日本看護科学会誌
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原著
低出生体重児を育てる母親に対する保健師の支援の意図に関する記述的研究
永井 智子麻原 きよみ
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2016 年 36 巻 p. 220-228

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Abstract

目的:低出生体重児を育てる母親に対する保健師の支援の意図を記述する.

方法:保健師9名に半構造的インタビューを実施し,保健師の支援の意図を質的記述的に分析した.

結果:低出生体重児を育てる母親に対する保健師の支援の意図は,【母親が脆弱な子という思いに捉われず,その子らしさを大切にできる】,【母親が育児にすべてを捧げずに,生活の中に自然に組み込める】,【母親が地域を安心した居場所とし,継続した育児ができる】であり,保健師は,これらを意図した支援を相互に関連させながら,母親が育児をしやすい状態にしていた.

考察:保健師は,母親の脆弱な子という思いを意識しながら複合的な視点で支援していた.そして,母親の子どもの見方を広げること,生活になじむ育児方法をつくりだすこと,育児をしやすい環境をつくりだすことを意図した支援を行っていた.これらは,保健師の低出生体重児の母親支援の特徴を明らかにしたものであり,今後,低出生体重児を育てる母親支援の指標として活用できる可能性があると考える.

Ⅰ. 緒言

近年,出生数における低出生体重児の占める割合の増加(厚生労働省,2010)や救命率の向上(河井,2012)により,NICUに長期入院した多くの子どもが地域で生活をしている.そして,低出生体重児の母親に関する研究やNICUにおける看護ケアの研究が行われ,母子への支援の必要性が報告されている.

低出生体重児の母親の心理過程として,思い描いていた出産と異なる状況に直面し,衝撃と混乱の中で,子どもに少しずつ接することで愛着を育んでいくとされる(Aagaard & Hall, 2008森島ら,2011).一方で,退院後間もない時期の育児困難感が強く(茂本・奈良間,2011),その後も将来の成長や健康について不安を抱いていることが示されている(石野ら,2006).母親は,健診の指導内容や育児書に記された発達と自分の子は違うと感じ(田中ら,2011),より専門性の高い相談や小さく生まれたことを補うような特別な支援を望むとされる(大橋,2006).このように,低出生体重児を育てる母親は,複雑かつ揺れ動く思いで子育てをしており,安心して育児を続けるために長期的な支援が求められる.

保健師の支援では,子どもの入院中及び退院後の家庭訪問,親と子の交流会等が行われ,先進的な取り組みでは,低出生体重児の発育曲線等が掲載された手帳の交付や臨床心理士によるカウンセリング等が行われている(松井,2014竹園,2010).病院と保健師の連携では,早期の情報共有により外来受診中断時の受診勧奨になった事例や,関係機関の一致した対応が母親の信頼につながった事例が報告されており(真喜屋ら,2011木暮ら,2005),大井(2014)は,継続して病院と保健師が各自の役割を果たし,両者が並行して支援を提供する重要性を示している.よって,保健師は,地域で継続的に母親に関わることのできる専門職として,関係機関と協働しながら,長期的に母親の育児を支える役割を担うと考える.しかしながら,保健師の知識不足によりマニュアル的で役に立たなかった(深谷,2010),厳しすぎる指導をしてほしくない,低出生体重児を十分理解した上で指導してほしい(野村ら,2004)という母親の指摘があり,保健師の支援の質の向上が求められている.このように,先行研究では,保健師の支援の効果は報告により差があり,統一した見解に至っていない.

田村(2009)は,意図に基づいて看護職が内面で考えていることが,看護実践の専門性における質を左右することを示しており,保健師の低出生体重児の母親に対する支援の意図を記述することは,支援の特徴や意味を見いだせると考える.保健師が,どのような意図を持ち,活動に結びつけているのかを示していくことは,支援の質を向上させていくために重要である.しかしながら,先行研究において,低出生体重児を育てる母親に対する支援の意図に焦点をあてた研究はほとんどみられない.よって,本研究では,低出生体重児を育てる母親に対する保健師の支援の意図を記述することを目的とする.

