抄録
国会図書館憲政資料室蔵「坊秀男関係文書」を分析して,和歌山1区の坊秀男(自民党)の後援会を同党の他の候補者および野党の動向も踏まえて論じる。坊後援会は1953年に設立され,1965年から1970年にかけて,基本形態を確立させた。坊後援会は地域,性,社会的経済的地位,年齢などを主な結集軸とした。そして会員の啓発・親睦,首長選挙や参院選での自民党候補者の支援などに従事し,坊の連続11回当選を導く支持基盤となった。しかし最終的に,坊と後援会は対等な関係に変質した。この過程で,ライバル山口喜久一郎(自民党)は引退し,1972年に後継者の中西啓介が登場する。利益誘導を重視した中西に対し,自民党反主流派の坊の後援会はファンクラブ的要素が強く,次第に彼の後塵を拝した。晩年の坊は最終的に自身の後継候補を用意できず,その後援会は自己革新の機会を逃し,1985年頃に解散・消滅した。