2014 年 19 巻 p. 11-18
深海環境の高速データ通信を実現するために,水中での高透過率を持つ可視光LEDを使った海中データ無線通信方式を提案した.縦波である水中音波は空気中より長距離まで伝搬し,現在最も利用されている水中通信手段であるが,伝送速度には限界があり,海中の温度変化がもたらす音速分布の不均一性により音波が屈折し,通信可能な方向に変化が生じるなど,通信安定性に課題がある.一方,波長380 nm-780 nmの可視光波は,海水中での減衰が極めて低く,可視性により,伝搬方向や位置範囲の制御が容易である.特に,光固有の高い指向性と集光性を生かすことにより,大容量の高速無線通信が期待できる.しかしながら,自然水である海水を伝搬する可視光波は,海域環境の変化により分光減衰特性を持つ.そこで本論文では,伝送路の海水濁度の変化に対して,光波長多重自動切り替え機能を有する通信手段を提案する.
人が潜れない深海での資源開発では,自律型無人水中ロボットAUV(Autonomous Underwater Vehicle)が不可欠である.現在約600機のAUVが稼働中で,科学研究・調査や防衛などの特殊の分野の他に,水路測量,海底石油,海底ケーブル分野などでは商用AUVも活躍している.現在,各種用途のAUVからの水中観測データの伝送及び,AUVへの制御データの伝送は,水中音響通信装置により双方向で行われている.電波に比べて音波を用いての海中データ伝送は,減衰が小さく1 kmを超える遠距離でも通信が可能である.
しかしながら,AUVに搭載されている音響通信装置は,さまざまな通信を妨害する内外部の雑音を受ける.図1に示すように,AUVには内部の音響雑音源となる他の音響機器(各種ソナー類)が狭い空間に複数装備され,近傍の航行中の船舶からスクリュー雑音も受け,かなり厳しい使用環境となっている.
Internal and external noises for underwater acoustic communication device.
図1.水中音響通信装置に受けられた内外部の雑音.
また,音波反射や屈折の影響で音源の近くでも音が届きにくい領域があり, 通信の盲点が存在する上,航行中のAUVにはドップラ効果の影響により音響通信の周波数を不規則に変化させ,音響通信装置の通信品質は低下する.何よりも通信速度の限界は音波データ無線通信方式の最大の課題である.現在の音響通信技術では,数十kbps程度である.
一方,近年陸上無線通信手段の多様化を背景に,海中における無線通信方式の改善や多重化に関する研究開発が盛んに進められている.可視光波は,海水塩分の濃度による消散はほとんど無視してよく,電波に比べて水中において極めて低い吸収減衰性(図2 海洋音響の基礎と応用,p27(図4.3),海洋音響学会編(2014))を持ち,特に固有の高速性により,さらなる安定・高速な水中通信媒体となることが期待されている.2005年,慶応大学(中川,2005)により,可視光を用いた水槽中の「アナログ音楽伝送」を実現したことに続き,2010年に株式会社マリンコムズ琉球により,白色LED(Light Emitting Diode)を用いた海中可視光「アナログ通話」装置が試作された.
The absorption decay of electromagnetic waves (radio and light waves) in the sea. (This is a reprint figure from “Marine Acoustics Society of Japan ed. (2014), Fundamentals and applications of marine acoustics, Seizando-Shoten, p.27, figure 4.3.”)
図2.海中での電磁波(電波・光波)の吸収減衰.(海洋音響学会編(2014),海洋音響の基礎と応用,成山堂書店,p.27の図4.3を元に著者が手を加え作成した.)
本研究では,AUVの調査や観測により取得された画像などの大きな情報を,高速に送信可能な海中可視光無線「デジタル通信」の手段を提案する.光源としては,高パワーフルカラーの白色LEDを利用する.
海中での安定した高速無線通信の確立は,AUVにとって極めて有用である.例えば取得した観測データをリアルタイムに素早く陸上に送る事が可能となれば,次の観測に迅速に移行できることから,稼働率の向上が期待できる.特に海底ステーションや海底ケーブルなどと高速無線通信回線を開くことが出来れば,AUVを浮上させずに水中で観測データを回収することが可能となる.近年,省エネや長寿命ニーズの高まりを背景に,水中投光器のLED化が進み,LED水中投光器からの放射光を通信キャリアとして利用することが可能となる.
図3は,AUVと海底ステーションの間に,水中投光器による双方向データ無線伝送を行うイメージである.
Bidirectional optical wireless data transmissions between the AUV and the seafloor observatory. VLC: visible light communication.
図3.AUVと海底ステーション間の光無線双方向データ伝送イメージ.
海中可視光無線データ通信技術は,海洋環境の光放射伝達技術及び,可視光無線データ通信技術がベースとなっている.
