2020 年 68 巻 3 号 p. 1200-1207
ジュニャーナガルバは,『二諦分別論』(SDK14)及びその自注(SDV)において次のことを論じている.すなわち,
(SDV7a5–6)因果関係(kāryakāraṇabhāva)も不合理である.というのは多によって一なる事物(dṅos po, vastu)は設けられない(SDK14a).多によって多は設けられない(SDK14b).一によって多なる事物は設けられない(SDK14c).一によって一は設けられない(SDK14d).
SDV ad SDK14aから14bへの経緯の中で,対論者の見解としてダルマキールティのhetubinduからの感官知(眼,色,光,注意力など→眼識)の生起を表す因果論の引用が見いだされる.SDV ad SDK14cから14dへの経緯についても吟味し,その論議の全体がダルマキールティのアポーハ論に基づく因果論に対する批判であり実世俗と位置付けることが知られる.それは同一の原因をもたない(因非Aから生起した)別の結果からの排除ということを観点にした原因に基づく点からのアポーハ論により多因→一果から多因→多果への推移を,また一因→多果から一因→一果への推移を表している.それと同じ観点に基づき一因→多果から一因→一果への推移を表わすものが,ダルマキールティのPVSVP.42,7–8 ad PVⅠ–75である.ジュニャーナガルバによる論難は因果間における区別と無区別との肯定的否定的随伴関係を問うものである.また,多因→多果に関する論議において,無区別という立証因により特殊性の多と単一な結果(眼識)との不一致を論じるジュニャーナガルバの推論に対し不成因(asiddha)と指摘するのはシャーキャブッディであると考えられる.シャーキャブッディによるジュニャーナガルバへの論難はカマラシーラのmA前主張に,またハリバドラのAAAに取り上げられると考えられる.一因→一果においては,デーヴェンドラブッディによるPVⅢ534への注釈(眼なる質料因が一刹那後に同類のものを生起すること)が論難されていると考えられる.