2026 年 16 巻 p. 95-110
| 寄稿(エッセイ) |
MEDIA, ENGLISH AND COMMUNICATION, No.16 2026 The Japan Association for Media English Studies |
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The Art of Political Storytellingをめぐる考察
メディア英語談話分析研究分科会(宮崎康支(福岡大学客員研究員・関西学院大学客員研究員)、神徳和子(福岡大学)、石上文正(人間環境大学)、仲西恭子(関西外国語大学短期大学部)、稲永知世(佛教大学)、井上みゆき(ロイヤルメルボルン工科大学ベトナム校)、東海林康彦(フリーランス翻訳者))
1. はじめに(宮崎康支)
メディア英語談話分析研究分科会では、2024年より、イギリスの言語学者Phillip Seargeant氏の著作 The art of political storytelling: Why stories win votes in post-truth politics (Seargeant, 2020) の翻訳及び精読と、それに基づいた研究討議を行っている。同書は政治家が言葉によって「物語」を創り出し、社会を動かしていく過程を論じたものである。同書の刊行は本稿の執筆時点で6年ほど前になるが、現代の日本国内外の政治情勢に照らすと、古いどころか、むしろ先取的だったのではないかと思わされるほど示唆に富んでいる。そこで本稿では同書の概要を紹介したうえで、1,3,4,5,10,12の各章の翻訳を担当した分科会メンバーによる、各章の概念から触発を受けた応用的な小論を紹介する。さらに既刊書評から、本書に対し指摘された課題を概説する。なお、固有名詞の表記は、各節の執筆者の意図を尊重していることを予め断っておく。
参考文献
Seargeant, P. (2020). The art of political storytelling: Why stories win votes in post-truth
politics. Bloomsbury Academic.
2.本書各章の概要(神徳和子)
本書は、政治におけるストーリーテリングの役割を歴史的・理論的・実践的な視点から考察し、政治家が語る「物語」が世論形成や民主主義に与える影響について述べている。さらに、ポスト真実時代における政治的ナラティブの可能性と危険性を通して、言葉と権力の関係を再検討している。
1 Setting the scene 第1章 場面の設定
英雄譚に共通する物語構造が、現代政治においても有効に機能していることを示す。特にトランプ現象を例に、政治が事実よりも「説得力のある物語」によって支えられる側面を論じている。
2 Let’s begin with the facts第2章 ファクト(事実)から始めよう
ポスト真実を「事実の否定」ではなく、「事実の解釈をめぐる政治」として捉える。政治的レトリックや感情動員の歴史を踏まえ、現代社会における真実概念の揺らぎを検討している。
3 Popular fiction第3章 受けのよい作り話
ポピュリズムは「国民 vs エリート」という単純なナラティブによって感情を動員し、事実よりも共感や怒りを政治的説得の中心に据える政治スタイルとして広がっている。ポスト真実政治とポピュリズムは同一ではないが、両者は感情的なストーリーテリングを通じて結びつき、現代政治における重要なナラティブを形成している。
4 Explanatory stories第4章 説明的なストーリー
現代政治は、ニュースメディアとSNSによる娯楽化の影響を受け、政策中心から物語中心へと変化している。この政治とエンターテインメントの融合は、政治的ストーリーテリングの重要性を高めている。
5 What makes a good story? 第5章 良い物語とは?
ナラティブは単なる語りではなく、人々の経験理解やイデオロギー形成に関わる重要な文化的構造である。政治は、普遍的な物語パターンを利用することで、人々の感情や価値判断に働きかけている。
6 Dramatic structure第6章 ドラマティックな構造
政治的ストーリーテリングは、感情移入を生み出す演劇的ナラティブによって構成されている。そのため政治家は、自らを物語の主人公として演出しながら、社会変化を新たな物語の開始として提示する。
7 Hope and fear第7章 希望と恐怖
政治的ナラティブが「希望」と「恐怖」という基本感情を通して人々を動員する仕組みが論じられている。さらに、政治言語のフレーム化や反復が、人々の現実認識や価値判断を形成する過程が、認知言語学や心理学の観点から説明される。最終的に、政治的説得は政策そのものだけでなく、人々が共感できる物語構造によって支えられていると示される。
8 A post-truth lexicon第8章 ポスト真実の語彙集
ポスト真実時代の政治において、言葉が単なる情報伝達ではなく、ナラティブを支配するための道具として機能していることを分析する。また、ホットテイクや炎上型コミュニケーションが、ソーシャルメディアの拡散構造と結びつきながら、政治的対立と偽情報を増幅させる仕組みを論じている。
9 Digital disinformation第9章 デジタル偽情報
SNSやデジタルメディアの発展によって、政治的ナラティブはかつてない速度と規模で拡散されるようになった。その結果、偽情報や「フェイクニュース」が民主主義そのものを揺るがす問題として浮上している。本章は、情報の媒介や言語の意味が政治闘争の中で変化・利用される過程を分析し、現代政治におけるコミュニケーションの危機を論じている。
10 The fabric of reality第10章 実在の構造
ポスト真実時代において、人々が「何が真実か」だけでなく「誰を信頼できるか」を見失っている状況を論じている。ディープステート陰謀論やガスライティングといった概念を通じて、政治的プロパガンダが現実認識そのものを揺さぶり、相互不信を拡大させる過程を分析している。
11 Conspiracy politics第11章 陰謀論の政治
陰謀論が現実に存在する不正や不信感を出発点としながら、それを物語的に誇張・再構成することで成立していると論じている。人々は現実世界にもフィクションのような明快な因果関係や結末を求める傾向があり、ポスト真実政治はその心理を利用して陰謀論的思考を拡大させている。
12 The lie that tells the truth第12章 真実を語る嘘
