現在,検出された腫瘍の遺伝子変異に応じて分子標的薬を処方するがんゲノム医療が様々な癌腫にて進展している。甲状腺がんにはBRAF,RET,NTRKなどのactionableな遺伝子異常の頻度が他の癌腫と比較して高い。しかし,承認されている薬剤は,NTRK阻害剤のみであり,現時点では効果の期待できる治療薬にたどり着くには数多くのハードルが待っている。RET癒合遺伝子を有する甲状腺がん,RET遺伝子変異陽性の甲状腺髄様がんに対しては,RET阻害薬の治験が進行中である。BRAF V600E変異又はALK癒合遺伝子を有する場合には,患者申出療養下の医師主導治験に参加可能であれば,薬剤の提供を受けることができる。個別化医療を推進するためには,初回治療時の遺伝子異常検査,トランスレーショナルリサーチ,臨床研究のための施設整備,多施設共同研究などを進めていく必要がある。
現在,検出された腫瘍の遺伝子変異に応じて分子標的薬を処方するがんゲノム医療が様々な癌腫にて進展している。がんゲノム医療は,がん個別化医療の一つであり,個人の遺伝子情報などを含む詳細な情報を基に「より精密な対応を行う医療」を意味するprecision medicineに含まれる。
がん遺伝子パネル検査は,2019年6月1日に保険適応になり,甲状腺癌にも実臨床で実施可能となった。甲状腺がんにはBRAF,RET,NTRKなどのactionableな遺伝子異常の頻度が他の癌腫と比較して高い。しかし,現時点では効果の期待できる治療薬にたどり着くには数多くのハードルが待っている。本稿では,甲状腺癌に対する治療開発の現状と課題について述べたい。
甲状腺癌の発生,増悪に関与する主な発がん経路として,RAS/RAF/MAPK経路とPI3K/AKT経路である[1]。MAPK経路の活性化は,細胞分裂,ヨードを取り込む濾胞細胞のトランスポーターであるナトリウム・ヨウ素シンポータ(NIS)を阻害し,ヨード不応の機序の一つと考えられており,MEKはこの経路の重要なキナーゼ蛋白である。
甲状腺乳頭癌(PTC)の約70%では,RASあるいはBRAFの遺伝子変異,あるいはRET/PTCとAKP/BRAFの再配列が認められるが,これらの異常のオーバーラップは稀である。甲状腺濾胞癌(FTC)ではRASの遺伝子変異(30~50%),PAX8/PPARγの再配列などの異常が報告されている。
PTCにおいてBRAFの遺伝子変異は最も頻度が高く,腫瘍発生の初期段階で生じる。BRAFの遺伝子変異の98~99%が,codon600のバリンがグルタミン酸へ置換(V600E)されている。V600Eの遺伝子変異は,甲状腺外浸潤,リンパ節転移,Tステージ進行,再発,ヨード取り込み低下,予後と関与しており,さらに,臨床的に悪性度の高い組織型,PTC由来のATCに認められる。欧米では約50%程度の頻度であるが,我が国含めた東アジアでは約70%とする報告もある。甲状腺未分化がん(ATC)におけるBRAF V600Eの変異の頻度はこれまでおよそ20~30%と報告があるが,韓国から約90%との報告もある。韓国は日本同様にPTCにおけるBRAF V600Eの変異頻度がおよそ80%と高いことから,本邦におけるATCのBRAF V600Eの変異頻度が高いことが予想される。
RET/PTCとは通常甲状腺濾胞細胞ではほとんど発現していないRETチロシンキナーゼが染色体再配列により,このRETのC末端側のキナーゼドメインと,癒合するパートナー遺伝子のN末端側が結合した癒合遺伝子である。RETの癒合遺伝子は甲状腺癌において10~20%,RETの遺伝子変異は甲状腺髄様がん(MTC)にて散発性で60%以上,遺伝性で90%以上に認められる。家族含めた遺伝子カウンセリングも重要となる。
神経栄養因子チロシン受容体キナーセ(Neurotrophic tyrosine receptor kinase:NTRK)1,2および3は,それぞれトロポミオシン受容体キナーゼ(TRK)タンパク質であるTRKA,TRKBおよびTRKCをコードする。胚発生後,TRKの発現は,主に神経系に限定され,これらのキナーゼは疼痛,自己受容,食欲および記憶を調節するのに役立つ。TRK癒合遺伝子は,肺癌,胃癌,大腸癌など一般的な癌患者では1%未満に生じる一方,唾液腺癌(乳腺相似分泌がん),乳児型繊維肉腫,PTCでは比較的高率に認められる。PTCにおけるNTRK癒合遺伝子の頻度は5~13%と報告されている。
