2019 年 28 巻 1 号 p. 22-30
人格概念は、生命医療倫理学における生と死をめぐる議論と結び付けられ、とりわけ胎児といった生命の初期段階にある人間的生命の道徳的地位をめぐる議論において、大きな役割を果たしてきた。ところが、人格であることが何らかの能力ないし性質(自己意識など)を前提とし、人格であることと道徳的地位が結びつけられる結果、人格ではない人間的存在にはいかなる道徳的地位も与えられないという道徳的ジレンマが生じている。人格概念がこうした帰結の原因を担ってしまうため、この概念はそもそも生命医療倫理学の議論にとって有用であるのか、という問いが生じる。
この問いにルートヴィヒ・ジープが肯定的に答え、独自の人格概念を展開するのに対し、ディーター・ビルンバッハーは否定的に答え、人格概念の生命医療倫理学からの全面的な3 3 3 3 放棄を提案する。本稿ではジープの試みが失敗し、ビルンバッハーの提案が部分的に3 3 3 3 誤りであることを、自発的積極的臨死介助の道徳的容認可能性の議論を引き合いに出すことで明らかにする。このことによって、生命医療倫理学における人格概念の有用性を示す。