2026 年 8 巻 No.1 号 p. 1-22
人はなぜ、国家へと内向きになり、他者との会話の回路を閉じ、寛容性を失ってしまうのか。それは、私たちが馴染んでいる近代国民国家が資本増殖のアナロジーとしての人間観 、つまり「平等」で国家という「父」への同一化を通して、自己を形成する国民によって構成され、私たち自身が国家への同一化を自らに課しているからである。しかし本来、私たちはそのような自己として存在しているのだろうか。本論では、この自己のあり方を、その固有性を生み出す時間と他者とのかかわりのあり方から導きだし、国家への同一化ではなく、国家を共存と平和への装置として使いこなす個人の立ち上げの仮説的な論理構築を試みる。その仮説とは、「私たちはつねに、あらかじめ、すでに赦しあっている」である。
Why do people turn inward toward the nation, shut down channels of conversation with others, and lose their tolerance? It is because the modern nation-state we are accustomed to is composed of citizens who form their selves through a view of humanity as an analogy for capital accumulation-namely, “equality” and identification with the state as “father” —and because we ourselves impose this identification with the state upon ourselves. But do we truly exist as such selves? This paper attempts to derive the nature of this self from the time that produces its uniqueness and the nature of its relationship with others. It seeks to construct a hypothetical logic for establishing individuals who utilize the nation not through identification, but as a mechanism for coexistence and peace.
一教育学徒の中国経験から人々の寛容を考える—
How Do People Acquire Tolerance Toward Others?: Examining the Logic from an Educator's Experience in China
摘要:人はなぜ、国家へと内向きになり、他者との会話の回路を閉じ、寛容性を失ってしまうのか。それは、私たちが馴染んでいる近代国民国家が資本増殖のアナロジーとしての人間観、つまり「平等」で国家という「父」への同一化を通して、自己を形成する国民によって構成され、私たち自身が国家への同一化を自らに課しているからである。しかし本来、私たちはそのような自己として存在しているのだろうか。本論では、この自己のあり方を、その固有性を生み出す時間と他者とのかかわりのあり方から導きだし、国家への同一化ではなく、国家を共存と平和への装置として使いこなす個人の立ち上げの仮説的な論理構築を試みる。その仮説とは、「私たちはつねに、あらかじめ、すでに赦しあっている」である。
世界は日に日に内向きになっている。こう感じることが多くなってはいないだろうか。私たちが日々接する報道においても、世界各国の人々が排外主義的な傾向を強めているように見える。しかもそれは、権威主義国家が排外主義的だとして、権威主義的な国家の割合が大きいことと重ね合わせて論じられることが多い。事実、2024年現在、いわゆる権威主義的な体制をとっている国は91か国に上り、自由民主主義的な体制をとっている国88か国を凌駕しており、人口比では、実に72パーセントの人々が権威主義的な国に所属しているといわれる1)。
しかし反面で、自由民主主義陣営の代表と目されているアメリカそのものが、強権的な政権の登場によって、権威主義的な傾向を強めており、排外主義的な意識を持つ人々と寛容な立場に立つ人々との間に亀裂が入り、国内の分断が進んでいると指摘される。
このことは、私たちが馴染んできた、というよりも、その中に生まれ、ごく自然に日常生活の前提としている近代国民国家という枠組みが、自由民主主義によって構成されているというよりは、権威主義的な体制とも親和的であることを物語っている。そして、上記のような事態に直面して、人々はどのような立ち位置を選択すべきか戸惑いつつ、いずれの立場に立つ人々も国家の枠組みへと絡め取られ、対話の回路を閉じ、他者への寛容を失い始めているように見える。
このような世界において、私たちはどのような社会を構想し得、どのような自己の在り方を選択すればよいのか。以下、このことを考えるために、筆者が中日教育研究学会2025年研究大会において行った基調講演の内容をとりあげつつ、新たな社会を構想し、自己の在り方を選択するための論理の構築を試みたい。それは、筆者自身の経験を交えつつ、日中そして世界の人々が互いに受け入れあい、認めあうとはどういうことなのか、このことを仮説的に提示することでもある。その仮説とは、私たちはつねに、あらかじめ、すでに赦しあっている、ということである。
