/25
    公開日: 2017/10/31
    ジャーナル フリー
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