日本看護科学会誌
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研究報告
高齢者のうつ病からの回復
生活世界との関連における検討
田中 浩二 長谷川 雅美
著者情報
キーワード: 高齢者, うつ病, 回復, 生活世界
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2014 年 34 巻 1 号 p. 1-10

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Abstract

目的:高齢者のうつ病からの回復について,生活世界との関連の中で明らかにすることである.

方法:うつ病と診断され精神科治療を受けており,寛解または維持期にある65歳以上の高齢者8名を対象に,非構成的面接を行い,Giorgiの科学的現象学的方法で分析した.

結果:高齢者は,うつ病の発症から急性期にかけて心身が【生活世界からの疎外や圧迫】を受けており,生活世界の中で自由に生きることができなくなっていた.そのような疎外や圧迫が強くなることによって,【厭世観による死の衝動からの支配】に至っていた.これらの体験は,治療につながるきっかけとなり,精神科治療を受ける中で【生活世界へ帰還するきっかけを実感】することができていた.生活世界への帰還は,うつ病からの寛解を意味していた.うつ病高齢者にとっての生活世界への帰還のあり方は【なじみの人間関係や日常生活に帰還】し,【死の衝動からの解放と天寿全うへの託し】に至ることであった.

結論:看護師は,高齢者のうつ病からの回復を支援するために,【なじみの人間関係や日常生活への帰還】【死の衝動からの解放と天寿全うへの託し】を重視した環境創りをすることが重要である.

Ⅰ.緒言

我が国では,1970年に高齢化社会を迎えて以来,高齢者人口は急増しており,2011年では総人口の23.3%が65歳以上の高齢者となっている.高齢者は,喪失体験を原因としてうつ病や妄想,急性錯乱をきたすことが多い(竹中,2010).2011年の患者調査では,気分障害の推定患者数は103.600人であり,そのうち38.100人が65歳以上の高齢者である.また,高齢者のうつ病は未治療者が多い(Robert et al., 2002/2003)ことや自殺の既遂率が高いこと(Fukura et al., 2009)を鑑みても,老年期のうつ病対策は高齢社会である我が国にとって重要な課題である.

しかし,高齢者はうつ病を抱えて苦しんでいても,精神的な葛藤や苦悩を自ら語ることが少なく,身体あるいは精神の変調に不安や抑うつなどの精神的問題が関与していることを否認しがちである.また,長年のさまざまな生活体験から一面的に言いつくせない心理を若年者に語っても,所詮理解は得られないという諦観をもっている場合もある(竹中,2010高橋,2009).それゆえ,高齢者のうつ病は十分に理解されているとは言えず,患者の生活世界に根ざした体験についての研究は非常に少ない.

筆者ら(田中ら,2012)の以前の研究では,以上のような背景の中で,うつ病高齢者の語りに注目し,高齢者のうつ病の構造を理解し,抑うつを緩和するための看護について検討した.その結果,うつ病高齢者は,過去・現在・未来という時間軸の中で現在の抑うつを体験していること,看護としては,彼らの負の記憶の重みや老いによる喪失の重みを軽減し,未来へのつながりの中で生きる力を再生できるように働きかけることの重要性が明らかになった.この研究では,うつ病を抱えながら老いを生きるということの全体論的な構造の理解を提示することはできた.しかし,高齢者の長年生きてきた人生体験の中で現在の体験を理解したため,うつ病の病期に焦点を当て,回復過程の中での体験を提示することはできなかった.

女性うつ病者の語りから回復の体験や意味について明らかにした研究(Fullagar & O’Brien, 2012)では,回復過程は,うつ病を制御するための戦いや自己変革の体験として意味づけられていた.また,うつ病者の回復過程をエネルギーの充足や主体性の回復として記述している研究(山川,2006)もあった.さらに,職場や家庭での役割に従事しているうつ病者の回復を明らかにした研究(近田,2009)では,職業領域から自己領域へのシフトや対人関係からの撤退,ありのままの自分を吐き出せる人や環境の存在が明らかにされていた.これらの研究では,うつ病からの回復には,エネルギーの充足や自己の価値観の変革が必要であることが明らかにされているが,対象者のライフステージは考慮されておらず,前述したように喪失体験が多く,生きるエネルギーを喪失しやすい状況にあり,また長年培ってきた生き方や価値観を重要な拠りどころとしている高齢者に特化したうつ病からの回復については明らかにされていない.うつ病高齢者の他者との関係では,彼らの住んでいる場での一体感が重要であり,そのような機会を創造することの重要性が述べられており(Nyman et al., 2012),高齢者に特有の環境との関係のもち方や身体・精神・社会的特徴なども考慮したうつ病からの回復についても明らかにする必要があると考える.