近代国民国家が世界システムとして形成されたのは、いまから約380年前のウェストファリア条約(1648年)を契機にして、主権国家による世界体制つまり国家の自立性を認めあい、相互の国内事情に干渉しない国際関係が構築され、国内的には国家を超える社会集団を認めない体制がつくられたことによる。その国家とは、国家アイデンティティを持った国民によって構成され、国民をひとまとまりの構成員として統合する、フィクションとしての政治体制のことである。
この国家においては、「平等」が人々の関心事となるが、それがまた人々の社会への、そしてその社会を基盤とする国家への埋没を導くこととなる。トクヴィルがいうように、「境遇がより平等になり、人間一人一人が他のすべての人と似通ったものとなり、誰もが力を弱め、一層ちっぽけになるにつれ、人は市民を思い浮かべず、ただ人民だけを考察することになれてしまう2)」のであり、「平等は人を同胞市民の一人一人から独立させるが、その同じ平等が人間を孤立させ、最大多数の力に対して無防備にする3)」のである。
しかも、この「平等」への競争は、「欲するだけの平等にはついに到達し得まい。それは日ごとに目の前を遠ざかり、しかし決して視界の外に消えず、後退しながら、さらに人を引きつけて、後を追わせる4)」のである。
このありようは、資本制社会の姿と重なりあう。この社会では、「平等」が前提となることで「平等」が目的化し、「平等」への欲望が「無限の完成可能性」として競争をあおり立て、その欲望を駆動力として資本が増殖運動を永遠化していく。そこでは個人は一人ひとり固有の存在ではなく、抽象概念としての均質な個体、つまり人間一般であり、ある種の全体すなわち「国民」である。
ここに、社会技術としての近代社会科学が成立する。それは、個人を抽象的な個体つまりマスである「国民」として扱い、その均質な個体が構成する社会を対象として、管理と保護によって、社会の増殖、つまり身体の再生産=生殖と労働力の再生産=扶養を、性的欲望の装置=家族を通して接合し、拡大再生産へと導くものとして作動する5)。フーコーがいうように、性的欲望の装置は「外部では、医師、教育者、後には精神病医に支えを見出だし、内部では、婚姻の関係を裏打ち」しているのである6)。
こうして、フロイトのいうような自我形成と資本増殖、さらには社会の増殖とのアナロジーの重なりが生まれる。フロイトはいう。「父親と・・・・・・同一化することと、父親を対象として選択することとの違いは、・・・・・・前者においては、父親は、人がそうありたい存在であり、後者では、人がそれをもちたい存在なのだ7)」。この社会では、自立とは「父親」への同一化を通して、権威者へと同一化することであり、国家へと自己を同一化すること、つまり「国民」としてのアイデンティティを確立することである。
このような社会に定礎される国家は、つねに増殖つまり拡張し続けざるを得ない。しかもそれは、資本の自己増殖という運動に駆動される国家であるため、国家そのものの拡張つまり対外的な戦争、そして国内的な競争の激化による階層分化・格差の拡大、剰余価値生産の昂進による搾取の激化と労働者の窮乏化、それが引き起こす階級対立・革命運動、さらに経済の周期的な恐慌(いわゆる「命がけの飛躍」[マルクス]の失敗)による「国民」の貧困化・窮乏化と生活破綻などの危機を招かざるを得ない。
この近代国民国家の枠組みが東アジア諸国に押しつけられたのが、西欧列強の拡張主義によって、重商主義時代以降とくに19世紀半ばに繰り広げられた植民地争奪戦によってであり、それは社会の増殖運動がもたらす国内的な危機を対外的な侵出によって弥縫しつつ、国内の権威主義的な体制を強化する施策であった。アジア諸国にとっては、国民国家の持つ自由民主主義という価値は、権威主義的な圧力がかけられ、受け入れを強要された、つまり植民地化を通してもたらされた価値であり、国民国家とはその具現態としての体制であったといえる。
このことは、いいかえれば、自由民主主義と権威主義とは、既述のトクヴィルのいう意味での「平等」への競争によって「人民」へと自己を同一化させて、多数の中に埋没する個人やフロイトのいう「父」つまり権威主義への同一化によって自己と国家を同値する個人の在り方と重なりつつ、ともに人々の国家という権威への同一化の表裏を語っているに過ぎないということ、さらにいえば、自由民主主義とは自発的な同一化が促される体制、権威主義とは同一化を強要される体制に過ぎず、そこでは個人は国家という権威への同一化を果たすことによって、自己を国家と同値し、つねに国家へと閉じる傾向を持つことを意味している。そして、この国家という「父」への同一化は、その国家が家族という性的欲望の装置をもって、国民を管理しようとすることによって、各個人の日常生活の処世術と重なりつつ、その価値観を「平等」へと収斂させることとなる。
この「平等」であるがゆえに「平等」を求めて競争する、「平等」への「自由」の欲望を組織した社会が近代資本制社会であり、それは個人の間の競争が自己抑圧として作用する社会でもある。その時、個人はいわゆる抽象的人間つまり個体であり、集団的概念としての国民すなわち人口であることによって、常に他者と比較可能であり、かつ交換可能な存在として措かれ、しかもそれがフーコーのいう「性的欲望」の抑圧装置である家族を通して再生産され、増殖することとなる。
この過程に社会科学とくに教育学が深くかかわっている。それは、「父」への同一化を果たそうとする「平等」で「均質」な自己である近代的自我を持った国民を育成することを目的とした国家の学問であり、その人間観は単一方向に流れる単線型の時間に沿って発達する存在、すなわち「父」への自発的同一化を促される「主体」である。
