症例は8歳女児。母親は遺伝性髄様癌と診断され甲状腺全摘術と側頸部リンパ節郭清術を受けていた。遺伝を心配した母親に連れられて当院を受診し,RET遺伝子検査でexon11 codon634に母親と同じmissense変異を認めた。超音波検査で甲状腺内に明らかな腫瘤は認めず,カルシトニンやCEAの上昇はなかったが,カルシウム負荷試験では陽性であった。上記の遺伝子変異は髄様癌発症のhigh risk群に分類されるため,髄様癌発症の可能性について両親と面談を繰り返した後,最終的に発症前の予防的甲状腺全摘術を希望された。術後の病理組織診断は微小髄様癌,C細胞過形成が甲状腺内に多発しており,遺伝性髄様癌に一致する所見であった。遺伝性髄様癌に対して海外では幼少時での手術を推奨する施設もあるが,本邦では予防的甲状腺全摘術の報告はほとんどない。今回われわれは予防的甲状腺全摘術を行った遺伝性髄様癌の一女児例を経験したので報告する。
甲状腺髄様癌は甲状腺癌全体の約1%を占め,多発性内分泌腺腫症(Multiple Endocrine Neoplasia type 2,以下MEN2)に合併することが知られている。髄様癌の1/4は遺伝性で,髄様癌に加えて副腎褐色細胞腫・副甲状腺機能亢進症を合併するMEN2A(70%),副腎褐色細胞腫・粘膜下神経腫・マルファン様体型・四肢過伸展・腸管神経節腫・角膜神経肥厚などを合併するMEN2B(5%),髄様癌だけの発症が家系内に観察される家族性髄様癌(Familial Medullary Thyroid Carcinoma以下,FMTC)(25%)の三亜型に分類される[1,2]。これら全ての患者において髄様癌の発症率はほぼ100%で,初発病変のことが多く,髄様癌の早期発見・治療が非常に重要である。遺伝形式は常染色体優性遺伝であり,その原因が染色体10q11.2上に位置するRET遺伝子のgermline mutationにあることから,RET遺伝子検査により保因者診断を行うことが可能である。そのため海外では遺伝性髄様癌の保因者に対して予防的甲状腺全摘術を行うことが推奨されているが,本邦では予防的甲状腺全摘術の報告例はほとんどない。
今回われわれは,遺伝性甲状腺髄様癌に対して予防的甲状腺全摘術を行った一女児例を経験したので報告する。
症 例:8歳女児。
主 訴:特記すべき事項なし。
現病歴:2011年3月母親が遺伝性髄様癌(Cys634Phe)に対して甲状腺全摘術(D2b)を受けた(T3N1bM0 StageⅣA)。同年4月娘への遺伝を心配し,精査目的に当院を受診した。
既往歴:心房中隔欠損症。
家族歴:母親が遺伝性髄様癌。
頸部超音波所見:甲状腺中央,外側に点状の高輝度エコー像を認めたが明らかな腫瘤病変はなし(図1)。
来院時生化学検査所見:FT3 4.60pg/ml(2.2~4.3),FT4 1.31ng/dl(0.9~1.8),TSH0.966μIU/ml(0.22~3.3),Tg11.8ng/ml(<25),カルシトニン52.7pg/ml(29.4~68.6),CEA1.8ng/ml(<5.0),抗Tg33.8IU/ml(<28),抗TPOAb31.0IU/ml(<16),Ca9.5mg/dl(8.4~10.2),P5.2mg/ dl(2.7~4.5),Intact PTH15.5pg/ml(15~65)。髄様癌腫瘍マーカーの上昇はなく,免疫反応陽性と超音波所見より,軽度の慢性甲状腺炎と診断した。
RET 遺伝子検査:遺伝子カウンセリングを行った後に検査を施行し,母親と同様,Exon11 Codon634(Cys634Phe)に変異を認めた。
カルシウム負荷試験:2011年8月,2012年8月,2013年3月の3回施行し(グルコン酸カルシウム0.25ml/kg静脈注射),いずれも陽性であった(図2)。
超音波では髄様癌を疑う明らかな腫瘤は認めなかったが,変異部位がhigh risk群に分類され,カルシウム負荷試験が陽性であったことから,2013年6月再度RET遺伝子検査で診断を再確認し,髄様癌発症の可能性について両親と面談を繰り返した後,7月(10歳)予防的甲状腺全摘術(D1)を施行した。
病理組織学的所見:髄様癌(T1(m)N0M0 StageⅠ)(3mm,1mm,1mm)(図3a-c, 4),C細胞過形成(C cell hyperplasia:以下CCH),副甲状腺(図4),甲状腺外から甲状腺内へ連続する頸部胸腺を認めた(図4, 5)。
