新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の世界的パンデミックにより,医療機関において新興感染症に対する検査体制を整備することの重要性が再認識された。特に短期間で変異を繰り返すSARS-CoV-2のモニタリングとして,次世代シークエンス(NGS)解析が非常に有効なツールであることが立証された。国内におけるCOVID-19に対するPCR検査体制は,迅速かつ操作性が簡便な自動PCR装置の普及により,早期診断と迅速な感染対策が可能となったものの,ゲノム解析実施数は世界的に見ても少なく,積極的疫学調査が十分行えているとは言えない。今後COVID-19を含めた新興感染症の流行を正確に把握し適切な感染対策を講じるためには,変異の発生や頻度を可能な限り早期に把握するため,ゲノム解析を通じたウイルス変異株の同定と分析を迅速に行う体制整備が求められている。今回,我々は院内臨床検査室でも実施可能な全ゲノム解析アプローチの手法を構築することを目的として,高性能でありながら低コスト・簡便性の特徴を持つOxford Nanopore社のMinIONを用いて,日常業務において実践可能な全ゲノム解析のためのプロトコール作成に取り組んだ。実験材料の入手や感染症遺伝子検査に精通した人材の育成などの課題はあるものの,臨床検査室の日常業務にシーケンシング技術を取り込むことにより,新興感染症の疫学解析に貢献するのみならず,細菌の同定や薬剤耐性菌の遺伝子学的解析など今後さらなる臨床微生物学への応用が期待される。
The global pandemic of coronavirus disease 2019 (COVID-19) has made us recognize the importance of developing a laboratory system for emerging infectious diseases in medical institutions. In particular, next-generation sequencing (NGS) analysis of the SARS-CoV-2 genome is an indispensable tool for monitoring the global COVID-19 pandemic. In Japan, the PCR testing system for SARS-CoV-2 has enabled early diagnosis and rapid infection control owing to the spread of rapid and easy-to-operate automated PCR devices. However, the number of genome analytical tests performed in a day is relatively smaller than those in other developed countries, suggesting that active epidemiological investigation has not been sufficiently conducted. To control outbreaks of emerging infectious diseases including COVID-19, rapid identification and analysis of each virus variant through genome analysis are required to determine the occurrence and frequency of mutations as early as possible. In this study, we developed a protocol for whole-genome analysis training of medical technicians, which can be practically applied in daily clinical practice using the Oxford Nanopore MinION sequencer and is characterized by its high performance, low cost, and simplicity, to establish a whole-genome analysis approach that can be implemented in clinical laboratories. Although there are still issues to be addressed, such as the availability of experimental materials and the training of medical technicians by genome analysis experts, the incorporation of sequencing technology into the daily work in clinical laboratories is expected to contribute to not only the epidemiological analysis of emerging infectious diseases but also its further applications in clinical microbiology in the future, such as bacterial identification and genetic analysis of antimicrobial-resistant bacteria. Sequencing technology is expected to be further applied to clinical microbiology in the future.
新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)は2019年12月にヒトでの感染が報告されて以来,現在も世界的な感染拡大を続けている。その背景にあるのが変異株の急速な拡がりである。SARS-CoV-2の変異株は主にスパイクタンパク質の受容体結合ドメイン(RBD)のアミノ酸の一部が置き換わる変異が起きており,新たな変異株が報告される度に感染力の増加や重症化率の上昇,ワクチン効力の変化が議論されている1)。そのような状況下において,本邦におけるSARS-CoV-2陽性例に対するゲノム解析の実施状況は欧米諸国と比較すると不十分で2),新規変異株の疫学的特性についてはまだ十分に解明されているとは言えない。今後も感染力や病原性の異なる新しいSARS-CoV-2変異株が国内外で出現することが懸念されている状況下において,変異の発生や頻度を可能な限り早期かつ広範に把握するため,ゲノム解析を通じてそれぞれのウイルス特性の同定と分析を迅速に行うことが必要である。
現在多くの臨床検査室では様々な全自動PCR装置を用いて,迅速かつ大量の検体の遺伝子検査が可能になっている。しかし院内の臨床検査室で行う業務は原則保険診療で認められた検査を実施することであり,通常のルーチン検査と並行してSARS-CoV-2の変異型スクリーニングPCR検査やウイルスゲノムのシークエンス検査を実施することは技術的にもマンパワー的にも困難な状況である。また,ウイルスゲノムのシークエンス検査は正確で高度なデータを提供するが,極めて高価で手間のかかる検査であるため,できる限り安価で簡便な解析ツールが必要である。
Oxford Nanopore社の提供する新型高速シーケンサー「MinION」は,従来の次世代シーケンシング(NGS)と比較して装置が極めて小型で手技も簡便である(Figure 1)。さらに,長い塩基配列(数千bp~)を比較的安価なランニングコストで取得でき,すでに国外においてはSARS-CoV-2に適応されゲノム解析能力の高さは十分に評価されている3)~5)。しかしながら現在のプロトコールに要する作業時間(5時間)は,研究室で専任のスタッフが行うことが前提となっており,検査室の日常業務と並行して運用するためには改良が必要である。今回我々は,微生物学の専門家らの協力を得て,院内の臨床検査室において専任スタッフでなくても実施可能な全ゲノム解析アプローチの手法構築のために,MinIONを使用したSARS-CoV-2プロトコールの作成に取り組んだ。本稿では,具体的な解析方法やスケジュールについて報告する。
Portable type sequencer MinION Mk-1c (left), equipped with functions for the personal computer and the sequencing, is comparable with iPhone 8 (right) in its size.
