日本内分泌・甲状腺外科学会雑誌
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症例報告
術前に反回神経麻痺を認めた甲状腺良性腫瘍の1例
都築 伸佳川﨑 泰士和佐野 浩一郎
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2019 年 36 巻 1 号 p. 49-55

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抄録

術前に反回神経麻痺を認める甲状腺疾患は,悪性腫瘍がその大部分を占め,甲状腺良性疾患が原因であることは稀である。巨大甲状腺良性腫瘍による神経圧迫により反回神経麻痺をきたしたと推定された症例を経験したので報告する。症例は60歳代の女性。数年前からの軽度の嗄声と左頸部に巨大囊胞性甲状腺腫瘍を認め,喉頭内視鏡検査で喉頭斜位と左声帯麻痺(完全麻痺,傍正中位固定)を認めた。甲状腺全摘術を施行。左気管食道溝に左反回神経を同定し温存。神経刺激により挿管チューブ電極から反応を認めた。病理診断は腺腫様甲状腺腫であった。術後,喉頭斜位が改善すると共に左声帯固定位置は正中位へと変化した。腫瘍圧迫により損傷を受けていた神経軸索が再生する過程で起こった過誤支配が,長い経過の中ですでに完成していたと考えられ,反回神経麻痺の原因が良性腫瘍による圧迫であっても,改善傾向を認めない場合は早期の手術を検討すべきであると思われた。

Ⅰ はじめに

甲状腺手術において,術前に反回神経麻痺を認める場合は少なくないが,その原因の大部分は悪性腫瘍であり,良性疾患が原因であることは稀である[,]。今回,術前に反回神経麻痺を認めた甲状腺良性腫瘍の一例を経験したので報告する。

Ⅱ 症 例

症 例:67歳,女性。

主 訴:左頸部腫脹。

既往歴:高血圧,IgA腎症,虫垂炎,子宮筋腫,下肢静脈瘤。

生活歴:喫煙歴なし。飲酒歴なし。

現病歴:十数年前より,左甲状腺腫瘍の診断で他医へ通院,徐々に増大傾向を認めるとともに,当科初診の2,3年前より嗄声の自覚があった。担当医の退職に伴い当科を受診した。

初診時理学所見:左顎下部から鎖骨にかけて,弾性硬で緊満性のある可動性良好な腫瘤を触知した。

喉頭内視鏡検査( 図1 :左声帯麻痺を認め,左声帯は傍正中位に固定していた。腫瘍の圧排により若干喉頭斜位となっており,発声時は健側声帯の過内転によって声門閉鎖は得られていた。

図 1 .

初診時の喉頭所見

左声帯麻痺(傍正中位固定)を認めた。腫瘍の圧排により若干の喉頭斜位があり,発声時は健側声帯の過内転によって声門閉鎖は得られていた。

画像検査:胸部X線検査(図2)では気管の高度な右側偏位が認められた。頸部CT検査(図3)では左顎下部から胸骨上端にかけて甲状腺左葉の高度な腫大を認め,左葉内部は腫瘤の囊胞成分で大部分が占拠されていた。また,胸部X線検査と同様に気管の高度な右側偏位が認められた。

図 2 .

胸部X線検査所見

気管の高度な右側偏位を認めた。

図 3 .

頸部CT検査(水平断)所見

左顎下部から胸骨上端にかけて腫大した甲状腺左葉を認めた。甲状腺左葉内部の大部分は腫瘤の囊胞成分で占拠されていた。

血液検査:BUN 83.0mg/dl,Cre 3.59mg/dl,Ca 9.1mg/dl,IP 5.2mg/dl,TSH 0.86μU/ml,FT4 1.01ng/dl,FT3 2.64pg/ml,Tg 3,249ng/ml。

穿刺吸引細胞診:左葉腫瘤を超音波ガイド下に穿刺した。囊胞内容液は吸引できなかった。マクロファージと少量の濾胞上皮細胞を認め,濾胞上皮に明らかな異型性は認められず,正常あるいは良性の診断であった。

初診後経過:気管偏位を伴う巨大な腫瘍であること,増大傾向を認めたこと,左反回神経麻痺を伴っていることから,悪性腫瘍の可能性も考慮し,手術の方針となった。IgA腎症に伴う腎機能障害があり,手術回数を減らす必要があることから甲状腺全摘術の予定となった。

