日本の自動運転システムの安全性評価プロジェクトであるSAKURAプロジェクトにおいて,安全性評価に必要なプロセスと評価手法の研究を行っている.本報告では,国連WP29にて定められた国際基準を満足するか検証するための交通外乱の評価シナリオを導出するシナリオデータベースの開発内容,また,自動運転システムの開発者に試行いただいた際のご意見などについて紹介する.
1. はじめに
自動車社会において,交通事故の削減,渋滞の緩和や環境負荷の低減などが強く求められる中,既存の取り組みだけでは抜本的な解決が困難と予想されるため,新たに自動運転への期待が非常に高くなってきている.自動運転車(レベル3以上1) )を早期に社会実装するためには,安全性を確実に担保できる安全性評価のプロセスや手法が必要である.一般財団法人日本自動車研究所(JARI)は,経済産業省からの委託事業「自動走行システムの安全性評価技術構築に向けた研究開発プロジェクト(2018年度~)」2) -7)(SAKURAプロジェクト8) )において,一般量産車の自動運転(レベル3以上)を対象として,国際動向を踏まえつつ,自動運転車が遭遇しうる場面を体系的にまとめたシナリオベースアプローチ9) による自動運転システムの安全性評価に必要なプロセスと評価手法の開発と検証を行っている.このプロジェクトでは,自動運転車と周辺交通参加者の衝突リスクを伴うクリティカルな交通外乱シナリオ(Traffic Disturbance:自車に対する周辺車のカットイン,カットアウト,減速など)を対象に開発と検証を行っている(Fig. 1).また,国連WP29(自動車基準調和世界フォーラム)の「セーフティビジョン」や国土交通省の「自動運転車の安全技術ガイドライン」10) では「自動運転車は,設定された運行設計領域(ODD)の範囲内において,自動運転システムが引き起こす人身事故であって合理的に予見される防止可能な事故が生じないこと」と定めている.本稿では,安全性評価を行うために,「合理的に予見される範囲」や「防止可能な範囲」を参照しながら評価シナリオを導出できる基盤(ツール)であるシナリオデータベース(以下,「シナリオDB」という)の開発について紹介する.開発に当たっては,一般社団法人日本自動車工業会 自動運転の安全性評価フレームワークVer3.011) を参照した.
Fig. 1 シナリオベースアプローチにおけるシナリオ体系
(出典:一般社団法人日本自動車工業会 自動運転の安全性評価フレームワークVer3.011))
2. 安全性評価のプロセス全体
前章で述べた「自動運転システムの安全性評価に必要なプロセスと評価手法」の全体像をFig. 2に示す.本事業では,交通外乱シナリオおよびそれに紐づく各種パラメータの妥当性を裏付けるために,計測車や定点観測による①実交通流データ(カメラ映像やLiDAR点群データなどの計測生データ)の収集,②交通外乱データ(計測生データから導出される交通参加者の軌跡データ)の抽出,③交通外乱シナリオの抽出とそれぞれに紐づく各種パラメータの統計分析を行うことにより「合理的に予見される範囲」を導出した.「防止可能な範囲」については,「注意深く有能なドライバ(Competent and Careful Human Driver)」の行動モデルで定義され,このドライバモデルが防止できる事故は自動運転システムも回避しなければならない.2020年6月に,60 km/h以下の自動車専用道路の本線走行中の渋滞時に自動で車線維持をするシステムの国際基準(UN Regulation No. 15712) )が制定され,この基準のなかには,自車の前方に危険が迫るシナリオとしてカットイン・カットアウト・減速の3つのシナリオについて,ドライバモデルを使った前述の方法で導出した「防止可能な範囲」が記されている.シナリオDBは,自動運転システムの安全性を評価するために,これら「合理的に予見される範囲」や「防止可能な範囲」を参照しながら④評価シナリオを導出するための基盤(ツール)と考える.
Fig. 2 安全性評価のプロセス全体
3. シナリオDBの開発
開発するシナリオDBが自動運転システムの開発に役立つためには,自動運転システムの開発現場のニーズに合った機能を織り込む必要がある.そのため,今回は協力いただける自動運転システムの開発現場の担当者に,シナリオDBのアウトプットとなる評価シナリオなどのサンプルを提供し,安全性評価への活用を想定してもらい,シナリオDBに対するニーズや意見をヒヤリングした.
3.1 シナリオDBへのニーズ集約
自動運転システムの開発現場の担当者からは安全性評価への活用の観点で多くのニーズを聞くことができた.これらのニーズについて,ニーズの大きさや提供価値としてのインパクトの大きさ,また,開発難度などの観点で優先順位をつけて,今回開発するプロトタイプのシナリオDBに織り込む機能を整理した(Table 1).また,次節3.2にて述べるシナリオDBの活用事例との対応関係をA~Hで示した.