自我とは何かを時間の生成とのかかわりにおいて問うた大森荘蔵は、私たちそれぞれが日常生活を送る上で持つ時間感覚を「原生時間」と呼び、さらに私たちが日頃「時間」と呼んでいる時計で計測できる普遍的な時間を「リニア時間」(線型時間、つまり過去から現在、未来へと一直線に連続する時間)と呼ぶ8)。
なぜ「原生時間」がリニア時間へと「変造9)」されることとなったのか。大森は、それは原生時間が連続的だからだという。この連続的であることを、大森は「原生的(時間)秩序」と呼び10)、この原生的時間順序がリニア時間の「点時刻の前後と同時[という今—引用者]」に読み換えられてしまうことの要因に、いわば「主体」による知覚を措こうとする。大森はいう。「原生概念の中に点時刻概念の原型を探索してゆくとき、われわれの世界概念の始原に遭遇する。その遭遇する地点は世界という概念と自我の概念が一対の組となって発生する地点である。11)」
この地点において、「「世界」、「自我」、「今」という三つの基本概念がひと揃えになって発生する場所」が「今という瞬間」として導かれ12)、その前後が連続しているととらえられることで、「今」を規準に、過去と未来が生み出され、それが連続ととらえられ、リニア時間となるという13)。その「今という瞬間」に在ると感受される自己が「主体」なのだというのである。
この「主体」とは、近代資本制社会において形成される社会科学によって産出された人間観、つまり普遍的な個体のあり方であり、リニア時間も、個体であるすべての人々に適用される普遍的な、つまり均質でどの一点の点時刻を取っても同じである時間の流れなのである。大森はいう。「われわれはリニア時間の中で生きてきたので、それがいわば人間の生得の時間であるように感じている。14)」
この時間観念はまた、世界のあらゆる存在の固有の価値を価値一般へと還元して、それを量化することで均質な時空間、つまり無内容な時空間へと組み換えてしまう近代資本制社会における時間観念であり、さらに人間を資本増殖のアナロジーとして語る、つまり人間の成長・発達を一方向に流れるリニア時間の軸における量的な拡大としてとらえる人間観15)と重なっているものである。その上、それは、近代社会におけるアイデンティティの一貫性という特徴と相通じている。「「認識主観」と呼ばれる心理動作の主体はわれわれが熟知するあの動作主体としての「私」と同一でありその「私」に他ならない、と結論できる16)」のである。
教育学はこのような近代資本制社会の主体形成の学問として、「父」への同一化を促しつつ、人を国民化し、主体化する操作主義的な科学として成立し、その枠組みの中では、人は資本増殖のアナロジーとして発達する自我を持った主体的な存在であることとなる。この自我を持った個体を扱いつつ、その過去からの形成の在り方を問うのが心理学であり、それはこのリニア時間の概念を用いつつ、過去を参照する再帰的な自己統合の論理を採用することとなる。
この再帰的自己参照による自己認識の在り方は、心理学などで採用されている手法としてのナラティヴ・アプローチと深くかかわっている17)。ナラティブ・アプローチでは一般的に、語り手と聞き手とが截然と分けられ、聞き手が語り手を対象化し、いわば観察するかのような立場にある、つまり聞き手が主導しつつ、聞き手が語り手の語りを構成する形式をとっているが、それは語り手に再帰的自己であることを強要する、または聞き手が語り手の中にその自己を見出そうとすることと同じである。それゆえに、このような自己は、即自的な閉じられた存在として、孤立することとなる。
この再帰的な自己参照が一貫した自己の同一性の根拠であり、その自己である個人が構成する共同体は、閉じられたものでありつつ、普遍性を成員に強要する、つまり再帰的自己参照による自己の同一性の確保とアイデンティティの統合を導くこととなる。
しかも、このアプローチは自己表出として「過去」を語ることを語り手に強要するように、私たちが自己を語ることにおける時間のありよう、すなわち自己の時間性を問うこと、つまり自己意識がどのような時間制、すなわち自己に課した時間の在り方においてもたらされているのかという課題と結びついている。
私たちが自らの経験を語るそのとき、そこに訪れているのは、たとえば再帰的な自己言及である。語られるのは経験という過去の出来事であり、経験を肯定し、反省し、悔い、また教訓とする、そのいずれをも問わず、私たちが言葉で「過去」を自ら語る時、それは、現在の私が「過去」を語り、その過去の経験を語ることつまり過去の経験を〈いま・ここ〉で経験し、言語化することで、現在の私を意識するという、再帰的な自己認識へと入らざるを得ず、それは現在の言葉が言及できる限りにおいて、「過去」を現在において言及し、つまり「過去」の経験の経験を言語化し、その言語化された過去の経験の経験から現在を言及し返すという、閉塞した、自己肯定さらには自己同定でしかあり得ない。それは、つまり、現在において評価された過去の経験によって現在を肯定し返すという、予め規定された閉じられた自己参照でしかない。そして、その経験とは事実ではなく、言語によって意識化された自己そのものである。
この議論はそのまま、再帰的に自己の統合を図ることで自我の一貫性を保とうとする近代資本制社会の人間観と通底している。私たちはつねに現在起点の過去の経験を過去の事実として語ることしかできず、過去は現在にとっての必然とならざるを得ず、時間はリニア時間とならざるを得ないのである。
この閉塞した自己参照に陥った自己認識は、他者への寛容を自らのものとすることはできない。自分の現在を肯定すべき単一の過去へのまなざし、すなわち歴史観を他者に強要することで、自らの存在を担保しようとする情念を抱くことができるのみである。それはまた、過去に呪縛され続けること、そしてその呪縛されている現在の自分を他者によって肯定され続けることを求めることしかできないことを示している。他者の持つ自己のものとは異なる歴史観を認めることはできず、硬直した、単一の歴史観にもとづいて、自らの存在を肯定することを他者に求めることができるのみなのである。
