日本看護科学会誌
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資料
精神科看護師の患者看護師関係における共感体験
田中 浩二 吉野 暁和長谷川 雅美長山 豊大江 真人
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2015 年 35 巻 p. 184-193

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Abstract

目的:精神科看護師が日常的な看護実践の中で意識的あるいは無意識的に経験している患者看護師関係における共感体験の特徴を明らかにすることである.

方法:精神科看護経験を5年以上有する看護師30名を対象として非構造的面接を実施した.面接では関係性が深化し印象に残っている事例とのかかわりについて語ってもらい,Bennerの解釈的現象学に依拠して解釈した.

結果:精神科看護師の患者看護師関係における共感体験として,4つのテーマが解釈された.「患者との関係性への関心と患者理解に向かう欲動」「患者と看護師の人間性や生活史が影響しあう」というテーマには,看護師が患者にコミットメントし,患者の負の感情や苦悩を緩和したいという看護師の願望が現れていた.また「ケアの効果の現れで体験する確かに通じ合えた感覚」「時空を超えた一生の絆」というテーマには,患者と看護師が通じ合え,両者の間で喜び,感動,驚きなどの感情体験や安心感,満足感が共有されたことが現れていた.

結論:精神科看護師の患者看護師関係における共感体験は,ケアの一場面を取り出して説明できる現象を超えたものであり,日常のケアの連なりの中や両者の生きる時間が影響しあう中で体験されることが考えられた.

Ⅰ.緒言

精神疾患をもつ患者は,主症状として認知や思考の障害をきたし,論理的な思考過程が脅かされることが多い.そのため,精神科看護においては論理によるコミュニケーションや問題解決のみではケアに限界があることを考慮すると,精神科看護師は,日常的なかかわりの中で意識的あるいは無意識的に情緒的な関与を活用することが多いと考えられる.精神科看護師は,他領域の看護師よりも感情知性が高いという報告もある(Kuo et al., 2012).また精神科治療のひとつである精神療法においても,情緒的関与,すなわち共感は患者を理解するための他には変えがたい手段であり,共感を通して理解にいたるプロセスそのものが治療であると言われている(武井,2001).

共感は,哲学や美学から生まれた概念であり,1950年代になって看護学でも取り入れられるようになり,Peplau, H.やTravelbee, J.によってケアの重要な機能として取り扱われるようになった.その後,共感に関する研究は進められ,Kunyk(2001)は,看護師の共感機能をレビューし,人間特性としての共感,専門としての共感,コミュニケーションプロセスとしての共感,ケアとしての共感,関係性としての共感の5つに分類した.これらの概念の結果として,現在看護学においても多くの共感の測定尺度が開発されている(Yu & Kirk, 2008).

しかし共感とは本来,関係の中で体験する非言語的で身体感覚的な内的体験(武井,2001)であり,共感には尺度で測定できる現象を超えた看護師の主観的体験が関与すると考えられる.ゆえに共感を看護師の内的世界から理解することが必要であるが,共感の構成要素や過程を質的に明らかにした研究は少なく(小代,1989Baillie, 1996伊藤,2003),共感に関する類似した研究はほとんどが事例報告である.これらの結果からは,共感には患者看護師間の関係性の深さや看護師の情緒的な世界の現れが伴うと考えられるが,精神科看護師の患者看護師関係における共感体験を明らかにした研究はない.

そこで本研究では,精神科看護師が日常的な看護の中で意識的あるいは無意識的に経験している共感体験について「精神科看護師は患者看護師関係の中で共感という現象をどのように体験しているのか」という視点から明らかにすることを目的とした.共感は精神科治療の中で重要な要素であり,精神科看護師の患者看護師関係における共感体験が明らかになることで,精神科看護師が日常的に実践しているケアに新たな意味が開示され,患者ケアへの原動力となることや治療的なケア実践力の向上に向けた示唆を得ることができると考える.

Ⅱ.用語の定義

Berger(1987/1999)は,共感を「患者から伝わったことによって引き起こされる治療者の精神内界のプロセス」と定義している.そこで,研究参加者には共感体験を「関係性が深化した患者や鮮明に印象に残っている患者との相互作用の中で引き起こされた内的体験」と理解してもらった.そして研究者と研究参加者の対話の中で現れたデータを解釈する中で,本研究での共感体験についてBergerの定義を参考にしながら「看護師が患者と相互関係をもつ中で,患者の孤独,恐怖,悲しさ,切なさなどのネガティブな感情や苦悩を理解し,これらを和らげたいと願い関与を続けることによって,患者と看護師が通じ合え,両者の間で喜び,感動,驚きなどの感情体験や安心感,満足感が共有され,両者が人間存在として意味深い関係性を体験するプロセス」と定義した.