そこで,本研究では高齢者のうつ病からの回復について生活世界との関連の中で明らかにすることを目的とした.それによって,うつ病高齢者の病いと回復について理解することや高齢者のうつ病からの回復を支援するための看護への示唆を得ることができると考える.

Ⅱ.用語の定義

1.回復

近代看護の創始者Nightingale(1859/1968)は,すべての病気は経過のどの時期をとっても,回復過程であるとし,病気の症状や苦痛などは必ずしもその病気によるものではなく,環境との相互作用の中で生じることが多いと述べている.これを参考に,本研究では,「回復」を「高齢者が環境との相互作用の中で,うつ病を発病し急性期症状を脱して寛解期または維持期に至るまでの過程」と定義した.

2.生活世界

Husserl(1936/1995)は,生活世界を「その世界のうちに目覚めつつ生きている我々にとって,いつもすでにそこにあり,あらかじめ我々にとって存在し,理論的であれ理論以外であれ,すべての実践のための基盤となるもの」と定義している.これを参考に本研究では,「生活世界」を「うつ病高齢者の生活をとりまいており,彼らの体験の基盤となっている世界」と定義した.

Ⅲ.研究方法

本研究では,Giorgi(1970/1981, 2009)の科学的現象学的方法を用いた.Giorgiは,Husserl現象学を理論的パースペクティヴとし,現象を生活世界内での関連において理解することの重要性を述べている.この研究方法は,人間の体験を当事者の意識に現前するものを通してありのままに理解することを目的としたものであり,高齢者のうつ病からの回復体験を,生活世界との関連で当事者の視点から理解するために適していると考えた.

1.研究参加者

うつ病と診断され,入院または外来で精神科治療を受けている65歳以上の高齢者で,現在急性期を脱して寛解期または維持期にあり,発病から現在までの体験を語ることのできる患者を主治医に紹介してもらった.

2.データ収集方法

Giorgi(2009)が述べる現象学的研究における研究者の重要な態度に留意しながら,非構成的面接を行った.研究者から本研究の趣旨と方向性を提示したうえで,研究者の経験や知識を括弧に入れて参加者に向き合い,参加者が自由に語る内容をありのままに傾聴した.ただし,本研究の目的を達成するために,面接の導入時には,本研究の趣旨と方向性を提示したうえで,最低限必要なデータが確保できるよう「せっかく(病気が)良くなられたのにこのようなことをお聞きして申し訳ないのですが,ご病気になられた時のことを聞かせていただけますか」「その後の経過や現在のお気持ちや生活状況はどうですか」と語りかけた.面接中は,支持的に傾聴することに徹し,その中で体験をより理解するために,研究者が捉えた内容を参加者に確認した.

面接時間は,1回30分から90分とし,1人につき1回から2回実施した.面接内容は,参加者の許可を得て録音し,それを逐語録として整理した.

3.データ分析方法

Giorgi(2009)の科学的現象学的方法を参考に,以下の5段階で分析した.

1)逐語化したデータの総体を精読し,全体論的意味を捉えた.

2) データに表現されている意味の変化に注目しながら文章を区切り,意味単位を確立した.その中で,高齢者が体験しているうつ病からの回復に特徴的な現象を「図」とし,それ以外の体験やうつ病高齢者の生活世界を「地」として,研究テーマである「図」を浮かび上がらせ,「図」が依存している「地」との相互関係を読み解いた.

3) 図として浮かび上がってきた各意味単位に含まれている体験の意味が,他者にとっても了解可能となり,また統合し一般化可能なものにしていくために,間主観的な態度でデータに向き合い,そこに含まれる現象学的な意味が看護学の立場から明瞭化されるようにデータを変換した.

4) 変換された各意味単位を本質的な意味内容の類似性・差異性に基づいて分類し,テーマを導き出した.

5) 最終的に全テーマの相互関係から構造を導き出した.

本研究では,分析の全過程において,精神看護学の臨床・研究経験の豊富な質的研究者からスーパーバイズを受けた.

