2024 年 2024 巻 10 号 論文ID: JRJ20241002
大気や自動車排出ガスのアルデヒド類について
須藤 菜那
Nana SUTO
アルデヒド類は毒性が高く,燃料の不完全燃焼により生成・排出される.本稿では,アルデヒド類全般に関する知見を提供するため,まず日本におけるホルムアルデヒドとアセトアルデヒドの年間排出量を紹介し,自動車排出ガス中のアルデヒド類の捕集・計測方法の概要をまとめる.さらに,大気中のホルムアルデヒドとアセトアルデヒドの濃度についても解説する.
1. はじめに
自動車から排出される自動車排出ガスには,大気環境や人の健康に影響を及ぼす物質が含まれているため,日本では1966年にガソリン車から排出される一酸化炭素(CO)濃度の規制が開始された.その後,非メタン炭化水素(NMHC),窒素酸化物(NOx),および粒子状物質(PM)についても順次規制が導入されてきた.自動車排出ガスには,これらの規制物質以外の未規制物質が多く含まれている.例えば,ベンゼン,トルエン,1, 3-ブタジエンなどの炭化水素類や,ホルムアルデヒド,アセトアルデヒドなどのアルデヒド類やアンモニアなどが挙げられる.アルデヒド類は毒性が高く,特にホルムアルデヒドは国際がん研究機関の発がん性評価でグループ1(人に対して発がん性がある)に分類され1),シックハウス症候群の原因物質としても知られている.アルデヒド類は,燃料の不完全燃焼により生成・排出されるため,その排出ガス濃度の測定はエンジン性能や後処理装置を評価するうえでも重要な指標となっている.
2022年11月に提案された次期排出ガス規制Euro 7では,重量車に対してホルムアルデヒドの新たな規制値(30 mg/kWh)が提案されたが2),最終的にホルムアルデヒドの規制は導入されずに発行された3).しかし,今後もこの規制の導入について議論が続く可能性がある.また,脱炭素社会の実現に向けたバイオ燃料の普及が進むことで,燃料中のエタノール含有量の増加が予想され,これに伴い自動車排出ガス中のアルデヒド類の排出が増加する懸念がある4).さらに,アルデヒド類は光化学オキシダントの生成に寄与する前駆物質でもあることから,大気中でのアルデヒド類の濃度を把握することが必要である.これらの背景から,アルデヒド類の計測は今後ますます重要になっていくと予想される.
本稿では,アルデヒド類全般に関する知見を提供するため,まず日本におけるホルムアルデヒドとアセトアルデヒドの年間排出量を紹介し,自動車排出ガス中のアルデヒド類の捕集・計測方法の概要をまとめた.さらに,大気中のホルムアルデヒドとアセトアルデヒドの濃度についても解説する.
2. 日本のホルムアルデヒドとアセトアルデヒドの年間排出量
2001年に施行された「特定化学物質の環境への排出量の把握等及び管理の改善の促進に関する法律」5) に基づき,化学物質排出・移動量届出(PRTR:Pollutant Release and Transfer Register)制度が導入された.PRTR制度とは,人の健康や生態系に有害なおそれのある化学物質が,事業所から大気,水,土壌の環境へ排出される量及び廃棄物に含まれて事業所外へ移動する量を,事業者が自ら把握し,国に届出を行う制度である(届出排出量).そのほかに,対象化学物質の環境への排出量で①届出対象業種には含まれるが,従業員数,取扱量が一定規模未満であるため届出がなされない排出量,②届出対象業種に該当しない事業者からの排出量,③一般家庭からの排出量,④自動車や船舶,航空機など移動体からの排出量に該当する排出量(届出外排出量)は,国が推計し,届出排出量の集計結果と合わせて公表している.このPRTR制度の対象となる第一種指定化学物質は,2021年の法令改正により,2023年から対象物質が462物質から515物質へと拡大された6).自動車からの排出量が算定対象となっているPRTR対象物質は,ベンゼン,トルエン,1, 3-ブタジエンなどの炭化水素類に加えて,アルデヒド類としてホルムアルデヒド,アセトアルデヒド,ベンズアルデヒド,アクロレインの4物質が含まれており,合計14物質が対象となっている.排出量の算定方法は,全炭化水素排出量に対する各物質の比率を乗じる方法で求められ,ガソリン車やディーゼル車,始動条件によって算定対象物質が異なっている.
PRTR制度に基づく2004年度から2022年度までのホルムアルデヒドとアセトアルデヒドの年間総排出量(届出排出量と届出外排出量の合計)と年間総排出量に占める自動車の割合(四輪自動車と二輪自動車の合計)を図1に示す7), 8).