ルーチン検査において新型コロナウイルス感染症(COVID-19)が疑われる患者から採取された鼻咽頭ぬぐいスワブを3 mLのウイルス輸送液(スギヤマゲン)を用いて,岡山大学病院微生物検査室にてRT-PCR検査を実施した。そのうち2022年1月から3月までの間に,BD SARS-CoV-2 Reagents for BD MAXTM System(日本ベクトン・ディッキンソン社)またはXpert® Xpress SARS-CoV-2「セフィエド」(ベックマン・コールター社)により陽性と判定された7検体を用いた。また検体の選定は検出効率を考慮して,リアルタイムPCRのcycle threshold(Ct)値が25以下の検体を対象とした(Table 1)。なお,本研究については,岡山大学倫理審査委員会(研2212-049)の承認を得ている。
Sample ID | BD MAX SARS-CoV-2 |
Xpert Xpress SARS-CoV-2 |
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N1 gene | N2 gene | E gene | N2 gene | |
ID-1 | 20.1 | 20.5 | NT | NT |
ID-2 | NT | NT | 18.6 | 20.0 |
ID-3 | NT | NT | 19.5 | 21.4 |
ID-4 | NT | NT | 17.3 | 18.9 |
ID-5 | NT | NT | 17.1 | 19.1 |
ID-6 | NT | NT | 17.1 | 17.8 |
ID-7 | NT | NT | 22.4 | 23.5 |
NT: not tested
微生物のゲノム解析に精通した研究者の指導のもと,SARS-CoV-2ナノポアシーケンシングのワークフローの各ステップについて,包括的な理論説明と実践的な実習に基づいてトレーニングを実施した(Figure 2)。トレーニングの概要は以下の通りである。
−80℃で凍結保存された検体を氷上で解凍し,300 μLからQIAamp viral RNA mini kit(Qiagen)を使用して,RNAの抽出を行った。得られたRNAサンプルからNEBNext® ARTIC SARS-CoV-2 Companion Kit(New England BioLabs社)を使用してcDNAの合成を行った。さらにキットに添付のVarSkip Short v2 Primerを用いて,合成したcDNAをテンプレートとしたPCRを行った。
【ステップ2】ライブラリー調製ライブラリー調整は,キットのマニュアルに準じて実施した。PCRで得られた増幅産物を磁気ビーズを用いて抽出した後,Qubit dsDNA HS Assay Kit(Thermofisher Scientific社)でDNA濃度を測定した。精製したPCR産物を4 ng/μLとなるように調製した後,Oxford Nanopore社から市販されているNative Barcoding Expansionを用いてバーコーディングした。反応物は再度磁気ビーズを用いて精製し,アダプターをライゲーションした後に磁気ビーズを用いて精製を行った。
【ステップ3】シークエンスシークエンスは,ポータブルでシークエンスが行えるMinION Mk-1cデバイス(Oxford Nanopore Technologies社,オックスフォード,英国)を使用した。まず使用するフローセルのプライミングを行った後,Sequencing bufferおよびLoading beadsとともに調製したアダプター結合済みライブラリーの混合液をロードしシークエンスを開始した。なお今回は新品のフローセルを用いて実施し,シークエンス時間は2時間とした。ベースコールはHigh accuracyモードで行った。
【ステップ4】データ解析FASTQデータを解析用コンピューターに移動させ,Artic-ncov2019パイプラインに従ってマッピング,コンセンサス配列の取得及びバリアントコールを行った。得られたゲノム配列を基にPangolin COVID-19 Lineage Assigner(https://pangolin.cog-uk.io/)を用いて系統解析を行った。
SARS-CoV-2の全ゲノムシークエンスを検査室で実装化するために,各種工程のトレーニングと所要時間の検討および課題の洗い出しを行った。
まず岡山大学に所属するウイルス学,ゲノム解析,臨床感染症の専門家から構成されたグループと日常業務と並行してトレーニングが行えるよう日程を調整し,事前講習を含めた4日間のプログラムを作成した(Table 2)。トレーニングは,主に実践的なトレーニングモジュールで構成されており,検査室の都合に合わせて自由に組み合わせることが可能である。第1モジュール(1日目)はナノポアシークエンス技術の理論に基づいて,基本となるRNA実験の際の試薬,器具の取り扱いについてのトレーニングやSARS-CoV-2サンプルからRNAを抽出工程まで行い,第2モジュール(2日目)は逆転写反応からcDNAを合成,PCRにより各領域を増幅した。第3モジュール(3日目)以降はライブラリーの調整を行い,4日目にMinIONシーケンサーを用いたサンプルの解析,その後のシークエンスデータのバイオインフォマティクスデータの解析についてトレーニングが行われた(Figure 3)。