Ⅱ. 用語の定義

・低出生体重児:2,500 g未満で出生した子どものうち,身体の機能が未熟なために出生直後から医療的処置を受け,その後も継続的に医療的ケアや発育発達のフォローが必要とされる子どもとする.

・支援:母親の意識や行動が育児をしやすい状態になるように,保健師が母親を支え育む活動とする.また,その活動へ影響を与える保健師の意識や姿勢等を含むこととする.

・支援の意図:保健師が支援を通して実現しようと目指す顕在的・潜在的内容とする.

Ⅲ. 研究方法

研究デザインは,質的記述的研究とした.

1. 研究協力者

地方公共団体に所属する経験年数満5年(6年目)以上の保健師で,低出生体重児の母親を支援した経験があり,研究の主旨に同意した9名を研究協力者とした.リクルート方法は機縁法とした.保健師の新任期は5年以下とされており(厚生労働省,2003),中堅期以上の保健師を対象とすることでインタビュー内容の質を確保できると考えた.

2. データ収集方法

データ収集期間は,2012年12月~2013年7月であった.データ収集方法は,半構造的インタビューを実施した.インタビューガイドに基づき,印象に残った事例,母親を支援した状況,支援を通して心がけていたこと,大切にしていた思い,難しいと感じながら実践してきたこと等を尋ねた.インタビュー時間は平均59分(範囲38分~105分)であった.研究協力者の都合のよいかつプライバシーの確保できる個室でインタビューを行い,研究協力者の許可を得て,ICレコーダーに録音とノートに記録をとった.

3. 分析方法

インタビューデータから作成した逐語録を繰り返し読み込み,語りの中から保健師が支援を通して目指していることに焦点をあて,コードとして抽出した.コードの意味内容の類似性や差異性に着目し,比較検討を繰り返しながら,サブカテゴリー,カテゴリーへと抽象度をあげた.さらに,それぞれのカテゴリーの間の関連を検討しながら,上位の概念である主要カテゴリーを抽出した.文脈の意味を意識し,ストーリーラインを明確にしながら,データ,コードに戻ることを繰り返しながら,分析を進めた.

研究の真実性の確保のために,全過程を通して,地域看護学および質的研究者からスーパーバイズを受けた.データ収集にあたり,インタビュー技術の向上とインタビューガイドの内容を精錬させるために予備面接を行った.また,分析は,逐語録の段階と分析結果の段階で,地域看護学の大学教員,大学院生とともに検討を行った.分析結果は,社会学の研究者からもスーパーバイズを受けた.また,研究協力者へ電子メールや郵便で分析結果を送付し,メンバーチェッキングを実施した.9名中,連絡に返答のあった7名から分析結果の同意を得た.

4. 倫理的配慮

聖路加看護大学研究倫理審査委員会の承認を受けて実施した(承認番号12-007).

研究協力者のリクルートの段階で研究協力候補者へ,研究の主旨,依頼内容,参加は自由意思であること,同意の撤回による不利益が生じないことを説明した.また,匿名性の確保とデータの管理,結果の公表等について説明した.研究協力の承諾を得た後,インタビュー当日にも同様の説明を行い,質問がないかを確認したうえで,文書による同意を得た.

Ⅳ. 結果

研究協力者のインタビュー時の所属は,首都圏の地方公共団体で,特別区5名(内2名は同一の特別区で異なる管轄に所属),政令指定都市2名,中核市1名,その他の市1名であった.その他の市は,すでに県より未熟児訪問指導の移譲を受けていた.保健師経験は平均18年(範囲5年~32年)で,すべて女性であった.研究協力者から語られた事例の多くは,超低出生体重児,極低出生体重児であり,出生直後の医療依存度が高く,NICUへの入院期間は3か月から1年程度であった.子どもの発育発達や食事に対して不安が強い事例や,いつか障害がでるのではないかという思いを抱えて子育てをしている事例等を継続的に支援した状況が語られた.

