2012 年 29 巻 4 号 p. 322-325
症例は,甲状腺乳頭癌の38歳,女性。甲状腺癌(T4aN0M1,stageⅡ)の診断で,34歳7カ月時点に甲状腺全摘,気管合併切除(気管輪1-5,端々吻合),中心領域郭清術が施行された。術後,多発肺転移に対し内照射療法を計4回施行しているが,肺転移巣は徐々に増多,増大した。38歳4カ月時点で軽い上気道炎を契機に呼吸苦が出現した。入院の上全身管理を行ったが呼吸不全のため永眠された。
甲状腺乳頭癌は,非常に予後が良いことで知られ,特に若年で発症した場合は更に高い治癒率のため本疾患で亡くなることは稀有である。また,本疾患は腫瘍増殖速度が非常に緩徐である,疾患特異的治療として内照射療法が有効である,などの他の悪性腫瘍とは異なる特徴がある。これら本来治療する上で利点と言える特性は,がん終末期においては反対にその対策を困難にする。
今回,生命予後が予測できず対応に苦慮した症例を経験したので報告した。
甲状腺乳頭癌(PTC)は,甲状腺癌の中で最も発症頻度が高い悪性腫瘍である[1,2]。若年で発症することも少なくない悪性腫瘍だが,その予後は非常に良いことで知られる[3,4]。更に,たとえ制御できなくても腫瘍増殖速度が非常に緩徐であるため,担癌のまま長期生存が可能で若年者で亡くなることは非常に稀である。今回,がん終末期医療の対応に苦慮した若年甲状腺乳頭癌患者を経験したので報告する。
症 例:38歳,女性。
既往歴:特記すべき事項なし。
家族歴:特記すべき事項なし。
現病歴:34歳5カ月時点に嗄声が出現し,その後呼吸困難感も出現したため近医耳鼻咽喉科を受診し,前頸部腫瘤,左反回神経麻痺を認めたため当科に紹介となった。左前頸部に鶏卵大の硬い腫瘤を触知し,喉頭所見では左反回神経麻痺と声門下に気管内に突出する腫瘍性病変を認めた。画像検査の結果,甲状腺癌が疑われた(図1)。頸部リンパ節腫脹は認めなかったが,肺野に最大径10mm大の多発する小腫瘤を認め遠隔転移が疑われ,甲状腺癌(T4aN0M1,stageⅡ)の診断で都内の癌専門施設へ紹介となった。同院にて34歳7カ月時点で甲状腺全摘術,気管合併切除術(気管輪1-5,端々吻合),中心領域郭清術を施行された。
頸部造影CT像
甲状腺左葉に軽度造影効果を伴う腫瘍性病変を認める(矢印)。辺縁に粗大な石灰化を認め(矢頭),気管を右方に圧排し気管内腔が狭小化している。
病理組織学的診断(図2a,b):甲状腺乳頭癌,pEx2(気管),pN=1/12
a:腫瘍は,乳頭状構造と濾胞状構造が混在する増殖様式を呈している。
b:腫瘍は,主にN/C比が高く,豊富な細胞質を持つ腫瘍細胞で構成される。腫瘍細胞はスリガラス状核で,一部の細胞に核溝(nuclear groove)を認める。
臨床経過:術後,多発肺転移に対し内照射療法(RI)を3つの施設で計4回施行されている。また,経過中腰椎(L1)にも骨転移を認め,局所に放射線を当院で40Gy施行した。この間,肺転移巣は徐々に増多,増大したが(図3),ほとんど呼吸器症状は認めなかった。38歳4カ月時に微熱,軽い呼吸苦が出現し,徐々に症状が増悪したため当科を受診した。胸部単純CTで多発肺転移の増悪,血液検査でごく軽度の炎症反応の上昇,および血液ガス分析で著明な低酸素血症を認めたため同日から入院加療となった(図4,表1)。
経過中の胸部単純CT像(37歳11カ月時点)
径数mm大から20mm大の腫瘤が両肺野に多発している。
入院時の胸部単純CT像(38歳4カ月時点)
肺野の多発腫瘤陰影が増多・増大している。明らかな胸水貯留は認めない。
入院時の血液検査結果,血液ガス分析結果
入院後経過:抗生剤,気管支拡張剤,去痰剤の点滴投与,および酸素投与を7Lから開始した。血中酸素飽和度は80%程度に改善し自覚症状も軽快傾向が見られた。状態は比較的安定し在宅酸素療法導入の上自宅療養を検討していたが,徐々に呼吸苦が増悪し酸素投与量を増やしても呼吸苦の改善が得られないようになった。その後,呼吸状態が悪化し38歳5カ月で永眠された。