図1 ホルムアルデヒドおよびアセトアルデヒドの年間総排出量と総排出量に占める自動車の割合
アルデヒド類の中で総排出量が最も多いのはホルムアルデヒドで,2022年度の総排出量は6, 208トンであった8).ホルムアルデヒドの排出量は年々減少傾向にあり,2022年度の総排出量は2004年度と比較し6割以上減少していた.総排出量の内訳は,各種事業者からの届出排出量が197トン,届出の対象とはならいない事業所や家庭,移動体(自動車や船舶など)からの届出外排出量が6, 011トンであり,届出外排出量が全体の9割を占めている.届出外排出量のうち移動体である自動車や船舶などでは 4, 097 トンが排出され,四輪自動車(2, 518 トン),船舶(777トン),特殊自動車(731トン)の順に排出量が多くなっている.ホルムアルデヒドの総排出量に占める自動車の割合(四輪自動車と二輪自動車の合計)は,2004年度には75.6% 7) と高い寄与を示していたが,2022年度には40.9% 8) と年々減少している.これら未規制物質は,規制物質の排出規制が強化されるとともに減少してきている9).
アルデヒド類の中で次に排出量が多いのはアセトアルデヒドであり,2022年度の総排出量は1, 817トンであった8).こちらも年々減少傾向にあり,2022年度の総排出量は2004年度と比較して7割以上減少していた.届出外排出量のうち移動体からは1, 557トンが排出され,そのうち四輪自動車からの排出が1, 103トンと最も多くなっている.アセトアルデヒドの総排出量に占める自動車の割合は,こちらも規制物質の排出規制強化に伴い2004年度の78.3% 7) から2022年度には61.1% 8) と減少傾向にある.アルデヒド類はガソリン車よりもディーゼル車の方が排出寄与が高いとされており,これはディーゼル車の排出ガス中には全ての運転領域において酸素が残存するため,アルデヒド類が生成しやすい環境が形成されることが原因と考えられる10).
3. 自動車排出ガス中のアルデヒド類の捕集・計測方法
煙道,煙突,ダクトなどから排出される排ガス中のアルデヒド類の捕集や分析方法はJIS K 0303(1993年制定,2012年改正)11) に,自動車排出ガス中の捕集や分析方法はJASO TP06004(2007年制定)12) に定められている.自動車排出ガス中のアルデヒド類を捕集・分析する計測手法はいくつかあり,本章では自動車排出ガスの計測手法を中心にまとめる.
JIS規格として広く用いられている代表的な方法としては,2, 4-ジニトロフェニルヒドラジン(DNPH)吸収瓶捕集法やDNPHカートリッジ捕集法がある.アルデヒド・ケトン類のカルボニル基とDNPHを反応させ,生成されたDNPH誘導体を高速液体クロマトグラフ-紫外線検出器(HPLC-UV:High Performance Liquid Chromatography- Ultraviolet Detector)で分析するオフライン技術である.近年では,実験室でのオンライン計測が可能な方法として,フーリエ変換赤外分光光度計(FT-IR:Fourier Transform Infrared Spectroscopy),プロトン移動反応-質量分析法(PTR-MS:Proton Transfer Reaction - Mass Spectrometry),量子カスケードレーザ赤外分光法(QCL-IR:Quantum Cascade Laser)などの技術も利用されている.これらの技術は,リアルタイムでの分析が可能であり,排出ガスの変動を時系列データとしてとらえることができる点で,オフライン技術とは異なる利点がある.
主要な5つの計測方法の測定時間や特徴,課題について表1にまとめた.自動車の安全や環境に関する世界統一基準(GTR:Global Technical Regulations)の中の第15号(GTR15:Global Technical Regulations No.15,Worldwide harmonized Light vehicles Test Procedures (WLTP))13) に規定されているホルムアルデヒドおよびアセトアルデヒドの計測法は,DNPHカートリッジ捕集・HPLC分析法,FT-IR法,PTR-MS法の3種類である.各方法にはそれぞれ利点と課題があり,測定対象や目的に応じて最適な計測手法を選択することが重要である.以下に,各計測方法の特徴や課題について記載する.
表1各アルデヒド類計測方法の特徴と課題
DNPH吸収瓶捕集・HPLC分析法
試料ガスを吸収瓶中のDNPH溶液と反応させて,生成されたDNPH誘導体として捕集し,HPLC-UVで分析して定量する方法で,JIS規格に定められている.DNPH吸収瓶捕集法は,定量性に優れており,試験期間中のブランク値が一定であることが利点である.ただし,試験ごとに吸収瓶を洗浄する必要があることや,現場へ吸収瓶(ガラス器具)を運搬しなければならない点が課題である.