4.倫理的配慮

金沢大学医学倫理委員会および研究協力施設の倫理委員会で研究の承諾を得た.研究参加者には,研究目的,方法,プライバシーの保護,研究参加および途中中断の自由,研究に伴うリスクに対する措置などについて文書と口頭で説明し同意を得た.面接時は,研究参加者の感情の変化や疲労,ストレス,身体的状況にも慎重に配慮した.また,面接中,参加者の精神状態や身体状態に変化が生じた場合には,直ちに面接を中止し,適切な対処ができるよう,主治医・看護師と連携を密にとった.

Ⅳ.結果

1.研究参加者の概要

研究参加者は,8名(男性2名・女性6名)のうつ病高齢者であった(A~Hさん).年齢は,69~88歳(77.3±6歳)で,入院患者が3名,外来患者が5名であった.全員が既婚者であるが,3名の参加者は配偶者と死別していた.職業は,全員が無職であった.壮年期までにうつ病治療歴のある研究参加者は1名のみであったが,全員が軽度なものから重度なものも含めて身体合併症をもっていた.主な身体合併症としては,高血圧や慢性糸球体腎炎,腰痛症,脳血管障害,視力障害であった.

2.データから導き出されたテーマ

高齢者のうつ病からの回復として,5つのテーマが導き出された.以下,テーマは【 】で,データは太字で提示しながら明らかにされた現象を記述する.

1)【生活世界からの疎外や圧迫】

うつ病高齢者は,発病時から急性期にかけて,人間関係の中で疎外感を体験したり,心身が環境から圧迫されるような苦しみを体験したりすることによって,生活世界の中を病前のように自由に活きることができなくなるという苦悩を体験していた.

身体症状は,うつ病者に特徴的な症状であるが,高齢者の場合には加齢や身体合併症の影響もあって日常生活に支障をきたすような苦悩となっていた.AさんとCさん,Dさんは,身体への圧迫感は最も大きな苦しみであると語り,そのことが治療者や身近な人に理解してもらえないという疎外感を語った.

やっぱり(一番つらいのは)腰ですね.腰はいくら言ってもとりあげてもらえない.でも歩くと本当に腰担いだみたいに重たいんですよ.ちょっとねえ,わからないわね,自分でないと.病院は,調子が良くなっていく者に対しては愛想がいいけど,悪い者に対しては冷たいね.主人もわからないんで,わからないというよりも,私のことを見捨てちゃってるんで.〈Aさん〉

私なんかちょっと胸が苦しいとか,ドキンとするとか言ってるでしょ.ドアを閉めたりする音がドキンと胸に堪えるんですね.体の痺れがひどいのに,先生は「もう大分よくなっとるはずやけど」と言われたのにがっかりしました.全然わかってないな,言ってもだめだなと.〈Cさん〉

だんだん歩く力がなくなってきて,顕著になってきたら,歩くことそのものがつらくなってくるんですね.医者(内科)に行って,どんなにひどいって言っても,年寄りなんて,いらない者みたいな扱いをされる.〈Dさん〉

また,原因は了解不能であるが,うつ病発病時には生活世界の中で心身の自由度を喪失していたことを語った高齢者もいた.

ベッドで寝ないで,ちょっと外へ出ればいいんだと思うのだけれども,シャッターまで行っても,そのシャッターを開けれないとかね.どうしてああいう気持ちになっていたのかは,いまだに理解できない面もありますね.〈Bさん〉

おかしいことになるもんだね,家のことも畑のことも自分が全部取り仕切ってしとったことが,何をしていいかわからんようになるの,あんなおかしなことになるというのは,自分でも考えられん.そして何していいかわからんから,離れた所にあった畑の隅に行ってじーっと座ってる.〈Eさん〉

そのような苦悩は,長年信じてきた自己の世界観からの疎外にもつながっていた.

私は,人のためになる生き方や正直な生き方をしてきて,何かやっぱり純粋な物を求めてたから,あんまり欲っていうよりは.でも今は悲しいけどそうは思いません,病気になって自分が幸せを失ってしまって.〈Aさん〉

これらの体験は,精神科治療につながる契機となる場合もあったが,心身の不調や人間関係での疎外感によって【生活世界からの疎外や圧迫】が強くなり,治療につながることができない場合もあった.そして,【厭世観による死の衝動からの支配】で自殺を行動化し,初めて精神科治療につながる場合もあった.

2)【厭世観による死の衝動からの支配】

うつ病高齢者の自殺念慮と行動については,振り返って本人が了解可能の場合と了解不可能の場合があった.いずれにしても,複数の研究参加者が語っていたように「娑婆で生きることへのあきらめ」という厭世観が根底にあることが考えられた.そして,自殺念慮と行動は本人が意識しているか否かにかかわらず,自己を支配するようになっていた.