このことは、近代資本制社会の人間観に支配される国家においては、それが自由民主主義的な体制をとっていると権威主義的な体制をとっているとにかかわらず、そこで国民として育成される人々の歴史観は、その国家の単一の歴史観と深く切り結んで形成され、それ以外の歴史観を容認することが困難になること、むしろ近代国民国家とはこのような歴史観の物語によって構成され、それを国民である人々が受け入れ、つまり同一化し、そこに自己認識すなわち自我の根拠を措くことで形成される国家であることを示している。
この国家はまた、「平等」な国民が他者との比較の中で、より「平等」であることを求めて競争する、「父」への同一化を求めて一つの価値観へと収斂する国家であり、この枠組みにおいては、人々は国家を規準の枠組みとして自己と他者を分け、排外主義的な傾向を強めるだけでなく、同じ国内においても、国家つまり権威的な「父」への同一化の度合いによって、自他を分け、自己を他者に対して優位に措こうとする傾向を強めることで、対立し、孤立の度合いを深めていくこととなる。これが、世界が内向きになっているように見えることの理由である。
しかし私たちは本当に、このような国家という「父」への同一化を深め、他者に対して不寛容な存在として、日々、生活しているのであろうか。私たちは、そのような国民である以前に、ひとりの人として、いわば国家をつくり、他者とともに生きようとする存在であることで、国家を超えた存在として、他者とともにあろうと受け入れあって生きているのではないのか。いいかえれば、国家という「父」に同一化する以前に、私たちは存在していなかったのか、なぜ国家という枠組みをつくり、そこで生きようとしているのか、このことが改めて問われる必要があるのではないだろうか。それはさらにいえば、私たちは自己の中に他者を認め、他者の中に自己を認めることで、社会をつくり、それを安定的に運用するために国家という枠組みをつくりだしたのではないか、そのための基盤とは一体どういうものであるのか、を問う必要があるのではないかということである。それはまた、社会契約のあり方をどう受け止めるのかという議論と結びついている。
このことは、社会契約のあり方を、ホッブズやロックのように超越権力と個体である個人との個別契約の統合されたものとしてとらえるのか、それともルソーのように個人間相互のむすびつきを生み出す一般意志による、いわば共通善の実現のために結ばれた、そうせざるを得ないものとしての契約ととらえるのかの違いが迫り出してきていることでもあるといってよい。
前者は、自然状態を万人の万人に対する闘争状態と見なし、それぞれの所有権の保全のために、超越権力を措き、その権力との個別の契約を結ぶことで、個体は超越権力との間で抑圧=保全の関係を形成する、つまり超越権力による保護と抑圧の分配を受けることとなるという考え方である。それを敷衍すれば、公権力にサービスの分配を要求する権利を人民が持つこととなる。
それに対して後者は、自然状態を個人が他者に関心をもたず自足している状態だと見做し、万人が相互にいがみあうのは社会を形成して、相互に比較し、序列化によって嫉妬が生まれることによるととらえ、しかしその嫉妬が生まれるのは、人々が相互に他者と対等であると自己を見做しつつ、比較するからであり、そのあり方の中に、他者への関心が密やかに滑り込んでいて、それが他者への憐憫の情、つまり私たちが他者の悲しみや苦しみを我が身に引き寄せてとらえることができる力をもっていることを見出すことができ、一般意志の成立が可能となると見ている。社会契約とは、このように人々が相互に見ず知らずであっても、この一般意志によって他者の悲しみや苦しみを我が事とすること、つまり社会を我が事とする自己を生み出すことで、人々が相互にその所有の自由を保全しあうこととなることをいう。
これを人間の自己認識のあり方としてとらえると、前者は対他性なき対自性または即自性、後者は対他的対自性と呼ぶべきものだといえる。
これをルソーは次のように述べている。「或る種の状況において、人間の自尊心のはげしさをやわらげ、あるいはこの自尊心の発生以前では自己保存の欲求をやわらげるために、人間に与えられた原理・・・・・・、それによって人間は同胞の苦しむのを見ることを嫌う生得の感情から、自己の幸福に対する熱情を緩和する。・・・・・・筆者は憐れみの情のことをいっている18)」。「あわれみが一つの自然的感情であることは確実であり、それは各個人における自己愛の活動を調整し、種全体の相互保存に協力する。19)」
この「憐れみの情」「あわれみ」が、ルソーのいう社会契約の基盤である一般意志の根拠となるが、その一般意志が人々を結びつけることで新たな社会、つまり主権者によって構成される政治体である国家がつくられることになり、そこでは人々は即自性を脱して、対他的対自性を獲得することになる、ルソーは、こういっているのだといえる。いいかえれば、一般意志とは対他性なき対自性つまり即自性を抜けだして、対他性にもとづく対自性を獲得している集合的存在としての人間が持つ性質であることになる。