政治的ストーリーテリングがどのように「真実」を形成し、また歪めるのかを検討している。ポスト真実時代の政治的言説を通して、民主主義社会におけるコミュニケーションと相互理解の課題を提起している。
3.日本に”hero”(「英雄」)はいるのか(宮崎康支)
The Art of political storytellingは、第1章 Setting the Scene(場面の設定)から始まる。ここに登場するのは、”hero” (「英雄」) としての米国大統領(第1期目)のドナルド・トランプ (Donald J. Trump) 氏である。そこに描かれるのは、「おかしな世の中に英雄が現れた」という物語である。
本書はどのように「英雄」の物語が紡ぎだされたのかを描いていくのだが、私達がこの本を読んでいくと、一つの疑問にぶち当たる。この様な「英雄」は日本にいるのか、と。その疑問を抱く時、いくつかの話を筆者は思い出す。ここでは、それらの話を記述し、前述の疑問への回答を考える。
2001年、私は大学学部一年生だった。哲学・倫理学担当の先生が「国民は思考停止になると強いリーダーを求める。」とおっしゃったのを鮮烈に覚えている。当時の日本における首相は小泉純一郎氏であった。「私が自民党をぶっ壊す。」などの発言に象徴される「ワンフレーズ・ポリティクス」で知られた。郵政民営化に道筋をつけたことが成果の一つとして知られている。しかし、現在の日本郵便の状況が郵政民営化の「成果」を反映しているかについては議論が分かれるかもしれない。配達日数長期化や、通常郵便の土曜配達の終了などといった過去数年間の状況を見ると、疑問を持つ人も少なくないのではないか。しかし、2001年当時の日本国民(の多く)はそこまで考えずに、旧来の「自民党」のイメージからおおよそ逸脱していたとも考えられる小泉氏を熱狂的に支持していたのかもしれない。それは、「思考停止」のそしりを免れなかったといえないだろうか。
その自民党が2009年に下野した。「政権交代」である。いわゆる「民主党政権」の時代に、故・安倍晋三氏が総裁を務めていた自民党のキャッチコピーは「日本を、取り戻す。」であった。当時の私はこの意味がよく解らなかった。「日本は奪われた。」という前提がなければこの文は成立しない。誰が奪ったのか。当時の連立与党か。その連立与党は日本国民の代表たる政治家の集団ではないというのか。そもそも、日本は誰の所有物なのか。仮に自民党が「取り戻す」と、日本国は一政党に過ぎない「自由民主党」の所有物になるのか。私の疑問を余所に、その後、安倍氏率いる自民党は2012年に政権に戻り、様々な議論を呼ぶ第2次安倍政権が誕生することになる。
その故・安倍氏による政治の継承者とも認識されているのが、本稿執筆時に内閣総理大臣を務めている高市早苗氏である。2025年に首相に就任した高市氏が自民党総裁選挙で発言した「働いて働いて働いて働いて働いてまいります」は新語・流行語大賞を受賞した(自由国民社, 2025)。日本憲政初の女性首相となった高市氏は熱狂的なファンに推され、「サナ活」という言葉も生んだ。「働いて働いて…」は、ワークライフバランスを求める風潮へのアンチテーゼとして理解された向きがあるが、「権力者」が言うべきことなのかという疑問もある。
その高市氏が外交において向き合っているのが、2期目の米国大統領に就任したトランプ氏である。選挙中から ”Make America Great Again (MAGA)” のスローガンを連呼している。高市氏のリーダーシップのもとにある現在の自民党のキャッチコピーは「日本列島を、強く豊かに。」である。共通しているのは、「自国が外国人に侵略され、他国に敗北した」という被害者意識と閉塞感、そして嫉妬心ではないのか。とすると、世論は論理よりも感情にコントロールされるともいえる。
以上の動きを振り返ってみると、日本にも括弧つきの「英雄」が何人もいたことが考えられる。これらの政治家は、言葉によって大衆の強い関心を集め、一部では「炎上」を招きながらも民衆の大きな支持を集め、歴史に名を残してきた。
本書は2020年に刊行されたもので、本稿執筆時の約6年前になる。取り上げられている豊富な事例はやや古さを感じるものもあるが、古典的な修辞法が再利用されて世論を誘発するという指摘が随所にみられ、「歴史は繰り返す」という言葉の証左を感じる。
参考文献
自由国民社 (2025).『「現代用語の基礎知識」選 T&D保険グループ新語・流行語大賞』
https://www.jiyu.co.jp/singo/
4.アメリカのポピュリズムの萌芽について(石上文正)
The Art of Political Storytelling の第3章は、近年の世界の政治状況をポピュリズムの台頭と考え、それを構成している物語について述べている。この小論では、アメリカ合衆国のポピュリズムがいつ頃芽吹いたかについて、若干の考察を試みる。
同書によれば、ポピュリズムは、「国民(the people)」、「エリート」、「国民の意志」というキーワードで表される3つの構成要素からなっていて、事実よりも感情が優先され、その感情を掻き立てるus-versus-them(我ら対彼ら)という二項対立的物語が利用されるという。「国民」は、彼らが共有している文化や価値観によって定義されると同時に、彼らと対立する「エリート」と「移民」によっても定義づけられるという。「国民」はエリートによってさげすまれ、「移民」によって犯罪に巻き込まれ、職が奪われるという物語が語られ、「国民の意志」は、政治的な「声」として力を得ていない。この「声」を聴いて、政治に反映させるのが、ポピュリスト政治家ということになる。
上でまとめたポピュリズムを形成している諸要素は、アメリカの政治史によく見られるようだ。Johnson-Cartee & Copeland (1991) は、「我ら対彼ら」という基本的テーマ・デザイン(ネガティヴ広告などによく用いられるテーマの基本的な枠組み)はアメリカ政治には何度も現れていると指摘している。この二項対立構造はポピュリズムと同じである。さらに、その下位のテーマ・デザインである「カウボーイズ対ヤンキース」、「我ら国民対外国人」、「階級闘争(我ら労働者対資本家)」、「反ワシントン的精神性」が顕現するという。
「カウボーイズ対ヤンキース」は、地理的には「北東部14州以外の36州」対「北東部14州」の対立である。後者がエスタブリッシュメントであり、エリートである。「階級闘争」においても、資本家は北東部のエリートたちである。「反ワシントン的精神性」とは、政治の中心であるワシントンはエリート集団で、現実からかけ離れ、腐敗しているという不満を「我ら」は抱いていたようだ。このようにアメリカのテーマ・デザインには、地理的対立が深く関わっているようである。
