2024 年 33 巻 2 号 p. 129-132
皆さんこんにちは.武井麻子です.私はこの学会の開設時の話をしたいと思います.
この学会の第1回の学術集会が催されたのは1991年です.30年以上も前になるわけですが,私はその前年の1990年10月に日本赤十字看護大学に精神保健看護学の助教授として採用されたばかりでした.
先ほど南先生が,この学会が立ち上がる時は,いろいろな縦のつながり,横のつながりで,錚々たるメンバーが参加してくださったとお話しされましたが,私はそれまで12年ほど千葉の海上寮療養所という民間の精神科病院で浮世離れした実践をしておりました.開放的な治療共同体を目指すということで,看護師として夜勤もやりつつ,ソーシャルワーカーもやり,作業療法もやり,みたいな仕事をしている中で,看護の仕事はとても面白いと思うようになりました.
海上寮には,リサーチワーカーとして行ったつもりが,初日に「そんな職種はありません」と当時の院長に断られてしまいました.けれど,「看護師の免許は持っているのか」と問われて「持っています」と答えると,「では,当直をしてくれれば雇ってもいい」ということで,働くことになったのでした.
当時,私は修士2年生だったのですが,院生なんてこれまで雇ったことがないと言われ,給与表の中にもないというわけでパート扱いになり,以来12年間,フルタイムの勤務でしたが,「パートの武井さん=パトタケさん」として働いておりました.
私は,東京大学医学部保健学科で看護の基礎教育を受けたことになっていますが,私が進学する前までは,保健学科の前身である衛生看護学科の時代にはあった看護の科目は開講されてなかったのです.東大闘争があり,学生たちが頑張って資格の取れる看護の科目を開講するようにしたのです.それを知って,私は資格が取れることに惹かれて進学したのですが,1年間で実習もやり,必修科目もほとんどが読み替えで,まともな看護教育は受けていません.教員も,看護師の資格はもっていても,実践経験がないという状況でした.
それでも国家試験に合格して看護師免許をとりましたが,そのまま大学院に進み,1年目の実習で海上寮療養所に行き,リサーチワーカーとして働いて見ないかと誘われたのです.けれども,行ってみると,有資格者はみんな准看護師で,一番多いのは補助さんと呼ばれる無資格の看護者でした.私は補助さんたちに「もぐりの看護師だ」とからかわれましたが,その通りだったのです.
その後,短大の教員になったのですが,担当は精神看護学ではなく,成人保健でした.たまたま,短大の廊下に貼ってあった日本赤十字看護大学精神看護学の講師募集のチラシを見て,応募したのですが,それまでは日赤に看護大学があるなんて知りませんでした.
日赤に行ってすぐ,稲岡文昭教授が日本精神保健看護学会の旗揚げ集会を開くというので,大騒ぎになっていましたが,私は「錚々たるメンバー」と言われてもピンとこず,ほとんど記憶にもありません.でも,それから4年間,日赤で学術集会が開かれることになり,毎回,テーマやプログラムを一生懸命考えたことは覚えています.そこで,改めて当時のことを調べて見ました.
第1回の学術集会は,「いま,なぜ精神看護学なのか」というテーマで,稲岡先生が南裕子先生と対談されています.今は亡き羽山由美子先生のお名前もあります.
第2回は,稲岡先生が「心の健康に援助する人のメンタルヘルス」と題して,ケアする人たちへの支援について講演をされています.自分で企画しておいて今さらですが,このテーマがその後の私のライフワークになった「感情労働」のテーマとつながっていることに驚きました.この回には,東京武蔵野病院の主任さんや,駒ケ根病院の松崎総婦長さん,宮本真己先生,川名典子先生などのお名前が見えます.
第3回は,「看護におけるチームワーク」がテーマで,海上寮療養所の院長だった鈴木純一先生が,治療共同体について講演されています.シンポジウムでは,「チームアプローチ」をテーマに,都立梅ヶ丘病院の心理士の高林健示さん,滋賀県立精神センターのOTさん.聖路加国際病院医療社会事業部のソーシャルワーカーの深沢里子さん.OTの冨岡詔子さん,PTの野坂さんと,看護以外の職種ばかりで,看護への期待を語るというシンポジウムをやっています.