一般意志とは、この意味で人が他者に対して「憐れみの情」や「あわれみ」を抱くことができる、つまり他者の悲しみや苦しみを我が事として引き受けることができる、すなわちcompassionをその存在の基本としていること、そして人が社会を構成しているのは、このcompassionを基盤として、それぞれが他者を我が事としている、つまり他者の生を自らの生として生き、かつ自らの生に他者の生が息づいていることを見出す、そういういわば「社会我20)」とでも呼ぶべき存在のあり方を獲得しているということを意味している。それはまた、共生という観念についても、ともに生きるだけでなく、むしろより大きな生を共にしている、自己が大きな生命の一部でありながら、自己の生をより大きな生命が生きているという感覚を共にしつつ、社会を構成している集合的存在としての自己、つまりいわば〈関係態〉としての存在の在り方を、社会を構成することを通して実現しているのだということでもある。
自然権である所有権を争う分配の社会ではなく、むしろ自然法としての所有を、生を共にするという〈関係態〉としての人間のあり方として、相互に保障しあう政治体つまり国家のあり方が、ここにとらえられるのであり、しかもそれは人々が具体的な自らの生をともにする日常生活の場において、より実感をともなってとらえられることとなる。
この〈関係態〉としての個人の在り方を、近代国民国家において国家という大きな「父」への同一化を果たした個人が、相互に「平等」への競争を繰り広げることで、排外主義的になり、かつ孤立して、さらに自己防衛的に内向化してしまうことを、国家という枠組みを措きながら、回避しつつ、新たな相互理解と受容のあり方へとどう組み換えることができるのか、という本論の課題へと結びつけつつ、とらえるために、筆者の留学時代の経験をお話ししたい。
すでに40年前の話になるが、筆者は1985年から87年まで中国の南京大学大学院に留学した。筆者の指導教員は、外国人に中国語を教える専門家であった南京大学教授のX先生と筆者が研究対象としていた中国の教育家の教え子であった、X先生の夫で南京師範大学教授のS先生であった。留学して後、知ったことだが、筆者を受け入れるにあたって、お二人の間でかなりの議論があったという。
X先生は受け入れに積極的であり、S先生は受け入れに反対であった。理由はどちらも、筆者が日本人であったからである。
このことはお二人の生い立ちにかかわりがある。X先生は、中華民国国民党政府の官僚の娘で、日本軍の中国侵略当時、南京に住んでいて、ミッション系の学校に通っていた。日本軍が首都南京を攻め落とした当時、このミッション系女学校の生徒だった。「日本軍が南京に入城したとき、市民はみんな日の丸を振って歓迎したのよ」と驚くようなことを平気でいう先生だった。どうして、と怪訝そうな顔をする筆者に、「だって、その時の首都防衛軍の国民党軍はめちゃくちゃな軍隊で、略奪から強姦、いわれのない殺人、とやりたい放題だったの。それで、規律正しいと宣伝されていた日本軍がやってくることで、南京の秩序が回復して、みんなの生活が安定すると思ったのよ。これが民衆というものよ。でもね、その後、日本軍は国民党軍みたいだったの。それで、民衆は反発して、それに対して、大虐殺事件が起こった。これが南京大虐殺。これで一気に日本軍は民心を失った。」と話してくれた。
では、なぜ、X先生は筆者が日本人だからという理由で、受け入れようとしてくれたのか。それは、日本占領下の彼女の経験による。日本の占領によって、アメリカ系ミッションスクールも日本に接収され、日本人の宣教師を中心とした日本人教師が教鞭を執ったという。この教師たちは子ども思いで、X先生にも思い出深い記憶を残してくれている。X先生ご自身も、片言の日本語が使える。
ある深夜、X先生の弟が急病になり、高熱に身体を引きつらせた。ご両親は心配して、中国人の経営する病院に連れて行ったが、どこも深夜ということで診察を拒否された。途方に暮れたX先生は、ふと思いついて、自分の学校の担任の先生のところに駆け込んで事情を話した。すると、担任はそれは大変だといって、自宅まで駆けつけてくれて、弟を背負って、日本人の経営する病院に担ぎ込んだ。すぐに医師と看護婦が出てきて、診察、手術が必要だとのことで、明け方に手術が始まり、成功。弟は一命を取り留めた。X先生は、この日本人の教師と、日本人医師、看護婦の、国籍を問わない、どんな人間でも弱い者、困っている者、病に苦しんでいる者には分け隔てなく接するという態度に、打ちのめされたという。
X先生も、日本軍の暴行を目にしている。しかし、この弟を救ってくれた日本人の姿も目に焼き付いていて、筆者が留学した当時、すでに50年近く経っているのにもかかわらず、鮮明に思い出すことができるという。「だから、私は戦争を憎んでいるし、その戦争を起こした指導者を憎んでいる。でも、日本人を憎む理由は何もない。中国人もたくさん殺されて、ひどく苦しんだけれど、日本人もたくさん死んで、ひどく苦しんだ。南京で国民党軍と同じように振る舞わなければならなかった日本兵たちだって、普通の日本人でしょ。それがあんなになってしまうのは、きちんと補給がなかったからよ。中国人であろうが、日本人であろうが、戦争なんて嫌だったはず。そんななかで、日本のお医者さんたちは中国人の私の弟を助けてくれた。だから、私は、あなたを受け入れようと思った。恩返しとかそんなことではない。普通の中国人として、中国に留学したいという日本人がいることをうれしく思うからなの。」
S先生はどうであろうか。実は、S先生は筆者が研究対象としていた教育家が設けた戦争孤児学校の生徒で、その後、共産党軍に拾われて、各地を転戦して、日本の敗戦と中華人民共和国の成立を軍隊のなかで迎えている。S先生が孤児学校にあずけられていたのは、彼の両親が日本兵に殺されているからである。だから、S先生は、X先生がどう説得しようと、日本人を許したくないし、自分のところに、いくら自分の恩師のことを研究したいからといっても、日本人留学生が来ることなど、受け入れられるはずもなかった。
それで、筆者が留学希望を伝えて後、お二人の間で、かなり厳しい議論や時には口論までもがあったという。
