目的:本研究は,人工妊娠中絶の看護において共通する行動パターンやルールを記述することを目的とした.
方法:エスノグラフィーを用いた.一産婦人科診療所での約1年間の参加観察によるフィールドノーツと,15名の看護師へのインタビューからデータを収集し,初期中絶時の看護に共通する行動パターンとルールを分析し,記述した.
結果:〈女性自身の迷いを感じる〉,〈周囲からの圧力を疑う〉,〈女性の判断能力を危ぶむ〉場合は,【女性の意思決定を疑う】.そうでない限り,看護師は『関わらない看護』をする.『関わらない看護』は,【滞りなく進める】ことおよび【嫌な思いをさせない】ことが共通する行動パターンとなっていた.看護師は,〈予定通りに〉,〈事務的に進め〉,女性と〈距離をおく〉,〈責めない〉,〈傷つけない〉,〈立ち入らない〉,〈深入りしない〉,〈人目を避ける〉,〈身体の不快や苦痛を感じ取る〉といった看護を提供していた.
厚生労働省(2017)によると,日本では,平成28年度はおよそ16万8千件の人工妊娠中絶(以下,中絶とする.)が実施されている.この数値は年間出生数のおよそ20%にあたり,その約94%は12週未満の妊娠初期に行われたと報告されている.中絶件数に関しては,申告されていないケースがあることも指摘されており(高澤,1999;Brasor & Tubuku,2012),実際にはこれよりも多いと推測される.
中絶における看護に関しては,教科書に掲載されていることがほとんどなく,看護師は知識を得ることがないままに施設に就職をして,初めて看護をすることになる.このため,看護師は看護について,実践の中で各々学んでいくしかないのが現状である.
そこで,本研究は,中絶の看護において共通する行動パターンやルールを記述することを目的とした.これにより,中絶における日常の看護が明らかになり,今後の看護教育に対する示唆を得ることができると考える.なお,本研究における中絶とは,妊娠12週未満に行われる初期中絶を指すこととする.
本研究は,エスノグラフィーを用いた.エスノグラフィーとは,自身がいる集団とは異なる集団で,人々が行うことをともに体験し,その行動の意味を理解し,記述する研究である(Roper & Shapira, 2000/2009).研究者は,ある集団において,異文化を体験し,そこで感じた違和感から文化を学ぶ.本研究では,妊娠初期における中絶の看護について,これを行う看護師の日常に埋もれた知を掘り起こす必要がある.エスノグラフィーは,それに適した方法である.
研究者は,これまで大学病院での勤務経験しかない.妊娠期の看護経験はあるが,勤務先が中絶を実施していなかったこともあり,中絶における看護の経験はない.したがって一開業医のクリニックでの中絶の看護という,研究者にとっての異文化体験を手掛かりとした.
1. 研究実施施設および情報提供者研究実施施設は,縁故を頼り,フィールドとして利用することを院長が快諾してくれた,首都圏で中絶を実施するA産婦人科とした.研究実施当時の2013年において,日本における中絶の82%は,産婦人科診療所で実施されている(池田,2014).これらの施設の多くは,産科診療の傍らで中絶を行っており,A産婦人科もその一つである.また,エスノグラフィーにおいて,選定すべき情報提供者は,文化集団に精通している人々であると述べられている(Roper & Shapira, 2000/2009).これに従い,今回,情報提供者はA産婦人科にて中絶における看護を実践する看護師とした.A産婦人科の看護師の実践を記述することで,より日本の中絶における看護を反映した記述が可能になる.
2. データ収集 1) 期間期間は,平成24年9月から平成26年3月までであった.(このうち,参加観察を行ったのは,平成24年9月から平成25年8月までの一年間であった).これに先駆けて,平成23年8月より,ゲートキーパーである院長とコンタクトをとり,グランドツアーを行った.看護師とともに行動し,メンバーの一員となれるように努めるとともに,キーインフォーマントとなり得る看護師を探した.
2) 方法データ収集は,主に参加観察およびインタビュー(インフォーマル・フォーマル)により行った.また,補足的情報源として,施設で使用している中絶の業務手順,女性への説明用紙,チェックリスト等を収集した.
参加観察を行うにあたり,フィールドでの自分の立場についてゲートキーパーと相談して,非常勤職員の看護師として,中絶が行われる日勤帯に病棟に入ることにした.ほかの看護師同様に出産に立ち会い,産後の母子へのケアを行いながら,研究者として,中絶における看護の参加観察を実施した.