2.1 海中可視光波の放射伝達光の海水放射伝達には,大きく分けて「海面放射伝達」と「海中放射伝達」がある.海面は,大気と海洋の接点であり,反射,屈折,偏光,透過がある複雑な物質やエネルギーの相互交換の境界領域である.本システムは,深海に航行するAUVに搭載される装置であるので,「海中放射伝達」の技術分野となっておる.
図4は,光の海中放射伝達の物理モデルである.自然水である海水(半透明体)中には水分子だけでなく,マリンスノーなどの海水を濁らせる様々な懸濁粒子が存在するため,海水中の光は吸収または散乱を繰り返しながら伝搬する. その結果,光は空間的及び時間的に分散して徐々に拡散減衰し,最終的に消散する.この減衰量は波長によって異なり,数学モデルは,式(1)により表わされる.
\[ I_{\mathrm{t}}(\mathrm{\lambda},L)=I_{0}(\lambda)\cdot\exp(-K(\lambda)\cdot L ) \] | (1) |
The physical model of light propagation in seawater.
図4.海水中における光の伝搬過程.
図5は,式(1)の数学モデルにより得られた海水の消散係数により伝送距離の分光減衰特性である.図5(a)は湾内や沿岸の海水そして蒸留水による消散係数$K(\lambda)$であり,図5(b)に可視光の海中分光減衰特性を示す.蒸留水のように懸濁粒子がない場合,短波長側の青色光が透過しやすく,逆に懸濁粒子が多い沿岸水の場合,より長波長の緑色もしくは赤色光に近い方がより透過することがわかった.つまり,海中可視光波の放射伝達は,全波長帯域に一定ではなく,海域環境及び光放射波長により分光特性を持っている.
Spectral attenuation of visible light in seawater: (a) attenuance $K(\lambda)$ and (b) spectral attenuation. Fig. 5(a) is a reprint figure from “R. Tsuda (1985), Kaiyo kougaku keisokuho, Y. Sugimori and W. Sakamoto eds. (1985), Kaiyo kankyo kogaku, Tokai University Press, p.150, figure 4-24.”)
図5.海水における可視光の分光減衰:(a)消散係数$K(\lambda)$,(b)分光減衰.((a)は、津田良平(1985),海洋工学計測法,海洋環境光学,杉森康宏・坂本亘(編),東海大学出版会,p.150の図4-24を元に著者が手を加え作成した.)
海中光無線通信には,主な環境雑音源として「太陽光雑音」,と「マリンスノー」(図6)の2つがある.高橋(1985)によれば,太陽光雑音の影響範囲,即ち,到達深度は,太陽光の波長及び海水の濁度に依存する.一般に,海面から200 m深度のところに,人は色が感じられなく,400 mは到達限界で,人の視覚では感知できない(図6(a)).つまり,200 mより浅い浅海環境での通信を行う時に,太陽光雑音の影響を考慮する必要があるが,200 mより深い深海環境の場合,太陽光による雑音はほとんど無視してよいほど小さい.
Marine environment noises in underwater optical wireless communications: (a) solar noise and (b) marine snow noise in Sagami bay. ((b) Kitamura, 2006)
図6.水中光無線通信における海洋環境雑音:(a)太陽光雑音,(b)マリンスノー.((b)喜多村,2006)
マリンスノーとは,肉眼で観察可能な海中懸濁物で,海底まで降り注ぎ堆積する.粒子のサイズが大きいので遮光効果があり,伝送路の光束を妨害し,伝送距離を低下させる.また,マリンスノーは海域や天候によって大きく左右され,相模湾などの沿岸部で急激に深くなっている海域では,川や都市から流れてくる有機物によってプランクトンが多く発生し,そのため多くのマリンスノーを見ることができる.図6(b)(喜多村,2006)に相模湾深海のマリンスノーを示す.
またプラットフォームとしてのAUVが海底付近に接近する場合は,自らのスラスターの動作により海底の泥を巻き上げるため,懸濁粒子の分布や濃度は時間的にも空間的にも一定でない.この海中作業特有の雑音特性に対処しなければ,通信品質が一定にならず不安定になることを意味する.つまり,高品質の海中通信できるかどうかは,伝送路及び装置受信点での雑音分布特性に大きく関係する.
2.3 海中可視光無線通信の課題と解決法前述の検討により,今回提案する海中光無線通信手法には,次の課題がある.
通信システム全体には,大きく分けて「送信」,「受信」,「伝送路」がある.課題2は,「伝送路」の分野と言える.図7は解決法の案の1つであるが,本論文では,送受信に関する通信方式及びハードウエア開発の視点から,課題1の解決を目的として,光波長分割多重(WDM:Wavelength Division Multiplexing)技術に基づき,最適な波長を選択(波長ダイバーシティ)できる波長適応型海中可視光無線通信方式を提案する.
