印度學佛教學研究
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語形論とスポータ理論
――認識論における普遍観について――
斉藤 茜
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2016 年 64 巻 3 号 p. 1088-1092

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抄録

Bhartrhari (5c.)によって語られるスポータ(sphota)理論は,15世紀以降の文法家たちの視点とは異なり,言語論における認識論と位置付けることができる.スポータの大きな特徴は,知覚や認識と不可離の関係にあること,そして語として認識される以上「意味」が必ず後続するという二点であるが,しかしそれを除けば,概念自体はBhartrhariのVakyapadiya中,様々な他の用語と重なるものである.そしてそれらに共通して,ある存在が持つ,ぶれない「それ自体」(svarupa)が,「普遍」(samanya)・「特殊」(visesa)という言葉でもって繰り返し説明される.Bhartrhariの思想を継いだMandanamisra (7-8c.)は,ミーマーンサー学派や仏教論理学の言語論を批判するが,その際にひとつのキーワードとなるのが普遍である.Kumarila, Dharmakirti双方の言語理論に対して,Mandanaは,普遍に対する考え方が欠陥となっていると非難する.そもそも,存在論的見地から理論上分割できたとしても,普遍と特殊の両概念を認識論でも分割するのは不可能である.ある種Xに属する個xを知覚したときに,xをxと判断するためのx単体が持つ本質(x-tva)は,種Xにおける共通性(X-tva)と同じではない.具体的には,語性(sabdatva)と「牛という語」性(gosabdatva)は別概念である.「牛という語」性は,即ち誰が聞いても「牛」と判断される「牛という語形」であり,書かれた文字としての語形ではない,概念上の語形とも言うべきものである.このように個々の語それ自体についての考察の要となるのが,語知覚論たるスポータ理論である.本稿では,Bhartrhariの語形論及びMandanaの類概念に関する議論を参照しながら,認識論における普遍観について考察する.

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© 2016 日本印度学仏教学会
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