はじめに,A産婦人科で勤務する看護師,看護助手,事務長,クラークに,研究の趣旨,参加観察の方法等を口頭で説明して,研究のためにフィールドに入ることについて同意を得た.日常の参加観察に加えて,スタッフ間のミーティングや勉強会にも積極的に参加した.また,観察した内容,会話,そのときに感じたことや解釈は,その都度,フィールドノートに詳細に記載した.
インフォーマル・インタビューは,参加観察後,気になることがあったときに行ったことに加え,日常の何気ない会話等の機会も利用して実施した.フォーマル・インタビューは,参加観察を始めて一年が経過し,大まかな理解ができたところで順次依頼した.院内の個室にて,1人1回30分から1時間程度実施した.インタビュー内容は,同意を得てICレコーダーに録音し,その後,逐語録を作成した.エスノグラフィーのインタビューは,特殊であり,人々が学んできた文化的な意味を発見できる質問でなければならない.本研究は,Spradley(1979)の3タイプ(記述的質問,構造的質問,対比的質問)28種類のエスノグラフィッククエスチョンを参考にインタビューを行った.はじめに,中絶における日常の看護について,女性の入院から退院まで順を追って説明してもらった(記述的質問:グランドツアー型質問).その中で,詳細が知りたい部分について改めて説明を求めた(記述的質問:ミニツアー型質問).そして,他に加えることはないか(構造的質問)や中絶の看護と流産や出産時の看護の違い(対比的質問)等について質問した.インタビューでは,質問の仕方や言い方を変えるなどをして,出来るだけ詳細に語ってもらえるように努めた.
本研究は,三つの方法(参加観察,インタビュー,補足的情報源)を用いることでトライアンギュレーションを行い,信憑性を高めるように努めた.また,研究を進める過程で,インフォーマル・インタビューや日常会話などを利用して,情報提供者にデータや研究者の解釈に誤りや誤解がないかをその都度,直接確認した.
3. データ分析分析は,データ収集と並行して行った.フィールドノーツ,逐語録,中絶の業務手順,女性への説明用紙,チェックリストを精読し,中絶の看護における看護師の行動パターンやルール等を主な視点として,コード化することから始めた.コード同士の類似点や相違点を探求し,共通するパターンを特定した.
なお,分析および記述の精度を高めるために,経験を積んだ母性看護学領域の専門家が集まる会において,議論を繰り返すとともに,医療文化人類学の専門家によるスーパーヴィジョンを受けた.
4. 倫理的配慮勤務する看護師,看護助手,事務長,クラークに対して,研究の趣旨,参加観察の方法,インタビュー等について口頭で説明して,同意を得た.それに加えて,情報提供者には,研究への参加は自由意思によるものであり,参加しなくても問題はないこと,プライバシーを守り,匿名性を厳守すること,途中辞退も可能であること,公表の可能性について,文書を用いて口頭で説明し,書面にて同意を得た.また,本研究を実施するにあたり,院長の承諾を得て,院内の目につく場所に,調査していること説明した研究者の写真入りのポスターを掲示した.その上で,研究実施施設での中絶を希望し,手術当日来院した女性については,研究に同意したものと判断した.本研究は,看護師の看護に着目したものであり,中絶を受ける女性個人が特定される情報は収集しない.そのため,ゲートキーパーと話し合い,所属先の倫理審査委員会と相談の上,中絶をする女性の心情を考慮して,手術直前に改めて研究者が声をかけないことで,女性が動揺することを回避した.また,本研究は,杏林大学保健学部倫理審査委員会の承認を得て実施した(承認番号:24-23).
情報提供者は,中絶における看護を提供する看護師15名であり,全員に5年以上の看護師経験があった.A産婦人科での勤務経験は半年から40年であり,2名を除いては,他の産婦人科での中絶の看護経験があった.看護師15名に,インフォーマル・インタビューならびにフォーマル・インタビューを実施した.
登場する看護師および女性の名前は,すべてアルファベット表記とした.会話は「」,インタビューデータは太字とした.なお,プライバシーを保護するために,詳細すぎる内容については要約し,説明を補足した部分は( )付した.また,ルールを『 』,共通する行動パターンを【 】,コードを〈 〉で示した.