術中所見:腫瘍側の反回神経機能モニターおよび対側の反回神経保護のため,EMG気管内チューブ(6.0mm,Medtronic社)を用いて全身麻酔を導入した。挿管チューブの電極部位を声帯と接触するように留置,刺激プローブはモノポーラープローブ(NIMシステム用,モデル番号82-25101,Medtronic社)を準備し,両者を専用の筋電計(NIM-Response®2.0 Medtronic社)に接続して手術を開始した。

手術は襟状皮膚切開で開始,胸骨甲状筋および胸骨舌骨筋は視野確保のため両側とも切除した。甲状腺と周囲の癒着はなく,左反回神経は通常通り左気管食道溝で同定され(図4),外側への走行偏位はなかった。左反回神経は露出部全長にわたり神経刺激(1.0mA)に反応を認め,腫瘍の直接浸潤所見は認めなかったため,両側の反回神経を明視下に温存した。副甲状腺は右上腺を同定し温存,郭清を行わなかったため下腺は同定しなかったものの温存されたものと思われた。右反回神経,左反回神経,左迷走神経に対する神経刺激(1.0mA)による反応をそれぞれ確認し閉創とした。

図 4 .

術中左反回神経所見(左側面)

左反回神経は左気管食道溝を走行し,外側への走行偏位は認めなかった(矢印は左反回神経)。

病理診断( 図5 :Adenomatous goiter with cystic formationと診断され,明らかな悪性像は認められなかった。

図 5 .

摘出検体と病理組織所見(HE染色40倍)

甲状腺左葉の大きさは9×6×5.5cmであった。大小不同の被膜のないコロイド濾胞の結節性増殖が認められた。

術後経過:術後1日目の喉頭内視鏡検査では,左声帯麻痺を認めるものの,喉頭斜位が解除されるとともに声帯は正中位固定となり,健側声帯の過内転なく声門閉鎖が得られるようになった。術後経過は良好で,術後7日目に退院となった。術後,レボチロキシンナトリウム水和物125μg/日の内服にて,甲状腺機能は安定して経過し,副甲状腺機能低下は認めていない。音声に関しては,聴覚印象は術前と変化を認めないものの,患者本人からは発声しやすくなったとの感想があった。術後10カ月時点で左声帯は左正中位固定のまま経過し,左声帯の可動性は認めていない。図6は術後4カ月時点での喉頭所見である。

図 6 .

術後4カ月の喉頭所見

左声帯麻痺を認めるものの喉頭斜位は解除されている。左声帯固定位置は正中位で,術翌日から変化を認めなかった。発声時に健側声帯の過内転はなく,声門閉鎖が得られていた。

Ⅲ 考 察

反回神経麻痺は術後性と非術後性に分けられ,非術後性の反回神経麻痺には迷走神経・反回神経走行路周辺の病変を原因とする麻痺の他,中枢性の麻痺などがある。本症例では反回神経走行路に巨大甲状腺腫瘍があり,反回神経麻痺の原因と考えられるが,その他の原因の可能性についてまず考察したい。

中枢性の反回神経麻痺は主に神経変性疾患,脳血管障害が原因で生じる。神経変性疾患では多系統萎縮症が多く,声帯の運動障害の原因は後輪状披裂筋の選択的な障害とされており両側性の声帯麻痺例の報告が多い[]。また,脳血管障害による反回神経麻痺では,軟口蓋の挙上不全を伴うことがほとんどである[]。いずれの場合も本症例とは合致しないと考えられる。その他に声帯の運動障害をきたす原因としては,披裂軟骨脱臼や関節リウマチに伴う輪状披裂関節の固着があげられるが,披裂軟骨脱臼は気管挿管や喉頭外傷に続発して起こることが多く[],本症例の既往に挿管歴や外傷歴,関節リウマチはないことから,本症例ではいずれの原因も否定的と考えられる。以上より,本症例の反回神経麻痺の原因は,巨大な甲状腺腫瘍と考えることが最も合理的である。

反回神経麻痺の原因となる甲状腺疾患は大部分が悪性腫瘍によるもので甲状腺良性疾患によるものは稀である[,]。甲状腺手術において,甲状腺良性疾患による術前の反回神経麻痺の割合は約0.7%との報告[,]があり,本邦での甲状腺良性疾患を原因とする反回神経麻痺の報告はわれわれが渉猟しえた限りは19例[16]のみである。その内,手術が行われた症例(手術症例)は14例(表1),手術が行われなかった症例(非手術症例)は5例(表2)であった。

表1.