以下に,主要カテゴリー【 】,カテゴリー《 》,サブカテゴリー〈 〉として記述する.研究協力者の語りは斜字を用いて記述した.また,個人の特定を避けるために,意味を保持したまま一部に修正を加え,必要に応じて( )を用いて情報を補足した.

低出生体重児を育てる母親に対する保健師の支援の意図は,【母親が脆弱な子という思いに捉われず,その子らしさを大切にできる】,【母親が育児にすべてを捧げずに,生活の中に自然に組み込める】,【母親が地域を安心した居場所とし,継続した育児ができる】であった.保健師は,これらを相互に関連させながら母親が育児をしやすい状態にしていた.低出生体重児を育てる母親に対する保健師の支援の意図の一覧を表1に示す.

表1 低出生体重児を育てる母親に対する保健師の支援の意図
主要カテゴリー カテゴリー サブカテゴリー
母親が脆弱な子という思いに捉われず,その子らしさを大切にできる 母親の発育発達の不安が和らぎ,子どもの育ちに向き合える 母親がぬぐいされない不安とつきあえる
母親が子どもの育ちを根拠に基づいて理解できる
母親がその子なりの育ちのペースを受け入れられる
母親の否定的な感情が和らぎ,かわいさに気づく心のゆとりをもてる 母親が自責感を持ち続けていることを自覚できる
母親の他児と比較してしまう思いが和らぐ
母親の周囲の反応への過敏さが和らぐ
母親が子どものかわいさに目を向けられる
母親が育児にすべてを捧げずに,生活の中に自然に組み込める 母親が父親や周囲と協力して,子どもの入院中も日常生活を維持できる 母親が父親や周囲と協力して,生活を調整できる
母親が病院と家庭を行き来する中で生じる葛藤と向き合える
母親が父親や周囲と協力して,病院へ通いやすい状態をつくりだせる
母親が病院での保育方法に執着せずに,生活になじむ育児方法をつくりだせる 母親が退院できた力をもつ子どもとして接することができる
母親が子どもに必要な配慮と家族の生活を兼ね合わせた育児方法をつくりだせる
母親が必要以上の保護とならず,子どもの育ちに応じた関わりができる 母親が子どものつまずきやすい育ちに合わせた関わりができる
母親が子どもの順調な育ちに合わせて力を抜ける
母親自身の力で育児の判断ができる
母親が地域を安心した居場所とし,継続した育児ができる 母親が必要な時に支援を求めることができる 母親が悩みや困難を抱え込まない
母親が周囲の手を抵抗なく借りられる
母親が保健師に安心して相談できる
母親が孤独でないという思いを育児の励みにできる 母親が体験や思いを共有できる仲間をつくることができる
母親が家族以外からも子どもが大切にされていると実感できる
母親が安心できる居場所を地域の中につくりだせる 母親が子どもの入院中から退院後の生活に向けた準備ができる
病院のフォローの減少に合わせ,地域のフォローとつながることができる
子どもの発育発達や就園の変化に応じた必要な支援を受けることができる
母親が自分自身の力で必要な資源をつくりだせる

1. 【母親が脆弱な子という思いに捉われず,その子らしさを大切にできる】

脆弱な子という枠組みで子どもを捉えがちになる母親が,子どもの見方を広げ,その子らしさに目を向けられることである.脆弱な子という思いとは,母親が出産直後の子どもの様子を心に刷り込み,発育発達を過度に気にしたり,自責感や負い目を抱え続けることであった.保健師は,母親が出産直後の小さなわが子に直面することで今後の不安や否定的な感情を持ちやすいことを感じていた.そして,この思いは母親の心に留まり,繰り返し母親を翻弄すると捉えていた.保健師は,母親の脆弱な子という思いそのものにはたらきかけていくことで,母親がかけがえのないその子らしさを大切にできるようにしていた.