A産婦人科は,都心から電車で30分程行った郊外の閑静な住宅街にある.19床以下の診療所で,出産を主に取り扱う施設である.白を基調にした二棟の建物,その間に聳え立つ南国を思わせるような大きな木,それらはどこか明るさと幸福感を感じさせる.診療時間中は,毎日,大きなお腹を抱えた妊婦が,入れ代わり立ち代わり訪れて来る.土曜日ともなれば,夫や家族を連れ立って賑わっているのが傍目にも見て取れる.その傍らで,ここは中絶を行う施設でもある.それは,およそ週に一件程度行われている.
1. 『関わらない看護』中絶は予約制で行う.女性には,事前に診察を受けて,日程を決めてもらっている.予約の際,看護師は,女性に中絶の理由を尋ねることも,思い留まるよう働きかけることもしない.ただ,最後に一言,直前まで電話でキャンセルができることを伝えておく.それもあってなのか,当日に女性からキャンセルの連絡を受けることも決して珍しくはない.
手術の日,予定通りに来院した女性に,あらかじめ受付で中絶同意書の提出と代金の支払いを求めている.これらを受け取ると,受付クラークは女性を安静室と呼ばれる部屋に案内する.このようなことから,女性と対面するときには,看護師は女性が中絶を決めてここに来ているものと認識している.
看護師は,女性の意思決定を疑わない限り,『関わらない看護』をする.『関わらない看護』において,身体の不快や苦痛には関心を持ち,気遣いながらも,女性と必要以上の会話をしない.同情も共感もしない.看護師は中絶を【滞りなく進める】ことで,女性との積極的な関わりを控える.女性と距離をおき,あえてプライベートなことに触れない,責めることや傷つけないことで,【嫌な思いをさせない】ようにする.そして,看護師は〈女性自身の迷いを感じる〉,〈周囲からの圧力を疑う〉,〈女性の判断能力を危ぶむ〉場合,【女性の意思決定を疑う】.
1) 滞りなく進める看護師は,〈事務的に進める〉とともに,〈予定通りに行〉い,中絶を【滞りなく進める】ことで,女性との積極的な関わりを控えている.
(1) 事務的に進める「あまり早く行くと,間に困るからね.手術室に入って,あまり待たせないようなタイミングで行くようにしてるのね.」A看護師は,そのタイミングを見計らって Zさんが待つ部屋へと向かう.扉をノックし,中に入ると,手術衣に着替えた女性が一瞬こちらに目を向ける.
「昨日は眠れました?」Zさんが「はい.」と答えると,A看護師は「よかったです.これからいくつか確認しますね.」と質問を始める.「眼鏡やコンタクトを外しています?爪は切ってありますね.」「食事は?」とテンポよく確認する.看護師が持つチェックリストには,既往歴や現病歴,アレルギーに関しては,すでに記載がある.たとえそこになしと書かれていても,当日必ず確認をする.命に関わることは,その日の担当者が責任を持つことになっており,聞き方を変え,表現を変え,繰り返し尋ねて,確実かつ詳細に把握する.続けて,「手術は五分くらいで終わりますよ.」「痛みはないのでご安心ください.万一,痛いときは,痛み止めも使えます.」「大体昼頃には帰れますよ.」「お迎えはいらっしゃいますか?」等,手術のことや一日のスケジュールについて次々と説明していく.最後に,「はい.」「大丈夫です.」と時々言うだけで黙って話を聞いているZさんに,A看護師は「以上ですけど,何か聞いておきたいことはありますか?」と尋ねる.それでも,Zさんからはただ一言,「大丈夫です.」と返答されるだけである.Zさんに限らず,ここで質問する人など滅多にいない.A看護師は,いつも通り何も質問がないことを確認すると,「じゃあ行きましょう.」と立ち上がる.それにつられるかのようにZさんも立ち上がる.
手術自体は,五分とかからない.手術後は,大概,半覚醒である.半覚醒のZさんを安静室に運んで間もなく,外来の診療が始まる.看護師は外来に来た患者の対応をする間も,30分毎にZさんの様子を見に行く.このとき,気にかけるのは,麻酔の覚醒状況と痛みのことである.
看護は(出産や流産と)同じだけど,ちょっと何だろ,うん.あんまり業務,業務的って言ったらあれなのか,まぁ嫌な思いしない程度に,サクサクと,サクサクとするかもしれないですね,はい〔B看護師〕.