結果的に、X先生が牧野は南京大学に留学する学生なのだから、私の責任で受け入れると宣言して、筆者を受け入れてくださった。しかし、留学した当初、S先生はかたくなで、筆者はどうしてよいのかわからない日々が続いた。
そうこうしているうちに、お二人の周囲の人々とも顔見知りになるにつれて、お二人のことがよくわかるようになってきた。そして、次のような事実を知ったとき、ショックに近い驚きを覚えたことを今でもはっきりと覚えている。
文化大革命で、紅衛兵が知識人批判を繰り広げていたとき、ご夫妻にも批判の矢が飛んできた。X先生は日本統治下の南京で生活しており、しかも国民党の官僚の娘であったため、とくに風当たりが強かった。それでも、X先生は抗日戦争直後(つまり新中国成立以前)に中国共産党に入党した古参幹部であり、直接批判するのは無理と思われた。しかも、夫であるS先生は身分的には貧農の出身で、両親を日本兵に殺されており、さらに戦前から革命軍に参加していた老幹部でもあったため、お二人を批判することは困難であった。そこで、紅衛兵が求めたのは、X先生が暮らした南京で日本軍がいかに残虐であったか、日本人がいかに中国人を虐げていたかを語らせると共に、自分はその日本人の学校で教育を受けました、恥ずかしいことだと思います、と自己批判することであった。そうすれば、罪を悔い改めた者として、免罪してやるといわれたのだった。
しかし、ご夫妻がとった行動は、紅衛兵の要求とはまったく逆のものだった。日本人を批判することを拒否したのだ。その理由は、国民党軍もひどかったし、日本軍もひどいことをしたが、中国人が助けてくれなかった弟を、日本人が助けてくれた。これは、日本人が悪人で、中国人が善人だとか、自分たちだけが被害者だということではない。戦争を引き起こした日本の指導者を批判するのはよいが、日本人を批判することはできない、というものであった。
X先生がこういうと、S先生も同調して、さらに紅衛兵たちにこういい放ったのだという。「君たちこそ、革命ごっこをやっていい気になっているが、命を賭けて戦った戦争で、国に勝ち負けはあっても、民衆に勝ち負けはない。日本人を悪くいうことで一体何が得られるのか。いい加減にお遊びはやめなさい。」
この結果、どうなったか。お二人は革命を妨害した資本主義のスパイという罪を着せられて、貧困地帯に、別々に送り込まれ、そこで、10年間監視つきの重労働に従事させられることになったという。その間、3人いた子どもたちは、南京の自宅に軟禁状態であった。
この話を聴いて、筆者にはわけがわからなくなった。X先生は、日本人を形だけでも批判して、自分も悔い改めていますといいさえすれば、それで無罪放免だったはずなのに、なぜ命の危険を冒してまで、日本人を批判することを拒否したのか。S先生は、日本人を憎んでいるはずで、なのに、どうして日本人を批判しなかったのか。
この話を人から耳にして後、随分経ってから、S先生にこのように質問したことがある。すると、次のような答が返ってきた。
「私はお前が憎いわけではないのだよ。日本人が憎いわけではないのだ。でも、どうしても、両親を殺された、そして自分も苦しい目にあったという気持ちを整理できないままでいた。Xがいうこともよくわかる。でも、私には私の事情がある。私は自分の気持ちを整理できないままお前を受け入れることは、できないと感じていた。でも、Xはだからこそ受け入れるべきだといって譲らない。」
「紅衛兵のいっていることはまったくめちゃくちゃだった。戦争だったのだよ。戦争は、民衆が戦ったが、それは民衆の意思ではなかった。勝った負けたというのは、国と国との間の話だ。民衆はみんな犠牲者なのだよ。人を殺してうれしい者がいるかい。親を殺されてうれしい者がいるかい。だから、私は戦争を体験していない若造が、軽々に戦争の話をして、死んだ人々の魂を愚弄するようなことは許せなかった。それだけの話だ。日本人をかばおうとしたわけではない。しかし、日本人を罵ろうと思ったわけでもない。そういうことだ。」
そして、2年間お世話になって帰国しようとする頃、S先生はこういってくれた。「牧野、お前を受け入れてよかったよ。」
うれしかった。筆者にはこの一言で十分だった。
S先生は何を語ったのか。精神病理学者・木村敏の議論を援用する。木村は精神病者をその時間制(いわゆる時間ではなく、それぞれが持っている自己に課した時間のあり方)において分析することで、ポスト・フェストゥムとアンテ・フェストゥムという概念を提示する21)。
ポスト・フェストゥムとは、「祭りのあと」または「あとの祭り」という感覚、つまりやっちまった感に囚われてしまって、取り返しのつかない自分を抱えて、その自己に没入している、完了態を生きようとする「うつ病者」の状態である22)。また、アンテ・フェストゥムとは、「祭のまえ」または「前夜祭的23)」、つまりいまだやってこないのに、何かがやってきてしまっているという、時間先取り的になり、落ち着かない自分を抱えて、自我統合が困難になっている「分裂病者」の状態をいう24)。大森のいう「原生時間」を借りていえば、木村のいう精神病理を抱えた患者は、リニア時間が生んだ病理に苛まれる存在でありながら、そのリニア時間から自己の原生時間が浸み出ることで、それぞれの病理を生きる自我を立ち上げようとしているのだといえそうである。
これを、木村は「「自己自身との内的差異」としての自己」であるといい、その内的差異とは「自己と自己とのあいだ」であるとして25)、その〈あいだ〉を時間ととらえようとする26)。木村は続ける。「人間存在の本質は、現在の時点における対他者・対世界関係につきるものでは決してない。人間が人間であるということ、自己が自己自身でありうるということは、人間が歴史的存在であり、自己が時間的存在であることを根拠にしてはじめて可能になる。27)」