水島 (2017) によれば、ポピュリズムが本格的にアメリカで姿を現したのは、19世紀末であるという。しかし、Johnson-Cartee & Copeland (1991, p. 107) は、先行研究に言及しながら、“Since Andrew Jackson attacked the ‘Monster Bank’ of the New England establishment, populism has played an important role in American political campaigns.” と述べ、アメリカ第7代大統領ジャクソン (任期: 1829-37) がポピュリストであったことを示唆している。
「国民」が存在し、その「国民の意志」を表現するためには、「国」が存在し、国民が選挙を通じて、自分の意志を示すことができなくてはならない。1812年戦争(1812-15)は、アメリカが独立後、初めて行った国家間戦争でイギリスに勝利した。清水(1986)によれば、この戦争後、アメリカの産業革命が進展し、国民意識が高揚し、白人男子普通選挙が行われるようになったという。つまり「国」の基盤が固まり、「国民」が醸成され、「国民の意志」を政治の世界に示すことができるようになったのである。その結果、1828年の大統領選挙で、アンドリュー・ジャクソンが、西部出身者として初めて勝利したことに「国民の意志」が示され、「カウボーイズ対ヤンキース」の二項対立構図において、カウボーイズが勝利したことになる。
ジャクソン大統領が成し遂げた有名な施策のなかに、政府機関並みの権限が与えられていた民間の「第二合衆国銀行」(上で引用したthe ‘Monster Bank’ of the New England establishmentのこと)の再認可への拒否権の発動がある。そのときの「拒否教書」(Jackson, 1832) には、ポピュリズム的言説が含まれている。彼は「我ら対彼ら」の二項対立の我ら側に立ち、「西部対東部」、「アメリカ対外国(ヨーロッパ)」、「貧困層対富裕層(階級闘争)」、「州対連邦政府」等の対立軸を中心に「拒否」の理由について論じている。
ジャクソン大統領の時代は「ジャクソン・デモクラシー」と呼ばれ、「ポピュリズム」というタームは使われていなかったが、彼の一連の施策には、ポピュリズムの萌芽が認められる。デモクラシーとポピュリズムの距離は、案外近いのかもしれない。
参考文献
Jackson, A. (1832). Veto message. The Avalon Project.
https://avalon.law.yale.edu/19th_century/ajveto01.asp?utm_source=copilot.com
Johnson-Cartee, K.S., & Copeland, G.A. (1991). Negative political advertising: Coming of
age. Lawrence Erlbaum Associates.
清水博 (1986).「貴族の民主制」清水博(編)『アメリカ史(増補改訂版)』(pp. 89-119) 山川出版社.
水島治郎 (2017).『ポピュリズムとは何か』中央公論社.
5.ハワード政権の戦略的ナラティブ(仲西恭子)
著者のフィリップ・サージェント氏はストーリーテリングの能力について、複雑な一連の概念を想像し、具体化し、それを共同体で共有する力であると定義している(Seargent, 2020, p. 59)。ストーリーによって経験が共有され、ナラティブがその経験に意味を与え、その意味の共有を通じて集団のアイデンティティが形成される。ゆえに国のリーダーにとって、国家の一貫したストーリーを構築して人々を説得する能力は、非常に重要である。サージェント氏の著書の第4章でアメリカ大統領選が扱われていることから、本エッセイでは、オーストラリアのジョン・ハワード(元) 首相のストーリーテリングによる2001年の連邦選挙での勝利を紹介したい。ハワード政権は当時、2000年7月に消費税 (GST) を導入したことで支持率が低迷していた (杉田, 2013, p. 11)。そこからの勝利である。
2001年、オーストラリアの国内世論は、急増するボート・ピープルや8月に起きたタンパ号事件1で、難民問題にどう対処するかで揺れていた。そこに、9.11米国同時多発テロ、10月にはバリ爆弾テロが発生し、世界の安全保障環境が一変した。ハワードはすばやく国境警備強化と強硬な難民政策という明確なストーリーを提示することで不安を抱く国民の心を掴んだ。以下、ハワードが投票日の約一週間前の11月2日にタスマニア州のローンセストンで行ったスピーチの一部をvan Leeuwen (2008) に依拠し、批判的ディスコースの視点から解説したい2。
And that attack on America in September was also1)an attack on us. [...] Now, that in the end is the sort of challenge we face and we are there beside the Americans because 2)what is at stake is the right of Australians to go about their ordinary lives free of the fear of terrorist attacks, [...].3)There are other elements to national security. We've had quite a debate in this country over the last few months on the question of illegal immigration.[...] 4)We are one of only nine countries in the world that has a resettlement program and we take more refugees on a per capita basis than any country in the world [except] Canada. But, my friends, 5)we will decide who comes to this country and the circumstances in which they come...[...]
