2009 年 2 巻 p. 40-57
本論で取り上げる「在日朝鮮人」は、他者の言語を使用しなければ、語ることが絶対的に不可能な状況におかれたエスニック・マイノリティである。この「マイノリティ」という概念には多義的な解釈が存在するが、ここで確認する視点は、マイノリティとは「自己表明」ではない。自らの名乗りではないということである。戦後の日本社会のなかで一貫して、「在日朝鮮人」は「歴史」「言語」「国籍」「階層」「性別」など複数性をもった存在であるにも関わらず、「母語」を所有しない場所から、「日本語」(日常的な使用言語)でもって、ナショナルな意味での「日本」や「韓国」が求める物語を紡ぐことを求められてきた存在であった。そこで求められてきたエスニック・マイノリティの物語は、つねに、「在日朝鮮人」を偽装した「知識」や「承認」によって表象されるものであり、かれら彼女ら在日朝鮮人から徹底的に「言葉」を奪うものであった。
そこで、本論では、1980年代以降、日本社会のなかで、エスニック・マイノリティ問題の争点がグローバリゼーションのなかでの移住労働者問題に移行するなかで、なお、法的に政治的にも移住労働者とは違う「存在」として、日本社会の異化される「非異物」としての在日朝鮮人をめぐるアイデンティティ・ポリティックスの編成に注目する。