2011 年 4 巻 p. 24-41
日雇労働者の街、釜ヶ崎(大阪市西成区の北東部)では野宿・日雇労働者の間で「仲間」という言葉が日常的に使われている。彼らにとって「仲間」とはどのような関係なのだろうか。
これまで、とりわけ社会福祉の分野では、野宿をよぎなくされた人たちは援助・支援の対象とみなされ、野宿者間の関係はあまり顧みられることがなかった。住む所がなく、家族も仕事もない状況から彼らの「孤立」「孤独」の姿が容易に想像される。先行研究において「集団」がキーワードになったのは、1990年代から増えはじめた東京・新宿のダンボールハウス群においてであった。そして20年を経た今、各地の都市公園などから野宿者のテントや小屋、ダンボールハウスは強制的に撤去され、野宿者の「集住」エリアは見られなくなった。
釜ヶ崎で住む所のない人たちは、もっぱら路上やシェルターで夜を過ごす。こうした非定住型の野宿にあって、人と人とのつながりはどのようにして生まれるのだろうか。野宿者間の関係に着目するのは、それが与えられる支援や援助ではなく、野宿をよぎなくされた人たちがみずから創りだしてきた生きる術であり、抵抗への端緒であろうと考えるからである。
本稿では、まず、先行研究における野宿者間の関係を当時の社会的背景を踏まえて概括する。ついで、釜ヶ崎の野宿生活者/野宿経験者の聞き取り調査をもとに、釜ヶ崎における野宿者間の関係の特徴をとらえる。最後に、釜ヶ崎における「仲間」関係から、いかに〈ともに〉生きるか、排除に抗する関係のあり方を考察する。