東京工業大学
2014 年 56 巻 9 号 p. 568-573
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日本の原子力黎明期に日本学術会議を軸に発電用の国産原子炉開発構想があった。それは天然ウラン重水炉であった。そこには原子力研究開発に「民主・自主・公開」を貫こうとする湯川秀樹をはじめとする基礎物理学者らの熱意が込められていた。しかし,湯川の原子力委員在任中に自主開発から外国からの導入路線に大きく傾いて行った。そのことが原子力ムラの形成にも関係している。この間の事情を京都大学基礎物理学研究所の所蔵する湯川史料を中心に論考した。
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