抄録
柑橘に関する従来の地理学研究では,生産や流通に関する研究の蓄積がみられるが,需要の実態についての研究が少ない。本研究では,全国有数の柑橘生産額であった和歌山県と,全国有数の人口規模であった和歌山市街を事例に,近世後期から明治前期の柑橘需要を検討した。近世中期の主力の柑橘品種は小蜜柑であり,歳暮や正月飾りとして利用された。近世後期には品種数が大幅に増加し,贈答品や装飾品,子どもの菓子代わりとして需要が拡大した。また,近世後期には今日の温州に相当する品種も登場したが,無核のため縁起の観点から好まれなかった。明治前期,柑橘の商品流通の機会が増加する中で,温州が日常的な嗜好品として注目され始めた。つまり,供物や贈答品から日常的な嗜好品への柑橘需要の変化が,今日の温州の生食による大量消費の端緒と位置づけられる。和歌山の事例を通じて,近世後期から明治前期にかけての嗜好品需要の変化の一端を明らかにした。