(Department of the Prime Minister and Cabinet, 2001)(下線と太字は筆者)
1) まず、9.11のテロ攻撃を受けたアメリカと、国土に直接的な被害を受けていないオーストラリアを同列に配置し、"us" という包括的な社会的行為者を通じてオーストラリアを当事者化する。2) そしてオーストラリア人の日常生活がテロで脅かされると国民の恐怖心を煽る。3) そのうえでボート・ピープルを人道的支援の問題としてではなく、国家安全保障上の脅威として再定義し、テロリストとの関連性を示唆することで、否定的な社会的行為者としての表象を構築する。この時、ボート・ピープルを「人」としではなく「事象」として扱い、彼らの行為の違法性を強調する“illegal immigration” という名詞を用いる。4) 強硬な難民政策が人道の観点から批判を受けることに備え、人道支援プログラムでの難民の受け入れを行っている事実を前景化する。5)「この国に誰が入国するか、またどのような条件で入国するかは、我々が決定する」と国民に訴え、断固たるリーダーとしての姿勢をアピールする。ハワードは選挙キャンペーン全体でこのスローガンを繰り返し、ボート・ピープルを選挙の主要な争点として構築することにも成功した。
Seargeant (p. 61) は、政治戦略家のマーク・マッキノンの「有権者はストーリーラインが明確な候補者に惹かれる」という言葉を引用している。また、西側諸国では歴史的に左派よりも右派の方が、効果的なストーリーテリングによって自らの理念を浸透させることに長けているとも指摘している (p. 61)。まさにハワードは右派の政治家として、ボート・ピープルを安全保障と関連付けるストーリーを国民に受け入れさせることで勝利を掴み、戦略的ナラティブを完結させたのである。
註
※ 筆者の担当部分には、多文化共生に関する研究(JSPS科研費 JP26K16529)の知見が含まれており、ここに感謝の意を表する。
参考文献
杉田弘也. (2013).「『タフで人道的な』対策を模索するオーストラリアのボート・ピープル政策――オーストラリア多文化主義の『ドリアン・グレイの肖像』」.『神奈川大学国際経営論集』(第46号), 1-22.
Department of the Prime Minister and Cabinet. (2001, November 2). Transcript of the Prime Minister the Hon John Howard MP address at the launch of "A Stronger Tasmania Policy" Launceston, Tasmania [Speech transcript]. PM Transcripts. https://pmtranscripts.pmc.gov.au/release/transcript-12332
van Leeuwen, T. (2008). Discourse and practice: New tools for critical discourse analysis. Oxford University Press.
6.政治家は誰を怪物に見立てるのか(稲永知世)
私たちは何か不安なことがあると、誰かを「怪物」と見立てたくなる傾向があるのかもしれない。では、私たちは誰を怪物に見立てるのか。その見立てはまっとうなものなのか。まずは、漫画『進撃の巨人』第33巻・134話「絶望の淵にて」におけるミュラー長官のセリフを読んでいただきたい(作品中のセリフを引用するにあたって、適宜句読点を、そしてコマが切り替わる際にはスラッシュを追加している):
飛行船部隊とこの要塞にいるすべての兵士に告ぐ。ここが…人類に残された最後の砦となる…/諸君らの双肩にのしかかる重圧は計り知れない…。だが…結果がどうであろうと/決して…諸君らだけの責任ではない…/…この責任は/我々すべての大人達にある/憎しみを利用し、憎しみを育み続け、憎しみに救いがあると信じ…/我々が至らぬ問題のすべてを「悪魔の島」へ吐き捨ててきた…。その結果…/あの怪物が生まれ…我々が与え続けてきた憎悪を返しにきた…/…もしも再び…未来を見ることが叶うなら/二度と同じ過ちは犯さないと…私は誓う/再び…明日が来るのなら…(中略)皆も…どうか誓ってほしい/憎しみ合う時代との決別を。互いを思いやる世界の幕開けを…/ここで…私達の怪物との別れを。
当該漫画は、「人間対怪物」の様相を呈していた序盤から、「民族間対立」へとストーリーが展開していく(紙幅の関係上、当該漫画の概要は省略)。この「民族間対立」とは、始祖ユミルの血を引くパラディ島のエルディア人とマーレのエルディア人の対立、マーレにおけるマーレ人とエルディア人の対立などである。そして、マーレ軍は、パラディ島のエルディア人に対するマーレのエルディア人の憎しみを利用し、「巨人」の力を有するエルディア人を兵力として使用していたのである(ちなみに、マーレのエルディア人は、「名誉マーレ人」になることを目指し、それは「名誉白人」や「名誉男性」を彷彿とさせる)。引用は、最終決戦の地・スラトア要塞(飛行船の研究所)にて、マーレ軍の長官・ミュラーによって発せられたものである。ミュラーはこのような民族間対立が起こった理由に言及しながら、マーレ人がパラディ島のエルディア人を「怪物」とするストーリーを作り上げ、その結果「あの怪物が生まれ」1たのだと振り返り、その「怪物」という幻想を生み出した自分たち自身を「怪物」と見立てる(「私達の怪物との別れを」)。そして、マーレ人がパラディ島のエルディア人を「怪物」とするストーリーを作り上げる際、「憎しみを利用し、憎しみを育み続け、憎しみに救いがあると信じ」ていたのである。この『進撃の巨人』におけるミュラー長官は、このようなふるまいそのものを「怪物」がなすものであると反省するのであるが(「二度と同じ過ちは犯さない」)、このようなふるまいは、昨今日本の政治家にもよく見受けられるものではないだろうか。以下は、2025年11月7日の衆議院予算委員会において、高市早苗内閣総理大臣が岡田克也委員の質疑に対して答弁した内容である(参議院, 2025):