DNPHカートリッジ捕集・HPLC分析法
試料ガスをDNPH試薬が充填されたカートリッジ内で反応させて,生成されたDNPH誘導体として捕集し,HPLC-UVで分析して定量する.JIS規格およびGTR15に準拠した方法である.DNPHカートリッジ捕集法は,DNPH吸収瓶捕集法に比べて抽出液量が4分の1で済むため高感度であり,可搬性や操作性に優れていることから屋外での捕集も可能である.ただし,二つの二重結合を持つ不飽和アルデヒドであるアクロレインが特に酸性条件下のカートリッジ内で反応が促進されて消失すると報告されており14),アクロレインに関しては定量性に課題がある.
FT-IR法
試料ガスに白色光源を照射し,透過光または反射した光量を干渉計で得た干渉波をフーリエ変換することで,各波長における吸収強度を示す赤外吸収スペクトルを取得する方法である.アルデヒド類は,赤外線吸収スペクトルに特徴的なピークを持つ.多成分ガスを連続的に計測できることや,スパンガスを必要としない点が利点であるが,応答性や定量性はやや劣ることが課題である.
PTR-MS法
イオン源から発生したヒドロニウムイオン(H3O+)と試料ガスをドリフトチューブで反応させて,生成されたプロトン化分子を質量分析計で分析する手法である.アルデヒド以外の成分も同時にリアルタイム計測が可能で,GTR15に準拠した手法である.しかし,ホルムアルデヒドの定量性についてホルムアルデヒドの陽子親和力は水の陽子親和力と差がわずかしかないことから逆反応が起こることが知られており湿度影響の課題を指摘している報告もある15).
QCL-IR法
光源として量子カスケードレーザを使用し,レーザの波長を変えることで,FT-IR法のようなフーリエ変換処理を必要とせずに測定を行う方法である.この手法は高速応答が可能であり,狭い波長範囲で強力な光を照射するためアルデヒド類の選択制が他の成分ガスの干渉を受けにくいという利点がある.しかし,対象とする成分ガスに応じた波長のレーザを用意する必要があるため,多成分ガスの同時計測には不向きである.
4. 大気中のホルムアルデヒドとアセトアルデヒド濃度
1996年に大気汚染防止法が改正され,低濃度であっても長期的な暴露により人の健康を損なうおそれのある有害大気汚染物質に対する対策が制度化された.この改正では,有害大気汚染物質として該当する可能性がある234物質が特定され,その中でも有害性の程度や大気環境の状況に鑑み健康リスクがある程度高いと考えられる22物質が優先取組物質として指定された(第2次答申)16).2010年には,この対象物質の見直しが行われ,有害大気汚染物質は248物質に,優先取組物質は23物質に見直された(第9次答申)17).ホルムアルデヒドとアセトアルデヒドがこの優先取組物質に指定されており,特にアセトアルデヒドについては環境中の有害大気汚染物質による健康リスクの低減を目的とした指針値が2020年に年平均値が120 μg/m3以下であることが設定された(第12次答申)18).1998年以降,大気汚染防止法に基づき地方公共団体において優先取組物質のモニタリングが開始された.2014年度からは,測定物質ごとに調査地点の属性が「一般環境」,「固定発生源周辺」,「沿道」,「沿道かつ固定発生源周辺」のいずれかに区分されて実施されている.
2022年度の有害大気汚染物質モニタリング調査結果19) では,ホルムアルデヒドは全国310カ所で測定され,年平均値は2.5 μg/m3であった(図2).過去10年間のモニタリング結果からは,ホルムアルデヒドの平均濃度はほぼ横ばい傾向で推移しており,測定地点の属性による影響はほとんど見られなかった.また,指針値が設定されているアセトアルデヒドについても全国323地点で測定が行われた.その結果,年平均値は2.0 μg/m3と比較的低濃度であり(図2),指針値(年平均値120 μg/m3以下)を超過する地点はなかった.過去10年間のモニタリング結果を見ても,アセトアルデヒドの平均濃度もほぼ横ばい傾向で推移しており,測定地点の属性による影響はほとんど見られなかった.
今後もこれら有害大気汚染物質の濃度状況を継続的に把握し,必要な対策を講じていくことが重要である.
図2 ホルムアルデヒドおよびアセトアルデヒドの大気濃度19)
5. まとめ
本稿では,大気や自動車排出ガスのアルデヒド類に焦点を当てて,その日本での年間排出量の推移や計測手法,大気中での濃度について概説した.アルデヒド類は,Euro 7では最終的に規制対象外となったが,今後の自動車排出ガス規制議論において注目される可能性があるため,自動車排出ガスや大気のアルデヒド類濃度を継続的にモニタリングしていくことが求められる.最後に,本稿が読者の方々の研究の一助となれば幸いである.
17) 中央環境審議会:今後の有害大気汚染物質対策のあり方について(第九次答申) (2010), https://www.env.go.jp/press/files/jp/16390.pdf, (参照 2024-9-3)
18) 中央環境審議会:今後の有害大気汚染物質対策のあり方について(第十二次答申) (2020), https://www.env.go.jp/content/900501595.pdf, (参照 2024-9-3)