第4回の講演者は,2019年に亡くなられた小林信子さんです.東京精神医療人権センターで早くから患者さんのアドボケイトとして国際的にも活動されていた方で,「精神病者の自己決定なしで人権擁護は存在しない」というお話をされています.
こうしたテーマをとり上げたのは,この学会が精神保健看護学会という名称になったということとも関係するのですが,前年に「精神衛生法」が「精神保健法」に変わったのです.そのきっかけになったのは,宇都宮病院での患者虐待事件でした.そういうこともあり,人権擁護は看護師が肝になると考えて,小林信子さんにお願いし,「患者の意思決定を支える看護とは」というテーマで,当時患者中心のケアを実践されていた方々を集めてシンポジウムを企画しました.
以上,日赤が担当した1回から4回までは,看護を中心にというよりは,メンタルヘルスを広く包括的に見ようという,そんな視点で企画されています.
その反動は来るもので,その後からは「看護の専門性を問う」というテーマが2回にわたってとり上げられました.軌道修正といいますか,看護の専門性も大事だぞという趣旨の回が続き,臨床教育や急性期のジレンマ,中長期在院患者のケアなど,精神看護が現実に直面しているさまざまな問題が取り上げられるようになっていきます.やがて,看護理論なども出てきます.
第13回は私が大会長を勤め,東京の都市センターホテルで開催しました.当時はまだ看護大学が全国に11校しかなく,大学院を設置している大学はさらに少なく,会場探しが非常に難しくなってきたのでした.それに,会員が増えるにつれて会場が手狭になってきたこともあり,学外で大会を開催する最初の回となりました.
テーマは「精神看護の経験を語ろう」ということで,「ナラティヴ」を採り上げました.春日キスヨ先生が,「仕事,それとも愛情?」というテーマで,社会学者から見たケアの現在をお話になりました.ここにも感情労働という社会学的な視点が含まれていました.
実は,この2年前の2001年に私は『感情と看護』という本を出しています.講演の一つで宮本真巳先生が「感性を磨く技法」として「異和感の対自化」という方法について話されたのですが,感情労働という感情社会学の概念を私に教えて下さったのが社会学出身の宮本真巳先生でした.この回では,「自分たちのケアを語ろう」というシンポジウムも行いました.
これ以外で,「語る」ということをテーマにしたのは,2017年に北海道で開催された「語りの後の精神保健看護を語り合う」というテーマの大会でした.「試される未来へ向けて」ということでしたが,ユニークだったのは,語りをテーマに,「対話シンポジウム」という画期的なシンポジウムが開催されたことです.
舞台上に患者数名の小グループと,看護師数名の小グループが上がり,片方のグループが語り,他方のグループはそれを聞くということを順に繰り返すのです.いわゆるリフレクティンググループの技法を使った,非常にアクティブな参加型のシンポジウムで,非常に画期的だったと思います.
そもそもこの学会は,「語り合うこと」を大事にしようということで,研究発表の「一般演題」も,発表と質疑応答がそれぞれ15分ずつ,あわせて一題30分という設定だったと思います.なので,かなりじっくり発表もできるし,意見交換もできて,すごく良かったのですが,だんだん参加者が多くなってくると,会場の関係もあって,なかなか時間が取れなくなり,時間も短くなっていきました.その一方で,ワークショップが増えていきました.ワークショップもいいのですが,これだけ増えると,どうしてもよく知った仲間同士の集まりみたいになって,学会としての交流という点でどうなのかという心配をしています.
私としては,開かれた語り合う学会という特徴を維持していただきたいと思うのですが,だんだん精神保健看護の現場も余裕がなくなっていて,患者さんともスタッフ同士も語り合う機会がもてなくなっている現状とも重なっているのではないかという気がします.
