2017 年 66 巻 2 号 p. 147-151
今回,我々はBCG(Bacillus Calmette–Guérin)膀胱内注入療法後に陰嚢皮膚結核性肉芽腫を発症した1症例を経験した。患者は74歳男性で,2008年から2015年まで膀胱癌による治療として経尿道的膀胱腫瘍切除術後,補助療法としてBCG膀胱注入療法を施行した。2度目のBCG膀胱注入療法の1ヶ月後に右陰嚢に皮膚結節を自覚し,当院皮膚科を受診した。生検検体から抗酸菌が発育,PCR法及びイムノクロマト法の同定法でMycobacterium tuberculosis complexと同定した。今後の治療や感染制御を実施する上でM. tuberculosisとM. bovis BCGの鑑別が必要となった。今回実施したPCR法で,M. bovis BCGと診断され,患者に適切な治療を施すことができた。日常業務で遭遇するM. tuberculosis complexのほとんどは,M. tuberculosisでありM. bovis BCGの感染症は極めて少ない。しかし,今回の症例を通して,膀胱癌患者の泌尿器検体ではM. bovis BCGを念頭に入れ検査を進めていくことを再認識した一症例であった。
BCG(Bacillus Calmette–Guérin)膀胱内注入療法は,表在性膀胱癌に対する有効な再発防止として一般的な治療法のひとつである。今回,BCG膀胱注入療法後に陰嚢皮膚結核性肉芽腫を生じた1例を経験したので報告する。
症例:74歳男性。
既往歴:限局性前立腺癌,前立腺肥大症。
現病歴:患者は表在性膀胱癌で2008年から2011年までに経尿道的膀胱腫瘍切除術(TUR-BT)を計5回,メトトレキセート,ビンブレスチン,アドリアシン,シスプラチンの4剤併用によるMVAC療法を計1回施行した。2012年にBCG膀胱注入療法を開始した。BCG膀胱注入療法は週に1回,BCGをカテーテルで膀胱内に注入,2時間ほど保持し腫瘍細胞と十分接触させる。これを計8回,8週にわたり繰り返す。2014年に膀胱内に再発を認め,TUR-BTを1回,さらに2015年にBCG膀胱注入療法を再度施行した。2015年10月23日にBCG膀胱注入療法を完遂後,同年11月下旬に右陰嚢に皮膚結節を自覚。当院皮膚科を受診となった。
受診時に右陰嚢皮膚の2箇所に最大47 mm × 25 mmの紅色結節が認められた(Figure 1)。
Clinical appearance of tubercle in the right scrotal skin at the first medical examination
超音波検査により結節は精巣との連続性はなく,皮膚結節内部は液体貯留による低エコーを認めた。これらの経過と超音波検査の結果から,鑑別診断として皮膚結核,非定型抗酸菌症,肉芽腫性疾患を挙げた。生検法を実施後,生検材料は病理検査室と微生物検査室に提出された。
2. 病理組織検査結節全体に好中球とリンパ球からなる高度の炎症細胞浸潤を認めたが,抗酸菌染色では菌体は検出されなかった。このことより,この炎症像は結核菌感染の否定はできないが,何らかの感染による変化の可能性であると判断した。
3. 微生物学的検査生検材料の抗酸菌染色を実施したが菌体は検出されなかったため,培養結果待ちとなった。培養25日目に液体培地より抗酸菌染色陽性菌の発育を認めた。PCR法でMycobacterium tuberculosis complex陽性,キャピリアTB-Neo(株式会社タウンズ)陽性であったため,当細菌がM. tuberculosis complexであると担当医に報告した。
担当医は治療に使用したM. bovis BCGである可能性が高いが,M. tuberculosisの可能性も否定できないと判断。万が一M. tuberculosisであった場合,特別な感染対策と治療が必要となるため,M. tuberculosisとM. bovis BCGの鑑別を検査部に依頼をした。我々はHuardら1)の方法を用いて,PCR法による鑑別法を実施した。
4. 遺伝子検査使用機器はVeritiサーマルサイクラー(Applied Biosystems),使用試薬はEmeraldAmp® PCR Master Mix(TaKaRa Bio)およびQ5 High GC Enhancer(New England Biolabs)を使用した。Primerの配列および終濃度,PCR条件については既報文献1)を参考として実施した。本症例のM. tuberculosis complexはM. bovis BCGであると判定した(Table 1, Figure 2)。その後,患者は残存している結節を摘出され,3ヶ月間のイソニアジドとリファンピシン内服を行い完治した。
Results of PCR for identifying M. tuberculosis complex
IS1561’ (Rv3349c) | Rv1510 (RD4) | Rv1970 (RD7) | Rv3877/8 (RD1) | Rv3120 (RD12) | |
