2009 年 2 巻 p. 18-39
アメラジアンとは、アメリカ人とアジア人の両親を持つ人々であり、多くの場合、アジアにおける米軍の派兵や駐留を背景として生まれてきた人々であることが含意されている。
本稿では、「アメラジアン」、そしてアメラジアンスクールの教育実践と言説発信において象徴的な役割を担ってきた用語である「ダブル」を、言論空間と教育実践における模索や交渉のプロセスを経て構築され、今も構築されつつある表象として検証する。
まず、「ダブル」という用語が、日本の言論空間においてどのように位置づいてきたのかを整理する。次いで、アメリカにおけるアメラジアン研究を概観し、「アメラジアン」がどのように言説化されてきたのかを整理する。それを踏まえて、アメラジアンスクールの「ダブルの教育」という教育実践と言説がはらんでいる独自性/汎用性について検討する。そして、エスニシティという概念が、「アメラジアン」という視点で濾過され、「ダブル」という表象をくぐりぬけることで、どのような位相を顕現させていくのかを考察する。