JARI Research Journal
Online ISSN : 2759-4602
研究速報
エンジン燃焼解析ソフトウェアHINOCAのディーゼルエンジンへの適用検討
伊藤 貴之松岡 正紘
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2024 年 2024 巻 1 号 論文ID: JRJ20240101

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Abstract

エンジン燃焼解析ソフトウエアであるHINOCAを対象に,ディーゼルエンジン解析のための機能拡大と適用性検証を行った結果を中心に紹介する.

Translated Abstract

We investigated the applicability of the 3D CFD code HINOCA to diesel engine combustion. The results show that the spray and combustion model implemented into HINOCA can correctly simulate the development of fuel spray and its combustion phase under the conditions for an in-cylinder diesel combustion phase such as high pressure and temperature ambient conditions, and high-pressure injection. The results for diesel engine combustion simulation showed good agreement with experimental results regarding in-cylinder pressure and heat release rate profiles with varying boost pressure and EGR ratios.

1. はじめに

大型トラックやバスに搭載される動力源は,その省燃費性や堅牢性からディーゼルエンジンが主流である.昨今のカーボンニュートラルへの関心の高まりから,ディーゼルエンジンの高効率化への期待はこれまで以上に高まっており,一般財団法人日本自動車研究所(JARI)が組合員として参画している自動車用内燃機関技術研究組合(AICE)においても,重量車用大型ディーゼルエンジンの高効率化に関する研究に注力している.その取り組みの中で,新たな燃焼コンセプトの検討や,窒素酸化物(NOx) および粒子状物質(PM: Particulate Matter)に代表されるエミッションの生成・排出挙動予測のために,高精度な三次元のエンジン燃焼解析ソフトウェアが必須となってくる.これには機能の充実した市販ソフトウェアを活用することである程度は対応可能であるが,AICEにおける研究活動で創出された最新の知見やモデルを速やかにソフトウェアに実装して研究活動に応用していくためには,モデル考案者とソフトウェア開発者の綿密な連携が必須と考えられる.そのため,AICE研究においては,SIP革新的燃焼技術研究の成果として創出された純国産のエンジン燃焼解析ソフトウェアであるHINOCA1) を活用している.しかしながら,HINOCAはこれまでガソリンエンジンを中心に検証が進められてきたため,ディーゼルエンジンに適用した際の予測精度や課題についての十分な知見が得られていない.そのため,本研究ではディーゼルエンジン燃焼を解析するにあたりHINOCAに不足している機能を新たに実装するとともに,ディーゼルエンジン筒内での現象に対してインパクトの大きい燃料噴霧挙動に関する検証を進めてきた.本報ではこれらについて紹介する.

2. 解析コード

本研究で用いたHINOCAは,直交格子とImmersed boundary (IB) 法2) を採用した圧縮性流体ソルバをベースとしており,燃料噴霧や燃焼反応などのエンジン燃焼解析に必要となる一通りの物理・化学モデルが包含されている.また,分散メモリ型のMPI(Message Passing Interface)ライブリと共有メモリ型のOpen MPライブラリによるハイブリッド並列に対応していることから,富岳等のスーパーコンピュータを活用した大規模計算に適したコードとなっており,本報における多くの計算も富岳上で実施した.

ディーゼルエンジンへの対応として,HINOCAには燃料噴射に加え,燃料噴霧の壁面衝突モデルや液膜流動モデル等のエンジン筒内における燃料噴霧挙動を表現するための一連のモデルが実装されており,燃焼反応も取り扱うことができるため,ディーゼル燃焼の解析に必要な物理・化学モデルは一通り揃っているといえる.

HINOCAに実装されている燃料噴霧のモデルは,一般的なエンジン燃焼のCFDで広く採用されている離散液滴モデル(DDM)と同様であり,液滴をパーセルと呼ばれる液滴群として扱う.噴射された燃料の分裂過程を表現するモデルとしては,Kelvin-Helmholtz不安定性とRayleigh-Taylor不安定性の両者を同時に解くKH-RTモデル3),液滴の変形と振動をばね–質点系のモデルに置き換え,外力による変形量を求めるTABモデル(Taylor analogy breakup model)4) が実装されている.これまでに直噴ガソリン噴霧を主な対象として検証が行われており,適切なモデル定数を設定することで,Fig. 1に示すように噴霧外観や噴霧先端到達距離に関して,実験値を良く再現できることが明らかとなっている.