畑の隅に行って小さくなって,家に帰っても,家の隅に小さくなって.今まで何でもしてきたのに,なんでこんなことになったかなと思って,ただ,あの世に行けたらいいなって,死ぬことばっかり考えとった.娑婆におりたくない,死んでしまいたいとそればっかり考えるようになった.そやもんで,子どもや孫が婆この気(自殺念慮)があるから,医者に言いましたんや.そしたら初めて入った,寝台の上に寝てるけど,看護師さんがチョロチョロと顔出すんや.あれなんか変わったことしないか番してらしたんやね.〈Eさん〉

生きてるのもあれなくらい辛かったね.自分でもわかるから,このままで生きとってもあれだなって思ったこともあったわ.〈Hさん〉

発病から急性期にかけては,死の衝動に支配される苦悩を体験しており,EさんやHさんのように本人や周囲がそれを認識できている場合は精神科治療につながっていたが,自分でも何が起こっているのか認識できず,孤立無援状態で自殺の行動化を起こして初めて治療につながる場合もあった.Dさんは,高齢者に対する社会や医療からのまなざしによって,疎外感を強く感じ,自殺未遂にまで至って治療につながったことを語った.

母ちゃん(妻)に「死のうと思ったけど,死ねないわ」って,血だらけにして言ったら,母ちゃんがビックリ仰天したんや.その時は何も考えなかったね.まあ,後のことはいいようにするだろうって感覚で,芯から壊れてるからそんなことは全然思わなかったですね.それだけこの娑婆から消えてなくなりたいっていうような感じになったわね.それが今考えてみればなんとバカなことしたもんだなと思うけども,あのときは一生懸命だった.〈Dさん〉

(うつ病に)なった瞬間は我が身にもわからなかった.なんか死にたいような感じになってね.誰がどういうんでなくて,娑婆におるのが嫌になった感じになったんや,初めに.なりかけね.そして家におるのが嫌になって,「死ぬ」って言うて出たんやないか.本人は,我が身はわからないんだけど用水路に嵌っとったんや.どうにもこうにも死にたいのがついてたんやね.〈Gさん〉

3)【生活世界へ帰還するきっかけの実感】

うつ病高齢者は,精神科治療を受ける中で,【生活世界からの疎外や圧迫】【厭世観による死の衝動からの支配】から解放され,うつ病が寛解する兆しを実感していた.それは,自己の心身の苦悩を他者に理解してもらえたと実感できた時や苦悩の原因が自分なりに理解できた時であった.

Aさんは,心身の苦悩が誰にも理解してもらえないと思い孤立無援感を体験していたが,治療者が苦悩に寄り添うことによってその関係性の中で病気が良くなることを実感していた.

困った時でも,少々痛い時でもいつも我慢してる.言ったからって,注射して治るわけでもないし.誰にもわかってもらえない.Iさん(特定の治療者)は少しわかってくれてるね.「腰が痛いから大変だね」って言ってくれるから.今までそんなこと言ってくれた人いないですよ.Iさんがおいでた時分くらいからかな,そんなに腰痛くならなくて過ぎたんです.〈Aさん〉

DさんやBさんは,病気が良くなってきたことを実感した後に,自己の生活史や性格傾向を振り返りながら,うつ病になった原因や心身の苦悩が強かった時の体験を洞察して語っていた.

月給取りの世界で,僕はやっぱり完璧主義みたいなところがあるからうつ病になりやすいんよ,今考えてみても.それで,その頃は痩せました.今は,食事もおいしいし,退院したら何食べようかなって考えてる.〈Dさん〉

65歳で定年退職して.その後はすぱっと辞めて,ほとんど顔を出さなくてもいいというような.それがいいのか悪いのか,寂しい感じがして.それでゴルフを始めたんだけど,膝を痛めてね.そういう楽しみがもうやれなくなったというか.非常にショック受けてね.囲碁もやってたけど,何か気持ちが添わなくて,負けてばっかりで,やめたしね.そういう楽しみをみんなやめて.今から思うと自分で自分を追い込んでいるような感じだけどね.〈Bさん〉

このように,うつ病高齢者は,誰かに苦悩を理解してもらえたという体験やうつ病になった原因の洞察を得ることによって,うつ病からの寛解の兆しを実感していた.