Day 1 | Training contents | |
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16:00–16:10 | 10 min | Introduction |
16:00–17:00 | 1 h | RNA purification |
17:00–17:20 | 20 min | Summary and Discussion |
Day 2 | ||
14:00–15:00 | 1 h | cDNA synthesis |
15:00–18:30 | 3.5 h | PCR |
Day 3 | ||
14:00–15:00 | 1 h | Magnetic bead-based purification |
15:00–16:00 | 1 h | End Prep |
16:00–17:00 | 1 h | Barcode Ligation |
17:00–17:30 | 0.5 h | Magnetic bead-based purification |
Day 4 | ||
13:30–14:30 | 1 h | Adapter Ligation |
14:30–15:00 | 0.5 h | Magnetic bead-based purification |
15:00–16:00 | 1 h | Priming |
16:00–18:00 | 2 h | MinION sequencing |
18:00–19:00 | 1 h | Data analysis |
Experts in microbiology and genome analysis gave on-site lectures to laboratory technologists regarding the basics of specimen handling and nucleic acid extraction methods. In addition, standard operating protocols were explained and hands-on training on SARS-CoV-2 whole genome sequencing was conducted.
今回対象期間内に得られた7サンプルを対象にゲノム解析を行った結果,ウイルスの系統情報,単施設内の流行株の推移などの情報を得ることに成功した(Figure 4)。サンプル収集時期はオミクロン株(B.1.1.529; BA1)が日本国内で流行しており6),我々の解析結果でもすべてのサンプルからオミクロン株(主にBA.1.1.2)が検出された。
The strain names for the lineage were classified according to the molecular phylogenetic ID by Pangolin COVID-19 Lineage Assigner, which is the classification method used for SARS-CoV-2.
2022年5月の時点で,数百万を超えるSARS-CoV-2ゲノム配列がNational Center for Biotechnology Information(NCBI)7)やGlobal Initiative on Sharing Avian Influenza Data(GISAID)8)などの国際的遺伝子データベースに登録されている。さらに,英国(COG-UK)9),カナダ(CanCOGeN)10),及び米国(SPHERES)11)などの世界的な保健機関においてSARS-CoV-2ゲノム配列を決定するための大規模な取り組みが開始されており,SARS-CoV-2の全ゲノム疫学解析が,診断やウイルス変異,疫学パターン,治療標的やワクチンの設計など,世界的なパンデミックの様々な側面のモニタリングに活用されている12)。
Oxford社のナノポアシークエンサーは,膜に埋め込まれたタンパク質微細孔(ナノポア)を1分子の核酸が通過する際に生じる電流の変化を計測して塩基を決定する13),14)。また,ナノポアシークエンスでは,蛍光検出系を必要としないため,MinIONのようなシークエンサーの小型化が実現されている。MinIONはその携行性から,検査室・研究室での活用にとどまらず,ベッドサイドや屋外での感染症診断への応用も期待されている。
今回我々はこのようなシーケンシング技術を生かして,臨床検査室レベルでのゲノム解析を目指して全ての工程をオンサイトかつ日常業務と並行して行えるようトレーニングとプロトコールの作成に取り組んだ。プロトコールの途中で停止可能な手順を適切に配置することでモジュール化が可能になった。その結果,各工程に要する時間に基づいて,実際の検査室で運用するための最適なスケジュールを考案した(Figure 5)。このようなモジュールを適宜組み合わせることで各検査室のニーズに合ったスケジュールを組むことが可能であると考える。
The time in each process is calculated as 12 specimens were processed.