Ⅲ.研究方法

1. 研究デザイン

本研究では,Bennerの解釈的現象学を用いた.この研究方法は,研究者が研究参加者の世界の中に想像性を用いて住み込み,心を傾けて推し量ることを通して,実際的な関心事と生きられた経験との間に対話を作り出す.そして,研究者が研究参加者との対話を通して,研究参加者にとっては高度に磨かれかつ当然のこととして受け止められており,日常的にはほとんど意識されていない実践の意味を解釈し記述することができる(Benner, 1994/2006).そのため,この研究方法を用いることで,語りを通して精神科看護師が日常的な実践場面で意識的あるいは無意識的に体験している共感体験を明らかにすることができると考えた.また理論的パースペクティブとして,人間は時間性という規定を受けて世界内存在として状況のうちにおかれて相互共存在として在り,身体を通して具現し,自らを解釈する存在であるというHeidegger(1927/2003)の存在論に依拠した.これに依拠して解釈することによって精神科看護師の体験の意味をケア対象者との相互関係や時間の文脈の中で探求できると考えた.

2. 研究参加者

3つの県にある4箇所の精神科病院で,精神科看護経験を5年以上有する看護師とした.田中(2007)は,解釈学は人間の経験が表現された言葉の解釈を通して,存在の意味や人間経験の意味を問うテキスト解釈の学であると述べており,解釈的現象学では,解釈が可能となるだけの豊富な語りを得ることが必要である.そのため,看護管理者によって,患者に対する共感性が高く患者との関係の中で生じた体験を詳細に語ることができると判断された看護師とした.

3. データ収集方法

データ収集期間は2013年8~12月であった.研究参加者が患者看護師関係における日常的な実践やできごとを,自然な状況でありのままに語れるように留意し,45~120分の非構造的面接を行った.研究目的を達成するために,研究参加者には過去の精神科看護経験における共感体験について,関係性が深化した患者や鮮明に印象に残っている患者との相互作用を想起してもらいながら詳細に語ってもらった.研究参加者が,体験やその意味を心に描きながら習熟して語ることができるように,研究者自身も語られたケースの状況に身を置きながら,研究参加者の語りの意味を解釈した.そして,解釈した意味を研究参加者に返したり適宜状況に根ざした質問を挿入したりしながらinteractive interviewを展開した.面接内容は許可を得てボイスレコーダーに録音した.

4. データ分析方法

Benner(1994/2006)が提唱する解釈的現象学の3つのアプローチ,すなわち範例の解釈,テーマ分析,代表的事例の提示に沿って分析した.まず,①状況,②身体性,③時間性,④関心事,⑤共通する意味の5つの道標を解釈の手がかりとしながらテキストを精読した.その中で,研究者がよくわかると思ったり不思議に思ったり気がかりとなった事例を範例として選出した.範例のテキスト全体を繰り返し読み,その中に一貫して出現するトピックス,論点,関心事,できごとなどを整理し,テキストの部分から全体へ,全体から部分へと循環することによって不適合部分や引っかかる箇所を見つけたり,繰り返される関心事をまとめたりした.範例が解釈された後,範例と他のケースを照らして類似点や差異を比較し解釈の更新を行いながら解釈のアウトラインを作成した.この際,意味の成立を損なわないよう,得られた生データの語りや文脈をそのまま生かすことを重視しながら,解釈のアウトラインから浮かび上がってきた意味をテーマとして扱った.次に解釈のアウトラインの各部分に関連を持つ他のテキストの諸部分が転写され,テーマごとに整理を行った.そして,テーマごとに整理されたケースファイルを作成し,それらの比較を行うことによりテーマの共通性と差異性を見出した.さらに,テーマの意味を解釈したり,個別の体験の意味とテーマの意味との関連から解釈を更新するために,テキストの諸部分と全体の間,範例とテーマの間,各テーマの間を行き来し,精神科看護師の共感体験について全体論的な立場から熟考した.