2007年に自治医大のグループによって,echinoderm microtubule-associated protein-like 4(EML4)-anaplastic lymphoma kinase(ALK)融合遺伝子は,肺癌のドライバー遺伝子であることが発見された[2]。肺癌におけるALK癒合遺伝子の頻度は約5%であるが,甲状腺癌においてもALKの癒合遺伝子が報告されている。PTCに8%,低分化癌(PDTC)に9%,ATCに4%と比較的稀である。EML4-ALK癒合遺伝子(39%)以外にも,Striatin(STRN)-ALK癒合遺伝子が50%程度に認められ,臨床的に悪性度が高いと報告されている。
BRAF阻害薬ベムラフェニブは,BRAF V600E陽性のPTCに対して血管新生阻害剤投与歴ない場合(26例)は奏効率38.5%,血管新生阻害剤投与歴ある場合(25例)は27.3%と良好な抗腫瘍効果を示した[3]。無増悪生存期間中央値は,血管新生阻害剤投与歴ない方が良好であった(18.3カ月 vs. 8.9カ月)。
BRAF阻害薬ダブラフェニブは,BRAF V600E陽性のPTC(14例)に対して奏効率29%,奏効期間中央値8.4カ月と,治療耐性が課題と認識された[4]。
BRAF阻害薬の投与により変異BRAFを介するシグナルを失うが,同時に,線維芽細胞が活性化され細胞外マトリックスの産生およびリモデリングが亢進し,その結果,がん細胞はインテグリンβ1-FAK-Srcシグナル伝達経路を介してERKを再活性化し,生存し増殖をつづけることが示された[5]。そのため,MEK阻害薬を併用することで,耐性を克服する試みが行われてきた。実際,BRAF V600E陽性の悪性黒色腫においてダブラフェニブとMEK阻害薬トラメチニブの併用療法は,ダブラフェニブ単剤との比較試験,ベムラフェニブ単剤との比較試験いずれにおいても統計学的有意に無再発生存期間,全生存期間を延長させた。
放射性ヨード内用療法(Radioactive Iodine:RAI)抵抗性かつBRAF変異を有するPTC患者を対象としたダブラフェニブとトラメチニブの併用療法とダブラフェニブ単剤療法との比較第Ⅱ相試験(N=53)において,奏効割合は,併用群54%,単剤群50%(p=0.78),無増悪生存期間中央値は,併用群15.1カ月,単剤群11.4カ月(p=0.27)と,併用療法はやや良好な有効性が示された。さらに安全性プロファイルも併用療法においてより良好であることが示された。この結果から,PTCにてBRAF V600E変異が認められた場合は,エキスパートパネルからダブラフェニブとトラメチニブの併用療法が推奨されている。現在,患者申出療養下での医師主導治験に参加可能であれば,この両剤の提供を受けることができる(表1)。

甲状腺がんを対象とした新規薬物療法の臨床試験
BRAF V600E変異は甲状腺未分化癌(ATC)でも20~30%で認められるため,BRAF V600E変異を有する希少がん患者を対象としてダブラフェニブとトラメチニブの併用療法の第Ⅱ相試験が実施された。ATCコホート(16例)の結果が報告された。奏効割合は69%,中央判定でBRAF V600E変異が確定した15例に限ると奏効割合は74%と高い抗腫瘍効果を示し,さらに1年無増悪生存割合と全生存割合はそれぞれ79%と80%と良好な治療成績も示された[6]。この結果から,米国では同療法がBRAF V600E変異陽性の切除不能または転移を有するATCに承認されている。本邦からも患者登録しており,より早期の効能追加を期待したい。さらに,この併用療法は,術前治療としての有用性も報告されている[7]。切除不能例が切除可能となり長期生存も得られていることから,この併用療法によりATCの予後改善が期待される。免疫チェックポイント阻害剤,放射線治療との併用も検討されている(表1)。BRAF変異はヨウ化ナトリウム共輸送体に変化させることでヨードの取り込みを減少させるため,放射性ヨード内用療法の効果を減弱させる可能性があることから[8],BRAF阻害剤と放射性ヨード内用療法との併用も検討されている(表1)[9]。MEK阻害剤であるセルメチニブ[10]により放射性ヨウ素の取り込みを回復させる試みも進行中である。