(2) 予定通りに行う流産の人だったらね,隣の部屋に入れるわけにはいかないけど,KA(Künstlicher Abort;人工妊娠中絶)だしね.仕方がないんじゃないかな〔D看護師〕.
辛いだろうけどしょうがないっていうか,今,分娩室に赤ちゃんがいるから手術の時間を遅らせようとか,そういうのはしてはいないですね〔I看護師〕.
二つある分娩室は,手術室を兼ねており,引き戸で仕切られているだけで,隣の声はささやく声でもよく聞こえる.看護師は,できる限り,この分娩室を産婦と女性が共有しないようにしている.しかし,どうしても重なるときはある.看護師は,出産が終了するまで女性を分娩室に入室させるのを待つことはしない.
きっとね,患者さんもここに長くいたくないと思うんだよね.とにかく,トラブルが起こらないようにして帰ってもらうようにする.それに尽きると思うんだ〔F看護師〕.
(中絶には)もう流れみたいなのがあるじゃないですか〔L看護師〕.
2) 嫌な思いをさせない決めて来られたからには,最善を尽くす.それがプロとしてやらないといけないことだと思っているから〔J看護師〕.
(同僚から)どこかでその人は受けるわけだから.まあね,提供するケアとしては,その人が,こう,嫌な思いをしないで帰るっていうのを言われてね.〔I看護師〕
まぁその体験が,本人の中にすごい汚点と言うか,すごいもう嫌な気持ちに残らないように(中略).嫌な記憶にならないように,心がけています.うん.〔G看護師〕
看護師は,女性と〈距離をお〉き,女性の意思決定に対して,〈責めない〉,〈傷つけない〉,〈立ち入らない〉,〈深入りしない〉ようにして,中絶が今以上に辛い経験とならないように努める.また,〈人目を避ける〉ことでほかの患者に気付かれないようにして,女性が言わなくても〈身体の苦痛や不快を感じ取〉り,このときこの場で【嫌な思いをさせない】ようにする.
(1) 距離をおく例えばお産とかだと,今日お産を担当します何々と申しますとかまで言うんですけど,もうスッとそこに入って.(中略)名札はもちろんつけていますけど,名乗ったりもしていないので.〔J看護師〕
多くの場合,女性とは初対面である.それでも,Yさんの名前を尋ねても,K看護師は自分の名前を名乗らない.
(名乗らないのは)何でって?目も合わせない人もいるくらいですからね.あまり関わって欲しくないんじゃないかと思って.〔G看護師〕
看護師は,これまで担当した女性について,「何かあったら伝えてねって言っても返事のない人もいます.」「こちらが何を言っても,大丈夫です,大丈夫ですと繰り返す感じ.」「中絶の人ってあんまりしゃべらないからね.」と話す.こうした女性の様子が,看護師には関わって欲しくなさそうにしているように見える.あえて名乗らないことで,女性とコミットしないようにしている.
(2) 責めないK看護師が「おはようございます.Yさんですね.」と言うと,「はい.」小さな声で返答されるが,看護師と目を合わせようとはしない.双方は,K看護師が持つチェックリストに目を落とす.
(目を合わせないのは)罪悪感かよくわからないですけど,たぶんそういう思いがあるんじゃないかな〔K看護師〕
多分こう,後ろめたさみたいなのって,誰しも多分あるかと思うんですよね〔F看護師〕.
看護師は,女性が目を合わせないことには意味があると思っている.だからこそ,目を合わせない女性の目をあえて見ない.
まあ体調どうですとか,(中略)辛い思いをしていると思うので,まああまりこう,強い口調じゃないようには気を付けるようにしています〔C看護師〕.
以前たまたま話をした人は,妊娠のことで彼氏と喧嘩になったり,ご両親と言い争いになったりしていました.多分,患者さんはみんな,言わずともここに来るまでの間に,悩んで苦しんで,やっと決めて来ていると思うんですよね.そういう人に,何が言えるんだろう.ただそっとしておくことくらいじゃないかな〔J看護師〕.
(3) 傷つけないある日,E看護師とWさんとともに手術室に入ると,物音に気付いたJ看護師が隣の分娩室から飛び込んで来る.J看護師は,「ごめん.産後の人,すぐに帰室させるから.ベビーはもう引き上げている(新生児室に連れて行っている).」と,E看護師に耳打ちする.
お産が終わっていれば早くお部屋に帰したり,患者さんに赤ちゃんの泣き声を聞こえないように配慮をしたり,預かり室に赤ちゃんがいたら,ドアを閉めたりしています.やっぱり嫌だと思うし,傷つくと思うから〔G看護師〕.