1) 《母親の発育発達の不安が和らぎ,子どもの育ちに向き合える》

母親が子どもの発育発達に過度の不安をもつことなく,その子なりの成長を見守ることができることである.保健師は,母親が出産予定日から考えると順調に育っていても,少しの遅れを病気や障害の症状と結びつけ,不安を募らせていると捉えていた.そして,母親の子どもを思う切実な思いが不安にならないように,〈母親がぬぐいされない不安とつきあえる〉ようにしていた.また,母親が漠然とした不安に苛まれることがないように,在胎週数に応じた未熟な機能,発育発達をみる基準等を伝え,〈母親が子どもの育ちを根拠に基づいて理解できる〉ようにしていた.そして,母親を感情と知識の両面から支え,〈母親がその子なりの育ちのペースを受け入れられる〉ようにしていた.

800 gくらいで生まれたお子さんですが,それがまた3月生まれとかのお子さんで.やっぱり就園とかその辺のところで.(中略)お母さんってだんだん高まってきますよね.周りの子達についていけるんだろうかとか,順調にきてはいるけどゆっくりめってところで.お母さんとしてこの子に何をすればいいのっていう不安,そういう変化,子どもへ期待することとかも変わっていく.その辺のところを受け止めていきたいと思います.

2) 《母親の否定的な感情が和らぎ,かわいさに気づく心のゆとりをもてる》

母親の自責感や負い目が和らぐことで,子どもの見方が広がり,見失いがちになる子どものかわいさに気がつけることである.保健師は,母親が必要以上に自分を責め,他児に追いつくことにエネルギーを注いだり,周囲からの言葉に過度に傷ついていると捉えていた.保健師は,この否定的な感情がさらに母親を追い込んでいくことにならないように,〈母親が自責感を持ち続けていることを自覚できる〉,〈母親の他児と比較してしまう思いが和らぐ〉,〈母親の周囲の反応への過敏さが和らぐ〉ようにしていた.そして,母親が子どもの新しい一面に気がつくことができるように,子どもの特徴を伝えたり,一緒に成長を喜んだりしながら,〈母親が子どものかわいさに目を向けられる〉ようにしていた.

その子なりに育ってきているけれど,お母さんは負い目を感じているので,育てることに精一杯で,かわいいとか発達している姿,健診等ではチェックされていても気持ち的には少し違うところにあったりするのであんまり気づいていないんです.だから私達(保健師)が,「こんなに大きくなったね」,「こんなことができるようになったね」,「こんな風に発達してるね」ってメッセージすると,「そうですね」っていう風に一緒に喜んで気づいてくれるんです.

2. 【母親が育児にすべてを捧げずに,生活の中に自然に組み込める】

母親の子どもへの関わりが過度になることなく,子育てを生活にバランスよく組み込めることである.保健師は,母親が不安や自責感から,子どものために負担が大きい生活を無理して続けていくことを気にかけていた.そして,家族の生活全体を考えながら,子どもの入院中,退院後間もない時期,家庭で育児を続ける時期に応じたはたらきかけを行い,母親が子どもの育ちに合わせた関わりができるようにしていた.

1) 《母親が父親や周囲と協力して,子どもの入院中も日常生活を維持できる》

母親が生活の大きな変化や心の混乱を抱えながらも,父親や祖父母,保育士等の協力を得ながら,日常生活を続けていけることである.保健師は,出産直後の混乱で家族が生活に大きな変化を強いられること,母親が子どものことが気がかりで何も手につかなくなることを捉えていた.保健師は家族の生活全体を把握し,同胞や祖父母へも目を向け,〈母親が父親や周囲と協力して,生活を調整できる〉ようにしていた.そして,〈母親が病院と家庭を行き来する中で生じる葛藤と向き合える〉ようにはたらきかけながら,母親が子どもに会える時間をかけがえのない時間としていけるように,〈母親が父親や周囲と協力して,病院へ通いやすい状態をつくりだせる〉ようにしていた.

