抄録
<生命>という概念には生物学的意味以上のものが含まれている。それは一体何だろうか。これを考えるために本稿は、第1に、先端医療技術に親和的な生命倫理学とそれに批判的な「生命の商品化」論の双方で、じつはともに<生命>概念を積極的に定義していないことを指摘する。そのとき<生命>は、消極的にしか定義しえない「余白」としてのみ提示されている。第2に、歴史的文脈に目をむけて、近代医療の背景にデカルト的機械論があるという考えが一面的すぎることを確認する。近代医療は独特の生命観をもっており、生命倫理学はそれを徹底し、かつそこから離脱するかたちで、新しい<生命>概念の条件をつくりだしている。そして第3に、こうした<生命>概念の更新が、ひとつの死を代償として生を入手するという「死と生の交換」の成立によって条件づけられていることを述べる。この交換の媒体として要請されるものが<生命>と考えられる。