深い学びの実現には教える側と教わる側とに前提となる共通の感覚が必要ですね。とはいえ、生徒の感覚と私の感覚との間隔は離れる一方です。その原因は、なんでしょうか。それは生徒は毎年若返り、こちらは毎年年齢を重ねる。それだけではないようです。それに加えて、毎年繰り返す授業の内容が慣れをもたらして、これくらいはわかっているはずだという生徒に期待するエリアが拡大してきているように思います。毎年教えて経験を重ねて情報に対する理解が深まる私、情報を初学、初耳の生徒とは乖離するのも至極当然。せめて、授業中に飛び交う生徒の声に耳を向け、教える側の初期の感覚を呼び戻したいものです。