良くなったと思い出したのは,生活が元へ近づきつつあったのは,今年正月ごろからですかね.主治医には,前回来たときに,「先生,何かもう長いトンネルを抜けたような感じがして」というような話をしたのを覚えていますので,だから2カ月前,2月の中ごろの受診日には,何かそんなような気持ちになっていたんですかね.〈Bさん〉

4)【なじみの人間関係や日常生活への帰還】

うつ病の急性期を脱し,寛解の兆しを実感した高齢者は,少しずつ生活世界の中での自由さを取り戻していた.うつ病高齢者にとって,抑うつの緩和は,家や身近な地域に根ざしたなじみの気の置けない人間関係の中への帰還として体験されていた.

最初やっぱり近所の人と喋るのも嫌だった.嫌だったけども,そのうち徐々にね,やっぱり人の中に出ないとダメだって言われて,まあきょうだいの所も遊びにも行ったり,やっぱり会話がないとダメでしょ.〈Hさん〉

今は娘と一緒におるもんで一番.わが子やもんで,言いたいことは言えるし,好きなこと言ってるしね.昼間は友達のところに行ってね.その人(近所の昔からの友達)とだったら,何でもああだこうだ言って.その人もやっぱり年がいったし,じいちゃん(夫)もいなくなったしね.それでも,どこへ行くかといったら,やっぱりその人の所へ行くもんね.〈Fさん〉

今も,呉服屋さんの奥さんで,仲良くしてくれてる人いるけど,その人は元気で,私のことも葉書をくれたり,気にかけて下さる.私とりえなかったけど,あまり人と争わんし,だからその人とは気が合ってよく喋って.〈Aさん〉

また,うつ病高齢者は,家族や信頼できる治療者とのなじみの関係の中で,心身の落ち着きを取り戻したり,日常生活の中で自分なりのペースでの生活を取り戻したりすることによって,生活世界の中で活きる場や生きがいを再獲得していた.

妻の仕事の送迎が一つの歯止めというか,義務感か使命感みたいなのがあったから,今から思うと,それはいいんだなと思ってね.だから「最近何をやっているんだ」と言われたら,「運転手,運転手」とかいって笑って言っているのですが.それから,おかげでゴルフも2回,天気のいい日に行ってきたし,囲碁もまた復活してパソコンで楽しんでいるし,家庭菜園にしても毎日やれるし,非常に愛情をかけるとそれなりに育ってくれるんで.周りの人も,野菜,食べ物だからね,喜んで持って行くし.〈Bさん〉

毎日,その日によって足がだるいと思ったら,半日ほども(畑仕事が)できないこともあるし,1日もして,家戻って痛い痛いと言って足出してる時もあるし,その日によって仕事にもよりますし,そしてこれだけ年がいったら気ままになって,足がだるいと思ったらもう動きたくもない.家であのよしかかりの椅子に足伸ばして,そしたらそのうち時間が経つと和らいできたような気がして,よっこらしょと仏さん参るのが朝晩の婆の仕事です.〈Eさん〉

5)【死の衝動からの解放と天寿全うへの託し】

うつ病高齢者は,回復過程の進行に伴って,自殺念慮や自殺行動から解放されるようになっていた.自殺行動を起こしたうつ病高齢者は,その後死の衝動から解放され,自殺念慮を抱くことはなくなったことを語っていた.

20km離れた娘の家に外泊したけど,何ともなかった.眠れた.翌日は,家に次女が餅持ってきてくれて食べて,そんなこと(自殺)全然考えなかったです.もう一回やってやれってことは,全然思わなかったね.〈Dさん〉

娑婆に生きてりゃ,死ぬんやと思ってた.娑婆に縁がないなと思ってた.なんだか怖いところに行ってきて.病気が治らないと思ってた.そしたら,家の娘は,私が生きておらんと思ってたのが治って喜んでるんや.そして,今死にたいかっていったら,死にたくないし,今だいたい良い気持ちになって.家の者達は毎日来てくれるし,今のところ感謝してるんや.〈Gさん〉

そして,死に直面したうつ病高齢者は,死という苦悩も含めてこの世に生きるということを達観して語っていた.

私の父親がよく私らの小さい時に地獄極楽というものはどこにもないもんや.地獄極楽いうもんはこの娑婆のことやってよく言ってた.この娑婆が,いい生活してる時におとろしいところ行ったら地獄じゃって,娑婆で自分で平気に生きていける者は極楽やけど,それ以上にどん底に入って行くような者は地獄じゃって.そういえばそうやと思うよ.私が(うつ病急性期の時に)行った所は地獄やと思ったな.恐いぞ,人間は.〈Gさん〉

うつ病高齢者は,死に直面し,死の衝動から解放されることによって,この世に生きるということを達観し,天寿を全うしようという気持ちになっていた.しかし,それは積極的な生への欲動ではなく,身近な生活世界の中に身を委ね,天寿を全うすることに身を託すという意味合いであり,そこに生きることへの実存的な苦悩は残されていた.