先ほど有事という言葉がございました。それはいろいろな形がありましょう。例えば、台湾を完全に中国北京政府の支配下に置くようなことのためにどういう手段を使うか。それは単なるシーレーンの封鎖であるかもしれないし、武力行使であるかもしれないし、それから偽情報、サイバープロパガンダであるかもしれないし、それはいろいろなケースが考えられると思いますよ。だけれども、それが戦艦を使って、そして武力の行使も伴うものであれば、これはどう考えても存立危機自体になり得るケースであると私は考えます。
当時、台湾と中国の間の紛争を内政問題とするこれまでの政府見解を逸脱するような高市氏による答弁が、ニュース報道でも頻繁に取り上げられた。ここでは、高市氏によって中国を「怪物」と見立てる箇所にのみ注目してみる。下線部をみると、中国北京政府を「支配者」、台湾を「被支配者」とし、「支配者」である中国北京政府が、「被支配者」である「台湾」を攻撃し、脅かす(「戦艦を使って、そして武力の行使も伴う」)一方、「英雄」である日本が、怪物と交戦する(「存立危機自体になり得る」)というストーリーが提示されている(その結果、怪物を打ち破るということも想定されているだろう)。このように、高市氏は、中国を「怪物」と(そして、日本を「英雄」と)みなすストーリーを提示する。このようなストーリーは、実現可能性が低いだろう。それにもかかわらず、このようなストーリーは、経済面において成長が見込めない日本で暮らす人びとにとっては、スカッとするものであり、それゆえに5月11日時点においても高市内閣の支持率が高いままなのかもしれない(NHK, 2026)。
しかし、私たちは、このようなストーリーによる「怪物」と「英雄」の見立てがまっとうなものなのかを立ち止まって考える必要があるだろう。第5章は、(1)ナラティブを構成する要素は何か、(2)政治的ナラティブが、選挙遊説などで使用されるとき、それはどのようなものなのか、そして(3)ナラティブがこのように政治的道具一式にとって欠かせないものとなったのはなぜか、という問いから開始し、『スター・ウォーズ』などに言及しながら、良いストーリーを作り出す要素を考察している。そのなかで、政治家が多用するナラティブのひとつとして提示されているのが、ある共同体が邪悪な力や怪物の脅威にさらされた場面から始まる「怪物退治」ストーリーである。章タイトルには「良いストーリー」という文言が入っているのであるが、本章は、政治家が用いるこのようなストーリーをおそらく肯定的に捉えてはいないだろう。たとえば、2018年の米中間選挙において、共和党がアンティファ(反ファシスト)のデモ参加者などを「悪魔化」する方法としてこのようなストーリーを使用している(強いて言えば、「悪用」している)現実を提示するのである。ぜひ、第5章とともに、政治家が利用する種々様々なストーリーをクリティカルに読み取っていただきたい。
註
1.「あの怪物」とは、主人公エレン・イェーガーが始祖の巨人の力を掌握し、巨人化した最終形態、終尾の巨人のことである。エレンは、パラディ島のエルディア人、とりわけ同期の第104期訓練兵団卒業生の未来を守るために(その他の理由もあるが)、「壁の中にいた幾千もの巨人達を率いて大地を踏み鳴らし、進撃し」(諫山創・講談社/「進撃の巨人」The Final Season製作委員会, 2024)た。
参考文献
諫山創・講談社/「進撃の巨人」The Final Season製作委員会(2024)「用語解説」(https://shingeki.tv/final/keyword/;2026年6月13日最終閲覧)
参議院(2025)「質問主意書 第219回国会(臨時会)」( https://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/syuisyo/219/syuh/s219048.htm;
2026年6月13日最終閲覧)
NHK(2026)「高市内閣支持率61% 不支持23% NHK世論調査」(https://news.web.nhk/newsweb/na/na-k10015118371000;2026年6月13日最終 閲覧)
7.空気を読む日本社会とガスライティング(井上みゆき)
著者のフィリップ・サージェント氏は、10章の ”The Fabric of Reality” で、ガスライティングという概念が政治の領域にも広がっていることを論じている。ガスライティングとは、行為者が対象者に対して、自らの判断能力や証拠を合理的に評価する能力への信頼を揺るがし、何が真実であるかを判断する際に行為者へ認識論的に依存させる行為である(Beerbohm & Davis, 2023: 868)。
ガスライティングという用語は、もともと1938年の舞台劇 Gas Light に由来する。同作品では、夫が妻の現実認識を意図的に混乱させ、妻自身に自らの正気を疑わせる過程が描かれている。この描写に基づき、ガスライティングは、他者の認識や記憶、判断を操作する心理的虐待を指す用語として発展し、相手の現実認識や記憶、判断力を意図的に揺るがせて心理的支配を強める心理的虐待の一種として使われ、政治的な用法でも用いられるようになった(Seargeant, 2020)。