臨床検査室での日常検査で運用するにあたり最も重要な点は,機器の操作性が簡便であり最小限の作業時間で実施できること,さらに柔軟なスループット性能を持つことである。MinIONは性能的には迅速にシークエンスする能力があるものの,前処理の過程において1検体ごとに処理をすると非常に効率が悪い上に,フローセルの特性上,PCR・洗浄を繰り返すごとに有効なポアの数が低下していくという特徴がある。シークエンススピードはフローセルのポア数に依存するため,フローセルのポア数をできる限り無駄にすることのない効率的な検体測定を考慮する必要がある。これらの点から実際の運用に活用する場合12検体または24検体をまとめて解析することが適していると推測される。今回の検証実験では7検体を用いて行われており,12検体または24検体での検証はできていないが,12検体を想定して全工程の所要時間を算出したところ,RNAの抽出からシークエンスデータの解析に至るまで3日必要であることが判明した。ただしPCR,酵素反応,シークエンスの時間は待機となるため,各工程における正味の作業時間は,約5~6時間であり,マンパワーが確保できれば日常業務との両立も可能であると考えられる。
これまで当院微生物検査室では,同定困難細菌に対する同定手法としてサンガー法を用いた16SrRNA領域やITS領域のシークエンスを実践してきた。また2020年3月よりSARS-CoV-2のPCR検査開始に伴い,DNA,RNAの簡単な取り扱いについては習熟していたが,全ゲノム解析は初めての経験であった。本技術を用いるとこれまでのサンガー法に比べ多くのデータ量が得られるという利点がある一方,データ量が膨大となり解析に時間を要する。またロングリード・シークエンサーであるMinIONはリードを読み取る際のエラー率がその他のシークエンサーと比較し若干高いと言われている15)。今回用いたNew England BioLabs社のキットはPCR断片を100~1,000の冗長性でシークエンスすることでエラーの問題を克服しており,今回の解析においてもゲノム全域において100~200カバレッジ以上であった。今後,臨床検査室で本技術を用いて遺伝子学的な解析を施行する際には,実践的能力に加え,データ解析とトラブルシューティングに対応するための遺伝子学的な知識の集積が必要であるとともに,感染症遺伝子検査を担う臨床検査技師のシークエンス技術に関する専門的な教育を実施する体制づくりも重要であるといえる。
さらに,この技術を臨床応用する上での課題の1つとして,解析に用いる専用キットの入手に関することが挙げられる。現在,MinIONに用いるフローセルは海外からの輸入に依存しており,実際今回の検討期間においてもコロナ禍の影響で納期が通常2週間程度のところ約1ヶ月を要した。キットの価格もこれまでのNGS装置と比較すると安価ではあるものの,多数の検体解析に要するコストの対応も考えなければならない。
このように今後も臨床検査室で継続的にゲノム解析を実施するために発生する時間的負担や人材育成,解析費用の捻出など解決すべき課題は残るものの,感染症領域にNGSを活用した報告はSARS-CoV-2の疫学的解析のみならず,16S rRNAメタゲノム解析16),17)や薬剤耐性菌の遺伝子学的解析への応用18),19)など,すでに国内外から複数されており,今後の臨床微生物検査への貢献も期待できる。
MinIONを導入することで,院内検査室レベルでゲノム解析に基づいたSARS-CoV-2変異株のモニタリング体制を構築することを試みた。技術的な改善を図っていくことで,MinIONによるゲノム解析アプローチは将来的な新興感染症や薬剤耐性菌対策などに応用可能であり,病院検査室が果たせる役割を拡充することが期待される。
本研究は,岡山大学の次世代研究拠点形成支援事業による令和3年度岡山大学次世代研究育成グループへの応募で獲得した資金を用いて実施した。
本論文に関連し,開示すべきCOI 状態にある企業等はありません。
本取り組みにあたり技術的なご助言,ご指導賜りました岡山大学学術研究院医歯薬学域病原細菌学・ウイルス学教室の皆様,またサンプルの収集にご協力いただいた医療技術部検査部門微生物検査室の藤森巧技師,筧彩佳技師,大倉真実技師,三鍋博史技師,横山雪花技師に深く感謝申し上げます。