日本内分泌・甲状腺外科学会雑誌
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特集1
医療訴訟の現状と医事紛争を防ぐために留意すべきこと
岩井 完
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2016 年 33 巻 1 号 p. 2-6

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抄録

医療訴訟は近年再び増加傾向にあり,年間800~900件程度の医療訴訟が提起されている。医事紛争全体の内,訴訟になる件数はごく一部であることを踏まえると,全国で発生している医事紛争の件数の多さを実感せざるを得ない。医事紛争を防止する対策はぜひ検討しておきたいところである。

医事紛争については,その争点を突き詰めていくと,多くは2つの視点,つまり「説明」と「記録化」というキーワードに集約される。「説明」の核となるのはご存知の通り,患者の自己決定権の確保のための説明である。「記録化」の核となるのは診療行為のカルテ類への記録である。これらは言葉に表すといかにも当たり前のようであるが,一体何をどの程度説明すべきなのか,記録について特に留意すべき点は何かということについては意外と見落としがちである。本稿では,「説明」と「記録化」について留意すべき点を具体的に述べさせて頂いている。

1.はじめに

医療訴訟については,数年前までは減少傾向にあったが,近年再び増加傾向にある。医療訴訟は,医師および医療スタッフに大きな精神的時間的負担を強いるため,萎縮医療の原因にもなりかねない。これは訴訟以外のトラブルをも含めた医事紛争全般について言えることである。このように負担の大きい医事紛争をいかに防止するかということは,医療従事者にとっては喫緊の課題と言える。

以下,医事紛争の典型である医療訴訟の現状を説明し,医事紛争がいかに多いかを把握して頂いた上で,医事紛争を防止するために留意すべき点について述べる。

2.医療訴訟の現状

医療訴訟の新受件数(年間に裁判所に訴訟提起される医療訴訟の件数)については,平成24年頃からやや増加傾向にあり,平成26年の速報値では877件となっている。平成11年の横浜市立大学の患者取違え事件や都立広尾病院事件が社会問題化したことを背景に増加した医療訴訟は平成16年にピークとなり(1,110件),その後「医療崩壊」が叫ばれるようになったことなどが契機となり減少傾向をたどったと言われている。しかし,ここ数年で医療訴訟は再び増加傾向にある(表1,2参照)。理由はまだ明らかでないが,近年,腹腔鏡関係などの医療事件が大きく取り上げられているため,こうした事情は増加傾向に影響しているかもしれない。

表1.

医療訴訟の件数および平均審理期間(最高裁判所統計資料を引用し一部加工)

表2.

医療訴訟の新受件数の推移(最高裁判所統計資料を基に加工)

ここで注意したいのは,表1および表2の数字は,あくまで訴訟化した医事紛争の件数のみであり,訴訟に至らずに示談などで解決した医事紛争の件数は計上されていないということである。筆者の経験する限り,医事紛争の内,訴訟化するのは10件に1件,あるいはもっと少ないかもしれない。そうすると,訴訟以外の医事紛争をも含めると,医事紛争は年間1万件程度発生していると考えても不思議はなく,医事紛争の件数の多さを実感せざるを得ない。

では医療訴訟になってしまった場合,訴訟でどの程度拘束されるかと言うと,平均審理は約2年である(表1の平均審理期間欄参照)。その内,約50%は和解(話合い)で終了し,約40%程度が話合いで解決できず判決に進むことになる(表3の判決と和解の欄参照)。そして,判決に至った訴訟の認容率,つまり医療機関側の敗訴率は,ここ数年では20~25%程度である(表4の医事関係事件欄参照)。

表3.

医療訴訟における判決や和解の割合(最高裁判所統計資料を引用)

表4.

