印度學佛教學研究
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「木を〈領域〉とする経験」とは何か――ニヤーヤ学派pramāṇa論の〈目的〉概念――
小川 英世
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2023 年 71 巻 3 号 p. 953-960

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抄録

 Uddyotakaraは,BhartṛhariがA 1.4.49 kartur īpsitatamaṃ karmaから導出した「行為の〈領域〉が〈目的〉である」(kriyāviṣayatvaṃ karmatvam)という〈目的〉定義を採用し,vṛkṣaṃ paśyati [devadattaḥ](「デーヴァダッタは木を見ている」)における術語「目的」の適用を正当化した.

 Vācaspatiは,この定義中の「行為」が行為の結果(phala)を指示することを踏まえ,以下の三点を明示した.

 A Xが〈目的〉であるとき,Xは行為の〈領域〉であり,XはX自身ならざる他者に内属する行為,それの結果の所有者である.

 B 知覚行為と特徴付けられる,デーヴァダッタに内属する行為によって,木を〈領域〉とする経験が生ぜしめられる.

 C 経験が対象を〈領域〉とするとは,経験が対象に依存して確定されることである.

 Cは,Nyāya学派の統覚(anuvyavasāya)の理論の要点を見事に表現したもので,思考器官によっては単に「私は知識を有する」ではなく「私は木の知識を有する」ということが理解されることを指摘している.

 当該の木は,その木を〈領域〉とする経験の所有者である.経験は,内属の関係でデーヴァダッタに関係し,領域性(viṣayatva)の関係で木に関係する.

 Uddyotakaraによれば,認識はすべて,対象という自己の〈領域〉(svaviṣaya)とその〈領域〉とは異なる,その対象の実践的活動上の属性(獲得・放棄・無関心)という〈領域〉(viṣayāntara)の二つの〈領域〉を有する.したがって,木を〈領域〉とする経験とは,一方では「これは木に他ならない」という確定知であり,他方ではこの確定知を手段として起こる,獲得等の原因となる「この木は獲得されるべきである」といった判断知である.

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