日本内分泌・甲状腺外科学会雑誌
Online ISSN : 2758-8777
Print ISSN : 2186-9545
特集2
妊娠・周産期における甲状腺機能管理
吉原 愛
著者情報
ジャーナル フリー HTML

2018 年 35 巻 4 号 p. 268-271

詳細
抄録

妊娠が成立すると,胎児の発達,特に脳神経系の発達に甲状腺ホルモンが必要となることが知られている。脳神経系の発生は妊娠5~6週より始まり,胎児甲状腺が完成するまでの間は,母体の甲状腺ホルモンに依存することとなる。母体のT4は胎盤を通過し,妊娠前よりLevothyroxine(LT4)よる甲状腺ホルモン補充療法を受けていた例(甲状腺手術後など)では,甲状腺ホルモンの需要が増すため,非妊娠時の補充量の30~50%程度の増量が必要になることが多い。

妊娠中の甲状腺機能評価の際には,基準値が非妊娠時と異なり,妊娠週数に応じて変化することに留意する必要がある。したがって,妊娠時の甲状腺機能評価にはTSH,FT3,FT4値を用い,甲状腺機能低下症に対する補充療法ではTSHを指標,甲状腺機能亢進症の抑制療法ではTSHおよびFT4値を指標に薬剤調整を行う。

近年,FT3,FT4が正常でTSHが高値である潜在性甲状腺機能低下症の場合でも流早産との関連性が指摘された。今後さらなるエビデンスの蓄積が必要である。

また,内分泌外科医が遭遇する妊娠女性にバセドウ病術後患者が想定され,TSH受容体抗体(TRAb)高値による新生児バセドウ病への留意が必要な場合がある。当院で行っている甲状腺機能管理を紹介する。

はじめに

甲状腺疾患は妊娠可能年齢にある女性に多く認められる。内分泌外科分野の先生方で遭遇するのは,甲状腺腫瘍術後・バセドウ病術後甲状腺機能低下症合併妊婦や,橋本病(慢性甲状腺炎)合併妊婦が想定され,甲妊娠・周産期における甲状腺機能管理の留意点について述べる。

Ⅰ 妊娠中の甲状腺機能評価

妊娠が成立すると,胎児の発達,特に神経学的発達に甲状腺ホルモンが必要となることが知られており,妊娠中は母体のサイロキシン(T4)が胎盤を通過し胎児に供給される。妊娠時にはエストロゲンの作用によりサイロキシン結合蛋白(TBG)が増加し,妊娠経過中は血中の総T4はTBGの増加にあわせて増加する。妊娠初期では,胎盤から分泌されるヒト絨毛性ゴナドトロピン(human chorionic gonadotropin:hCG)が甲状腺刺激作用を有するため,軽度甲状腺ホルモンが上昇する。妊娠時の甲状腺機能評価には甲状腺刺激ホルモン(TSH),遊離T3(FT3),遊離T4(FT4)値を測定するのが一般的であり,妊娠初期は一過性のFT3,遊離FT4上昇と反応性のTSHの低下を認める。妊娠中期から後期にかけては非妊娠時よりもFT3,FT4はむしろ低下傾向を示すが生理的なものである。妊娠初期にはTSH値は低値をとり,中期以降抑制は解除される。したがって,妊娠中の甲状腺機能評価の際には,甲状腺ホルモンが妊娠週数に応じて変化するため基準値が非妊娠時と異なることに留意する。

