日本内分泌・甲状腺外科学会雑誌
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特集1
乳頭癌の遺伝子異常
光武 範吏
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2021 年 38 巻 1 号 p. 2-5

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抄録

甲状腺乳頭癌(papillary thyroid carcinoma:PTC)は甲状腺癌の約9割を占める頻度の高い癌である。PTCでは,mitogen-activated protein kinase(MAPK)経路を恒常的に活性化する変異が主たるドライバー変異とされ,PTC発生に大きな役割を果たしている。成人ではBRAFV600E 変異が多いが,年齢が低くなるとRET/PTCなどの融合遺伝子の頻度が上がる。また,放射線被ばくによって発生するPTCでも融合遺伝子の頻度が高い。近年,これらに加え,TERTプロモーター変異が注目され,この変異を持つPTCは,臨床病理学的な悪性度が高く,予後不良であることが分かってきた。この変異は,年齢と非常に強い相関があり,45歳くらいから検出されるようになり,高齢者ではその頻度が急増する。現時点で最もインパクトの高い変異である。

はじめに

甲状腺乳頭癌(papillary thyroid carcinoma:PTC)は,甲状腺ホルモンを合成・分泌する甲状腺濾胞細胞系を由来として発生する。近年,甲状腺癌の罹患数は世界的に増加しているが,その多くはPTCによるものである。我が国では甲状腺癌の約9割がPTCで,その多くが予後良好であり,さらに微小乳頭癌(腫瘍径1cm以下)で低リスクなものに対しては,積極的経過観察を行うことが主流となりつつある。しかし,進行癌の約1割程度は再発・転移をきたし,放射性ヨード治療,さらには分子標的治療が行われるものの,制御に難渋し,最終的には癌死する症例もある。このようにPTCは,非常に幅広い悪性度を持つユニークな癌である。またステージ分類も非常にユニークであり,55歳未満では遠隔転移があってもステージⅡまで。55歳以上で癌の進展によってステージⅠ~Ⅳとなる。これは,若年者では放射性ヨード治療などに反応が良く,予後が比較的良好なためである。高齢者は予後が悪い症例が出てくるが,実は予後良好なものも多く,例えば積極的経過観察を行った例などでは,高齢者の方が観察中の進展例は少なかった。

癌は主に遺伝子変異による疾患であるとされ,近年の次世代シークエンサーをはじめとした網羅的遺伝子解析技術の飛躍的な進歩により,PTCにおいても遺伝子変異の全貌が明らかになりつつある。その主要なものが米国で行われたThe Cancer Genome Atlas(TCGA)プロジェクトで,約500例のPTCに対して網羅的な遺伝子変異・発現解析が行われた[]。解析データは一部が公開され,PTCにおける遺伝子解析結果のゴールドスタンダードとなっている。本稿では,これら最近の研究成果を含め,PTCにおける遺伝子異常,特に発生・進展・悪性度に関わる遺伝子異常を概説する。

PTC発生に関わるドライバー変異

癌の発生や悪性化に直接的に関わる遺伝子変異のことをドライバー変異と呼ぶ。通常,ドライバー変異は重要な癌遺伝子変異や癌抑制遺伝子変異のことであるが,PTCにおいてはTP53RBなどの癌抑制遺伝子変異の頻度は低く,多数で重要な役割を果たしている癌抑制遺伝子異常はよく分かっていない。すなわち,PTCにおけるドライバー変異ですでに知られているものは,ほとんどが癌遺伝子変異である。

PTC発生に関わるドライバー変異は,mitogen-activated protein kinase(MAPK)経路と呼ばれる細胞内シグナル伝達経路を恒常的に活性化する変異が主である[]。MAPK経路は,様々なGrowth Factorに対する受容体型チロシンキナーゼから,転写因子までシグナルを伝える経路のひとつで,その名の通り,細胞の増殖に関わるとされる(図1)。その他,甲状腺濾胞細胞では,このシグナルが亢進すると,細胞は脱分化すると言われている。通常,成人の散発性PTCで最も頻度の高い遺伝子変異がBRAFV600E である。BRAFはセリン・スレオニンキナーゼの一種であり,CRAFと共にRASからのシグナルをMEKに伝える役割がある。PTCにおけるBRAF変異はほとんどがp.V600E変異であり,これによって上流からのシグナルなしに,BRAFは恒常的に活性化した状態となり,MAPKを常に活性化し続ける。成人散発性PTCでの頻度は約60~80%とされ,我が国を含め東アジアでは検出頻度が高い[]。次に頻度が高いドライバー変異がRET/PTCと呼ばれる融合癌遺伝子(fusion oncogene)である。RETは甲状腺濾胞細胞ではほとんど発現していない受容体型チロシンキナーゼだが(注.甲状腺髄様癌の由来であるC細胞では発現している),染色体再配列によって融合遺伝子となり,RETと融合した他遺伝子のプロモーターにより発現するようになったものである。融合する相手によって15種類以上のRET/PTCが報告されているが,RET/PTC1RET/PTC3で約9割を占める。どちらも10番染色体の逆位によって起こる。融合した他遺伝子にはcoiled-coilドメインを持つものが多く,そのためリガンドなしに二量体を作り,自己リン酸化によって恒常的にMAPKを活性化する(図1)。成人PTCで,10~15%程度検出される。散発性PTCでは,その他に頻度は少ないがETV6/NTRK3融合癌遺伝子がみられることがある(数%,図1)。RAS変異がみられることもあるが,日本人症例を用いた自験例ではさらに少ない。変異RASは,甲状腺濾胞細胞においてMAPK経路よりもPI3K-AKT経路を優先的に活性化するようで,こちらは主として甲状腺濾胞癌の発生と関連がある。また,PTCでも濾胞亜型にしばしばRAS変異がみられる。

図1.