結果の真実性は,提起された解釈に対応させながら繰り返しテキストを読み込み吟味すること,精神看護学の質的研究者からスーパーバイズを受けること,および研究参加者に結果を提示することで評価した.

5. 倫理的配慮

研究参加者には,文書と口頭で研究計画の主旨について説明し,研究協力は研究参加者の自由意思であること,研究途中でいつでも研究参加の拒否ができ,拒否した場合も一切不利益は被らないことを保障したうえで,同意書に署名を得た.また,研究参加者や語られる事例の匿名性が守られるよう配慮した.なお,本研究は金沢医科大学倫理委員会の承認を得て実施した(No. 171).

Ⅳ.結果および考察

1. 研究参加者および研究参加者が語った事例の概要

研究参加者は30名(男性12名,女性18名)の精神科看護師であり,看護師経験年数は12~41(26.1±8.3)年,精神科看護経験年数は12~38(21.1±7.3)年で全員が10年以上の精神科看護経験を有していた.研究参加者が語った総事例数は62例で,疾患別では統合失調症44例,双極性障害6例,うつ病3例,境界性人格障害4例,アルコール依存症3例,発達障害2例と多様であったが,印象に残っている患者との関係性の中で看護師が体験した現象としては共通するテーマが確認された.

2. データから解釈された共感体験の4つのテーマ

語られたデータを解釈する中で浮かび上がってきた意味から,精神科看護師の患者看護師関係における共感体験として4つのテーマが解釈された.精神科看護師は,これらのテーマのような意味をもつ現象として共感を体験していた.なお本稿では範例となったケース(A~D)の語りを中心に結果を提示する.

1)テーマ1「患者との関係性への関心と患者理解に向かう欲動」

看護師は,患者へのかかわりの中で信頼関係を構築することや関係性を評価することの難しさを体験していた.

Aさんは,固定化した精神症状があり退院が困難であった患者に病棟看護師として数年間にわたってかかわった.その際,本人および家族に深くコミットメントし退院支援を行ったことで,患者はかなり強い精神症状があったが,退院することができた.その後異動で外来勤務となったことで,訪問看護や外来診療の場を通して継続して担当した.Aさんは「この患者さんのことは忘れられない」と言いつつも,関係性を評価することの難しさを語った.

イ(インタビュアー):その患者さんにかかわられて何年くらいになりますか?

A:もう10年位になる.でも普通こんなに長い間かかわったら,もう少し距離感が縮まるかなって思うけど,意外とそんなふうでもない.その患者さんの中で私は精神科1年目の看護師で,新しい看護師さんと2人で訪問看護行った時に,新しい看護師さんには「あなたはここに座ってください」とソファに誘導し,次に私には「あなたはここです」と,床へ座れと言ったり.関係性を測るのって本当に難しい.人をわかろうとしたり,理解しようとしたり,人に興味がなければ,その人がどんな反応をしようが悩むこともないんだけど.

イ:その患者さんって関係性ができたかどうかの手応えがなかなか感じにくいですか?

A:うん,そうそう.ただね,退院して1回だけ,入院したことがあった.その時,お風呂に入る入らんでもめた時に,病棟で夜中に「今からAさんが入浴介助に来ます」って言ってたみたい.私病棟に勤務してないのに,なんで私が夜中に入浴介助に行くの?って.それっていうのは,やっぱり私いつも,もうちょっと表面上近くなれるかなと思うけど,そうじゃなくて,やっぱり彼女の中で私がいるという感じを与えてるのかなあと.訪問してる時でも,その時は知らん顔してても,どこかでわかる,聞いてくれてるのかなと思いました.

ここでAさんは患者との関係性の不確かさを語ったが,研究者はAさんが「この患者さんのことは忘れられない」と語っていたことや患者とのやりとりを詳細に語っていたことなどから,Aさんの前意識の中では確かさや手応えがあるように感じた.そこで,研究者はAさんが言語的に表現した「意外と距離感が縮まらない」という内容を確認するように問いかけた.すると,Aさんは「ただね…」と日常の何気ない場面から患者との関係性の確かさを実感した体験を想起し,深いところでは確かなつながりが構築されているという現象がインタビューの中から現れた.相手の経験を完全にわかることができないという事象は,そこで看護師自身から切り離してしまうのではなく,事象へと引き寄せ,それでもなおわかろうとする方向へ志向させる(原澤,2014).わからなさや不確かさは,関与への原動力となり,関与を続けることで日常の何気ない反応から関係性の確かさを感取し,このことが患者理解への欲動につながっていた.