Ⅱ 甲状腺機能低下症合併妊婦

妊娠が成立すると,胎児の発達,特に脳神経系の発達に甲状腺ホルモンが必要となることが知られている。脳神経系の発生は妊娠5~6週より始まり,胎児甲状腺発生までの間は,母体の甲状腺ホルモンに依存することとなる。母体のT4は胎盤を通過し,妊娠前よりLT4よる甲状腺ホルモン補充療法を受けていた例では,甲状腺ホルモンの需要が増すため,非妊娠時の補充量の30~50%程度の増量が必要になることが多い。母体の甲状腺機能低下症は,流早産,妊娠高血圧症候群のリスクとなり,胎児には中枢神経系の発達に影響することが報告されているため,速やかな補充療法が必要である。妊娠中の甲状腺機能管理については,補充療法はTSH値を指標として,妊娠週数に応じたTSHの基準値内に入るよう調整を行う。この補充の目標値に関しては,2012年米国内分泌学会からのガイドラインでは甲状腺自己抗体の有無を問わずにTSH2.5μIU/ml未満を推奨,2014年の欧州甲状腺学会ガイドラインでも同様の提唱であった[,]。背景となったのは,甲状腺機能正常,TSHが測定キットの基準値内であっても補充療法を行わない妊婦において妊娠初期にTSH2.5μIU/ml未満の群ではTSH2.5μIU/ml以上の群と比較して流産率が優位に低かったとする報告である[]。妊娠初期のTSHの基準値を2.5μIU/mlとすると,それより高値である場合は潜在性甲状腺機能低下症と定義され,メタ解析において流産死産,子癇前症など妊娠転機への悪影響が示唆された[]。当院での検討では,補充療法を行っていない妊娠初期のTSH4.5μIU/ml未満の妊婦ではTSH値が高いほど流産率は高い傾向を示した。

2017年米国甲状腺学会ガイドラインでは,補充療法の目標値は自然妊娠と不妊治療の場合をわけて提示された[]。自然妊娠希望の場合には,甲状腺自己抗体がない場合には妊娠初期の治療は施設の基準値に沿う,またはキットの基準上限値から0.5μIU/mlを差し引いた値としている。橋本病で認める甲状腺自己抗体(サイログロブリン抗体;TgAb,甲状腺ペルオキシダーゼ抗体;TPOAb)が陽性の場合には甲状腺機能の予備能が低下し,妊娠中にTSH値が上昇し甲状腺ホルモン補充療法が必要になる傾向があるため,妊娠中の血清TSHの目標値としては妊娠初期2.5μIU/ml未満,妊娠中後期3.0μIU/ml未満を目標に補充療法を行うのが望ましいとされている。甲状腺自己抗体陰性の潜在性甲状腺機能低下症への補充の適応と目標値については指標となるエビデンスに乏しいが,当院で作成した妊娠初期のTSHの基準上限値は2.56μIU/mlであったため,妊娠を希望している女性,もしくは妊娠が判明している母体においては,血清TSH値を妊娠初期の基準値内(当院では2.56μIU/ml)を目標に補充療法を行っている。

不妊治療に伴う潜在性甲状腺機能低下症への対応については,生殖補助医療を受ける女性においては,子宮卵管造影検査や卵胞刺激によりTSHが上昇しやすい状況にあることが知られている。脂溶性の卵管造影を使用した際には検査後6カ月経過してもTSHは造影前よりも高値である症例が多いことが報告され,検査の既往の有無を確認する必要がある[]。また,TSHが基準値以上であった群においてLT4製剤を併用しTSHを厳密に管理した場合に,妊娠率が上昇し流産率が低下したとの報告もあり[,],自己抗体の有無にかかわらずTSHが高めの場合には2.5μIU/ml未満を目標に治療介入するのが妥当と考えられる。産後は,妊娠前の補充量に戻してよい。

Ⅲ バセドウ病妊婦の妊娠後期の甲状腺機能管理と留意点

内分泌外科医が遭遇するバセドウ病妊婦としては,バセドウ病術後再発にて抗甲状腺薬内服症例,もしくは全摘後で補充療法を行っているもののTSH受容体抗体(TRAb)が高値持続している症例が挙げられる。

バセドウ病合併の場合,甲状腺ホルモンが高いまま妊娠すると,母体の心不全,妊娠時高血圧症候群,胎児の流早産,発育遅延のリスクがある。妊娠希望の場合には甲状腺機能を正常に維持することを最優先とする。活動性のバセドウ病において機能抑制療法を要している場合には,抗甲状腺薬(チアマゾール:MMI,プロピルチオウラシル:PTU),無機ヨウ素が使用される。当院の検討において妊娠初期にMMIを内服していた母体から出生した児に頭皮欠損症,臍帯ヘルニア,臍腸管異常,食道閉鎖症といった特殊な先天性形態異常(MMI embryopathy)を1.6%の頻度で認めた[]。日本甲状腺学会主導の前向き研究(POEMS Study)や欧米においても同様の報告をうけ,米国内分泌学会,米国甲状腺学会のバセドウ病妊娠初期の治療ガイドラインではMMIで治療していた妊婦は,妊娠の初期のみMMIは避けるようよう勧告されている[10]。