医療訴訟における認容率(最高裁判所統計資料を引用)

医療訴訟の内,判決が約40%で,その内の20~25%が医療機関側の敗訴ということは,医療訴訟全体の内,医療機関の敗訴判決は,約10%程度ということになる。話合いもできず敗訴になるのは10%しかないにも拘わらず,平均で約2年もの期間,訴訟に拘束されてしまうという現状は無視できないであろう。医事紛争の防止に向けた対策は急務である。

3.医事紛争防止のための2つのキーワード

医事紛争を防止するために留意すべき点は,細かく言えば幾つも挙げられると思うが,本稿ではあえて2つの視点(キーワード)を挙げたい。医事紛争防止のための留意点については,日々の診療業務の中で思い浮かべて頂きたく,そのためにはキーワードは短く,数も少ない方がよい。そこで,「説明」と「記録化」という2つのキーワードを挙げさせて頂きたい。実際に,医事紛争の争点について内容を詰めていくと,多くの事案は「説明」と「記録化」という2つの視点に集約できると思われるのである(例えば,合併症であれば事前の「説明」が大きな問題であり,術後管理であれば,管理の「記録」が重要なポイントになるというように,多くはこの2つのキーワードに行きつく)。以下,この2つのキーワードに沿って詳述する。

4.「説明」について

⑴ 患者に行うべき説明義務の内容とは

「説明」の核となるのは,言うまでもなく患者に対する説明である(医療スタッフ間の「説明」の問題もあるがこの点は「記録化」の項で触れる)。医事紛争において,説明義務違反を問われる事案は非常に多く,最も多い紛争類型の一つと言っても過言ではない。患者に対する説明義務は大きく2つに分けられる。自己決定権(憲法13条後段)の確保のための説明義務と,療養方法の指導としての説明義務である。後者の療養方法の指導としての説明義務は,患者を帰宅させるにあたっての注意点などを指導する場合のように,医療行為の一環として把握される。後者の説明義務も非常に重要であるが,臨床実務においては前者の自己決定のための説明義務が問題になることが圧倒的に多いため,本稿では前者の説明義務について述べる(なお,この説明に基づき患者から得た同意がインフォームドコンセントである)。

⑵ 自己決定権の確保のための説明が求められる場面とは

自己決定権の確保のための説明が要求されるのは,患者が「自己決定」を行う場面においてである。つまり,患者において2つ以上の選択肢がある場合に求められる(当たり前に聞こえるかもしれないが,この点の理解が十分でない相談が多い)。

典型的には,Aという治療法とBという治療法が存在し,どちらの治療法も当該患者に適応がある場合は,患者に2つの選択肢があることになるため,患者の自己決定に資するための説明が必要となる。また,手術の他に,経過観察や保存療法を行うことが考えられるという場合,これらも立派な選択肢の一つである。

このように複数の選択肢がある場合に,患者がその一つを選択するにあたり必要となる情報を提供し説明することになる。具体的には,それぞれの治療法のメリットおよびデメリット(副作用・合併症・瘢痕が残るリスクなど)を丁寧に説明することになる。一方,あくまで選択に資するための説明であるため,選択に影響しない内容は説明義務の対象ではなく,例えば極めて稀な合併症などは説明義務の対象ではない。

⑶ 内分泌外科・甲状腺外科の診療における説明義務の特殊性

以上の点は内分泌外科・甲状腺外科疾患(以下,甲状腺等疾患と記載する)に対する診療においても原則は変わるところはないが,甲状腺等疾患においては,説明義務の内容などのハードルが高くなる可能性があるという点を述べておきたい。

一般に,歯科インプラントや美容外科など,必要性・緊急性の低い医療に対しては,裁判所が要求する説明義務のハードルは高い。必要性や緊急性が乏しい分,患者が当該治療を受けるか否かにつき熟慮した上で決定できるよう,医師には高度の説明義務が課される。

甲状腺等疾患についてみると,基本的に治療の必要性が高いものが殆どと思われる。しかし一方で,一刻を争い手術しなければならないほどの緊急性はないというケースも多いと思われる。前述の裁判実務の考え方を前提にするならば,緊急性の程度が高くない場合には,治療の開始時期や,治療方法の選択などを含め,患者に対しより充実した説明が求められるということになろう。

従って,甲状腺等疾患に関しては,高度の説明義務が要求される可能性があるということを念頭におき,日々の診療から,説明義務の履行は一歩踏み込んで行う姿勢が重要と思われる。

⑷ もう一歩進めた留意点

医療の専門化が進む中,ある疾患について様々な治療法が提唱される場合がある(そして現在そうした情報はネットなどで容易に取得できる)。

医師が診察をするにあたり,患者が,医師の予定している治療法以外の治療法に関心を有している場合は注意が必要である。特に,患者に関心のある治療法について,医師がお勧めできないと考えているような場合は要注意である。当該医師から見て,その治療法は医療水準としてまだ確立しているとは言えず,お勧めできないと考えたからと言って,全く説明をしないというのは危険である。少なくとも,例えばその治療法について積極的な評価をしている医師が存在することを知っているような場合には,患者に対しその旨を伝え,当該治療法を実施している医療機関を紹介するくらいの配慮は必要である。乳癌に関する事案ではあるが,最高裁判例[]においてそのような判断がなされている事案があるため,留意して頂ければと思う。