(4) 立ち入らない基本は決めてきたんだろうなって思うから,いいのと聞くことでせっかく決めた決意がね.口出すことじゃないなって思うから言わない〔H看護師〕.
もうこれしかないって決めて来ておられる方に,たとえ医療者とはいえ,何でですかとか,(中略)どうして堕ろしちゃうのみたいなことはね,言わない〔J看護師〕.
看護師は,この場で改めて中絶について意思を確認することはしない.女性から話さない限り,中絶に至った経緯や相手のことにも触れない.
ずっと付き添ってね,パートナーがいてくれたりするんで.うん.あんまり,そうですね,私たちがそんなに精神的に関わったりとか,あまりないですかね〔I看護師〕.
夫やパートナーが来ているのであれば,女性が過ごす部屋に一緒に入ってもらい,当事者だけで過ごせるようにしている.
(5) 深入りしない別に言わなくてもいいのにね.不倫相手の子で,どうしても産めなかったって告白されたり,避妊について病院で相談しようかと思っていた矢先の妊娠で,後悔しているんですって言われたりすることがあります〔L看護師〕.
稀ではあるが,看護師は,はじめは関わって欲しくなさそうにしていた女性から,帰る間際になって,急に身の上話を聞かされるときがある.それは,まるで懺悔でもするかのように話される.
思わず,そんな男やめてしまいなさいと言いそうになったりして〔J看護師〕.
時には,看護師の想像を超えた話を打ち明けられることもある.女性の話に,怒りがこみ上げることもある.けれども,例え女性の話を聞いても,看護師は自分の意見を言わない.ただ相槌を打ち,批判もしないが,話の内容を掘り下げることも,共感もしない.
(6) 人目を避ける中絶は,一日に一件,診療時間外のほかの患者がいないときに行う.このようなことも手伝って,看護師が女性の名前を呼ぶのは,朝,来院したときくらいである.ほかに呼ぶことがあるとするとすれば,手術後,麻酔の覚醒を促すときである.
何となくKAの人って違う雰囲気なんだよね.すぐに分かる〔J看護師〕.
A看護師は,この日担当するVさんを手術室に案内している.手術室に行くには,構造上,どうしても病棟を通らなくてはならない.出産を主に取り扱うクリニックの病棟では,目立たないお腹はかえって目立つものである.どこか違和感がある.「降りたら,左ですね.」エレベーターを降りると,A看護師はVさんの一歩前に出る.そのまま,足を早めて手術室に向かう.後に続くVさんもまた自然と足早になる.こうして,出来る限り,ほかの患者と遭遇しないようにしている.
(7) 身体の不快や苦痛を感じ取るB看護師は,手術台に横たわるXさんの顔色を見て,「大丈夫ですか?気分は悪くない?」と気遣う.手術用の足袋をつけるとき,足に触れながら,「あれ冷たいね.」と手を止める.B看護師は,すぐさまエアコンの温度を上げ,棚から毛布を出して足元にかけて,しばらくXさんの足を擦る.
気持ち悪そうにしていたらガーグルベースを出したり,お背中にタッチングしたり,痛みに対して声掛けをしたりしています.〔G看護師〕
3) 女性の意思決定を疑う看護師は,女性の意思決定を疑わない限り,『関わらない看護』をする.意思決定を疑う場合は,このまま進めてよいのか,意思決定に関わるような声掛けをする.これらは,裏表のように見えるが,その背景には女性の意思決定を尊重するという暗黙のルールがある.
(1) 女性自身の迷いを感じる大体の人はね,着替えて待つように言えば,着替えて待っているんですよ.でも,そうしてない人は何か違うと思う〔H看護師〕.
じゃあ手術室に行きましょうって言うと,大抵すぐに立ち上がるんです,皆さん.その行きましょうって言ってもなかなか立たない人は,あれって思います〔A看護師〕.
大半の女性が躊躇なくすることをしない女性を見ると,看護師には女性が手術の準備を進めることに抵抗しているように見えてくる.このようなときは,中絶を迷っているのかもしれないと考える.