また,関係性の構築においてこうした難しさがありながらも,看護師は,病的体験が強く家族やスタッフからも敬遠されている患者,自己評価が低かったり自責感が強かったりして対人関係をもつことができず孤立している患者,あるいは身寄りがなく長期入院で社会から疎外されている患者など孤立無援状態の患者に対して自然と情がわくという感覚を体験していた.

E:スタッフもみんなかかわりたくないって思う患者さんなんか,病気だけをみて刺激の遮断のために隔離になると,患者さんのことを誰も理解しないまま,薬で鎮静がかかって,ああよくなったねって流れていくっていうのも,たまらんなって.だから俺はその人のいいところを知りたいし,他のスタッフにも知ってほしいっていうのもある.

ここでは,精神疾患をもつ患者の対人関係上の孤立や疎外が語られ,そうした状況が看護師にとって気がかりとなり,患者との関係性を深め患者を理解したいという欲動や願望が現れていることが考えられた.共感は関係性の一様式,つまりある関係の中で人がある感情を体験する内的体験そのもの(武井,2001)であり,またTravelbee(1971/1974)が共感が生じる条件として患者を理解したいという願望をあげていることから,「患者との関係性への関心と患者理解への欲動」をもつことは,精神科看護師にとっての共感体験として考えられた.

2)テーマ2「患者と看護師の人間性や生活史が影響しあう」

看護師は患者に関与するうえでの関心事として,精神疾患をもつ患者の人間性や生活史を語り,さらに看護師自身の人間性や生活史を洞察して語った研究参加者もいた.看護師は,精神疾患をもつ人は純情で対人関係上の優しさや繊細さをもっていることが魅力であると語った.Bさんは,そのような人間性は意外な瞬間に垣間見れる場合があると語った.看護師にとって,患者の人間性を知ることがケアの原動力となったり共感を呼び覚ましたりしていた.

イ:患者さんってすごく意外な一面もっていますよね.

B:そうそう,ああ純粋だなと思って愛着がわく.人間性を垣間見た時になんか距離感縮んだような気がして,自分のことのように共感できることってあるよ.

ここで研究者は,精神疾患をもつ人を患者としてではなくひとりの人間としてみているBさんやCさんの語りに興味をもち,インタビューの場では,日常のケアの場面でどのように患者の人間性や生活史が現れるのか,それをどのようにしてとらえているのかについて,研究参加者の前意識にあるものを対話の中から引き出していった.研究者自身も,患者に対して彼らと同じようなまなざしをもっていたことが,彼らの前意識にあるものの言語化を促進した.

Cさんは,看護師が焦ると患者は自分の思いが言えなくなったり,こころを閉ざしてしまうことが多いが,慌てずに時間をかけて向き合っていると,根掘り葉掘り聞かなくても患者が自然と自らの生活史の苦悩を語ったり,看護師がハッと驚くような能力を見せたりすることを語った.そして患者の生活史を聴くことができたり,意外な一面が発見できたりしたときに精神科看護師として患者に共感できたと思えると語った.

イ:そんな場面(患者さんの意外な一面や生活史の苦悩を語れる状況)を見逃さない感性が必要なんだろうなと.

C:難しいね,ふとした時に出てくるからね.そういう場面って.本当に.

イ:それを見逃さないでキャッチできるのはどういうところから?

C:どういうところからなんかね…,なんか注意がピーンとアンテナが立ってるときは出てこないね.自分のアンテナの本数が1本とかの時じゃないとね.

イ:逆にあんまり神経張りつめてない時,自然でいれるとき?

C:そうそうそう,ちょっと患者さんの所に行って癒されたいなと思ったときとか.患者さんの共感力もあると思う.そんな雰囲気の中でその人が生活の中ですごく大変なことがあったっていうことを気づかないうちに話してたりとか,この人こんなこと言うんやと思わされるときとかってあるもの.