甲状腺良性疾患による反回神経麻痺の本邦の報告例(手術症例)

表2.

甲状腺良性疾患による反回神経麻痺の本邦の報告例(非手術症例)

甲状腺良性疾患による反回神経麻痺の原因は,①腫瘍による神経の圧迫・圧排,②腫瘍による神経の牽引・伸張,③炎症の神経への波及が挙げられている[,]。本邦での報告では,腫瘍による圧迫が原因との報告が多く,牽引や炎症が原因と考察されている症例は少なかった。本症例では,左反回神経は気管食道溝を走行し,外側への走行偏位はなかったことに加え,術前の画像検査で高度な気管偏位が認められていたこと,病理診断は良性であったこと,腫瘍の神経への直接浸潤所見や神経周囲の癒着所見がなかったことから麻痺の原因は腫瘍による神経の圧迫の可能性が高いと考えられた。

本邦での報告例19例では,反回神経を合併切除した1例および麻痺の転帰が不明であった1例を除き,約76%(13例/17例)で反回神経麻痺の改善を認め,手術症例14例では75%(9例/12例)で術後に反回神経麻痺の改善を認めていた。また,非手術症例5例でも80%(4例/5例)で反回神経麻痺の改善を認めていた。これまでわれわれは,原因別の片側性反回神経麻痺の改善率については,特発性が約30%,術後性が約53%,挿管性が約91%,腫瘍疾患(悪性腫瘍が大部分)が約3%であったと報告している[17]。またその他の本邦での報告でも,特発性が16.7~50%,術後性が6.5~33.8%,挿管性が50.0%~81.8%と報告されている[1821]。以上の原因別の片側性反回神経麻痺の改善率と比較しても,甲状腺良性疾患による反回神経麻痺は手術によって改善が見込め,比較的予後がよい可能性が考えられる。また表2に示したように,囊胞や非腫瘍性病変の場合では,穿刺排液による圧迫解除や消炎などの治療によって改善の可能性があると考えられる。本症例では腫瘍による気管・喉頭圧排が手術により解除されたことにより,喉頭斜位が改善し,術後に固定声帯の位置が傍正中位固定から正中位固定へと変化したものの,残念ながら声帯運動の回復を認めなかった。

本症例において反回神経麻痺がいつ発症したのかははっきりわからないが,少なくとも嗄声が発症した2-3年前より以前から反回神経への障害が起こり始めていたものと思われる。Ruegerは麻痺の回復の可能性は麻痺の持続期間に相関するとしており[],本症例でも反回神経麻痺の発症から手術までに長時間が経過していた可能性が高い。

反回神経には声門開大筋を支配する運動神経,声門閉鎖筋を支配する運動神経に加え,感覚神経および自律神経線維が含まれている[22]。損傷を受けた反回神経の軸索が再生する過程で支配すべき対象(筋や末梢感覚受容器)につながらないことが,反回神経麻痺後に声帯運動が回復しない大きな原因として考えられており,過誤支配と呼ばれている[23]。本症例において術中に神経刺激への反応が認められたことから,神経構造の連続性は保たれていたものと考えられる。しかし,術後声帯の可動性は回復しなかった。この理由として,腫瘍圧迫によりダメージを受けていた軸索が再生する過程で起こった過誤支配が,長い経過の中ですでに完成していたためと考えられた。つまり,本症例では過誤支配がすでに完成していた結果,神経刺激装置による1.0mAの電流刺激により声門開大筋と声門閉鎖筋が共に収縮することとなり,有効な声帯運動は起こらなかったものの誘発筋電図波形は観察されたものと考えられた。

反回神経麻痺を伴う甲状腺腫瘍に対しては,表2に示すように自然回復する症例もあることから,一定期間(3~6カ月)の経過観察も検討すべきである。しかし,本症例のように長時間の経過に伴い手術を行っても改善しない症例もあることを考え,良性腫瘍であっても手術加療を検討する必要があるものと考えられた。

Ⅳ 結 語

術前から反回神経麻痺を認めた甲状腺良性腫瘍の1例を経験した。手術により腫瘍圧迫を解除したが,声帯運動は回復しなかった。嗄声発症後,手術治療までに長時間が経過しており,その間に過誤支配が完成していたものと推測された。

本論文に関連し,開示すべき利益相反関係にある企業などはありません。

本論文の要旨は,第69回日本気管食道科学会総会ならびに学術講演会(2017年11月8日,9日,大阪市)にて発表した。

【文 献】
 

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