2025 年 17 巻 p. 109-125
本稿は、近年「LGBT ブーム」が加速化する日本社会における「アライの可視化」という現象を、マイノリティ当事者の経験と視点から批判的に考察し、「アライ」の言動の限界性を明らかにすることを目指した。既存のアライ研究において「アライ」とは、特権集団に属し、かつ、社会公正にむけて行動する者だとされる。日本では「支援者」「同盟者」等と訳されている。「アライ」の言動に対する当事者の「モヤモヤ」を、マイクロアグレッション概念を用いて分析した結果、「アライ」が無自覚な差別言動の発信者となる危険性と、アライの言動の貧困さがうかがい知れた。「アライ」という語が、差別加害を無化するための手段として活用されたり、企業のPRとして活用されたりするなど、人権意識に基づく言動でないことに起因していた。さらに、アライの言動がマクロなレベルでの言動にとどまり、個人間レベルの差別言動にまで注意を払えていないことによって、当事者の被差別経験が不可視化され続けるという問題も生じていた。このようなアライの言動の限界性は、「アライの可視化」が前景化するあまり、当事者が日常的に経験する被差別経験が見落とされ、不可視化され続けるという意図せざる結果が生じさせていることを指摘した。本稿は、社会的公正を目指すうえで、より多くの人が行動するために必要な視座を提供することに寄与した。