日本内分泌・甲状腺外科学会雑誌
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特集1
福島県「福島県民健康調査」における病理診断(細胞診・組織診)の概容と“過剰診断”に関する考察
坂本 穆彦
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2022 年 39 巻 1 号 p. 23-27

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抄録

2011年3月の東日本大震災にひき続いて発生した東京電力第1発電所事故は,その後にいくつもの大きな問題を残した。その1つが小児甲状腺癌発生の危惧であった。これに対し,福島県は福島県「福島県民健康調査」の中で甲状腺検査を施行し,今日に至っている。本稿ではこれまでの甲状腺検査の病理診断(細胞診・組織診)について概略を示す。直近のデータでは,細胞診で“悪性”ないし“悪性の疑い”と判定された266例中,222例がすでに手術をうけた。手術検体の組織学的検索結果によれば,乳頭癌218例,濾胞癌1例などであった。高線量被曝のチェルノブイリ症例と比べるといくつかの相違点がみられている。この調査について“過剰診断”であると批判する立場がある。その意味はわれわれ病理診断に携わる者が用いる“過剰診断”とは異なっている。“過剰診断”という用語の定義と用い方に統一性がない。この解離への対応につき,疫学者とは異なる立場に立つわれわれの見解を示したい。

1.はじめに

2011年3月の東日本大震災に引き続いて発生した東京電力福島第1原子力発電所事故は,さまざまな問題を引き起こした。その1つに小児甲状腺癌発生に関する危惧があった[]。平時では発生頻度がきわめて低い小児甲状腺癌が,1986年4月のチェルノブイリ原発事故後に多発した[,]。その後の解析によって,チェルノブイリ症例は原発事故に発生した放射線誘発癌と認定された[]。

対策として福島県は,福島県「福島県民健康調査」というプロジェクトをたちあげた[]。その中に甲状腺検査が組み入れられた。甲状腺検査の実質的活動は2011年秋に開始され,今日に至っている。筆者は甲状腺検査部門に設置された病理診断コンセンサス会議の議長を発足当初より担当し,細胞診・組織診の結果のとりまとめを行っている。

本稿ではこれまで11年間の甲状腺検査の中で施行されてきた病理診断(細胞診,組織診)について,その概容を示す。

さらに,「福島県民健康調査」についてのさまざまな団体・個人からの論評の中に“過剰診断”という用語がよく使われる。病理診断に携わる側にとっては“過剰診断”は誤診の1型である。他方,疫学者およびその支持者は,検査対象の幅が広すぎて,不都合が生じていると考えられる状況を“過剰診断”とよんでいる。違う内容を同じ用語を用いることが誤解のもとにもなっている。この点につき,われわれの見解を述べる。

2.臨床検査における病理診断の位置づけ

「癌の確定診断とは病理学的診断をいう」[]ことは,腫瘍診断学におけるセントラル・ドグマである。つまり,病理診断は確定診断(最終診断)として用いられている。

病理診断(pathological diagnosis)と病理検査(pathological examination)は重なりあう内容を含んでいる。病理診断は,顕微鏡所見とそれをもとにした病変内容や病名に関する判断を意味する。他方,病理検査は検体採取や標本作製のほか診断までも包括する用語である。病理検査/病理診断の具体的内容は表1の如くである。この中で,福島県民健康調査で二次検査(精密検査)として施行されているのが穿刺吸引細胞診(fine needle aspiration:FNA/fine needle aspiration cytology:FNAC)である。

表1.

病理検査/病理診断

3.甲状腺検査における細胞診の意義

前述した様に,癌の確定診断は病理診断によるとされているが,より具体的には組織診によると認識されている。

病理診断には組織診と細胞診が含まれるが,一般には組織診は確定診断,細胞診は補助診断として扱われる。それは,細胞診が第2次世界大戦後に臨床的に広く用いられている様になった時点では穿刺吸引細胞診は行われておらず,細胞診といえばもっぱら剥離細胞診であった時代から一貫した扱われかたである。

生検組織診検体に比べると,剥離細胞診による細胞は,生体から離れて標本作製過程に組み込まれるまでの間に,すなわち検体採取から固定までの間に変性が生じ,細胞形態が変化する。このタイムラグによる変化はアーテファクト(artefact)とよばれ,病変の診断を不明瞭なものにする要因となる。したがって,生検組織診による判断の方が,細胞診よりも精度が高いと評価されてきた。

しかし,穿刺吸引細胞診の登場により,前述のタイムラグは消失したため,細胞にタイムラグによるアーテファクトは生じなくなった。このため,診断内容はより精緻になった。しかし,多くの領域では生検組織診に比べると細胞診検体では採取される細胞量が少なく,全体として細胞変化の情報量が少ないきらいのあることは否めない。したがって,乳腺細胞診など多くの穿刺吸引細胞診は補助診断の位置づけにとどめられている。