若い時は,年がいったらこういうことになるっていうことはわからんけれども,年がいったらだんだん自分の体が役に立たんようになって,自分のことでも面倒くさくなってくるし,やっぱりいろいろ考えてもおらんことに遭っていかないといけないもんだから,これ以上長生きしたくない,親たちも皆先に逝きましたし,今で何どき逝ってもいいと思ってるんやけども,なかなか思った通りにいかないの,お陰様で喜んでいいのか悲しんでいいのか今のところどこも,痛いところは腰と足だけで,内臓は別にどこが悪いということも,医者に行けばあるかもしれないけど,行かないもんでわからんので,動けるんです.若い時もあったし,子どもの時もあったしと思い出してみるけど,そういうこと言っても,誰もかれもみんな同じ道通って行くんやもの,しかたないでしょう.だから家族にすまないねって言っては,気を遣ってるの.〈Eさん〉

3.全テーマから導き出された構造

高齢者は,うつ病の発症から急性期にかけて心身が【生活世界からの疎外や圧迫】を受けており,生活世界の中で自由に活きることができなくなっていた.そのような疎外感や圧迫感が強くなることによって,【厭世観による死の衝動からの支配】に至っていた.これらの体験は,治療につながるきっかけとなり,精神科治療を受ける中で【生活世界へ帰還するきっかけを実感】することができていた.生活世界への帰還は,うつ病からの寛解を意味していた.うつ病高齢者にとっての生活世界への帰還のあり方は,【なじみの人間関係や日常生活に帰還】し,【死の衝動からの解放と天寿全うへの託し】に至ることであった.

Ⅴ.考察

1.高齢者のうつ病発症から急性期にかけての体験

本研究結果より【生活世界からの疎外や圧迫】【厭世観による死の衝動からの支配】というテーマが明らかにされたように,高齢者はうつ病の発症から急性期にかけて,生活世界の中において人間存在として他者と共にあるための共通感覚が脅かされやすく,心身への侵襲を受けやすくなっており,生活世界の中で自由度を喪失している状況になっていると考えられた.Blankenburg(1971)は,人間存在をHusserlの生活世界の視点で超越論的に理解し,間主観的に構成された生活世界,すなわち,自己の世界の内に,他者と共に,事物のもとに存在し,それらとの交わりのうちに,根をおろして存在するというありかたと定義した.そのような人間存在のあり方が脅かされ,共同世界から排除されることによって,精神病者は身体と心と精神からなる自己の全てにむかって迫るような侵襲を体験するという.うつ病高齢者の体験した人間関係での疎外感,身体症状による心身への影響や心身の自由度の喪失,死の衝動からの支配は,生活世界からの疎外によってもたらされる外界からの脅威であると考えられる.病いと苦しみは,生活世界の中に不快ないしは「ぞっとする」感情,居場所のなさの経験を持ち込む力をもっており,病いと苦しみによって,実存と生活の文脈の把握が揺らぎ,実存全体が不確かで奇異に感じられ,生きているにもかかわらず生が失われる(Dahlberg, 2012/2012).うつ病高齢者が体験した【生活世界からの疎外や圧迫】は,彼らに身の置き所のないような実存的苦悩をもたらしたと考えられる.そのような【生活世界からの疎外や圧迫】が強くなることによって,【厭世観による死の衝動からの支配】につながっていたといえる.特に,うつ病高齢者自身が了解不可能な死の衝動は,実存全体が脅かされ,生活世界の中で生きる基盤が失われるような苦悩に直面したことによってもたらされたと考えられよう.このような生活世界からの疎外体験は,Blankenburgが述べているように,精神病者の特徴的な体験であり,あらゆる年代の患者に共通して言えることである.しかし,老年期は,中年から初老期までの年代と比較して,元々状況からくる抑うつ的な心理状態にあること,日常的には心理的な平衡を保っていても,それは危うい基盤の上に成り立っているものであるため,些細な破綻でも多くの因子が関連しあい,簡単に崩れるほどの厳しい平衡であること(竹中,2010)が言われている.そのため,老年期は他の年代と比較して,精神状態が脅かされやすく,生活世界からの疎外が深刻化しやすいことが考えられる.また,うつ病高齢者は,老いることの重みや他者との相互作用による自己の存在価値の低下と孤独(田中ら,2012)を切実に体験しており,彼らが急性期に体験する苦悩の本質は,【生活世界からの疎外や圧迫】にあると考えられよう.

