労働科学
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論説
「児科雑誌」に発表された仮称所謂脳膜炎(鉛毒性脳症)に関する研究の足跡(6)平井毓太郎による原因究明後の諸研究(1923~1926)(前編)
堀口 俊一寺本 敬子西尾 久英林 千代
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2011 年 87 巻 5 号 p. 186-200

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抄録

我が国において明治中期から大正末期にかけて約30年間にわたり原因不明であった乳幼児の仮称所謂脳膜炎の原因が1923年,京都大学小児科教授平井毓太郎によって究明された。これを契機として,小児科学領域における該疾患に対する研究報告が堰を切ったように発表された。一部の研究にはすでに報告したように異説ないし疑義を呈するものもあったが,大かたの研究は平井の鉛毒説を支持し,展開させるものであった。著者らは1923(大正12)年から1926(大正15)年の4年間に「児科雑誌」に発表された該疾患に関連する諸論文,学会発表等を内容別に分類し,今回はそのうち総説,統計,調査,症例,臨床の各項について紹介し論考した。(写真2)

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© 2011 公益財団法人 労働科学研究所
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