木村がいう自己とは、時間つまり既に在る(「あってきた」)自己(既在)と未だ在らざる(「ある」ことを課せられた)自己(未在)との〈あいだ〉にあるもの(現れて在らしめられる)自己(現在)であり、アンテ・フェストゥムとは、既在が未在を現在へと召喚するに至らず、未在の到来の困難性に囚われとなった自己であり、ポスト・フェストゥムとは、未在が既在を召喚できず、むしろ未在までもが意識化された既在つまり過去形の過去に浸食されて、過去に囚われとなってしまった自己を示している28)。
木村はハイデガーの議論を参照しつつ、自己に関する精神病理学の現象学的議論を展開するが、その基本的観点は、ハイデガーのいう「現存在」、つまり世界に被投、すなわち投げ込まれてある私たち自身の存在のありようである。木村はハイデガーを引いて、次のように述べている。「現存在がそもそもこの世に存在するのは、けっして現存在自身の手によってもたらされたことではない。29)」
木村のいう精神病者は、世界に投げ込まれている現存在が、それがゆえに本来であれば、世界と自己との間に違和感を感じ、他者を定立することで、他者と自己を同時に生成しつつ、それを対他的対自の関係へと組み換えることで、自己を認識して自我を持つという「自己実現」の姿が失われている事態、すなわち自己との〈あいだ〉が失われ、対他性を通した対自性へと自己を生成することができなくなっている個体の時間的なありようを示しているものだといえる。このことはいいかえれば、既在が未在に呼びかけたまま、未在が既在を召還しないで、未決状態にぶら下げられているか、既在が未在に呼びかけることで、既在が未在を支配してしまって、既在へと展開しない閉塞感に囚われている、それぞれの自己の在りようだともいえる。
このことはまた、時間が〈あいだ〉によって生み出されるもの、つまり個別化の原理としての自己が自己自身との内的差異としての自己であるように、自己との〈あいだ〉が、未来への先駆つまり未だ在らざる自己(未在)と完了態の自己つまり既に在ってきた自己(既在)とを一対として立ち上げている「現れて在る」現在でもあること、いいかえれば、未だ在らざる未来への先駆である未在が既に在ってきた完了態の既在を召還して現れて在る状態、すなわち〈あいだ〉つまり自己であること、そして時間とは自己つまり〈あいだ〉、すなわち在ることを課せられた自己が、在ってきた自己を召還して、自己として現れて在る場所であることを意味している。時間とは、自己を他者と分かつ絶対的な固有性なのである。
そしてそうであれば、この自己において、次のような時間の在り方が課題化されてくることとなる。木村はいう。「回想・・・・・・が時間の自然な順序を反転する。結末を発端の中に読み、発端を結末の中に読むことによって、われわれは時間そのものを逆に読むことができる。こうしてプロットが人間の行為を、時間の中だけでなく記憶・・・・・・の中にも位置づける。発端から結末へと流れる時間とは逆向きの、もう一つの時間の順序に従って、記憶が出来事の流れを反復する。30)」
ここにおいて、時間は大森のいう意味でのリニア時間ではなくなり、行為は因果の帰納的な流れから演繹的な流れへと反転し、かつ記憶が出来事を反復することとなる。ここではすでに出来事は、大森がいうような「「かつて」の知覚・行動の現在経験31)」となっている。これを木村は次のようにいう。「過去の出来事が現在反芻され反復されるとすれば、それはすでに現在の出来事であって過去ではない。32)」それは、現在という自己に起きている出来事である。そこでは出来事は、過去として知覚されつつ、過去の知覚が反芻され、反復される、つまり過去の知覚が知覚されることとして、自己に固有の時間性をもたらしている。
それゆえに、木村は次のように続ける。「記憶は過去から現在に伸びてきているのではなく、現在そのものの「直下」にあって、現在を歴史的現在として——そしてそれと等根源的に過去を歴史的過去として、さらには未来を歴史的未来として——構成している根拠だ・・・・・・。」「人生をひとつの(刻々に書き換えられる)物語と見るならば、この意味での記憶は・・・・・・物語のプロットにあたるだろう。」「プロットは、物語の根底にあって、そこに生起するすべての出来事をその物語の必然的なエピソードとしてまとめあげ、物語に単一性と個別性を与える「コンフィギュレーション」の担い手となる。33)」
つまり、記憶とは、現在において、未だ在らざる自己が事後的に既に在ってきた自己を必然として意味づける、つまり未だ在らざる自己が既に在ってきた自己を召還して現れて在らしめる自己に固有の営み、つまりプロットであることとなる。そしてこのプロットが、自己の自己性すなわち物語の設定(コンフィギュレーション)を与えることで、物語は固有の時間性を生きることとなる。過去を語るとは、現在において過去の経験を語っている自己を語っているのであって、過去そのものを語ることは不可能なのである。
つまり、自己とは、世界に被投であり、そこに他者つまり絶対的他者を見いだすことによって、同時に自己を生成する、その「既に在ってきた」自己の呼びかけに応えて「未だ在らざる」自己が「既に在ってきた」自己を召還する、すなわち「生の歴史/物語」を産出することで、現在の自己を立ち上げるその場所であり、それはまたつねに現在の自己そのものが「未だ在らざる」自己と「既に在ってきた」自己を生み出して、〈あいだ〉を生成し続けることで、新たな「未だ在らざる」自己と「既に在ってきた」自己を潜勢的につくりだし続けて、つねに、すでに、そしてそのつど、つまり現在においてそれを現勢的に意味づけ、価値づけて、自己として立ち上げる、すなわち個別化の原理としての固有の自己が生成される、そういう時間性が生まれる場所でもあるのである。
