抄録
ダルマキールティはPramanavarttika (PV) I 43-58において推理と知覚判断を「確定知」(niscaya)と呼び,確定知が「付託の排除」(samaropavyavaccheda)を対象とするとして,アポーハの一解釈としての付託の排除を論じている.ダルマキールティは知覚判断の場合の付託の排除について,PV I 48cdで「[知覚判断は]別の部分(non-X)が付託されていない[実在物の部分X]に対して起こり,それ(別の部分non-X)のみの排除を対象とする」(asamaropitanyamse tanmatrapohagocaram)と説明している.知覚判断は実在物を部分的に確定し,その確定対象における付託の欠如こそが知覚判断の場合の付託の排除である.これに対して,注釈家カルナカゴーミンはcd句に対して二つの解釈を与えており,そのうちの第一解釈において,asamaropitanyamsaを付託を欠いた独自相を示すものとして解釈し,tanmatraを「それ(独自相)と関係する部分(形象)を持つもの」と解釈している.ここでtanmatraが意味するのは,排除対象ではなく,自己の形象を通じて外界対象を判断(adhyavasaya)する知覚判断である.彼はPV I 48cdを知覚判断の持つniscaya, adhyavasayaという二つの機能のうち,adhyavasayaに焦点を当てて説明している.その背景にはアポーハ論における肯定論者(vidhivadin)としての彼の立場がある.「肯定が理解される時に,間接的に否定が理解される」とする彼にとって,付託の排除とは間接的に理解されるべきものである.そこで,付託の排除を対象とするniscayaの代わりに,自己の形象を通じて外界対象を判断するadhyavasayaの機能に焦点を当てる必要があったのである.