2007 年 17 巻 1 号 p. 32-37
ケレーニイが提出した古代ギリシャの二つの生命概念、ビオスとゾーエーに注目しながら、特にそのビオス概念がもつ含意を集中的に掘り下げる。それは自己という概念と相即的に成立し、自伝の対象になるような生の形を表現している。ビオスが自己の活動を内省し始めるとき、それは描写的ではなく評価的になる。極めて一般的な意味において、QOLはビオスの存在様式にとって本質的な重要性を帯びている。人間は、本来脆弱な存在として外界に立ち向かうとき、不快を我慢するのではなく、それを技術的に克服するという手法を採用してきた。その過程でビオスは知識や技術を身にまとい、自己装甲をし続けてきた。現在観察される多様な強化・増進技術の数々も、ビオスの生命的根拠との連続性の中にそれらを位置づけるなら、それらが与える奇矯さの印象は減殺される可能性が高い。本論は、増進の本源性を認知すると同時に、リベラリズムという政治哲学的立場を生命論的根拠で補強する試みとしても形容することができる。