2)RET阻害薬RETはレセプター型のチロシンキナーゼである。RETはMTCで重要な治療標的であるが,これらRET癒合遺伝子を有するPTCにおける治療開発でも期待される[11]。
セルパーカチニブ(Selpercatinib)は,RETを選択的に阻害する薬剤である[12]。RET遺伝子変異陽性のMTCに対して59%,RET癒合遺伝子陽性の甲状腺癌に対して78%と良好な抗腫瘍効果が報告されている。この結果から,RET遺伝子変異陽性のMTCを対象とした国際共同第3相試験(LIBRETTO-531)が開始されている(表1)。RET 癒合遺伝子陽性固形癌,RET遺伝子変異陽性MTCおよび固形癌を対象に第Ⅰ/Ⅱ相試験(LIBRETTO-001)も本邦で進行中であることから,RET癒合遺伝子陽性の甲状腺癌患者も治験参加可能である(表1)。
3)NTRK阻害薬NTRK阻害剤であるラロトレクチニブは,NTRK融合遺伝子を有する固形癌患者を対象とした試験において,奏効率80%,1年無増悪生存55%と良好な結果を示し,米国では承認されている[13]。本邦からもこの試験に患者登録継続しており,今後承認される見込みである(表1)。小児または成人固形癌を対象としたラロトレクチニブの3試験に登録された159例の有効性・安全性データが報告されている[14]。CR 16%,PR 63%,無増悪生存中央値28.3カ月,全生存期間中央値44.4カ月と良好な治療成績であった。
ラロトレクチニブ含むNTRK阻害剤への獲得耐性としてTRKA G595Rなどの遺伝子変異が報告されている[15]。現在これらをターゲットとした第2世代のTRK阻害剤(LOXO-195)の第Ⅰ/Ⅱ相試験(NCT03215511)も進行中である。この他,NTRKとROS1を阻害するエントレクチニブは,NTRK融合遺伝子を有する固形癌患者に対して奏効率57%を示し,本邦でも承認されている[16]。
4)ALK阻害薬ALK阻害薬であるクリゾチニブがALK癒合遺伝子陽性の進行・再発非小細胞肺癌に著明な効果を示し,2012年に承認された。その後,第2世代のALK阻害薬として,2014年にアレクチニブ,2016年にセリチニブが相次いで承認されている。
クリゾチニブがALK癒合遺伝子陽性のATC,MTCに著効したことが報告されており[17,18],肺癌同様にALK癒合遺伝子陽性の甲状腺癌に対する有効性が期待される。甲状腺癌患者が参加可能なALK阻害剤の臨床試験はいずれも中止となっているが,本邦ではALK癒合遺伝子陽性の固形癌を対象とした医師主導治験が進行中である(表1)。
5)RAS阻害薬RasにはKRAS,NRAS,HRASの3種類が存在するが,このうちHRASはファルネシル化を受けることで活性化される特徴がある。そのためファルネシル転移酵素阻害薬はHRAS変異を有する癌種において治療標的となり,同阻害剤のtipifarnibは第Ⅱ相試験において頭頸部扁平上皮癌21例中10例(56%)で部分奏効が確認されている[19]。同試験には甲状腺癌も対象に含まれており,最終報告が待たれる。なお,HRAS過剰発現の低分化がんと未分化がんマウスモデルでもtipifarnibによる腫瘍縮小効果とその耐性機序についての解明が進んでいる[20]。
現在,がん遺伝子パネル検査は,標準治療がないまたは終了したなどの条件を満たす場合のみに保険適応となることから,初回治療時のがん遺伝子異常が検索できない。他の癌腫では,先進医療として固形がん患者の初回治療時のがん遺伝子パネル検査の実現性と治療選択の有用性を評価する臨床研究を開始されており[21],甲状腺がんにも同様の臨床研究を行うことが,個別化治療推進に繋がると思われる。
甲状腺がんに対して様々な分子標的薬が治療開発中であり,新たな治療選択肢が増えることが期待される。しかし,いずれの分子標的薬も治療耐性が問題となっている。耐性メカニズム解明,新たな治療ターゲットの探索のためには,トランスレーショナルリサーチが重要である。しかし,我が国では未だにバイオバンクなどの施設整備が進んでいない施設が多く,臨床研究の施設整備も重要な課題である。また,甲状腺がんは比較的稀ながんであることから,単施設の検体数では限界があるので,多施設共同研究も推進していく必要もある。