しかしながら,甲状腺穿刺吸引細胞診は例外的に針生検組織診の診断内容と同等かあるいはそれを凌駕するとの評価を得ている。

甲状腺穿刺吸引細胞診と針生検組織診の判定内容を具体的に比較すると,標本が適正であれば,乳頭癌・未分化癌・髄様癌・橋本病では両者の判定内容に差違はない。他方,濾胞癌と濾胞腺腫の鑑別は両者共,穿刺材料では不可能である。脈管浸潤や被膜浸潤の有無の判断は両者共不可能だからである。さらに,リンパ球は物理的刺激で崩壊しやすく,太い針を用いる針生検組織診では細胞診よりも壊れやすい。そのためにリンパ腫の診断では,組織診で判定不能となっても,細胞診では判定可能なこともまれではない。検査による患者への負担については,細胞診では麻酔は不要であり,検査後の出血などの副作用出現は少ない。

これらの理由により,甲状腺穿刺吸引細胞診はその有用性が認識された[10]。このため臨床的には針生検組織診は用いられず,穿刺吸引細胞診が重用される状況になった。つまり,治療開始前検査では,診断確定のために用いられることが一般的になっている。この様な流れの中で,福島県民健康調査では針生検組織診は用いられず,精密検査の手法としては超音波ガイド下の穿刺吸引細胞診のみが採用されている。

4.福島県民健康調査における穿刺吸引細胞診の位置づけ

表2の様に,福島県民健康調査では原発事故発生時に18歳以下であった福島県民約38万人を対象に一次検査(スクリーニング検査)が行われている。受診は任意である。一次検査のポータブル超音波検査で定められた基準を超える結節や嚢胞がある場合には,二次検査(精密検査)が勧められる。

表2.

甲状腺検査(福島県民健康調査)

二次検査の検査項目には穿刺吸引細胞診が含まれている。標本は直接塗抹法(従来法)によって作製される。穿刺針内の残余の検体は,液状処理法(liquid based cytology:LBC)に供される。

5.先行検査の結果

原発事故後3年(2011年~14年)の間に1巡目の超音波検査が行われた。これを先行検査とよぶ。二巡目以降は本格検査とよばれる。本格検査では20歳までは2年おきに,20歳以降は5年おきに検査をうけることができる。

先行検査結果は表3に示されている。529名に細胞診が行われ,その内116名が“悪性”ないし“悪性の疑い”と判定された。細胞診の判定は「ベセスダシステム」および「甲状腺癌取扱い規約」第8版にもとづいて行われている[1114]。

表3.

先行検査結果(2011~2013年度実施)

116名中102名が手術をうけた。手術材料の組織診では,そのほとんどが乳頭癌であった。

6.本格検査の結果

これまでの経過および検査結果は,福島県ホームページにより随時公表されている。われわれはこの結果に基づいた考察も含めた発表を行ってきた[1516]。

表4は,先行検査と本格検査を合計して全体像を示したものである。

表4.

細胞診・術後組織診結果

これまでの細胞診で“悪性”ないし“悪性の疑い”とされた266名中,222名が手術をうけた。術後の組織学的検査では乳頭癌がほとんどで,その他の組織型は濾胞癌,低分化癌であった。

乳頭癌の比率が圧倒的に高いことは検査結果の大きな特徴である[1718]。乳頭癌の組織亜型の内容は公表されていないが,乳頭癌のほとんどは通常型(古典型)であった。チェルノブイリ症例で多くみられた充実亜型(solid variant)[19]はほとんど認められなかった。

7.放射線誘発癌の可能性

福島症例はチェルノブイリ症例とは異なり,低線量被曝症例のみである。

福島県「県民健康調査」検討委員会は,令和元年7月に「甲状腺検査(検査2回目)に発見された甲状腺がんと放射線被曝との間に関連は認められない」とした。ただし,これは「現時点において」,「検査2回目の結果に限定」したものであって「将来的な見通しに言及したものではない」という点に留意が必要とされている[20]。まとめとして,「今後の評価の視点」としては「甲状腺検査及びその評価について,引きつづき検討していく必要がある」とされた。

福島症例と放射線との関係は,積極的に関連づける根拠がないために「・・・関連は認められない」という表記になっているが,検討委員会では両者の「因果関係については,肯定・否定とも断言することはできないと考える」との意見も出されている。

8.“過剰診断”について

病理診断を担当する病理医(含病理専門医),細胞診専門家(含細胞診専門医,細胞検査士)は,“過剰診断(overdiagnosis)”は従来より誤診の1つの形としてのみ用いてきた。良性を癌と誤って診断するたぐいの誤診を指す。癌を良性と誤るような過小診断(underdiagnosis)とともに避けねばならぬものとして認識されてきた[21]。

他方,疫学者およびその同調者は,過剰に不必要と思われる検査を行うことを過剰診断とよび[22],例えば「福島県民健康調査」には過剰診断が行われている,あるいはその可能性があるとのべている[2324]。これは“病理診断に誤診がある”という意味にとらえられかねない表現であり,われわれ病理診断に携わる病理医,細胞診専門医にとっては憂慮すべき事態である。診断と検査の違いについての認識不足による用語と思われる。

疫学者らは彼らのいう過剰診断には誤診は含まれていないと注釈を加えることもある[22]が,これが誤解をなくす最良の方法とは思われない。たとえば過剰検査(overexamination, overtesting)など別な用語を用いることを希望したい[21]。過剰診断を病理診断における誤診の1つとして用いてきた立場の方がその使用の歴史は長い。

【文 献】
 

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