抄録
この研究では、「人種」をテーマではなく、ディスコースに内在しながら、発話を現実化する「フレイム」としてとらえ、相互行為の社会言語学のアプローチを援用しつつ Obamaのナラティブを分析する。テクストに限定されないマクロなレベルから文脈を分析することで、 Obamaの「語り」を「語り」として成り立たせている「人種のフレイム」を明らかにし、ディスコースが前提としているもの、共有しているもの、その期待の範囲や多様性を顧在化させていく。またナラティブとディスコースが coherence(一貫性)のあるものとして、聞き手に理解されるプロセスに subjectivityという概念を取り人れ、アメリカ社会の中で明示的に、暗示的に前提とされている「人種」をとりまくディスコースのダイナミズムとイデオロギーを明らかにする。