現在,術後甲状腺機能低下症に対してT4製剤を内服している。11月に施行したカルシウム負荷試験は陰性であった(図2)。
頸部超音波所見
甲状腺内に明らかな腫瘤は認めなかった。左葉中央(↑)と外側(↑↑)に点状の高輝度エコー像を認め,胸腺の存在が疑われた。
カルシウム負荷試験
2,3回目は1回目よりも負荷に強く反応した。術前はいずれも直前値の3倍以上の上昇を認め陽性と判断した。術後は陰性となった。
甲状腺右葉の病理組織学的所見
(a:HE染色)明らかな乳頭構造や濾胞構造を認めず,広い細胞質を持つ多陵型の腫瘍細胞が密に配列し,周囲には一部アミロイドの沈着を認めた。(b:CEA染色)(c:カルシトニン染色)免疫染色でいずれも染色された。
甲状腺左葉の病理組織学的所見(HE染色)
甲状腺内に胸腺組織(矢印),副甲状腺(破線),微小な髄様癌(実線)を認め,右側にC細胞過形成を確認することができた。
甲状腺左葉の病理組織学的所見(HE染色)
甲状腺外から甲状腺内へ連続する胸腺組織を認めた。
RET遺伝子検査は,臨床的に甲状腺髄様癌と診断がついた患者に遺伝性か散発性かの鑑別目的に施行することが推奨されている[2]。臨床的に一見散発性に見える髄様癌の4~10%はRET遺伝子検査により遺伝性の症例であることも報告されており,術式決定のためにもRET遺伝子検査は重要である[3]。
一方,発端者の血縁者に対しても保因者診断目的にRET遺伝子検査が施行されているが,保因者に対する予防的手術の時期が問題となってくる。本邦では保因者に対する予防的甲状腺全摘術は推奨されているが,実際に施行されている症例はさほど多くない[1]。われわれが渉猟しえた限り,本邦の予防的甲状腺全摘術の報告は4例しかなく,そのうち小児の報告は1例のみであった[4~7](表1)。
codon634の変異では10歳までに約50%が微小な髄様癌を発症し,15歳頃からリンパ節転移が出現,20歳までにはほとんどが髄様癌を発症する報告もあり,幼少時の対応が重要である[8]。BrandiらはMEN2の髄様癌患者においてgenotype-phenotype correlationがある程度証明されたので,RET変異部位に応じてlevel 1~3の3つのrisk levelに分類し,levelに応じた手術時期を推奨した[9]。最近では米国甲状腺学会(American Thyroid Association:ATA)がlevel A~Dの4つのrisk levelに分類し,各種検査時期や予防的手術時期を推奨している[10](表2)。しかし,本邦ではこれらのガイドラインに沿って手術時期を決めているという事実はほとんどない。木原ら(会議録)は,RET遺伝子変異例でカルシウム負荷試験が陽性に対する予防的全摘術施行16症例を報告しているが,対象年齢が8~58歳(手術時年齢中央値15.0歳)と前述のガイドラインと比較して年齢が高い[11]。
RET遺伝子の胚細胞変異により発生するNeoplastic CCHは遺伝性髄様癌の前駆病変として知られており,予防的甲状腺全摘術を施行した際には,特にその有無を注意深く検索する必要がある[8,12]。副甲状腺機能亢進症やリンパ球性甲状腺炎などにより発生するPhysiological CCHはpremalignant potentialはない。前者が異形成C細胞の集簇を形成するのに対し,後者は正常C細胞の数が増加する。本邦における予防的甲状腺全摘術を施行したMEN16症例(FMTC6例,MEN 2A9例,MEN2B1例)の検討では髄様癌10例,CCHのみ6例という病理診断結果であった[11]。本症例では甲状腺両葉にNeoplastic CCHを認めており,髄様癌と混在していた。
海外でprophylactic total thyroidectomyと称される予防的甲状腺全摘術は,対象があくまで①「唯一RET遺伝子検査で変異を認めるもので,超音波検査で腫瘤を認めず,CEA・カルシトニンが正常値である」ということを前提としている。日本で使用されている予防的甲状腺全摘術はそれよりやや広く,①に加えて②「RET遺伝子検査で変異を認め,且つカルシウム負荷試験陽性例」を含んでいる。MEN2Bはde novoの遺伝子変異で発症し,約50%にしか家族歴を認めないことより,身体的特徴から早期診断を行い,転移性髄様癌を未然に防がなくてはならない。