PTCは,甲状腺癌の中で最も発症頻度が高い組織型で全体の90%以上を占める[1,2]。好発年齢は40歳から50歳代と一般的な他の上皮性悪性腫瘍より若く,また40歳未満の若年で発症することも珍しくない[5]。2007年の報告では40歳未満の発症者数は全体の約13%(1,373/10,756人)を占めている[6]。若年で発症したPTCの予後は,一般的に組織学的な悪性度が低いと言われ非常に良好である[3,4]。TNM分類でも45歳を境に若年者と高齢者の2群に大別され,45歳未満の若年発症の場合は,遠隔転移がある場合でもstageⅡに留まる[7]。実際,甲状腺癌の全組織型で2010年に亡くなった患者総数が1,669名のうち,39歳以下の若年者は6名のみと非常に少なく,発症年齢は主要な予後予測因子の一つである[6]。また,予後を推測する様々な危険因子の検討がなされている。Baiらは,甲状腺乳頭癌をその組織学的特徴から充実性,被膜化群,高/円柱状細胞群,微小乳頭状/非凝集群,その他の5群に亜分類して予後との関連を検討した。高/円柱状細胞群が最も無病生存率が低く,次に微小乳頭状/非凝集群が続き,この2群を高リスク群と報告している[8]。更に,Sugitaniらは血行性転移,甲状腺外他臓器の浸潤,30mm大以上のリンパ節転移の有無に年齢を加えた項目を用い,PTCのがん死危険度を高・低危険度群に分けている[9]。今回の症例は,TNM病期分類では45歳未満のためⅡ期,Baiの組織学的亜分類ではその他の群に分類され低リスク群,Sugitani分類では遠隔転移があるため高危険度群になる。
PTCに限らず,がん終末期患者の若年者に対する病状説明は,必要以上に悲観しないような配慮のもと,どこまで病状を正確に伝えるかは深慮する必要がある。加えて,PTCでは腫瘍増殖速度が非常に緩徐であるため自覚症状が出現しにくく,また生命予後も予測しにくい。つまり,予測しにくい重大な事柄(死期)を,自覚症状の乏しい若いがん患者に十分な配慮を持って説明する,という非常に難しいことが要求される。本症例は,肺転移巣を無数に認めたが軽度の呼吸苦を自覚したのみで,検査所見や画像所見と自覚症状との解離から生命予後を推測することは困難だった。そのため,深刻な病状であるにも関わらず経過観察中本人へは,「徐々に増大しているが急激な変化はない」との説明に留まり,十分な病状説明を行うことができなかった。
また,PTCが他の悪性腫瘍と異なる点は,追加治療が放射線,化学療法ではなく,疾患特異的治療としてRIが行われることである[10]。RIが行える施設は少なく,通常は他施設に依頼することになる。ここで問題になるのが,1人の患者に対し2人の担当医(主治医,RI治療医)が別々の施設にいることである。このことが,腫瘍の制御ができている間は良いが,がん終末期のような精神面の援助がより重要になる時期には対応に苦慮する一因となる。なぜなら,他施設で行われた病状説明の内容を完全には把握できないからである。たとえ,その内容自体を把握できたとしても,その時の状況や表現の仕方,患者,家族の表情やしぐさ,その後の微妙な反応など重要な情報が必然的に欠落してしまう。本症例では,家族から説明内容や本人の受け取り方などを確認しようとしたが,説明は本人のみが聞いていて家族は内容を把握しておらず情報を得ることはできなかった。結局,他施設での説明を把握し切れなかったことと,前述したように生命予後を推測できなかったため,呼吸器症状が悪化して入院した後も余命などについては言及せず,これまでの説明に少し補足する程度になっている。この問題は,施設間でより緊密に情報交換をすれば解決できるかもしれないが,微妙な状況や内容まで共有することは実際には非常に難しい。
がん終末期には,約50%の患者で呼吸苦が出現する[11]。呼吸苦に対する最も一般的な療法は酸素療法であり,薬物療法ではモルヒネが第一選択とされる[12,13]。本症例は,入院後から酸素投与を行い一時症状は改善傾向を認めたが,次第に酸素濃度を上げても呼吸苦が持続するようになり,その後呼吸不全が徐々に増悪し亡くなっている。今回,呼吸苦が持続した時点でモルヒネ使用を検討したが実際には行わなかった。胸部CT所見と著明な努力様呼吸から,少しでも呼吸抑制をきたせば一気に呼吸機能が破綻すると考えた。この状況は,他の悪性腫瘍なら迷うことなく鎮静する段階と考える。本症例は,この時点でも,PTCの生物学的特性を考慮すると生命予後が2,3週間以内とは断定できなかった。
がん終末期医療の対応に苦慮した若年PTC患者を経験した。PTCでは,その生物学的特性から他の悪性腫瘍とは異なるがん終末期医療の対応が必要と考える。
稿を終えるにあたり御協力頂きました,がん研究会がん研究所病理部,元井紀子先生に深謝致します。