サージェント氏は、アメリカのトランプ大統領が虚偽の発言を重ね、メディアがそれを虚偽であると指摘し批判するたびに、その批判をメディアの偏向の証拠であるかのようにすり替える事例を、政治的ガスライティングとして挙げている。トランプ大統領の戦略は、報道機関を閉鎖すると脅すことはあったもの、メディアを直接支配して真実を統制するというよりも、「フェイクニュース」という言葉によってニュースメディアへの信頼性を攻撃し、情報源そのものの信頼を弱体化させるものであった(Havercroft, 2023, pp. 202-203)。これは、何を真実とみなすかという社会的基盤を揺るがす行為である。
“Gaslighting”(ガスライティング)は、誤情報や陰謀論が拡散する現代社会を象徴する語として、アメリカで最も有名な英語辞書出版社の一つであるMerriam-Websterにより、2022年の「今年の単語(Word of the Year)」として選出された。2022年には”gaslighting”の辞書検索数が前年比で1,740%増加しており、この語が学術領域のみならず、一般社会においても大きな注目を集めていることがうかがえる(Merriam-Webster, 2022)。
アメリカの政治現象として書かれた本章を読んで私が思い浮かべたのは、日本政治におけるガスライティングではなく、むしろ職場や学校、人間関係における経験であった。心理的虐待の一種として、近年日本でも心理学やメンタルヘルスの文脈でガスライティングという言葉が知られるようになってきている。しかし、その認知度は依然として高いとは言えず、少なくとも私自身は、日本人との日常的な会話の中でこの言葉が用いられているのを耳にしたことがなかった。
アメリカでは政治的ガスライティングに関する研究が行われているが、それは政治が日常生活や個人のアイデンティティと強く結びつきやすい社会的文脈から生まれた議論のように思われる。例えば、アメリカでは大統領選挙や移民政策、人種やジェンダーをめぐる問題について、家族や友人との間で議論することも珍しくない。そのため、政治家の発言によって自分の現実認識が揺さぶられるという感覚が生まれやすいのではないか。
他方、日本においても政治は生活に影響しているものの、政治を自分事として経験したり、日常生活の中で個人の経験として語ったりするのは相対的に少ないように思われる。むしろ、職場や学校などの組織、あるいは上下関係の中で自らの判断や違和感が揺るがされる経験の方が、より日常的に認識されやすいのではないか。
ガスライティングについて調べていく中で、私自身の過去の経験がガスライティングと捉えられるものがあったのではないかと腑に落ちる感覚があった。ガスライティングという言葉とその概念を知ることで、これまで何回も感じてきた違和感が明確になり、日本社会には、ガスライティングをガスライティングとして認識しにくくする文化的特徴があるようにも思えた。
Beerbohm and Davis(2023)が論じるように、ガスライティングの本質は、対象者に自らの判断能力を疑わせ、他者に依存させる点にある。この観点から考えると、日本社会で重視される「空気を読む」ことや「和を乱さない」ことは、自らの違和感よりも周囲の解釈を優先する圧力として働きうる。日本では、年上、上司、先輩、組織への適応が強く求められ、我慢や忍耐が美徳とされることも多い。そのため、ガスライティングの状況下でも、自らの感じ方や判断を修正する方向に向かいやすいのではないか。ここに、ガスライティングがガスライティングとして認識されにくい一因があるように思える。
つまり、空気を読む社会では、権力は必ずしも露骨な支配として現れるわけではない。むしろ、相手に自分自身を疑わせる形で働く。例えば、職場でハラスメントが起きた場合、「昔はこれが普通だった」、「指導のつもりだった」、「冗談だった」と説明され、「敏感すぎる」、「誤解している」と受け止められることがある。さらに周囲からも、「被害者意識が強すぎる」、「社会とはそういうもので、皆耐えている」と見なされれば、問題の所在はハラスメントの行為や環境から、それに耐えられない側へと移されてしまう。このように、空気を読む社会では、自分の違和感自体を信じることが難しくなり、相手に自分を疑わせる形で権力が働くのである。
ガスライティング研究は欧米では政治のみならず、ジェンダーや人種の文脈でも発展してきた。一方、日本社会においては、空気を読む文化や上下関係との関連から検討する余地があるように思われる。特に、人々が自らの違和感を抑え、周囲に合わせて自己修正を求められる状況が、どのようにガスライティングを不可視化させるかは、今後の重要な研究課題であると考える。
参考文献
Beerbohm, E., & Davis, R. W. (2023). Gaslighting citizens. American Journal of Political
Science, 67(4), 867–879.
Havercroft, J. (2023). Film, gender, gaslighting. In Stanley Cavell's democratic
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Merriam-Webster. (2022, November 28). Word of the year 2022: Gaslighting.
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Seargeant, P. (2020). The art of political storytelling: Why stories win votes in post-truth
politics. Bloomsbury Academic.
