2020 年 13 巻 p. 135-152
本稿は、第二次世界大戦後の日本で活動した思想家・研究者である藤田省三と鶴見俊輔の二人を取り上げ、二人がともに彼らの思考法・表現法の一側面として持った断片性の相違を考察する。藤田と鶴見は、ともに20世紀の危機に直面し、そのなかで認識を深化させ、支配的趨勢に抵抗することの条件と可能性を目指した思想家である。そして、その危機の認識と結びついたかたちで互いに断片的な思考と表現を自らのものとして獲得していった。ところが、二人が断片的思考として獲得していったものはまるで背景の異なるものであって、その結果として、ある重大な論点について対立する見解を持つこととなった。それは、第二次世界大戦以降の社会も一貫して全体主義的であるか否かという問題である。藤田が現代 を生活様式にまでいたった全体主義の時代として捉えていたのに対して、鶴見は、現代を全体主義と断定することを躊躇し、むしろそのように断定することに全体主義の気配を感じとったのだ。本稿は、藤田においては現代の圧倒的な全体主義 的趨勢のなかで辛うじて可能な抵抗が断片へと託されていたのに対し、鶴見においては全体主義へといたりがちな現代において、そうならないための方法として断片が目指されていたことを明らかにすることをとおして、そこから上述の論点へと接近することを試みる。