(子どもの入院中に)他のお子さんがいらしたら上のお子さんの保育をどうするか,おじいちゃんやおばあちゃんがどんな心配をよせているか,もろもろのことがありますよね.他の家族の人達の生活に気をつけたり.そういうところをしっかりやっていかないといけないと思います.

2) 《母親が病院での保育方法に執着せずに,生活になじむ育児方法をつくりだせる》

母親が退院後間もない時期に,病院での保育方法をそのまま続けることなく,家族の生活に合わせた育児方法に変えていけることである.保健師は,退院後,母親が育児への不安から病院での保育方法に執着することを捉え,家庭で無理なく育児を続けていくために〈母親が退院できた力をもつ子どもとして接することができる〉ことを目指していた.そして,家族の生活に優先的に必要なことを母親とともに考え,〈母親が子どもに必要な配慮と家族の生活を兼ね合わせた育児方法をつくりだせる〉ようにしていた.

周囲に支援する手があればあるほど病院の生活をそのまま家に持ち込もうとするので,それって長く続かないと思うので.いかにそのご家庭の中に,成長に必要なことを取り入れていくか.退院していいってことは,病院の生活をもう崩していいってことなので,そういう部分をお母さんがどう折り合いをつけていくか.そういうことを考えます.

3) 《母親が必要以上の保護とならず,子どもの育ちに応じた関わりができる》

母親が必要以上に子どもを保護し続けることなく,その時の子どもの育ちに合わせて,育児の方法を柔軟に変えていけることである.保健師は,発育発達を専門的な視点で丁寧に確認することで,低出生体重児として生まれたリスクと,子どもの育ちのバランスのよい関わりを考えていた.そして,〈母親が子どものつまずきやすい育ちに合わせた関わりができる〉,〈母親が子どもの順調な育ちに合わせて力を抜ける〉という両方の加減がとれるようにしていた.このことは,〈母親自身の力で育児の判断ができる〉ことにつながり,保健師は,母親が求める支援にただ応えるのではなく,母親の育てる力を育むことを目指していた.

子どもの何をみてお母さんが判断をしているのか,そこを支援していきます.病院とか私達(保健師)が決めていくんじゃなくて,お母さんが判断して子育てができることが一番大事だと思っています.そこ(母親の育児)に新しい視点を加えたりはするけれど,私(保健師)は支える方というか.24時間みるのはお母さんですからね.

3. 【母親が地域を安心した居場所とし,継続した育児ができる】

母親が暮らしている地域で安心できる居場所をつくり,育児を継続できることである.保健師は,母親が安心した居場所をつくるために,育児をしやすい環境をつくること,母親がその環境を活かせる心の状態になれることを両輪として支援していた.【母親が地域を安心した居場所とし,継続した育児ができる】ことは,【母親が脆弱な子という思いに捉われず,その子らしさを大切にできる】,【母親が育児にすべてを捧げずに,生活の中に自然に組み込める】ようになるための基盤となっていた.

1) 《母親が必要な時に支援を求めることができる》

母親が戸惑いや困難を感じた時に,安心して支援を求められることである.保健師は,母親が自分の力だけで解決をしようとすると,閉塞的な状況になりやすいことを感じ,〈母親が悩みや困難を抱え込まない〉,〈母親が周囲の手を抵抗なく借りられる〉ようにはたらきかけていた.そして,保健師は,〈母親が保健師に安心して相談できる〉関係を築くことを目指していた.

「辛いときは人の手を借りなきゃだめだよ」,「一人で頑張っているとつぶれるからこういう支援を使っていいんだよ」と抵抗感を少なくします.