事例検討会をやっていても,昔はいろいろな患者さんの事例がふつうに提供されたのですが,最近は,「スタッフの事例ではいけませんか」と聞かれることが多いのです.Office-Asakoというコンサルテーションルームを開設していますが,最近は患者についての相談ではなく,スタッフについての相談が多いのです.働く人のメンタルヘルスがとんでもないことになっている.現場がギスギスして,殺伐としているように感じています.
これには医療が急性期中心になって,入退院のスピードがとんでもなく速まっているという社会的な問題と,コロナの影響もあるように思います.コロナで病院が非常に閉鎖的になり,ソーシャルディスタンスを確保ということで人々が直接ふれあうことができなくなってしまいました.コロナがもたらしたものすごい恐怖と無力感,孤立感を経験したスタッフのトラウマが癒されていないのだと思います.
そもそも急性期モデルで仕事をしていると,イライラしてお互いに傷つけ合うようなことが起きてきます.医療の場だけではなく,地域や大学などでもハラスメントについての相談がすごく多いです.
こうした問題をこの学会でも取り上げてほしいと思っています.ただ,学会というのは,開催の2年前くらいには企画が始まっていないと追いつかないということがあるので,今起きている問題を即座に取り上げるという機動性に欠けるところがあります.今後の課題として考えていって下さればと思います.
私は今いろいろな所に呼ばれていて,「組織のコロナ後遺症」というテーマでお話ししています.なかでも,「心理的安全性」という言葉を最近よくお聞きになると思います.これは,ビジネス界で注目されている『恐れのない職場』という女性の心理学の方が書いた本で,日本でもベストセラーになっています.海外の企業でも,人間関係が非常に難しくなっていて.企業の成功は人間関係にかなり左右されるということが分ってきていて.それには心理的安全性が重要だと言っているんです.
もともとビジネス理論の系列を遡ると,クルト・レヴィンまで行くんですが.要はグループダイナミクスです.その中で,人間の成長・発達・健康のためには,その場の安全性がとても大事だと言うのです.その安全性は信頼感がなくては意味がない.物理的な安全ではなくて,安全であると信じられること.それが安心感です.それがないと駄目だというのです.
これは普遍的なことだなと思って.特にコロナのこととか震災だとか,凶悪犯罪だとか,いろいろなことが起こるたびに,その感覚が傷つけられる.それは個人を傷つけるだけではなくて,組織や社会全体を揺るがす.お互いの信頼がなくなるんです.疑心暗鬼になる.何が本当かどうか信じられなくなる.フェイク・ニュースに惑わされるそういうことが起こるというのは,今一番の社会問題じゃないかと.大きな規模で言えば,戦争がこれだけ広がって終わらないのも,つながっているんじゃないかなという気がしています.
国民規模でメンタルヘルスが揺さぶられたこととして,コロナのほかにも東日本大震災とか,統一教会がらみの安倍総理の刺殺事件などもあったわけですが,取り上げ切れていないように見えます.その時々にワークショップとかが開かれているのですが.今後の期待として,そういうのも継続して取り上げていってほしいかなと思います.
今度のコロナの騒ぎで分ったのは,私たちは本当に簡単に人権意識というものを失ってしまうんだと.あっという間に人権は二の次と,当然のように受け入れてしまうということです.だから,家族に会わせないと簡単に言っちゃうんですね.会わせるようにどうしたらいいか.そっちでしょうと思うのですが.人権意識って,われわれの中でそれだけ軽いものなんですね.虐待事件が後を絶たないのもそのせいかもしれません.
それと,日本の精神医療も病院治療から地域へと変化していっていますが,精神保健看護にどのような変化が起きているのかも知りたいと思っています.
あと,感情の問題が,技術の向上で解決できるかということも興味をもっています.私の大好きな大谷翔平選手が,エモーショナルに揺さぶられるような事件 に巻き込まれてバッティングが低調だった時に,それとの関連を質問されて,「メンタルは技術で補えます.技術が向上すれば問題ありません」と言い切っていました.大谷ファンとしては信じたいけれど,ほんとうだろうかと疑問を感じております.というところで,私の話を終わらせていただきます.