Fig. 1 Example of HINOCA simulation results for gasoline spray

ディーゼルエンジンのシミュレーションを行うには,自着火等の燃焼反応過程の考慮が必要となる.HINOCAは,CHEMKINフォーマットで記述された反応メカニズムを読み込み,反応動力学計算を行うことが可能である.化学反応に対する時間積分法としては,ERENA5) が組込まれており,詳細な反応モデルを高速に計算できる.ここでは,自着火燃焼を記述する反応メカニズムとして,web上で公開されているモデル6) を用いた.

その他のモデルとして,乱流モデルはLES(Large Eddy Simulation)とし,サブグリッドスケールモデルにはWALEモデル7) を用いた.また,エンジン計算を行う際の壁面熱伝達モデルにはHan and Reitzのモデル8) を用いた.

3. 燃料噴霧挙動の検証計算

3.1 非燃焼噴霧

ディーゼル噴霧の混合気形成において,燃料の蒸発過程はその後の燃焼に大きく影響する重要な因子であり,特に噴霧の先端到達距離を正しく再現できることが望まれる.ここでは文献9), 10) の条件で計算を行い,実験値との比較を行った.噴射燃料は実験と同様にノルマルヘキサデカンn-C16H34とした.

計算された噴霧断面の燃料濃度分布の例をFig. 2に示す.また,液相到達距離を文献値10) と比較した結果をFig. 3に示す.ここで,液相先端到達位置は,任意の時刻において噴射ノズル位置から噴射軸方向に対して液滴質量を積算していった際に,その積算質量が計算領域に存在する液滴総質量の95%に達した位置とした.計算した雰囲気温度700 Kと1000 Kの両条件において,雰囲温度が低いほど液相到達距離が長く,また雰囲気密度が高いほど到着距離が短くなるといった雰囲気温度や雰囲気密度が液相到達距離に及ぼす影響を良く再現しており,特に雰囲気温度1000 Kの条件においては液相到達距離の絶対値も比較的良好に実験値と一致している.

Fig. 2 Spray planner images for fuel concentration with varying ambient gas density

(Ambient gas temperature Ta=1000 K, 1.6 ms after start of injection)

Fig. 3 Comparison of liquid length of spray between measured and simulated

3.2. 燃焼噴霧

ディーゼル噴霧の燃焼過程の検証として,ここではECN(Engine Combustion Network)11) で公開されているSpray Aのデータを対象に,噴射ノズル位置から火炎が形成されるまでの距離(Lift-Off長またはSet-Off長,ここではSet-Off長という)に着目して実験値12) と比較した.ここで燃料は実験・計算ともにノルマルドデカンn-C12H26である.HINOCAの計算結果におけるSet-Off長は,Fig. 4に示すようにOHラジカルの質量分率が計算領域における最大値の2%となった位置とノズル間の噴射軸方向距離として求めた.

Fig. 5にHINOCAで計算されたSet-Off長を実験値と比較した結果を示す.図中の実験値は3ヶ所の研究機関で取得されたものであり,対応する呼称を凡例として表記している.計算結果は,実験でみられる雰囲気温度に対するSet-Off長の変化傾向を捉えており,定量的にも実験値を良く再現できている.噴霧火炎内部で生成されるすす(Soot)量に影響を及ぼすSet-Off長を適切に再現できることから,精度の良いSootモデルを組み合わせることでSootの生成・酸化過程においても高精度な予測が可能となるものと期待される.