ここでは,患者の人間性として他者を癒す力をもっていること,看護師の人間性として,患者に対して安全保障感や自由に漂う雰囲気を醸し出す存在感があることが語られ,両者のもつ力の相互作用で患者の生活史や能力が開かれることが語られた.ここには,両者がそれぞれに生きてきた過去から現在までの時間とそれらが相互作用の中で現れる瞬間という時間があり,これら2つの時間に対して開かれていることで共感を体験することが読み取れた.また,このような体験は看護師自身が心身の感度や注意力を落としている時に現れるという面で,言葉以前に身体感覚での交流が基盤となっていることが考えられた.

こうして看護師は,患者の生活史を知ったり,患者が精神疾患を発症していなかった場合に存在したであろう別の人生を思ったりすると,病気になったことへの悔しさを感じ,患者に対してなんとかしたいと心が動いていた.このように患者の生活史という過去の時間を追体験することはBさんが「自分のことのように悔しい」と語るように看護師にとって患者への共感体験となっていた.

B:患者さん自身すごく気持ちの優しい心の綺麗な人なのに,お母さんを自殺で亡くされたり事故に遭われたりとかで,こんなよい人がどうして不運なできごとに続けて遭遇したり,病気になって入退院の繰り返しになってしまったんだろうって思う.20歳の時から入退院の繰り返しでこの人自身,何のための人生だったんかなっていうように思ったら,少しでも地域に帰してあげて,少しでも地域で過ごせる時間をつくりたいなと思って.

イ:その人の人生を考えるっていうか.

B:そうそう,なんでこんないい人がこんな目に遭わないといけないのかって.

イ:悔しい.

B:悔しい.自分のことのように悔しいっていう思いが結構あるかな.

また,看護師自身の人間性や生活史も患者への共感性に影響することが語られた.Bさんは,自身も機能不全家族の中で育ち苦労した経験から,自分の生き方を振り返ったことで患者との類似体験を見つめ,患者と人間対人間のかかわりができていることを語った.

イ:患者さんの人生だけでなくて,自分自身の生き方とか生き様とかも深く考えて.

B:うん,まあ,それに興味もてんと無理やね.だから人の生き方に興味がある人.精神科看護ってなんか自分自身の生き方を振り返らんと語れんなと思って.相手の立場に置き換えて考えれるかっていう共感力はその人の生き様にも経験値にもよるし,その人のもった感性であったりパーソナリティであったり,いろいろするんやろうと思う.

Travelbee(1971/1974)が,共感する能力は患者との類似体験によって決まることや,共感が進展し同感に至ることで患者の苦悩によって心が動かされ苦悩を和らげたいという願望が起こることを述べているように「患者と看護師の人間性や生活史が影響しあう」ことは同感に通じる共感体験であると考えられた.

3)テーマ3「ケアの効果の現れで体験する確かに通じ合えた感覚」

看護師は,関係性の中で患者から治療への合意が得られたりケアの効果を実感することができたときなどに,看護師の一方的な感情体験ではなく双方で通じ合えているという感覚をもつことができていた.Dさんは,患者が病的体験の中にありながらも,関係性の中で治療への合意が得られたことを語った.

D:一度関係ができていたら具合が悪くても説得にも応じてくれるような気がします.これは病院からは遠くの人なんですけど,退院して何年か経った時に症状が出て入院が必要だと地域の保健師さんが思ったんですよね.で,私に治療に結びつけてほしいって言ってきて.説得できるかなと思ってたんですけど,その保健師さんがなぜ私に言ってきたかというと,患者さんが暑中見舞いの葉書をくれたときに,私が返事を出したと思うのね.で,その患者さんが保健師さんに,私から葉書もらったよって話してくれたと思うの.それで,来られたときに「こんにちは」って会って話してたら,患者さんが最初は入院を嫌がってたんだけども,「やっぱりちょっと入院していく」って言ってくれて.

