印度學佛教學研究
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アディカラナについて
生野 昌範
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2006 年 54 巻 3 号 p. 1167-1170

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抄録

ヴィナヤにはアディカラナと言われるものが規定されていて, しばしば「諍い」を意味すると理解されている. 本論文ではパーリ文献に資料を限定し, アディカラナが「諍い」であるのかどうかを検討した. アディカラナには, vivadadhikarana-, anuvadadhikarana-, apattadhikarana-, kiccadhikaranarana- という4種類のものがあるが, その内の apattadhikarana- に焦点を絞って考察した. 先ず, apattadhikarana- の定義では, 5つや7つの罪のグループそのものが apattadhikarana- なのであって, 罪のグループに関する「諍い」が apattadhikarana- なのではない. 次に, apattadhikarana- に対する一つの鎮静方法では, 犯した罪に関して「諍い」が起きていることを必須条件とするという記述は全く述べられていない. さらに, 註釈はニッサギヤ・パーチッティヤ第一条に違反した場合に apattadhikarana- に対するその鎮静方法を行うように説明しているので, アディカラナがもし「諍い」でず諍いを起こしていることになってしまう. しかし, そのような記述は全く述べられていない. 以上のように, apattadhikarana- の定義と鎮静方法を考察する限り, アディカラナが「諍い」を意味しているとは考えられない. 次いで, アディカラナの語義を検討した. 先ず, アディカラナは vatthu- で説明されているので,「論点・問題」の意であると考えられる. 次に, 註釈では「諸々の鎮静によって目掛けられる (管理される) べきことである」と述べられているので,「目掛けられること, 管理されること」の意であると考えられる. さらに, 文脈上アディカラナは, 明らかに僧団組織全体に関わることである. 従って, アディカラナはパーリにおいて「(僧団組織全体に関わる) 論点・問題, 目掛けられること・管理されること」の意である.

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