2023 年 71 巻 3 号 p. 1065-1070
これまでにBhūtaḍāmaratantraの仏教版(Buddhist Bhūtaḍāmaratantra / BBT)とヒンドゥー教版(Hindu Bhūtaḍāmaratantra / HBT)の比較対照を行ってきた.本論文では両BTの入門儀礼に関する記述を比較対照した.
両BTでは,いくつかの共有されない要素と共有される要素が認められる.仏教とヒンドゥー教間で何が共有される要素で,何が共有されない要素であるか,という具体的事例を両BTの入門儀礼を例に挙げて明らかにした.この儀礼は,BBTでは第4章のmaṇḍalapraveśavidhiとして示される箇所である.この記述に対応するHBTの章は第6章であり,dīkṣāvidhānaと説かれている.
両BTの本儀礼中で共有されない要素としては,1. 入門儀礼の名称,2. Vajraの使用,3. マントラの暗号化,4. テクニカルタームの使用という4点が挙げられる.また,共有される要素として,1. 衣の色と覆面の使用,2. 忿怒尊との合一化とāveśa,3. kuladevatāを見せる作法と灌頂,4. 水の使用の4点が示される.これらの記述の分析の結果,BBTからHBTを編纂した改変者は仏教特有の術語を避けながらHBTを編纂したと推測される.即ち,仏教の教理や概念というものを理解していた者による編纂であった可能性が挙げられる.一方で,編纂者が単に理解出来ない術語を用いなかったという可能性もあるが,これを断定することは困難である.本論文で提示してきたBBTとHBTの対応関係が示すように,タントラ仏教におけるmaṇḍalapraveśaとヒンドゥータントリズムにおけるdīkṣāの儀礼はある程度は交替可能な儀礼であると言い得るであろう.