Table 1 開発現場のシナリオDBへのニーズの整理
優先順位の高いニーズ(機能) |
シナリオDB活用事例の 対応部分(Fig. 3) |
---|---|
安全性評価したいシナリオを,網羅的な交通外乱シナリオ体系より選択し,対象を絞りながら抽出したい. | A |
ODD(運行設計領域;車速,道路曲率など)に合致した評価シナリオを作成したい. | B |
「合理的に予見される範囲」をODDに応じて定量化したい. | C |
「注意深く有能なドライバ(Competent and Careful Human Driver)」の行動モデルを用いて,「防止可能な範囲」を設定したい. | D |
厳しめの判定基準(ロバスト性検証用など)など多様な評価シナリオがほしい. | E |
安全性評価シミュレーションに入力可能なフォーマットの評価シナリオがほしい. | F |
評価シナリオの導出根拠を提供してほしい. | G |
テスト結果を可視化できるように,「合理的に予見される範囲」と「防止可能な範囲」を重ねて表示させてほしい. | H |
3.2 ニーズを反映したプロトタイプシナリオDBの機能と活用事例
今回開発するプロトタイプのシナリオDBには,自動運転システムの開発現場の優先順位の高いニーズ(Table 1)を機能に落とし込んで織り込んだ.これらの機能を織り込んだシナリオDBの活用事例をFig. 3に示す.Table 1のニーズ(機能)との対応関係をA~Hで示した.
Fig. 3 シナリオDBの活用事例
4. プロトタイプシナリオDBに対する意見集約
今回開発したプロトタイプのシナリオDBを,協力いただける自動運転システムの開発現場の担当者に提供し,システム開発を想定して活用してもらった.また,シナリオDBの事前説明の際,または,活用後にシナリオDBの狙いや機能に関する要望・意見のヒヤリングを行い,これら要望・意見を現状の進め方に関するもの,今後の期待に関するものに分類し整理した(Table 2).いただいた多くの要望・意見は,本事業の目指す開発の方向性と合致しており,また,将来に向け更なる期待も寄せられた.
Table 2 プロトタイプシナリオDBに対する意見集約
現状の 進め方 |
① | 認可を得るためには安全であること(条件やクライテリア)を示す必要があり,第三者機関が示す合理的予見可能範囲,回避可能範囲はそのリファレンスとして有効である. |
---|---|---|
② | 「合理的に予見される範囲」の信頼性向上を図るため,データ・シナリオ数の拡充を期待したい.海外も含め,継続的に実施してほしい. | |
③ | 大型車を対象にしたC&Cドライバモデル構築(回避可能範囲に関連)やパラメータ分析(合理的予見可能範囲に関連)を期待したい. | |
④ | 「合理的に予見される範囲」を表示する際に,タグ情報を用いた検索条件が充実されると,開発システムの弱点・課題となるシナリオの特徴や分布が把握でき,開発の効率化につながる. | |
今後の 期待 |
⑤ | 合理的予見可能範囲と回避可能範囲が重畳表示されたものを参照して効率的に評価シナリオを作成したい. |
⑥ | 現実の事故(責任分担)やヒヤリハットとの関係も重畳できると有効な根拠となる. | |
⑦ | 実交通環境シーンを忠実にシナリオ化し,シミュレーション評価につなげられるとより良い. | |
⑧ | 汎用的な安全性評価シミュレーションに入力可能な評価シナリオがほしい. |
5. まとめ
本開発では,シナリオベースアプローチによる自動運転システムの安全性評価に必要な「合理的に予見される範囲」や「防止可能な範囲」を参照しながら評価シナリオを導出するプロトタイプのシナリオDBの開発を実施した.開発に当たっては,事前に自動運転システムの開発現場の担当者にニーズをヒヤリングし,活用事例の仮説を立てながら優先順位の高い機能を織り込んだ.その後,開発したプロトタイプのシナリオDBを協力いただける自動運転システムの開発現場の担当者に提供し,システム開発を想定して活用してもらい,率直な要望・意見を伺った.いただいた多くの要望・意見は,本事業の目指す開発の方向性と合致していた.また,将来に向けたさらなる期待については今後の改善に向け検討を進めていきたい.
今後の展望として自動運転車の機能は進化していくものであり,機能の進化に合わせた安全性評価の実施が求められる.さらに,自動運転車の普及に伴って交通環境が変化する可能性もあり,そのような変化をタイムリーかつ継続的に反映できるシナリオ更新の仕組みを検討する必要がある.そのためには,継続的に実交通流データを取り込んでいく必要があり,実交通流データを計測しているさまざまな利害関係者と連携し,それらのデータを活用してシナリオを更新できる体制を構築していく必要があると考えられる.また,今後実交通流データを計測し続けることは大きな負担となるため,新たな技術である生成AIを活用し,実データから生成した仮想データも組み合わせるなどシナリオ更新の効率化の検討も進めていきたい.
謝辞
本開発は経済産業省からの委託事業として,一般財団法人日本自動車研究所が2018年度より実施した内容の一部をまとめたものであり,ここに記して感謝申し上げます.