An example of marine tunnel for underwater optical wireless communications.
図7.海水光無線通信用トンネルの生成イメージ.
図8は,マルチチップ白色LEDを用いた海洋環境に応じて波長自動切り替え可能な適応型LED光無線通信システムである.
Wavelength-adaptation underwater optical wireless communication system using visible-light LEDs.
図8.白色LEDを用いた波長自動切り替え型LED海中光無線通信システム.
送信側には,RGB(赤緑青)3原色の単色光チップを持つマルチチップ型の白色LEDを用い,3チップ同時発光によりを混光する(図9).視覚では白色光が放射されているように見えるが,実際にはこの3チップで独立した光変調によりデータ通信を行う.
White light LED with multi-chip for wavelength-adaptation control: (a) multi-chip LED and (b) wavelength separation.multiplexing by the multi-chip LED
図9.波長自動切り替え可能のマルチチップLED:(a)マルチチップLED,(b)マルチチップLEDにより波長多重分離.
受信側は広帯域の光検出フォトダイオードPD(Photodiode)の受光窓に波長選択光学バンドパスフィルタを装着し,各LEDチップの信号を分離して受信する.
以上により海域濁度の時空間変化に応じてそれぞれのチップにおける通信品質を相対的に評価し,高SNR(Signal-Noise Ratio)を達成できる波長チャンネルを選択して通信制御を行うことで,波長の適応選択を実現する.
3.2 試作と実装提案されたシステムの動作を確認するために,陸上の可視光無線通信ノウハウを活用し,基本のデータ双方向通信機能を有する1次試作を行った.試作の概念を図10に示す.
The principle of the prototype: (a) the system and (b) control circuit
図10.試作の設計原理:(a)システムイメージ,(b)送受信制御回路.
コンピュータ(PC)からのデータは,RS232C標準インタフェースを経由して,RGB3チップ型の白色光LEDによってPCのデータ信号が変調され送信される.光受信素子PDに受信されたデータは,RS232Cを経由してPCに伝送する.通信インタフェースはRS232Cを利用することで,既存の観測機器やコンピュータと接続することを容易とする.また,送受信制御回路では,高速処理可能なCPUを用いて1つの基板上で2チャンネル送受信制御できるような双方向通信トランシーバである.駆動用電源にはDC12Vを外部から供給し動作させる.
図11は試作され実装された双方向光無線通信トランシーバの基板である.光学送受信部,送受信制御部,電源部からなる.水中耐圧容器の軽さや安さなどを考慮することにより細長い形状が考えられた.
bidirectional optical transceiver prototype
図11.実装された双方向光通信トランシーバ基板.
また,試作された基板から光送信部のLEDユニットを分離して,水中投光器と置換利用を可能とし,既存の水中システムに組み込みし易い形を目指すことが考えられる.水中照明と通信装置を併用することによって省エネルギー,低コストを実現することが可能となる.さらに,資源のある海底深度で利用できるようにするために,1500 m深度相当の耐圧性能を想定する.
本論文では,音響通信環境の厳しさを克服することを目指して,安定かつ高速な水中データ伝送を実現することができるように,陸上の可視光通信技術を活用することによって,海中可視光無線通信方式を提案した.
一方,海水中可視光波の伝送特性は,海域環境により光波長に強く依存する.即ち,データ伝搬媒体としての透過光波の到達パワーは,伝搬距離だけではなく,光波長も依存している.そこで,本研究は,光波長依存の海洋環境に対して光波長選択適応の通信手段を考えた.
提案された方法に基づき,基板の初期試作と実装を行った.今後,装置に対する通信品質の評価,防水・耐圧容器の製作,室内プール試験,浅海岸壁試験,深海実証実験など多くの課題がある.
また,海洋環境調査研究では,海洋物理,海洋化学,海洋生物などを含むさまざまな観測を行う必要がある.そこで,陸上電波WSN(Wireless Sensor Network)のような海中光波無線センサーネットワーク(UOWSN : : Underwater Optical WSN)の構築も今後開発の目標の1つである.図12に示すように,陸上に通信できる主ノードを1つ設定し,他の観測機器(サブノード)は相互に接続され,主ノードを経由して得られたデータを陸上に送信する.可視光は可視性と指向性を有するので,各ノードの空間分割(干渉防止)や範囲確認しやすい利点があり,実用化することが期待できる.
Underwater Optical Wireless Sensor Network
図12.水中光無線センサーネットワーク.
本研究は,国土交通省の「海洋資源開発関連技術開発支援事業」の支援対象事業として採択されています.