Dさんは看護師として日々特別なことはしていないが,患者は退院して何年も経っていても,何気ない体験をよく覚えており,そのような反応が見られたときに感動すると語った.ここでは,患者と看護師が暑中見舞いの葉書のやりとりという日常的な体験を通して通じ合えていたことが治療への合意という場面で確認された.またDさんは,患者との関係性について「私が一方的に思ってるだけかもしれない」と語っており,患者との双方向性についてはテーマ1のように不確かさを体験していたが,このようにケアの効果として現れることで,「やっぱり,通じてるんだなと思ってうれしくなります」と語った.インタビューの場では,「日々特別なことはしていない」と言うように,Dさん自身は特にケアや治療として意識していなかったような日常的な体験が多く語られた.しかし研究者は,Dさんが日常的な人間対人間のかかわりに看護の価値を置いているように感じたため,それに興味をもって聴いていくと,患者と「やっぱり通じている」と思えた瞬間が想起された.インタビューを通して,日常性という「地」の中に,通じ合えた瞬間という「図」が現れた.研究者は,Dさんの日常的な患者とのかかわりの場面を詳細に聴く中で,「図」が語られるように促進したとともに,何気ない「図」の現れを見逃さないように注意した.「図」としての体験が想起され,それが「地」となっている日常的なケアの効果として意味づけられた時,研究者とDさんは共に感動を体験した.

Fさんは,自殺念慮が強く自分には生きる価値がないと訴える患者に対して,Fさん自身も共に病みうる人間存在として患者と同じ目線で向き合ったことで,自殺念慮から解き放たれた事例を提示し「退院される時に,『あの時はありがとうございました』とお礼を言われました」と語り,つらさに共感したことが治療的効果として患者から確認され,双方向で安心と満足の感情体験が共有できたことを語った.このように関係性の中で通じ合えていることやケアの効果は,その真っ只中にいる時は強く意識されないが,時間が経過し患者からの反応があった時などに振り返って確かなものとして体験されることが考えられた.

テーマ3では,看護師が患者からの反応によって患者と通じ合えたことが確かめられ,両者の間で喜び,感動,驚きなどの感情体験や安心感,満足感が共有されたことが表現されていた.小代(1989)が共感を,患者の気持ちが通じた,伝わった,感じ取ったという感覚として捉え,看護師が患者と一体感をもつことであり,共感によって満足感が生じることを述べており,また伊藤(2003)が共感によって患者と援助の効果が共有され,安寧・満足を体験することを述べているように,「ケアの現れで体験する確かに通じ合えた感覚」が体験できることは,共感体験であると考えられた.

4)テーマ4「時空を超えた一生の絆」

人間対人間の関係性が展開される中で,患者と看護師の間には,時と場を超えて失われない馴染みの感覚がつくられていた.精神疾患をもつ患者との関係性の構築には難しさが伴うが,一度構築されると一生のものになっていた.

C:急性期で幻聴とか症状がひどいときにかかわった患者さんがいて,3回入退院を繰り返して,その3回とも僕が受け持ちだった.その患者さんとは,10代のころ,20代のころ,30代のころっていうふうな年代的な付き合い方で.合間,合間は空くけど,共に年齢を重ねていった感じ.そうすると,1回の入院期間は短くても,だんだんと今まで話さなかったことをポロポロって話すようになって.不思議とね.

イ:1回の入院期間は数か月のものでも,その間の関係は切れてないってことですよね.

C:そうそうそう,何年もかかわりをもっていなくてもつい数週間前まで会話してたかのように話をしてくれて,話をふりだしに戻さなくても,途中からでも患者さんに合わせることができるっていうかね,あれ不思議やなって思う.

イ:何年も会っていなくても,関係性がふりだしに戻らないって,不思議ですよね.

C:何年かぶりに顔を合わせても,顔確かめることもなく「よう!」「どうしとる?」っていう感じで,すぐに話がふりだしからじゃなくて,今までつい何時間前までも話しとったくらいの感じで話し始めれるっていうのがね.この連帯感って精神科の患者さん独特やよ.

ここでCさんは,患者との関係性について「不思議」という言葉を繰り返し使っていた.研究者は,Cさんが単に入院回数を重ねたことで関係性が深まったという現象を表現しているのではなく,そこにはお互いが存在する時間や場を超えたつながりが存在することを感じ,そのことが「不思議」という言葉につながっていると感じた.研究者もCさんのいう不思議な感覚を共有しながら,「退院後も患者との関係性は切れないこと」について確認すると,Cさんは,患者とは何年も会っていなくてもつい数時間前まで話していたかのように話ができる感覚の感動を語った.この時研究者は,Cさんと患者の未来に向かう永続的な関係性を予見した.双方向での感情交流が成立した患者と看護師の間にはクロノロジカルな時間や物理的な空間を超えたつながりが構築されていた.これは,精神疾患患者に特有な対人関係上の能力と,そうした力を感じた看護師の患者に波長合わせする力が織りなされてつくられる体験と考えられた.