8.ポスト真実は偽りのコミュニケーションである。―国民に向けた政治家の演説は何を物語っているのか?―(神徳和子)
8.1. はじめに
日本は民主主義国家であり、国民主権のもと国民の代表が国を動かしている。その代表を選ぶのは主権者である国民、私たち自身である。私たちは、テレビや新聞、近年ではSNSを通じて政治家の国民に向けた演説を知る。これをもとに、私たちは選挙に行き代表者を選択するという意思決定をしている。にもかかわらず、私たちはその政治家の任期中「裏切られた」「誰に入れても一緒か・・・」などと落胆する。世の政治家たちは政治家になるべく選挙中に国民をだまそうと嘘の発信をしているのだろうか。それとも有言実行することができないという政治家自身の能力不足なのだろうか。このような政治への不信感が要因となって生じている現象が日本の投票率の低さである。日本は2015年に公職選挙法が改正され18歳からの選挙権が認められるようになった。この背景には若者の主体的な政治参加の意図もある(内閣府大臣官房政府広報室; 2025) 。政治家の語る話に真実と嘘が混在するようでは、政治への不信は若年層にも及び投票率の低迷が加速することは免れない。いったい、政治家のストーリーテリング(本稿では、政治家が国民に向けて発する演説や発信全体を、サージェント氏の用語に倣い「ストーリーテリング」と呼ぶ)は嘘なのか、それとも真実なのか、この問いについて、第12章をもとに考察する。
8.2.ポスト真実とコミュニケーション的行為
第12章は、現代政治の中で、ストーリーテリングがどのように真実を歪め、また逆に真実を伝え得るのかが論じられている。現代政治において、人々を動かしているのは「事実」ではなく「物語」、つまり「ストーリーテリング」である。サージェント氏は12章の中で、真実は文脈の中で変化すると述べている。確かに、サージェント氏の指摘するように、近年の政治言説では、事実に基づく正確性よりも、感情や印象、語りの説得力が優先される傾向が強まっている。これは「ポスト真実」とも表現されるが、「ポスト真実」という状況においては、政治家が明確な虚偽を述べている場合でも、それが必ずしも「嘘」として認識されないことがある。なぜなら、「嘘」とは意図的に虚偽を信じさせる行為と定義されることが多く、発言者の内面の意図を断定することが困難だからである。また政治の領域では、「嘘」という言葉自体が避けられ、代わりに婉曲表現が用いられることが多い。さらに、「真実」という語そのものが恣意的に用いられ、本来の意味とは逆の主張を正当化するために利用される場合もある。このような言語操作は、もっともらしいが実質的には根拠の乏しいナラティブを生み出す要因となる。つまり、ここで問題となっているのは、政治家と国民とのコミュニケーションにおける認識の非対称性ではないだろうか。政治家と国民は直接的にコミュニケートすることはないが、国民は政治家が発する言葉を知覚し、認識し、解釈し、判断したうえで、選挙において意思表明を行う。一般に、政治家は誠意をもって国民に政策を伝える必要があると言われる。しかし問題は、政治家個人の誠実さだけではない。政治家が政策を国民に伝えようとするコミュニケーション的行為そのものが、ストーリーテリングによって歪められることで、政治家と国民との間に認識の非対称性が生じているのではないだろうか。中岡(2026)は、「ことばは、生活世界においてそれを実際に使う『当事者』の立場に立って考察しなければならない」(p. 217)と述べている。また当事者たちは、生活世界で「ふつう」とされる世界の状態について、それを当然のものとして共有しており、「ことばの文脈」は安定しているとされる。民主主義国家とは、このような共有された生活世界を前提として、どのような社会を形成していくかを対話によって決定する社会である。しかし、政治家が国民の誤解を招くような言葉を用い、恣意的なストーリーテリングによって意味や文脈を操作するならば、その行為自体が共有された生活世界を侵食し、民主主義的コミュニケーションの基盤を揺るがすことになる。
8.3.まとめ
翻訳作業を通して感じたのは、ストーリーテリングが「嘘」と「真実」の単純な対立では捉えられない複雑な性質を持つということである。とりわけ現代政治においては、事実そのもの以上に、それがどのような物語として提示されるかが人々の判断に強い影響を与える。今の政治はポスト真実の政治ともいわれ、語りの説得力や感情への訴求が、事実の正確性に優先する場面も少なくない。その結果、「真実」は固定されたものとしてではなく、言葉と文脈の中で揺れ動くものとして現れる。したがって、私たちは政治家が語る「物語」に対して、その内容だけでなく、その語られ方や背後にある文脈にも注意を払う必要がある。本書は、ストーリーテリングが「嘘」と「真実」の単純な対立では捉えられない複雑な営みであることを示し、現代社会における「真実」のあり方を再考する契機を与えてくれる。
では、私たちだけが政治家の発言を注視しなければならないのか。そうではない。対話によって世界が変わることを目指した、コミュニケーション的行為の理論を提唱したユルゲン・ハーバマスについて解説した中岡(2026)によると、「社会集団の構成員はふつう唯一の生活世界を共有しているし、生活世界の『普遍的構造』は厳然として存在している」(p. 187)という。私たちは同じ生活世界の中で、ある程度言葉の意味が共有されていることを前提に対話しており、その生活世界はコミュニケーションの参加者が共有する背景知によって支えられている。こうした共有がコミュニケーション的行為を可能にしているのである(中岡, 2026, pp. 185-187)。もし、政治家が「わざと曖昧な言葉を使う」「文脈を恣意的にずらす」「真実を都合よく定義する」「感情的なナラティブを優先する」ようになると、共有されていた生活世界そのものが崩れる。つまり、これは単なる「誠実さ」の道徳論ではなく、民主主義的コミュニケーションの条件そのものに関わる問題、つまり、公共圏におけるコミュニケーションの危機なのである。
近年のアメリカ政治においても、トランプ大統領の物語にアメリカ国民は巻き込まれている側面があるのではないだろうか。例えば「アメリカを守る」という語りは、一見すると防衛的な意味合いを持つ。しかし、その語りの中で何が「守るべきもの」とされ、どのような行為が正当化されるのかは必ずしも自明ではない。場合によっては、それが対外的な攻撃行動を含む形で理解されることもあり得る。
ポスト真実とは、単に「嘘が多い社会」ではなく、共有された意味基盤そのものを揺るがす「偽りのコミュニケーション」の問題なのである。ポスト真実時代において重要なのは、政治家の言葉を単なる情報として受け取るのではなく、それがどのような世界観を形成しようとしているのかを見極めることである。民主主義は、共有された言葉への信頼の上に成り立っている。その基盤を守る責任は、政治家だけでなく、それを受け取る私たちにもある。
参考文献
内閣府大臣官房政府広報室(2025年6月12日) 政府広報オンライン若者の皆さん!あなたの意
見を一票に!https://www.gov-online.go.jp/article/201602/entry-7825.html (2026年5月22日アクセス)
中岡成文(2026).『増補ハーバマス――コミュニケーション的行為』筑摩書房
9.有識者の指摘による本書の課題点(東海林康彦)
9.1. 本書の概要と目的