2) 《母親が孤独でないという思いを育児の励みにできる》

母親が孤独でないという思いを実感し,そのことを育児の励みにできることである.保健師は,母親が一人で抱え込まず,周囲とつながる経験を積み重ねていくことが重要であると考えていた.そして,母親が孤独でないという思いを育児の原動力としていけるように,〈母親が体験や思いを共有できる仲間をつくることができる〉,〈母親が家族以外からも子どもが大切にされていると実感できる〉ようにしていた.

「食べなくてもそこそこ大きくなれるよ」とか,「うちも食べなかったけどこれだけになったわ」とかそういうお話がどっかでね,ほっとできるので.普通の子育ての中では共感できないことも多いから,つながる機会をつくることが大事だと思います.

3) 《母親が安心できる居場所を地域の中につくりだせる》

母親が安心できる居場所を,母親自身の力で地域の中につくりだせることである.保健師は,子どもの出生直後の医療依存度が高いほど,地域を安心できる居場所とすることが難しいと捉えていた.そして,早期から病院スタッフと連携し,〈母親が子どもの入院中から退院後の生活に向けた準備ができる〉ようにしていた.また,子どもの育ちと共に病院の医療的な支援が減少していくことを見通し,〈病院のフォローの減少に合わせ,地域のフォローとつながることができる〉ようにしながら,多職種と共に〈子どもの発育発達や就園の変化に応じた必要な支援を受けることができる〉ようにはたらきかけていた.そして,必要な資源が足りない時は,〈母親が自分自身の力で必要な資源をつくりだせる〉ように,母親の力を育んでいた.

修正で1歳くらいになると,歩き出したくらい,病院の関わりが減って地域に任されるときにお母さんとしては「もう大丈夫」というよりは「見放された」というような感じがしてとても不安だったとおっしゃいます.なので,病院に頻回に通っているうちでも,保健所の事業に誘ったり,離乳食の開始等の山場のところで一緒に発育発達を確認したりして,お母さんと関わりをもつことを大切にします.それで,一緒に発育発達を確認したりする中で時期が変わってくる.いずれは地域になるので,お母さんの気持ちが安心しながら病院から離れられるようにね.あと,発育発達の確認だけではなくて,栄養士さんの話とか赤ちゃん体操とか違った内容も提供します.

Ⅴ. 考察

保健師は,【母親が脆弱な子という思いに捉われず,その子らしさを大切にできる】,【母親が育児にすべてを捧げずに,生活の中に自然に組み込める】ことを目指し,母親の思い,家族の生活を意識した支援を行っていた.そして,これらの支援を行う基盤として,【母親が地域を安心した居場所とし,継続した育児ができる】ようにしていた.保健師は,これらを意図した支援を相互に関連させながら,母親が育児をしやすい状態をつくりだしていた.

1. 子ども自身のもつ価値に気づかせていく支援

保健師が,【母親が脆弱な子という思いに捉われず,その子らしさを大切にできる】ように関わることは,母親の子どもに対する見方を広げ,母親の意識を変えることであると考える.

保健師は,母親が出産直後の小さなわが子の様子を脆弱な子として心に刷り込み,この思いは母親の心に留まり続けると感じていた.そして,過度の不安や自責感となり,繰り返し母親を翻弄すると捉えていた.

低出生体重児を育てる母親は,子どもに対して脆弱的というイメージを出産直後から抱いていること(深谷,2010)や,連続的な不安とそれに対する対処の繰り返しである(宮崎,2008)とされ,本研究で保健師が捉えている母親の姿と共通するとともに,脆弱な子という思いを意識した支援が大切であると考える.

