労働科学
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論説
「児科雑誌」 に発表された仮称所謂脳膜炎(鉛毒性脳症)に関する研究の足跡(10) 1931年から内務省令実施(1935年)まで(前編)
堀口 俊一寺本 敬子西尾 久英林 千代
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2014 年 90 巻 4 号 p. 138-152

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抄録

我が国において,1895(明治28)年に所謂脳膜炎と仮称される乳幼児の疾病が報告された。1923(大正12)年,京都大学小児科教授平井毓太郎によって,その原因が主として母親の用いる白粉中の鉛白による慢性中毒であることが究明された。1930(昭和5)年,鉛白使用化粧品に対する規制が明文化され,1935(昭和10)年から上記規制が実施に移された。私どもは,小児科領域の文献を使って,1931-1935年における当該疾患に対する研究の足跡を辿り,この期間に 「児科雑誌」 に発表された当該疾患の論文132編を調査した。論文は総説,統計,症例,臨床,検査,病理,実験の7項に分類することができた。この研究ではそのうち総説,統計,症例を取り上げて論考した。(図1)

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