この自己との〈あいだ〉が自己であることによって、その「既に在ってきた」ことと「未だ在らざる」こととが時間を生み出し、過去と未来とを〈あいだ〉において生成することとなる、つまり自己が時間の場となるのである。時間とは自己に固有の存在の在り方なのだといえる。
このように見ていくと、自己という存在の様態は、すでに、つねに、そのつど、〈いま・ここ〉において既在(〈あらかじめ〉)が呼びかけた未在(〈いまだ〉なる〈あらかじめ〉)によって召還される既在(〈あらかじめ〉なる〈いまだ〉)が〈いま・ここ〉に現れて在らしめられる、つまり現在化するものとしてあり、それは、自己の他者としての、つまり「差異」としての自己を生み出し、認識することで自己が生まれ出ることであることとなる。そこでは、いわば〈わたしたち〉が生み出されるのであり、〈わたしたち〉を生きる〈わたし〉が構成され、かつ〈わたし〉を生きる〈わたしたち〉が生み出され、〈わたし〉は、世界つまり他者を組み込んだ〈わたしたち〉である〈わたし〉である〈わたしたち〉として生成され続ける現存在の在り方であることになる。〈わたし〉という自己は、既在に呼びかけられた未在によって既在が〈いま・ここ〉において召還されて現在となるその在り方であり、かつ世界に被投で在り、自己の固有性を生成する、既在・未在・現在が時空間を構成するその〈関係〉の在り方、すなわち〈関係態〉としてある〈わたしたち〉なのだといえる。
自己とはつまり、未在と既在が共振しつつ現在として現れて在る時空間の在り方、すなわち〈関係態〉なのである。
ここまでの議論をもとに、本論の課題を考えれば、私たちという存在の内部にあるのは、自己の存在論的差異、つまり〈いまだ〉なる〈あらかじめ〉、すなわち既在が呼びかけ、既在を召還することで現在化しようとする未在であることとなる。それはまた、普遍の生が生きる場でありつつ、それを除くことで立ち現れる個別の生であり、木村敏の言葉を借りれば、have been myselfでありつつ、have to be myselfとして意識化される自己の存在様態であり34)、意識化される以前の〈わたし〉であることとなる。私は〈あらかじめ〉、そして〈すでに〉、そのつど、〈つねに〉に、〈わたし〉であるのである。
おわりに
S先生は、一体何を語ろうとしていたのか。X先生は一体何を語ったのか。筆者は、最後の一言で、次のように感じた。S先生はX先生を選び、日本兵に殺されたご両親の魂を、自分が整理をつけないままにして放置しておくのではなく、きちんと自分の過去に位置づけることができたのだと。
それは、S先生の次のような自己認識に結びついている。S先生は、日本兵に殺されたご両親を自分の過去に位置づけること、つまり過去の経験を〈いま・ここ〉で語ることで、不本意にも中国戦線に送られ、不本意にも中国人を殺さざるを得なかった日本兵と日本の民衆を救済し、彼らをX先生の弟を救った日本人医師や看護婦につなげ、そうすることでX先生の存在そのものを救おうとした。文革でX先生が守ろうとしたのは、人間としての尊厳だった。嘘をつけばその場を逃れられたのに、それをしなかった自分の妻を、S先生はうれしかったのではないか。そこに人間として生きていることの尊厳を感じ取ったのではないか。だから、S先生も紅衛兵をたしなめ、戦争ごっこ、革命ごっこをして、死んだ人々を愚弄するのではないと叱りつけたのではないか。そして、最後に筆者を受け入れた。そうすることで、S先生は長年両親の死を整理できず、理不尽な境遇を整理できなかった自分の魂を救い、さらに、筆者という日本から来た戦争を知らない世代を、戦争に巻き込んでしまったことに対して、筆者の存在と魂を救済してくれたのではないか。だからこそ、筆者には最後の一言で十分であった。筆者自身も救われ、解放された気がしたのである。
S先生は、「〈あらかじめ〉、そして〈すでに〉、そのつど、〈つねに〉に、〈わたし〉である」自身によって、自分自身を救済し、過去に囚われとなり、未来へと開かれることのなかった自分自身を、他者とともに現われて在らしめたのであり、その在り方は〈わたしたち〉である〈わたし〉の存在そのものを体現しているのではないだろうか。
私たちは世界に被投であることで、自己との〈あいだ〉をつくりだし、その〈あいだ〉において既在(〈すでに〉)が未在(〈いまだ〉なる〈あらかじめ〉)に呼びかけて、既在(〈あらかじめ〉なる〈いまだ〉)を召還して、現れて在らしめ(現在)ている。しかし、この時間性がリニア時間へと組み換えられることで、資本制社会における資本増殖のアナロジーとしての自己の在り方を強制され、大きな「父」である国家に同一化して、アイデンティティを形成することで、自己中心的な時間つまり排外主義的な歴史観を持つこととなっている。これに対して、S先生が語った筆者を受け入れる「ことば」は、この「父」への同一化から自己を取り戻し、自己自身の歴史、つまり時間性を自己へと課す、すなわち固有の「時間制」を生きようとする固有の姿であったといってよいのではないだろうか。
私たちが自己のありようをこのようにとらえることで、私たちは、人間が発明した近代国民国家という仕組みは、暴力の普遍化を防ぐという本質を持っていたこと、そしてそのための基礎は、生産と交換・流通そして消費の普遍化であって、資本主義とはそれをもっとも効率的に行うに優れた仕組みであるということ、それはつまり、自由とは天賦のものではなくて、生産・交換・消費という人間関係の普遍化において、相互に承認しあうことで可能となる、生成するものであることを示していること、このことを使いこなしながら、国家という枠組みを前提としつつ、他者への寛容を自分のものにすることができるのではないだろうか。
人はつねに、あらかじめ、すでに赦しあっている、のである。