ある日,A看護師がいつものようにアナムネ(Anamnese;既往歴)を取っていると,突然,Uさんの目から大粒の涙がこぼれ落ちる.「お化粧,アクセサリー,マニキュアはしていませんね.」「はい.」と話が進む中での不意の涙に,A看護師は一瞬驚きを隠せない表情を見せる.すぐに話を止めて,枕元にあったティッシュを一枚さっと手渡す.一呼吸置き,アナムネ聴取のときとは違って,ゆっくりとした口調で,「どうしました?まだ迷っている?」と尋ねる.
しくしく泣いている人はいくらでもいます.でも,あまりにも激しく泣いている人には,声をかけますね.大丈夫?今なら,止めることもできるよって〔I看護師〕.
女性が何の脈絡もなく突然泣くことや尋常ではない泣き方をしている場合もまた,看護師は迷いがあるのかもしれないと,声をかける.
(2) 周囲からの圧力を疑う本人と言うよりは,実は親とか相手が堕ろしなさいって言ってたりね.彼女とぴったりくっついていて,一時も離れない人もいます.一見優しい男性だなって思ったりして.でも,それって違うんですよね〔A看護師〕.
一緒に来たパートナーや母親が医師や看護師と話をして,自分では一切話さない女性やずっとうつむいている女性を見ると,看護師は中絶が本人の意思なのかと疑う.これは比較的若年者に多く,人の意見に従わざるを得ないのかもしれない.あるいは,虐待やドメスティック・バイオレンスのこともあり得る.看護師は「処置をするので,付き添いの方は廊下でお待ちください.」と,さりげなく女性と二人になれるようにする.そして,直接,「今回,希望しているけど,それでいいの?」と尋ねてみる.
(3) 女性の判断能力を危ぶむ女性の中には,一見普通に見えるが,「コミュニケーションがとりにくかったり.」「やたらと多弁だったり.」「返事はいいけど,行動がチグハグ.」「何回も中絶を繰り返している.」等,理解力に問題がありそうな人がいる.その場合,女性が妊娠をよく理解していないことや中絶を決める能力がない可能性がある.
看護師は,女性に妊娠や中絶の経緯を尋ね,中絶が自分の意思なのかを聞くようにしている.
2. 中絶を容認するための方法看護を実践する中で,看護師は中絶について,容認しようとする.けれども,それは容易なことではない.このため,【善悪の判断を保留にする】,【仕事として割り切る】,【中絶を容認するための理由づけをする】,【胎児を弔う】ことで,中絶を容認しようと努力をする.こうすることが,また,女性の意思決定を尊重することであり,その先にある『関わらない看護』につながる.
1) 善悪の判断を保留にする(中絶に)つくスタッフが,良い悪いとか,別にそんなのどうでもいいんだよって(同僚に)言われたことがあって,それは確かにって思って.〔I看護師〕
看護師は,善悪の判断を保留にして,女性の選択を容認する.
2) 仕事として割り切るKAにつきたくないのであれば,こういうところで働くべきじゃないと思う.ここの仕事は全部やらなきゃいけないと思っているから〔I看護師〕.
本当に処置って,やっているだけなので,安全に,終わるようにするのが仕事って思っているだけ〔H看護師〕.
中絶は,日常的に行われる手術である.中絶の看護も仕事の一つとして割り切ることで,女性の選択を容認する.
3) 中絶を容認するための理由づけをする「不倫だったり.」「妊娠が分かって,捨てられた人もいますよ.」「お母さんの再婚相手に乱暴されたとかね.」「近親相姦の人だってね.」女性の中絶には深い事情がある.中には本当のことを話せない人もいる.相手が特定のパートナーではない人や風俗に絡んだ妊娠を疑わせる人もいる.
やっぱ人間って,過ちはあるので,ね〔J看護師〕.
失敗は誰にでもある.避妊しなければ妊娠するかもしれないと分かっていてもできないこともある.
無理に産んでね,子どもを虐待しちゃってもいけないしね〔B看護師〕.
看護師は,各々,妊娠は過ちだった,望まない妊娠だから仕方がない等,中絶を容認するための理由づけをする.
4) 胎児を弔う「すぐにね,別の場所によけているんですよ.それがせめてもの弔いかなって.」,ほかの医療品とは一緒にならないように区別する.中には,そんな看護師もいる.