【母親が脆弱な子という思いに捉われず,その子らしさを大切にできる】ことは,母親が脆弱な子という枠組みを外すことでみえてくる子ども自身のもつ価値に気がつくことであると考える.メイヤロフ(1971/1987)は,親は子どもにそなわっている本質的な価値を感得するものであるとしている.そして,その価値は,親の欲するような存在であってほしいという願いや親の要求を満たす力とは全く異なるものとしている.メイヤロフの示す子どものもっている本質的な価値とは,本研究で保健師が母親の気づきを促していたその子らしさやかわいさと共通すると考える.保健師は,母親が抱える不安や発育発達へのこだわりによって,子どもの本質的な価値が隠れてしまわないように,子どもの特徴を伝えたり,子どもの成長を喜んでいた.母親が子どもの本質的な価値に気がつくことは,母親の不安を和らげるだけでなく,その後の育児観や子どもへの向き合い方を変えていくものであると考える.子どもの本質的な価値に気づけるように支援することの意味が示され,このような支援を母親の側で長期的に行えることが保健師の強みであると考える.

低出生体重児の母親の心理的な支援は,妊娠中からの経過の振り返りや,出産体験を意味づけていくことが必要である(森島ら,2011)が,本研究では,母親の子どもに対する見方を広げていくはたらきかけも大きな意味をもつことが示された.

2. 生活の中でバランスのよい育児方法をつくりだす支援

保健師は,さまざまな側面の支援を重ね合わせ,【母親が育児にすべてを捧げずに,生活の中に自然に組み込める】ようにしていた.子どもの入院中の《母親が父親や周囲と協力して,子どもの入院中も日常生活を維持できる》,退院後間もない時期の《母親が病院での保育方法に執着せずに,生活になじむ育児方法をつくりだせる》,家庭で育児を続ける時期の《母親が必要以上の保護とならず,子どもの育ちに応じた関わりができる》ように,時期に応じて母親に生じやすい状態を捉え,生活の中でよりよい育児ができるようにしていた.

家庭で育児を続ける時期の《母親が必要以上の保護とならず,子どもの育ちに応じた関わりができる》ようにすることは,子どもの発育発達において専門的に子どもの育ちを確認することと,母親が過度に不安にならないことの両方のバランスをとる支援であった.低出生体重児の発達では,出生時の体重が少ないほど神経学的障害の合併が高く,幼児期前期の時点で障害が明らかでなくても,年齢が上がるとともに広汎性発達障害等の課題が生じる場合があることが示されている(新飯田ら,2011三科・平松,2006).また,母親の養育態度は,正期産児の母親に比べて,保護的かつ服従的になりやすく,子どもの自発性や自己形成,社会性の発達を抑制しやすいことが示されている(斉藤ら,2001).保健師は,〈母親が子どものつまずきやすい育ちに合わせた関わりができる〉,〈母親が子どもの順調な育ちに合わせて力を抜ける〉加減をみながら,母親と子どもに生じやすい課題を予測し,複合的な視点でよりよい育児方法をつくりだしていることが示された.

3. 病院スタッフと協働しながら行う地域での生活を見据えた支援

保健師は,【母親が地域を安心した居場所とし,継続した育児ができる】ように,《母親が必要な時に支援を求めることができる》,《母親が孤独でないという思いを育児の励みにできる》,《母親が安心できる居場所を地域の中につくりだせる》ようにしていた.

《母親が安心できる居場所を地域の中につくりだせる》ために,〈母親が子どもの入院中から退院後の生活に向けた準備ができる〉,〈病院のフォローの減少に合わせ,地域のフォローとつながることができる〉ような継続的な病院スタッフとの協働が重要であった.