甲状腺分化癌の発生に重要な役割を果たしている遺伝子異常

上記遺伝子変異の頻度は年齢によって異なっており,小児ではRET/PTCのような融合遺伝子の頻度が上昇する。また,放射線誘発癌においても融合遺伝子の頻度が上昇するとされる[]。しかし,福島県における原発事故後の小児に対する甲状腺スクリーニングによって発見されたPTCにおいては,BRAFV600E 変異が多く,これはこれらPTCが放射線誘発でないことを示唆するとともに,小児・若年者PTCでも実はBRAF変異がその発生に大きく関わっていることを示している[,]。これは仮説だが,小児・若年者PTCでは,RET/PTCのような融合遺伝子にgrowth advantageがあり,臨床的に発見されてくるものの多くが,結果的に融合遺伝子を持っていることになると思われる。

遺伝子変異と遺伝子発現パターン

先に述べたTCGA研究により,PTCを遺伝子発現のパターンにより分類するBRAF-RASスコアが提唱された[]。それぞれBRAFV600E 変異とRAS変異を持った腫瘍の遺伝子発現パターンを分析し,特定の遺伝子群の発現の違いをスコア化したものである。このスコアと遺伝子変異には特徴的な相関がある(図2)。ここで断っておくが,米国ではRAS変異の頻度はやや多く,それは病理診断において積極的に乳頭癌の核所見ありと判断している可能性がある。つまり,日本では濾胞性腫瘍とされているものが,米国ではPTCと診断されている可能性がある。また,甲状腺特異的遺伝子発現は,BRAF-RASスコアにおいてRAS寄りのものほど高い(図2)。甲状腺特異的遺伝子の発現では,TSHレセプターやヨードトランスポーターなどが含まれ,特にヨードトランスポーターは放射性ヨード治療の反応性に関わるという臨床的意義がある。ETV6/NTRK3を持つPTCは,BRAF変異とRAS変異のちょうと中間的な遺伝子発現パターンを取る(図2)。

図2.

PTCにおける遺伝子変異と遺伝子発現のパターン

TERTプロモーター変異

近年,染色体末端のテロメア構造の伸長に関わる遺伝子telomerase reverse transcriptase:TERTのプロモーター領域に変異が発見された[]。変異のほとんどは2ヶ所のどちらかで,TERTの翻訳開始点から上流-124,-146である(図3)。これらの変異によって転写因子ETSファミリーの結合領域が作られ,BRAFV600E 変異のようにMAPK経路を活性化する変異が同時にあると,TERTの転写を強く亢進させると考えられている。

図3.

(上段)TERTプロモーター変異(下段)BRAF変異,TERTプロモーター変異と無再発生存曲線

TERTは,従来から言われているテロメアを伸長する機能以外にも,β-cateninやNF-κBなどの分子と関連し,癌の高度悪性化に関わるとされる[]。この変異の頻度は,成人PTCで約10%であり,BRAFV600E 変異のような地域差はないようである。また,この変異は非常に強い年齢相関性があり,日本人症例を用いた自験例では,45歳未満ではほぼみられず,年齢とともにその頻度が急増する[]。このTERTプロモーター変異は,BRAFV600E 変異の有無とも非常に強い相関がある。ほとんどのTERTプロモーター変異ありPTCは,同時にBRAFV600E 変異があり,そのため,TERTが高発現する状態となる。

遺伝子異常と悪性度との相関

BRAFV600E 変異が発見されてよりこれまで,欧米からを中心として,この変異があるPTCは悪性度が高く,予後が悪いとする数多くの報告がなされた。しかし,我が国におけるこの変異の頻度は高く,自験例でも日本人症例ではこれは否定的であった(図3下段BRAF mut)[]。明らかな証拠があるわけではないが,もともとBRAFV600E 変異の頻度が高い東アジアからの報告において,このBRAFV600E 変異と悪性度の相関がみられないとするものが多い。

これとは対照的に,TERTプロモーター変異は,これまでのほぼすべての報告で,悪性度との相関があるとされている。この変異を持つPTCは,年齢,腫瘍径,甲状腺外への進展,遠隔転移,放射性ヨード不応性,そして再発などと有意な相関があると報告されている。われわれも日本人症例でこれを確認している(図3,下段)[10]。われわれはまた,この変異の有無と病理組織切片における細胞分裂のマーカーとされるKi-67免疫染色とを組み合わせると,より高精度に再発を予測できることを報告した[]。

自験例も含め,TERTプロモーター変異を持ったPTCでは,確かにTERT mRNAの発現が高いことが分かっている。われわれはさらに,この変異のないPTCにも,一部TERT mRNAの発現が高いものがあり,これらの症例も再発率が高いことを明らかにした[10]。上述の通り,TERTプロモーター変異は高齢者に多く,中年以下にはほぼみられないが,この変異なし・高発現症例はむしろ比較的若い年齢に多くみられ,TERT高発現は若年者における再発を予測できるマーカーとなる可能性が示唆された[10]。

おわりに

現時点におけるPTCの遺伝子異常と予後の概略を図4に示す。臨床においてインパクトの高い遺伝子変異としては,TERTプロモーター変異があげられるが,これは比較的高齢者のみにみられるものである。現在,標準治療に抵抗性となったPTCでは,sorafenibやlenvatinibが分子標的薬として使用されているが,これらの主な作用はVEGFR阻害と考えられる。今後,PTCのドライバー変異であるBRAFV600E 変異やRET fusion,NTRK fusionに対する治療の開発が進む可能性がある。

図4.

年齢と悪性度別にみたPTCの分類

【文 献】
 

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