その致死率の高さを考えると,level Dに対してガイドラインに沿った早期の予防的甲状腺全摘術は妥当である。一方level C以下に対しては,カルシウム負荷試験が陽性になった時点で予防的甲状腺全摘術を施行するという治療方針が,後述する本邦の諸事情を鑑みると適切と思われる。本邦では感度が欧米の10分の1に劣る世代の古いカルシトニン測定キットが使用されており低濃度の測定が正確に行えず,正確なカルシトニン測定のためにはカルシウム負荷試験は必須である。そのため甲状腺全摘術後にカルシトニンが測定感度以上である可能性があり,残存甲状腺髄様癌の存在確認のためにはカルシウム負荷試験を行う必要がある。
ATAの分類に従えば本症例はlevel Cでhigh risk群となり,5歳までの手術が推奨されるが,実際にはさらにカルシウム負荷試験が陽性であったことを考慮して予防的甲状腺全摘術を施行した。最終的に超音波で描出されなかった部位に微小な髄様癌を認め,その他にNeoplastic CCHも散発していたことから予防的甲状腺全摘術は妥当であったと考えられた。
術前に超音波で甲状腺内外に見えていた高輝度エコー像は,病理組織検査で頸部胸腺組織と診断された。小児に対する超音波検査で甲状腺外に胸腺組織を認めることは一般的だが,甲状腺内にも認める可能性を念頭に置き日常診療に当たることが重要と思われた。福島での原発事故後に小児の甲状腺超音波検査を行う機会が増えたが,実際にかなりの症例で甲状腺内胸腺組織を認めている。
その後,姉と弟にもRET遺伝子検査を施行し,弟にExon11 Codon634(Cys634Phe)の変異を認めた。弟は超音波検査で明らかな腫瘤を認めず,5歳時のカルシウム負荷試験が陰性のため経過観察としている(直前値64.6pg/ml,3分値68.4pg/ml,5分値66.4pg/ml)。今後定期的にカルシウム負荷試験を施行し,陽性になった時点で改めて家族と面談を行い,手術を提案する予定である。
FMTCは家系内に髄様癌を有し,かつ副腎褐色細胞腫や副甲状腺過形成を伴わない患者が4人以上認められる場合に診断される。従って本家系ではFMTCとは診断できず,現時点では遺伝性髄様癌と診断している。今後伯父のRET遺伝子解析を予定している(図6)。
本症例のように超音波検査で腫瘤が確認できない状態でも,RET遺伝子変異やカルシウム負荷試験陽性の結果などを考慮して,医学的に髄様癌もしくはCCHの存在あるいは将来的な発症を推測することは可能である。しかし実際に小児の場合,癌を確認できない状態での予防的甲状腺全摘術に対して不安を抱える親は少なくないと考えられる。また術後甲状腺機能低下症に対してT4製剤補充を成長過程に合わせて調節することや,実際に低下症になったときの骨成長の問題,内服コンプライアンス不良となる可能性などを考慮すると予防的手術に積極的に踏み切れないかもしれない。さらに正常甲状腺に対する予防的手術は保険適応外で,現在の医療制度では自費診療とせざるを得ないことも広く普及しない要因の一つと考える。本症例の場合,両親と何度も遺伝カウンセリングを行った後,予防的甲状腺全摘術を希望されるに至った。まず病期の全体像を,次に遺伝子変異部位より甲状腺髄様癌の早期発症の可能性があること,治療後の見通しなどを中心に丁寧に説明することで手術加療に対する不安を軽減することができたと思われる。
昨今,BRCA遺伝子変異が原因の遺伝性乳癌卵巣癌症候群(Hereditary Breast and Ovarian Cancer以下,HBOC)に対する予防的乳房切除術について議論されているが,遺伝性甲状腺髄様癌の場合は浸透率が高い,癌の初発発症部位が甲状腺に限られていて手術で局所コントロールが可能である,予防的甲状腺全摘術の施行時期が小児期に重なるため手術を自己決定できないなどの点で,HBOCとは異なった側面から議論する必要がある。
本邦における予防的甲状腺全摘術報告例
American Thyroid Association Risk Level And Prophylactic Thyroidectomy Testing And Therapy
家系図
初診より2年数カ月の期間を経て,10歳女児の遺伝性甲状腺髄様癌に対して予防的甲状腺全摘術を施行した。医学的,遺伝学的情報などの十分な知識を備えた上で,児や家族と時間をかけて良好な関係を築き,信頼を得ることが遺伝性疾患に関わっていく専門医の責務である。