本書は、政治の中でストーリー(ナラティブ)がどのように構築され、共有され、争われるのかを分析し、感情・レトリック・デジタル情報環境が結びつくことで、政治的説得がどのように変質したかを明らかにする。同時に政治家を単なる「嘘つき」扱いするのではなく、「物語の語り部」として、発言内容を客観的に吟味評価する必要があることを推奨している。
著者は、ポスト真実政治を単なる「退廃」や「嘘の蔓延」としてではなく、物語が直感的に世界を理解させる力を持つがゆえに生じる現象として捉え、政治分析におけるストーリー研究の重要性を強調する。その結果、混迷する現代政治を読み解くための理論的枠組みであると同時に、言語の使用用途としての「ストーリー」が政治判断を左右するメカニズムを理解するための実践的ガイドにもなっている。
9.2. 具体的な批判と問題点
各書評は、まず理論的基盤の脆弱性、次に社会構造や歴史的背景への洞察不足、そして記述の適用範囲の限定性という3つの内容面において指摘している。
第一の理論面においては、Canning (2020) が、第3部でレトリック理論の説明の浅さを弱点として挙げたほか、Kalpokas (2021) は、同じく第3部にて政治におけるストーリーテリングやアルゴリズムの影響という主眼自体がポスト真実を扱う既存の議論においてすでに広く使われている言説でありことから、斬新さの点を批判している。
第二の歴史的・構造的背景の分析面において、Spens (2020) は、大衆が「脅威」としての外国人に騙される受動的な存在(第7章)なのかや、根源的に人種差別主義者(第7, 12章)なのかという問いへの回答の欠落、欧米文化の基盤である植民地主義(第3, 5章)や人種・女性差別(第4, 6, 10章)への配慮、特定のナラティブに社会化されるプロセスや欧米特有のヒーロー像の詳細(第1, 4章)への言及の欠如を指摘した。
第三の地理的・読者層の適用面において、Chen (2021) は、欧米の政治動向に強く依拠しているため非西洋圏への一般化には明確な限界がある点、及び関連知識を前提とする第2部(第4~6章)や第4部(第10~12章)は理論的背景を持たない読者には難解で理解しにくい点を指摘している。
参考文献
Canning, P. (2020). [Review of the book The art of political storytelling: Why stories win votes in post-truth politics, by P. Seargeant]. Journal of Language and Discrimination, 4(2), 227–232. https://doi.org/10.1558/jld.18491
Chen, S. (2021). [Review of the book The art of political storytelling, by P. Seargeant]. Linguist List. https://linguistlist.org/issues/32/32-682/
Kalpokas, I. (2021, February 1). [Book review: The art of political storytelling: Why stories win votes in post-truth politics by Philip Seargeant]. LSE Review of Books. https://blogs.lse.ac.uk/lsereviewofbooks/2021/02/01/book-review-the-art-of-political-storytelling-why-stories-win-votes-in-post-truth-politics-by-philip-seargeant/
Spens, C. (2020, August 22). The art of political storytelling: Unravelling the spin that put Trump and Johnson in power. The Irish Times. https://www.irishtimes.com/culture/books/the-art-of-political-storytelling-unravelling-the-spin-that-put-trump-and-johnson-in-power-1.4322552
10.おわりに(宮崎康支)
本稿では、Phillip Seargeant氏の著作 The art of political storytelling: Why stories win votes in post-truth politicsにて提示された概念をもとに、現代社会・政治における批判的な考察を試みた。これらが、「言語」や「語り」を鍵にして、激しく変動する現代の世界情勢を読み解くための一助となれば幸いである。
謝辞
本分科会の活動にあたって、必要な情報を懇切丁寧に提供してくれたPhillip Seargeant氏、また、本稿の執筆に参加していないものの積極的に本分科会の活動に参加してくれた分科会メンバー全員に謝意を示す。
書誌情報
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掲載誌:MEDIA, ENGLISH AND COMMUNICATION, No. 16 (2026, pp. 95-110) 発行元:一般社団法人 日本メディア英語学会 表 題:The Art of Political Storytellingをめぐる考察 著 者:メディア英語談話分析研究分科会(宮崎康支(福岡大学客員研究員・関西学院大学客員研究員)、神徳和子(福岡大学)、石上文正(人間環境大学)、仲西恭子(関西外国語大学短期大学部)、稲永知世(佛教大学)、井上みゆき(ロイヤルメルボルン工科大学ベトナム校)、東海林康彦(フリーランス翻訳者)) 要 約:日本メディア英語学会メディア英語談話分析研究分科会では、2024年より、英国の言語学者Phillip Seargeant氏の著作The Art of Political Storytelling: Why Stories Win Votes in Post-Truth Politicsの翻訳と精読を活動の中心としてきた。本稿では、同書各章の概略を述べたうえで、同書にて提示された概念をもとに、分科会メンバーが記した小論をまとめた。併せて、同書に対して提示された書評をもとに、同書の評価についても概略した。具体的には、1,3,4,5,10,12の各章をもとに、各章における概念から派生された内容の小論をまとめた。題材は、日本における「英雄」の所在、アメリカにおけるポピュリズムの萌芽、ハワード政権時のオーストラリアにおける戦略的ナラティブ、政治家による「怪物」の見立て、日本社会におけるガスライティング、そして、ポスト真実時代におけるコミュニケーションの様相である。本稿は、これらの議論を通じて、「政治における言葉」に対する議論が精緻化されることを企図している。 キーワード:政治、ストーリーテリング、ディスコース 論文カテゴリー:寄稿(エッセイ) CCライセンス:CC BY-NC 4.0 執筆言語:日本語 受理日:2026年6月30日 © 2026 Yasushi Miyazaki, Kazuko Kotoku, Fumimasa Ishigami, Kyoko Nakanishi, Tomoyo Inenaga, Miyuki Inoue, and Yasuhiko Shoji. |
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