また,テーマ3でも触れたように,精神疾患をもつ患者は,関係性の中で体験したことをよく覚えており,看護師が忘れているようなことを想起させてくれることが多々あった.そのような患者の特徴が時空を超えた一生の絆をつくり,患者との治療的関係性が終結した後も関係性が保たれることが考えられた.

D:患者さんって,退院して何年経っても会うと声をかけてくれるし,すごく喜んでくれるし,私もそれがすごく嬉しい.一般の人っていうのは,見て見ぬふりをしたり,あいさつをしてもさらりとしてたりとか,向きあい方が違うのね,その喜びを感じる.私がオーバーに受け止めてるだけかもしれないけど.「あの時あんなことをしてくれたね」とか「あれからこうやったよ」とか「今はこんなところで働いてるよ」とか話してくれて.患者さんとの関係って,一生続くんじゃないかと思いますね.

イ:関係が1回できると壊れないんですね.

D:壊れない,壊れないと思います,私(強調).

またGさんは,患者の体験を受け止める看護師の力も時空を超えた一生の絆の生成に寄与していると考えていた.

G:患者さんって退院した後も何年経っても病棟まであいさつに来てくれたりとか手紙をくださったりとかあって,患者さんとの関係性って簡単に崩れないと思います.一生続くと思いますが浅はかですかね? やっぱり患者さんって,状態が悪くなったときに自分をさらけ出すでしょう.症状として出したり,肉親にも話せないようなことを話したりとかで.それを看護師が受け止めての関係だから続くんだと思います.

看護師は,治療関係が終結した後も未来に向けて患者との絆は生き続けており,患者との間には一生の絆ができるという体験をしていた.患者の生きる時空間と看護師の生きる時空間は違っても,それぞれの生きる時空間の中でお互いの存在は根付いており,再会という瞬間には生き生きとした感情を体験し,それを通してさらにお互いの存在や関係性の真価が確かめ合われ,喜び,感動,驚き,安心感,満足感が共有されるという意味で「時空を超えた一生の絆」は,Travelbee(1971/1974)のいうラポールに通じる共感体験であると考えられた.

3. 精神科看護師の患者看護師関係における共感体験の意味

本研究では,精神科看護師の患者看護師関係における共感体験について,看護師が語った印象に残っている精神疾患患者とのかかわりの中から記述してきた.看護師にとって印象に残っている体験としては,関係性の評価や患者理解が困難な患者とのかかわり,患者の人間性や生活史に触れたかかわり,ケアの効果の現れが体験できた患者とのかかわり,時空を超えた一生の絆が確認できた患者とのかかわりなどであった.このような体験は,「忘れることができない」ものとして看護師の記憶に残されているという意味では,情動を伴った体験であり,共感体験として探求することが可能な現象であると考えられた.

「患者との関係性への関心と患者理解に向かう欲動」および「患者と看護師の人間性や生活史が影響しあう」というテーマからは,看護師が患者にコミットメントし,患者の負の感情や苦悩を追体験し,それらを緩和したいという願望を抱いていることが語られた.このような感情は,精神疾患をもつ患者の優しさや純情さ,他者を癒す力をもつという人間性に触れることや生活史の苦悩を知ること,あるいは看護師自身の人間性や生活史が現れることによって強くなっていた.Berger(1987/1999)が共感は患者理解という知見からしか測れないと述べているように,患者を理解したいという欲動をもち,双方の人となりや生きてきた時間が開示されることは,共感体験の基盤となるものであろう.ここには,両者の存在の基盤が現れ,互いに存在意味を証明しあい,かつ存在の意味を規定するような関係(田中,2007)があるといえるだろう.

このように精神科看護では,患者と看護師の間にステレオタイプな関係性を超えて人間対人間の関係性が構築されていたが,そうした関係性の確かさが捉え難いという特徴があり,看護師は患者との関係性の深まりに対して独りよがりかもしれないという認識や「不確かさ」の感覚をもっていた.しかし,精神科看護師は「不確かさ」の感覚が伴いながらも,日常の何気ない瞬間にその関係性を積み上げてきた看護師にとって印象的な反応が患者から得られることで「ケアの効果の現れで体験する確かに通じ合えた感覚」を体験していた.このような体験によって,患者と看護師が通じ合え,両者の間で喜び,感動,驚きなどの感情体験や安心感,満足感が共有されていた.そのような瞬間の現れを大切にするために,Cさんが語るように患者に関心をもちながらも心身の感度や注意力を落として,患者との間に自由に漂う雰囲気を醸成するという身体感覚を備えたり,Dさんが語るように日常的なかかわりを重視することが重要であると考えられた.そのような精神科看護師の身体感覚や日常性が両者にとって心地よい空間や安らぎをつくり患者の存在が開かれることが考えられた.

