2024 年 72 巻 3 号 p. 1107-1111
仏教において,殺生は十不善業の一つとして規定されている.当然のことながら,殺生は悪趣への転生をもたらすため,避けるべきものである.しかし,仏教文献の中には,ある特定の状況下での殺生を許容する例が確認される.アサンガは,『菩薩地』において,「菩薩が悲(karuṇā)に動機づけられて,五無間業を実行しようとしている悪人を殺害しても,その菩薩が違犯者(anāpattika)となることはなく,むしろ福徳(puṇya)が増大する」と述べる.この考えは,他の大乗仏教論書にも確認され,大乗仏教における定説となる.後代のゲルク派の学僧ガワンタシは,『縁起大論』において悲を動機とする殺生に関する問答を展開する.彼は,『阿毘達磨集論』における黒白業の理論を応用し,「菩薩の悲を動機とする殺生は,意思(bsam pa, *āśaya)が白く,白い異熟をもたらすため善業である」と述べる.さらに,ガワンタシは,誤認殺生についても問答を展開し,デーヴァダッタ殺害意思を持ったある人が,誤ってヤジュニャダッタを殺害した場合,彼には罪となる不善業道(mi dge ba’i las lam, *akuśalakarmapatha)は発生しないが,不善業(mi dge ba’i las, *akuśalakarman)は発生するという見解を提示する.本論文では,悲を動機とする殺生と誤認殺生の二つを,『縁起大論』の問答を通して考察することで,殺生業をめぐるガワンタシの見解を明らかにする.