清水(2010)はファミリーセンタードケアの看護師の関わりが家族のエンパワーメントにつながっているが,課題として,退院後の家族の新たな生活を見守る体制づくりが必要であることを示している.また,退院直後の母親は,子どもの生命の危機を体験したことで,軽微な症状であっても不安や動揺が強く,対処方法の判断が難しいことが示されている(吉田ら,2005).退院後の生活に継続して移行するためには,〈母親が子どもの入院中から退院後の生活に向けた準備ができる〉ことが大切であった.しかしながら,出産直後の母親は,子どもの姿に衝撃を受け,接する怖さや自責感,生存を危惧する思いを持ち(森島ら,2011),母親は現況を受け止めるのみで精一杯の状況であると考える.このような母親へは,まずは丁寧な心のケアを行うことが優先される.また,子どもの状態が落ち着いた後も,退院後の生活を具体的にイメージした支援を行うためには,家族の生活状況や地域の資源の情報が必要となるが,NICU看護師が外部資源の情報を十分に持っていない課題が示されている(浅井,2009).保健師は,地域の情報を持つとともに,早期から《母親が父親や周囲と協力して,子どもの入院中も日常生活が維持できる》ように関わっている.保健師はこの特徴を活かし,病院スタッフと協働することで,母親の退院後の生活を見据えた支援を実現できると考える.

また,子どもの退院後も,継続的に協働していく重要性が示された.子どもの順調な育ちとともに病院での医療的なフォローは減少するが,その状況に家族の不安が高まることがないように〈病院のフォローの減少に合わせ,地域のフォローとつながることができる〉ことが求められる.子どもの成長とともに変わっていくニーズに応じた支援をしながら,母親が安心できる居場所を病院から地域へ継続して移行していくことが重要である.

さらに,母親が戸惑いや困難を感じた時に相談できるように,《母親が必要な時に支援を求めることができる》状況をつくりだすことが必要である.宮崎(2008)は,支援に連続性をもたせること,開かれた支援の姿勢であることの大切さを示しており,常に保健師が見守っている安心感を提供することが,母親が育児を継続するために重要であると考える.

4. 実践への示唆

本研究において,保健師は,低出生体重児を育てる母親に対し,母親の子どもの見方を広げること,生活になじむ育児方法をつくりだすこと,育児をしやすい環境をつくりだすことを意図し,支援を行っていることが示された.これらは保健師の蓄積された低出生体重児の母親支援の特徴を明らかにしたものであり,保健師実践の指標となるものである.今後,低出生体重児を育てる母親支援の客観的な指標として開発・活用できる可能性があり,支援の意味を明確化するとともに,支援の質の保証と向上に寄与すると考える.

Ⅵ. 研究の限界と今後の課題

研究協力者は首都圏の地方公共団体に所属しており,内5名が特別区に所属する保健師であった.よって,他の地域で活動する保健師にそのまま適用することはできない.2013年より,未熟児訪問指導及び養育医療がすべての市町村に移譲されており,今後さらに多様な地域での研究の継続が必要である.

謝辞:本研究にご高配,ご協力いただきました保健師の皆様,ご指導くださいました聖路加国際大学伊藤和弘教授に心より感謝いたします.本研究は2013年度聖路加看護大学博士前期課程における修士論文の一部に修正を加えたものである.また,第34回日本看護科学学会学術集会にて発表したものである.なお,本研究は,JSPS科研費JP15K20818の助成を受けて実施した.

利益相反:本研究における利益相反は存在しない.

著者資格:TNは,研究の着想,デザイン,データ収集,データ分析,論文の作成を行った.KAは研究計画,データ分析,論文作成に関わり,研究プロセス全体への助言を行った.すべての著者は最終原稿を確認し,承認した.

文献
  •  Aagaard  H.,  Hall  E. O. C. (2008): Mothers’ experiences of having a preterm infant in the neonatal care unit a meta-synthesis, J. Pediatr. Nurs., 23(3), 26–36.
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  •  深谷 久子(2010):早産児をもつ親の育児に対する反応に関する記述研究,椙山女学園大看研,2, 67–77.
  •  石野 晶子, 松田 博雄, 加藤 英世(2006):極低出生体重児の保護者の育児不安と育児支援体制,小児保健研,65(5), 675–683.
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