抄録
本稿は、会話分析(conversation analysis; Sacks, Schegloff, & Jefferson, 1974など)を分析的枠組みとして援用し、映画『クレイマー、クレイマー』(原題:Kramer vs. Kramer)における主人公テッド・クレイマーとふたりの女性(元妻のジョアンナ・クレイマー、彼女の友人マーガレット・フェルプス)とのやりとりを分析し、このやりとりのなかでテッドが実践するマンスプレイニング、そしてこの実践の根底にあるミソジニーについて考察する。分析の結果、テッドがマンスプレイニングを実践する際には、その前に会話の流れとは異なる隣接ペアを開始する、発話を重複させる、発話を遮って、相手の発言権を奪うといった特徴があることが明らかになった。そして、ミソジニーを基盤とし、テッドは、フェミニスト的価値観を具現化し、家父長制を遵守しないジョアンナにはマンスプレイニングを継続した一方、ミソジニーを内面化することになったマーガレットには、マンスプレイニングをするのをやめ、家父長制における「いい母親」や「聖女」の役割を付与したのである。