Benner(1989/1999)は,人間は,身体に根ざした知性として存在するがゆえに,世界の内にあってそれを自分の世界,意味の世界として認識でき,この世界に安らぎを感じながら生きることができると述べている.この安らぎこそ,「ケアの効果の現れで体験する確かに通じ合えた感覚」や「時空を超えた一生の絆」の基盤となっているものであり,世界内存在としての患者と看護師がお互いに言葉を超えた共通認識の世界で相互に関与しあうことによって両者の間に生まれるものであると考えられる.野間(2012a)は,私達が世界を生き生きと感じることができるのは,私達のもつ生命性が世界に現れているということであり,その時,遠い過去からすでに与えられているという時間性や身体でもってそこに住まっている空間性が体験され,存在の自明性が成立すると述べており,このような状況を説明するためにドイツ語のHeimatという言葉を使用している.この言葉には,Heim(住居,我が家)の意味が含まれており,Heimisch(故郷のような,気のおけない,居心地のよい,くつろいだ)でありながら,同時にHeimlich(秘密の,私の,隠れた)という意味を含蓄している.精神疾患をもつ患者は,自明性の喪失(Blankenburg, 1971/1978)の危機に直面することが多く,生活史や今を生きる中で存在の自明性が脅かされた体験をもつからこそHeimatの感覚を強く希求しており,そのような患者との相互作用を通して看護師にもまた「時空を超えた一生の絆」というHeimatの感覚が体験されていたと考えられる.Heimatには,「故郷」「親」「情緒的に交流する他者」を前にしたときに体験するような,外見,社会的立場や履歴などさまざまな属性を脱ぎ去った裸の存在を全的に受容してくれるファクターとしての意味が含まれており,さまざまな属性を脱ぎ去ってもなお残る「私」という人格特性の魅力や「存在」そのものの価値を保証する根拠でもある(野間,2012b).精神疾患をもつ患者の人間性の魅力は,ケアする看護師にHeimatの感覚を感じさせるところにあるといえるのではないだろうか.

精神科看護師の患者看護師関係における共感体験は,ケアの一場面を取り出して説明できる現象を超えたものであり,日常のケアや両者の生きる時間が影響しあう中で体験されることが考えられた.また,共感体験には精神疾患をもつ患者に特有の人間性や対人関係のもち方,時間感覚などが関与しており,看護師はそのような患者の存在のありようを患者のもつ能力と捉えていた.このように,患者のもつ能力を感取し,患者との間で確かに通じ合えた感覚や一生の絆を体験することは,精神科看護において看護師自身のエンパワメントやケアへの原動力になる体験であるといえよう.看護師には,精神疾患をもつ患者との関係性は生涯のものになりうることを認識し,患者のもつ人としての能力に向き合い,患者の回復やその後の生き方に長期的な関心をもち続けることのできる力が重要であろう.このような看護師の患者に対する存在のありようが治療的ケア技術の基盤となるといえよう.

Ⅴ.研究の限界と今後の課題

本研究では,研究者の面接やデータ解釈の能力が結果に影響を与えるという限界を有している.今後も研究を継続し解釈を更新していくことが課題である.

Acknowledgment

本研究にご協力いただき,貴重な体験を語ってくださった看護師の皆様に心より感謝いたします.なお,本研究は金沢医科大学奨励研究の助成を受けて実施したものである.また,本研究の一部は35th International Association for Human Caring Conferenceで発表した.

利益相反:本研究における利益相反は存在しない.

著者資格:KTは研究の着想,デザイン,データ収集,分析,論文執筆の全研究プロセスに貢献した.TYはデータ収集および研究プロセス全体への助言,MH, YN, MOは研究プロセス全体への助言を行った.すべての著者は最終原稿を読み,承認した.

References
 
© 2015 公益社団法人日本看護科学学会
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