Fig. 4 Definition of Set-Off length

Fig. 5 Comparison of Set-Off length between measured and simulated

4.エンジン実機計算対応と検証結果

4.1 周期境界機能の実装

ガソリンエンジンでは,吸排気の流動が特に重要となることから,吸排気ポートを含んだ形状を用いた三次元解析が行われることが多い.一方,ディーゼルエンジンの場合,ガソリンエンジンと比較して,吸気行程中に生じる流動パターンや乱れ強度に対して,燃料噴霧によって誘起される乱れや混合のインパクトが大きいため,吸気閉弁時期から排気開弁時期までの圧縮・燃焼・膨張行程のみを解析対象とすることが多い.そのため,ディーゼルエンジンにおける燃焼解析を行う際には,燃焼室全域を対象に計算するのではなく,周期境界を用いて,噴孔1つを対象としたセクタメッシュを用いて計算負荷低減を図ることが多い.HINOCAではこれまでガソリンエンジンを主な解析対象としてきたため,周期境界への対応が遅れており,これまでは燃焼室全域を対象に計算を行う必要があったが,周期境界への対応を進め,Fig. 6に示すようにセクタメッシュを用いた計算が可能となった.

また,吸気閉弁から計算を開始する場合は,初期条件として筒内の温度・圧力に加えてスワール(筒内周方向の旋回流)などの流速分布を与えることになるが,これに対応するため,KIVAコード13) と同様の方法でFig. 7に示すように初期スワールを与えることを可能とした.

Fig. 6 Example of simulation result using a periodic boundary

Fig. 7 Example of setting for initial swirl profile

4.2 実機検証計算結果例

前項で説明した周期境界機能を活用し,乗用車用ディーゼルエンジンの燃焼計算を実施した.エンジン主要諸元および対象とした条件をTable 1に示す.ここでは,過給圧力とEGR率を変化させた際の筒内圧力と熱発生率パターンを実験値と比較した.比較結果をFig. 8に示す.計算結果は,過給圧力やEGR率を変化させた際の筒内圧力と熱発生率パターンの変化傾向を概ね再現できている.

参考として,Fig. 9にシミュレーションで得られた筒内の温度分布の時間変化をボリュームレンダリングで示す.EGR率の増加により燃焼温度が低下する様子などが確認される.今後,燃料噴射圧力等の影響について検証を進める予定である.

Table 1 Engine specifications and target conditions

Fig. 8 Comparison of in-cylinder pressure and heat release rate profiles between measured and simulated

Fig. 9 Examples of visualized combustion phase with varying EGR ratios

5. まとめと今後の課題

SIP革新的燃焼技術研究の成果として創出された純国産のエンジン燃焼解析ソフトウェアであるHINOCAについて,ディーゼルエンジンの燃焼解析を行うための準備・検証を進めており,本報ではディーゼル燃焼場相当の高温・高圧場における単発の燃料噴霧やその燃焼挙動および実際のエンジン燃焼シミュレーションを実施した例を紹介した.以下にまとめを示す.

  •    HINOCAに実装済みの噴霧モデルは,ディーゼルエンジン筒内燃焼場相当の高温高圧雰囲気条件下における高圧噴射燃料噴霧について,液相到達距離などの重要な指標をよく再現できる.
  •    webや文献で公開されている反応モデルを用いた噴霧燃焼計算により,ディーゼル噴霧火炎の基本特性の一つであるSet-Off長をHINOCAによる計算で精度良く再現できる.
  •    周期境界機能を実装し,セクタメッシュ計算を可能とすることで計算負荷の低減を実現した.
  •    乗用車用ディーゼルエンジンを対象とした検証計算を実施し,筒内圧力や熱発生率に及ぼす過給圧力とEGR率の影響を概ね再現できることが確認された.

今後の課題として,粒子状物質(PM)や窒素酸化物(NOx)といったディーゼルエンジンで課題となるエミッション生成モデルについての実装や検証に加え,サイズの大きな大型車用ディーゼルエンジンへの適用性確認が挙げられる.

謝辞

本研究成果は,自動車用内燃機関技術研究組合(AICE)が国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)の助成を受けて実施した助成事業(JPNP21014)の結果得られたものである.また,成果の一部は,HPCI システム利用研究課題(課題番号:hp220222)を通じて,スーパーコンピュータ「富岳」を利用して得られたものである.ここに関係各位への感謝の意を表す.

References
 
© 一般財団法人日本自動車研究所
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