『関わらない看護』は,女性の意思決定を尊重するための看護であり,World Health Organization:WHO(2012)やBlack(2013)が推奨する女性の権利を守るための具体的な行動を示すものであった.『関わらない看護』において,看護師は中絶の意思決定を疑わない女性との積極的なコミュニケーションを控え,あえて話を傾聴することや共感することは差し控えるようにしていた.Travelbee(1971/1974)が,看護のために必要なことは,コミュニケーションを通じて関係を確立することであり,相手からいかに情報を引出し,相手を知るかであると述べるように,これまで看護はとかく相手との関係性を築くことやそのための関わりを持つことが強調されてきた.しかし,『関わらない看護』は,これとは異なる看護であった.『関わらない看護』は,滞りなく進めるという一見事務的にも捉えられる側面を持つ.その一方で,女性に嫌な思いをさせないようにするという側面も持ち合わせていた.これらの側面は,いずれもケアの受け手である女性への配慮を前提とした,ひとつの看護であると考えられた.この背後には,「目を合わせない」,「話しかけても返事をしない」,「口数が少ない」等,女性に関わって欲しくなさそうな雰囲気から,セルフ・スティグマを看護師が感じ取っているからである.だからこそ,『関わらない看護』は,こうした女性をこれ以上追い詰めないための看護でもあった.また,看護師は,手術用の足袋を着用するために触れた女性の足の冷えから寒さを感じ取り,毛布を掛け,足を擦るなどの看護ケアにつなげていた.Meyeroff(1971/1987)は,ケアの相手は常に自分の延長線上にあり,相手の世界で相手の気持ちになり,相手のことを感じ取って行うのがケアであると述べている.看護師は,身体的な不快や苦痛を取り除き,不安や緊張を和らげることができる.『関わらない看護』は,人間関係が確立する以前に成立しうる,看護独自のケアであるといえる.
しかし,積極的なコミュニケーションを控えて,氏名の確認を最小限にするため,安全が脅かされる危険性があることは否めない.過去に,中絶の現場では患者を取り違える事故が起こっている(牧,1990).『関わらない看護』は,決して,女性に無関心なることや放置することではない.女性との距離を取りつつも,確認すべきことを的確に判断して確認する必要がある.
看護師は,女性の意思決定を尊重するという暗黙のルールに基づき,通常,女性を最優先に看護を提供していた.中絶に立ち会う看護師は,間接的とはいえ胎児の死に加担することになる.その結果,傷ついていることが推察された.本研究には,密かに“胎児を弔う”看護師の姿もあり,そこには中絶に対する看護師の割り切れなさが垣間見られていた.看護師は,善悪の判断を保留にし,仕事として割り切り,中絶を容認するための理由づけをすることで,中絶を容認しようとしていた.こうすることで,看護師自身の価値観を一旦棚上げすることができ,相手の価値観にも寛容になれるのである.けれども,看護の対象となる人の決めたことが看護師の価値観とは一致しない場合,その人を手放しで支援できるわけではないことを示してもいる.医療技術は,日々発展し,救命や延命,生殖医療のように不可能を可能にする等,目覚ましい功績を残した.その一方で,これまでにはなかった問題や苦悩を抱えることになり,医療技術の進歩が必ずしも人類の幸福につながったと言い難いことは,すでに40年以上も前から指摘されていることである(Illich, 1976/1979).近年,患者やときにその家族が治療についての選択をしなければならず,看護においても,意思決定支援が求められるようになった.こうした患者やその家族と価値観の違いを感じつつも,看護を提供しなくてはならないという状況は,中絶に限ったことではないだろう.『関わらない看護』は,看護の対象となる人々と必ずしも価値観が一致しえない場合,寄り添う看護とは対極的なもうひとつの看護であると考える.
本研究は,一施設を対象とした研究である.そのため,施設の状況によっては,適応させることに限界がある.また,今回,看護の実態を明らかにすることを目的にしており,女性に関する情報は参加観察による客観的情報に止まっている.看護の受け手である女性自身の意見や考え等主観的な情報については不足しており,看護を検討する上では限界がある.今後は,施設数を増やすとともに情報提供者に看護の受け手である女性を加えることを検討し,中絶の看護を確立したいと考える.
謝辞:本研究に,多大なるご協力をくださいました院長ならびに看護師や施設の関係者の皆様,ご指導くださいました東京医科歯科大学大学院大久保功子教授,三隅順子講師,松岡秀明非常勤講師,大学院生の皆様に厚く御礼申し上げます.
本研究は,平成23~25年度科学研究費若手研究(B)の助成を受けて実施した研究(課題番号23792657)である.
利益相反:本研究における利益相反は存在しない.