2.高齢者にとってのうつ病からの回復

高齢者は,うつ病の急性期には【生活世界からの疎外や圧迫】によって生じる心身の苦悩を体験しており,そのような苦悩が強くなることではじめて周囲の人々や治療につながっていた.高齢者のうつ病では,悲哀感を訴える頻度が低く,不安,身体症状への囚われ,精神運動制止,全身倦怠感,自責感,自殺の危険,不眠が高率にみられる(高橋,2009).高齢者は,定型的なうつ病症状である悲哀感を言葉で表現することが少なく,うつ病による苦悩が自他共に言語的に理解されにくいため,若年者に比べてうつ病が発見されにくく,重症化しやすいことが考えられる.そのため,うつ病高齢者の不安や身体症状,精神運動制止などの心身の変化を捉える際に,彼らの生活世界の中での疎外感や圧迫感にも着目し,体験を生活世界との関連の中で読み解くことによって,うつ病を早期に発見するためのひとつの手がかりとすることが重要である.また,そのような理解を基盤として,他者とのつながりの中で生活世界との調和を取り戻していくことができるよう支援することが重要である.

うつ病高齢者は,精神科治療につながることや,治療者との関係性の中で,苦悩を理解してもらえたと実感できたり,自己の生活史や性格傾向を振り返りながら,うつ病になった原因や心身の苦悩が強かった時の体験を洞察できたりすることで,うつ病からの寛解の兆しを実感していた.中井(1982)は,苦痛を訴える能力を自分が持っているという感覚は非常に大きな安心感を人間に与えると述べており,言語化には苦痛の減圧作用があることを示唆している.高齢者にとって,うつ病からの寛解のひとつのきっかけは,他者との共通言語の中で抑うつの苦痛を表現できるようになることといえよう.また神田橋(2012)が,すべての回復は根本の自然治癒力によって起こると述べ,病気の状態像や経過,薬の適切な活用,人からの受容,人との絆は,自然治癒力を助けるものであるという考えを示しているように,精神科治療を受ける中で,さまざまな要因によって高齢者のもっている自然治癒力が動員されることが,うつ病からの回復過程を促進する原動力になっていると考えられよう.

本研究結果では,高齢者にとってのうつ病からの回復のあり方は,【なじみの人間関係や日常生活に帰還】し,【死の衝動からの解放と天寿全うへの託し】に至ることであった.すなわち回復には,うつ病高齢者にとって「なじみ」の人間関係や価値観を頼りとした生活世界に無理のない形で自然に「なじむ」ことが重要であり,そのような生活世界への帰還とその中での活きる自由度の回復を基盤として回復過程が進行すると考えられる.これは,うつ病からの回復に,うつ病を制御するための戦いや自己変革の体験というような積極的な意味を付与しているあらゆるライフサイクルのうつ病者を対象とした研究(Fullagar & O’Brien, 2012)とは異なる新たな知見である.老年期を取り巻く状況とは,さまざまな喪失と孤独,死の現前化,その下での厳しい適応であり,環境の変化は若い世代には「新しい明日」を意味するが,老年者では失われたものという「過去」に価値を見出すものとなる(竹中,2010).それゆえ,うつ病高齢者に対する支援では,喪失の緩和や環境への適応の厳しさを考慮する必要があり,本研究で明らかにされた高齢者にとってのうつ病からの回復は,高齢者の住んでいる場での一体感が重要(Nyman et al., 2012)であるという知見や,病状や治療は馴染んだ身体感覚や生活経験を頼りに了解する(田中,2008)という高齢者の特徴を踏まえたものであるといえよう.