妊娠の中期から後期にかけては多くの自己免疫性疾患がそうであるように母体の免疫反応は抑制され,バセドウ病の病勢は現弱することが多い。その結果,TRAb値は徐々に低下し,抗甲状腺薬服用中の患者でも妊娠経過中に薬剤を減量または中止することが可能となることが多い。そして,この時期には特に胎児の甲状腺機能に配慮した治療が必要となる。

胎児の甲状腺ホルモンは妊娠12週から分泌開始,甲状腺が完成するのは20週ごろである。妊娠20週以降は,胎児の甲状腺からも甲状腺ホルモンは分泌されるようになる。母体の甲状腺刺激抗体(TRAb,TSAb),抗甲状腺薬,無機ヨウ素も胎盤を通過する。したがって,妊娠中後期に甲状腺刺激抗体が高い場合,胎児の甲状腺を刺激して胎児の甲状腺機能が高値になる可能性がある。母体が抗甲状腺薬や無機ヨウ素を内服している場合には,薬剤も胎盤を通過し胎児の甲状腺機能を抑制する。

出産までにTRAbが低下し,甲状腺機能も正常を保ち抗甲状腺剤を中止できた場合には,出産時に留意すべき点はほとんどない。出産までTRAb高値が持続し,MMI,PTUを出産時まで内服していた場合には,児の母体の甲状腺機能は正常であっても母体のFT4値と新生児のFT4値を比較すると児のFT4値が有意に低値であった。また,ホルモンコントロールに無機ヨウ素を使用した場合には,母体のfT4値と児のFT4値に差は認めなかった[11]。つまり,MMI,PTU内服中には児の甲状腺機能を基準値内にコントロールするために母体のFT4値を基準値上限から少し高めに維持するようコントロールし,胎児の甲状腺腫の有無を確認することが望ましい。

バセドウ病の手術後や母体の甲状腺ホルモンが正常または補充療法中であるのに甲状腺刺激抗体価が妊娠中後期においても高値の場合には,胎盤を通過した甲状腺刺激抗体によって胎児の甲状腺が刺激を受け,新生児に甲状腺機能亢進症(新生児バセドウ病)を生じる場合がある。当院においての検討では,妊娠後期にTRAbが10IU/Lを超える場合には新生児バセドウ病のリスクが高く,念のため臍帯血を用いた新生児の甲状腺機能検査と新生児科と連携がとれる病院での出産を推奨している[12]。母体が抗甲状腺剤を出産まで継続していた場合,胎盤を通じて胎児にも抗甲状腺薬が移行し出生時の甲状腺機能は正常に保たれていても,母親の抗甲状腺薬の効果が消失する出生4~5日後に甲状腺ホルモンが上昇する新生児の例もあり,注意を要する。母体からの甲状腺刺激抗体は,児からは自然に消失するため新生児の甲状腺中毒症は多くの場合一過性である。

おわりに

妊娠中には,胎児の発達,特に神経学的発達に甲状腺ホルモンが必要であり,甲状腺機能管理は児への影響を加味して行う。妊娠中の甲状腺ホルモンの基準値は非妊娠時とは異なることに留意し,特に補充療法を行う際にはTSHを目標に調整する。バセドウ病の場合には,妊娠後期にTRAb が高い場合に胎児の甲状腺を刺激する可能性がある。新生児バセドウ病のリスク評価のため,バセドウ病術後で補充療法を行っている症例であってもTRAb値の測定を行うことが重要である。

【文 献】
 

この記事はクリエイティブ・コモンズ [表示 - 非営利 4.0 国際]ライセンスの下に提供されています。
https://creativecommons.org/licenses/by-nc/4.0/deed.ja
feedback
Top