---|---|---|---|---|---|
Amplicon size | 943 bp | 1,033 bp | 1,116 bp | 999 bp | 404 bp |
M. tuberculosis | + | + | + | + | + |
M. africanum subtype II | + | + | + | + | + |
M. canettii | + | + | + | + | − |
M. africanum subtype I | + | + | − | + | + |
M. caprae | + | + | − | + | − |
M. bovis | + | − | − | + | − |
M. bovis BCG | + | − | − | − | − |
M. microti | − | + | − | + | + |
Nontuberculosis mycobacteria | − | − | − | − | − |
BCG膀胱注入療法は,膀胱癌に対する免疫力を強め,癌細胞を破壊・死滅させることで治療を行う。BCG膀胱注入療法は特に表在性膀胱癌に対する再発予防として有用である2)。BCG膀胱注入療法後の感染症では,国内でいくつか報告されているが,その多くは精巣または精巣上体への感染である3)。発症頻度としては国外と同じ割合で0.4%と数少ない4),5)。
M. tuberculosis complexはM. tuberculosisの他にM. bovis,M. bovis BCG,M. africanum,M. microti,M. canettii,M. caprae,M. pinnipedii,M. mungi,M. orygiの9種の群から成る6)。日常業務で遭遇するM. tuberculosis complexのほとんどは,M. tuberculosisでありM. bovis BCGの感染症は極めて少ない。同定法は迅速性を有するため,PCR法またはイムノクロマト法が多く使用されている。しかし,この同定法では9種のM. tuberculosis complexを区別することは出来ないため,陽性となってもM. tuberculosis complexと結果を報告している。M. tuberculosis以外のM. tuberculosis complexが疑われる場合,M. tuberculosis complexと報告すると臨床側がM. tuberculosisと誤認してしまう可能性がある。その可能性を低減するためにも報告の際にはコメント入力をするなどの工夫や日常的に臨床側とのコミュニケーションが重要である。今回の症例を通して,膀胱癌患者の泌尿器検体ではM. bovis BCGを念頭に入れ検査を進めていく必要性を認識した。
M. tuberculosisとM. bovis BCGの鑑別法は従来生化学的性状で実施していた。両者の生化学的性状は似ているが,M. tuberculosisはナイアシンテスト,硝酸塩還元試験ともに陽性,M. bovis BCGはともに陰性を示す。しかし,Mycobacterium tuberculosis complexは発育速度が遅いため,鑑別には長時間を要する。さらに相川ら7)は,M. bovis BCGがナイアシンテスト,硝酸塩還元試験ともに陽性を示す株が存在すると報告した。そのため,我々は短時間かつ特異度の高いPCR法による鑑別法を行った。Huardら1)は,M. tuberculosis complexの欠落領域をターゲットとしたプライマーを設計しM. tuberculosis complexの7種の鑑別法を確立した。現在までに,それを利用したM. tuberculosis complexの鑑別法が多く報告されるようになったが,近年発見されたM. pinnipedii,M. mungi,M. orygiの鑑別法はないため今後の課題と考える8),9)。
BCG膀胱注入療法後の皮膚結核肉芽腫は,精巣上体から直接波及した症例報告はあるが,本症例は精巣上体炎を合併しない陰嚢皮膚結核性肉芽腫の稀な症例であった。皮膚結節出現前に精巣上体炎の症状がなく,結節出現後も結節は精巣との連続性がなかった。さらに超音波検査でも結節は精巣との連続性がないことも確認している。本症例の感染経路は,陰嚢皮膚への直接感染の可能性が高いと示唆される。患者は,高齢かつ膀胱癌,限局性前立腺癌,前立腺肥大症を患っており,溢流性尿失禁状態であった。このことから,注入療法後に包皮からの滴下または排尿後に尿が滴下し,陰嚢皮膚に付着したことにより感染症を引き起こしたと考えられる。
本症例は,BCG膀胱注入療法後に発症した陰嚢皮膚結核性肉芽腫であった。従来の検査法では,M. tuberculosis complexと同定してしまうため,M. tuberculosisとM. bovis BCGの鑑別をすることが困難であった。我々は,遺伝子検査を用いて両者の鑑別を行い,感染制御にも有用であった一例を経験したので報告した。
本研究はヒトを対象とした研究ではなく,患者本人と特定しうる個人情報を含まないため,倫理委員会の承認を得ていない。