また,高齢者はうつ病からの回復過程の進行に伴って,【死の衝動からの解放と天寿全うへの託し】に至っていた.うつ病高齢者は,回復に伴って,自然と死の衝動から解放され,心身の落ち着きを取り戻していたが,結果でも語られていたように,それは積極的な生への力動ではなく,自然の営みに帰還し天寿に身を託すという感覚であった.自殺企図後のうつ病者の感情を記述した研究では,自殺企図後治療を受けながらも死への執着をもっていることや,その反面で考え方や生き方を変えていきたいという再生への意欲をもっていることが明らかにされていた(長田ら,2013).しかし,本研究結果で得られた新たな知見として,高齢者の場合は,自殺企図後も死への執着や再生への意欲といったような積極的な意思が働いているのではなく,自然と死の衝動から解放され,天寿に身を託すという,いわばこの世に生かされているあるがままのわが身を受容するという達観した状況に至ることであった.これは,高齢者では年齢や心身の状況によっては,意思決定の際に「たくす」という自己決定の形をとること,すなわち積極的な決定をしないという意思決定が,ひとつの自己決定のあり方として重要であることを述べている田中(2008)の報告からも裏付けされるうつ病高齢者の特徴であるといえる.このように,信頼できる周囲の人々や治療者に「たくす」という自己決定の形をとる高齢者は,人間対人間の信頼関係や人のやさしさあるいは誠意に敏感に反応して,厭世観に折り合いをつけ,自己を自然の営みに「たくす」ことができる人達であり,このことからは,うつ病高齢者は人間対人間の信頼関係で成立している精神科治療に反応しやすい人達であると考えられる.現代,社会はグローバル化,情報化,少子高齢化が急速に進展する中で,生産性や機械化が重視され,身近な生活世界であるコミュニティでの人間関係は希薄化している(高橋ら,2007).このような現代社会の中で,高齢者に対する社会や医療からの負のまなざしによって,先達が自己の生き方を後世に伝承し,託していくという伝統的な人間の生の営みが困難な時代となっている.それゆえ,高齢者が安心して自己の生や知,すなわち魂を託すことのできる環境が重要であるといえる.特に,患者治療者関係を重視する精神科治療の場においては,年長者である高齢者への畏敬の念や情緒的なつながりをもつ中で,生きた歴史をもつ存在としての高齢者が自己価値の保障と連続性を体験できるような支援を行うことが重要であろう.そのような適切な精神科治療につながることで,うつ病高齢者は【なじみの人間関係や日常生活に帰還】し,【死の衝動からの解放と天寿全うへの託し】に至ることが考えられよう.

このように,うつ病高齢者は,回復過程の進行に伴って【死の衝動からの解放と天寿全うへの託し】という体験に至っていたが,そのような達観した状況であっても老いを生きるということへの実存的な苦悩は残されていた.老いを生きるということは,生老病死を課せられた人間に与えられている実存的な苦悩であり,人間の誰もが避けて通ることのできない苦悩である.高齢者は,うつ病から寛解しても,そのような実存的な苦悩を抱えながら生きているといえる.

3.看護への示唆

本研究結果からは,高齢者はうつ病の発病から急性期にかけて【生活世界からの疎外や圧迫】【厭世観による死の衝動からの支配】を体験しており,周囲の人々や精神科治療とつながることによって【生活世界へ帰還するきっかけの実感】【なじみの人間関係や日常生活への帰還】【死の衝動からの解放と天寿全うへの託し】に至るという回復像が明らかになった.

うつ病高齢者は,急性期には身体的にも精神的にも【生活世界からの疎外や圧迫】による侵襲を受けやすく,生活世界を他者と共有できなくなることによる苦悩があることや,死の衝動に支配されやすいことなどから,治療やなじみの人間関係の中でのつながりが重要である.看護師には,高齢者の言語化が困難なうつ病体験の苦悩をくみ,彼らが治療者との共通言語の中での体験として苦悩を訴えることができるように働きかけることが求められる.そして,高齢者が自然と生活世界に帰還できるように,【なじみの人間関係や日常生活への帰還】を重視した環境づくりをしていくことが求められよう.そのような治療的人間関係の構築や生活環境の調整などによって,うつ病高齢者の希死念慮の緩和と天寿を全うすることに「たくす」という生き方を支援することが重要であろう.また,看護師は,うつ病高齢者が天寿全うを託すという達観した寛解像に至りながらも,老いや死に向き合いながら生きているということを理解し,彼らの実存的な苦悩に寄り添う姿勢が重要であるといえよう.

Ⅵ.研究の限界と今後の課題

本研究は,研究参加者の疾患特性や研究の方法論上,データが回復の経過を回顧して語ってもらったものであること,および研究者の現象に接近する能力やデータを解釈する能力が結果に影響を与えることなどいくつかの限界を有している.今後は,多角的なデータ収集方法を用いること,および研究者として,田中(2007)が述べているように質的研究におけるデータの解釈に関する知識を身体知のレベルで携え,研究能力を高めていくことによって,結果を洗練化していくことが課題である.

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