5.「記録化」について

医事紛争においては,カルテ類への記録が十分でないために解決が難航することが極めて多い。筆者自身,あと1行でいいのでカルテに記載があれば,という残念な経験をすることも少なくない。従って,診療内容をいかに適切に「記録化」するかという検討は,医事紛争防止のために不可欠である(なお,診療の内容の記録化については,医療行為そのものの保存(録画など)という意味での記録化も含まれ有用であるが,紙面の都合もあり本稿ではカルテへの記載について述べる)。

⑴ カルテへの記載の重要性について

カルテの記載については,その記載内容に矛盾などがある場合を除き,原則として裁判においても,カルテに記載された診療経過が真実の診療経過として判断される(裁判例[]の中には,カルテの記載は真実性が担保されていると述べられているものもある)。従って,カルテに必要な記載がなされているか否かが,訴訟の命運を左右すると言っても過言ではない。

⑵ 特にカルテに記載しておきたい点について

医事紛争において,カルテの記載に関し争点になることが多い項目は,問診内容,説明の有無およびその内容,患部の所見,患者に対する指示内容などである。これらは,その場で記録化しなければ,事後的に検証できる手段がないため(この点において画像検査や血液検査など結果が形に残るものと異なる),争点になりやすい。従ってこれらの事項の記録化について留意して頂ければと思う(特に,患者に対する「説明」は,後になって患者から,「説明など聞いていない」とクレームがなされることが非常に多い)。

⑶ 「記録化」にあたって注意すべきこと

「説明」にも関連するが,手術同意書などで説明内容が既に印字されているタイプのものは注意が必要である。患者から,「手術の説明はなく,突然印字された同意書を見せられ署名させられた。」と主張されることが少なくない。このようなクレームを回避するには,手術内容やリスクなどを説明した痕跡を残すことが重要である。参考になるのが,携帯電話を購入する際のスタッフの説明方法である。彼らは説明の際,アンダーラインやマーカーを引いたりして説明する。説明をしたことが痕跡として残るよい例である。手術同意書においても同様に,ラインを引く,余白に図を書く,補足の説明を付記するなどして,丁寧な説明を実施した痕跡を残すよう心掛けたい。

次に注意すべき点として,カルテに記載した場合,その記載した情報を医療スタッフ間でいかに共有化するかという問題がある(この点は医療スタッフ間における「説明」の問題でもある)。よく耳にするのは,カルテに,引き継ぎのための説明や申し送り事項を記載しているにも拘わらず,引き継いだ医師がその記載に気付かず,重要な患者情報を見落とし事故が生じたという例である。せっかくカルテに「説明」を「記録化」しているにも拘わらず,その見落としで事故が発生してしまうのは実に残念である。今一度,院内の情報閲覧の状況を確認してみて頂きたい。電子カルテには,一覧性に乏しく見落としが生じやすい構造もあり得るため,そのような場合は,躊躇なくシステム変更などを行うべきと考える。

6.おわりに

平成27年10月から,改正医療法が施行され新たな医療事故調査制度がスタートし,医療事故に対する社会的関心も高まってきている。従って医療機関としては,医事紛争防止のための対策をより一層真剣に再検討しておきたい(医療事故調査制度についても,述べたい点は多々あるが,紙面の都合上,本稿では割愛する)。

前述したとおり,医事紛争の争点の多くは「説明」と「記録化」のキーワードに集約できる。この2点を徹底して管理することは,医事紛争を回避するために非常に有益と考える。「説明」と「記録化」を充実させることは,患者に適切な医療を提供するために必須であると同時に,医事紛争化した際には,医療スタッフを守ることにもなる。

日々の診療においても,対応に不安を感じた際などには,この2つのキーワードに立ち戻り考えてみて頂ければ幸いである。

【文 献】
  • 1.   最高裁平成13年11月27日判決
  • 2.   東京高裁昭和56年9月24日判決
 

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